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気が付けば2年ぶりの投稿となります。
その間に私にあった色々なことはさておき、今話題となっている2025年7月5日のことについて、世の中で伝えられていることと、ご本人が述べていることの乖離があまりも誤解の渦中で話しられていることに対してもどかしさを覚え、私なりの見解を述べてみたいと思います。

まず、「私が見た未来」は近年、特に昨年あたりからネットやYOU TUBEなどで多く取り上げられていましたが、私自身はまぁまた都市伝説の一つだろうと気に留めていませんでした。それには、あれほど大きな社会現象となったノストラダムスの大予言の1999年に結局何も起こらなかったという教訓ともいえる体験を経ていたからです。実際、その1999年を迎えても、私には(感覚的に)何かが起きるという危機感もなく、普通に過ごしているうちにその年は終わっていました。
ですので、昨年までは2025年7月5日のことは気にも留めていませんでした。

ところが、今年になってから自分の中に「胸騒ぎ」を感じるようになりました。それには多くの出来事が起きたことへの戸惑いがあったからです。意味の分からない出来事が世界中で起きている。ご存じのように、トランプ氏が大統領になってからのわけのわからない関税の発表。イスラエルの理解しがたいガザへの攻撃としまいにはイランへの攻撃。アメリカのイランへの攻撃。インドとパキスタンと衝突と現在でも一触即発の状態。各国での右派政党の躍進。なかなか終わらないロシアによるウクライナ侵略戦争。
国内では、フジテレビが象徴するいくつもの芸能人やマスコミのスキャンダル。政治家のセクハラ・パワハラ・コンプライアンス問題等、そしてトカラ列島群発地震など、世界全体がおかしくなっていることに一抹の不安と混乱を覚えた次第です。

そんな時、話題となっていた2025年7月5日のことがなぜか気になり、先月、たつき諒さんの「私が見た未来完全版」を購入して読んでみました。そこで、世間で騒がれている7月5日とたつきさんご本人が述べていることとの違いがそのまま独り歩きして、(たぶん)本を本を読んでいない人が思い込みだけで発信している記事や動画などが多数目につきましたので、ここでその間違いと私なりの考えをのべさせていただきます。

①大災害ではなく大災難

たつき諒さんは、「私が見た未来完全版」の中で、2025年7月に起きるものを「大災難」と表現しています。文中では夢に中に出てきた映像が「日本列島の南に位置する太平洋の水が盛り上がる」そして「日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)したのです」と表現したのです。そして太平洋周辺の国に大津波が押し寄せたとのことでした。
これでわかると思うのですが、ご本人は地震とは一言も発していないのです。ところが大津波という言葉が誰かの根拠のない勘違いで、大地震が発生して「大災害」が起きるという風に変化し、しまいには科学者たちがデマだと述べるようになりました。おそらくその科学者もたつきさんの本をちゃんと読んではいないのでしょう。
繰り返しますが「大災害」ではなく「大災難」なのです。

たつきさんは、1999年に発表した「私が見た未来」ではその表紙に「大災害は2011年3月」とはっきり書いています。そしてその通り2011年3月に東日本大震災が発生しました。ところが今回は「大災難」と表現しています。つまりたつきさんが見たものは自然災害と断定できるものではないということを知ることができます。
では、大災難とは何か。それはたぶん誰にもわからないでしょう。いや、もし人為的なものから発生する津波であれば、その当事者は当然知っているかもしれません。しかし、とにかく一般人であるの私たちには何もわかりません。それは仕方のないことです。だからこそ何かが本当に起きた時のことを想定して、「根拠のない正常性バイアス」を持たないようにする必要があるかと思います。

②2025年7月5日AM4:18ではなく2025年7月

これはたつきさんご本人が「完全版」のあとがきで、それまでの経験上予知夢を見た日付と実際に起きた月日が一致したことが多くあったことから「大災難は7月5日」と書いていたことから7月5日が危ないという説が流れました。しかし、先月発表した「天使の遺言」では、そのあとがきは出版社の都合により急ピッチで進められた編集作業の中で、夢を見た日が7月5日だから2025年7月5日では?と話したことがそのまま文章となったようで、日にちは断定ではないと訂正しています。ただ、2025年7月に「大災難」が起きる思いはより強くなったとも言っております。
実際、2011年3月の大災害の予言も原稿の締め切り日当日に、「これを書け!」とばかりに誰かがたつきさんに語りかけ表紙に付け加えたそうで、それと同じように「完全版」の締め切り日当日(2021年7月)に「映画のタイトルのように2025年7月」という文字がはっきり出てくる夢を見て、完全版の帯に「本当の大災難は2025年7月にやってくる」といれたそうです。
つまり、東日本大震災と同じように年月までははっきりと示していますが、日付についてはたつきさんが表した文章としては存在していなかったということが読み取れます。
だからといって7月5日が安全かと言えばそうとは限りません。それは一般の人々には誰にもわからないことなのですから。

デマと断定する根拠はない

7月5日が近づくにつれ、たつきさんの「予知夢」はデマだと話す人々が増えて来ています。これも正常性バイアスがなせる業だと思うのですが、そもそもたつきさんは自分の見た夢が多くて的中していたので、それを漫画の題材として表現したに過ぎないのです。いわゆる自己表現の一種でしかないのです。それを世間の一部では人々を不安に陥れる張本人みたいに扱っています。
しかし、出版社の本を売るための意向が及ばない自費出版という形で「天使の遺言」を出しました。この本では、ご本人の生い立ちから「私が見た未来」の出版までのいきさつまで書かれています。それを読んだ私の感想は、もし自分が自分の伝記みたいなものを書いたとしても(まず書かないと思いますが)このように赤裸々に書くことは到底できないだろうという自分の人生のふがいなさでした。竜樹さんは(私が読んだ限り)誰かの評価を得るためでもなく、正当性を主張したいわけでもなく本当に正直に自分の半生を表現しています。その中には、私たちがまず体験することはないだろうと思われる奇異な体験もありました。しかし、漫画家という仕事をしながら母親の介護に努めたりボランティア活動を行ったりという、本人が言うにはよく体がもったなということを次々と行っていました。それは一つには竜樹さんが関心を示した色々な事柄に自分の気持ちを偽らずに積極的に取り組んだこと、あるいはどうしてもやらなければならないという使命感にも似たような行動もあったようです。
そんな人が、自己顕示欲や金のために世間を騒がせることを意図的に行ったとは、少なくとも「私が見た未来」と「天使の遺言」を読む限りでは見受けられませんでした。

そんな竜樹さんが表現したものを、デマと簡単に払いのけることができるでしょうか?だからと言って間違いなく何かが起きるとも私は思っていません。しかし、最初に書いたように、今は突然何が起きても不思議ではない世界の中に私たちは生きています。明日、突然日本に他の国が侵攻してきたとしてもそれは100%ないとも断言できません。この記事を書いている現在でもトカラ列島の地震が海底火山の爆発の予兆と発言する専門家もいます。
100%何も起きないという根拠がないのなら、竜樹さんの表現がデマだと断定する根拠もないのです。それを100%デマだという人がいたら、その人が根拠もなくデマを流しているとしか思えません。

④私たちは何をしたらいいのか

さて、7月に入った今、私たちは何をしなければならないのでしょうか?
私は、正直言って竜樹さんの予知夢が外れることを願っています。今までのように色々なことがあっても、とりあえず住む家があり、お金を得る仕事があり、大きな事故もなくこれからも暮らして行けたならそれ以上の幸せはありません。
しかし、私の経験上、何か大きな出来事が起きる時は、小さな色々な負の出来事がある時点に向かって積み重なっていき、それが飽和状態になったときにまるで風船が破裂するかのように、大きな出来事へと導かれて行くと考えています。かつて日本が起こした悲惨な太平洋戦争もそのひとつではないでしょうか?また、その飽和状態というのは、論理的に時系列に則って起きるのではなく、それとは関係なく時代を強制的に終わらせるために起きる出来事もあります。
だから、もし何かが起きたとしてもパニックにならず、冷静に行動を起こし、二次被害をもたらさないように心と物資の準備をしておかなければならないと思っています。今、我家ではとりあえず水だけは確保しておこうと天然水の段ボールをいくつか備蓄しています。

もし今月何も起こらなかったらそれはそれでいいのだと思います。竜樹さんを非難するつもりは毛頭ありません。少なくとも竜樹さんも話しているように、何かが起きた時のための準備を怠らないようにということは、特に私たち日本人が経験した東日本大震災でもう充分理解しているはずです。しかし、もし竜樹さんの予知夢が当たったとしてもパニックにならず冷静に行動を起こさなければならないと思います。
できれば、竜樹さんが見た自分の葬儀が7月25日という夢が近い将来に本当に起きてほしくはないと願っています。しかし、自費出版した本のタイトルが「天使の遺言」としたことが気がかりです。前にも述べましたが、竜樹さんは決して世の中を混乱させようとして表現したわけではないからです。しかし、ご本人はそれで自分の役目は終わると言っています。もしその予知夢が当たったら少し悲しい気持ちになります。

最後に、もう一度述べます。大きな出来事は、小さな負の出来事が積み重なって飽和状態になった時に、強制的に物事を変えることがある。そんな要素が今世の中に充満しています。





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たまたま仕事の休みが、函館港まつり2日目と重なったため、たぶん6年くらいぶりにわっしょい函館十字街・松風コースを拝見することができました。
市内の企業や団体等がそれぞれのコスチュームで踊れ進む姿と、子供さんが戸惑いながらも頑張って踊っている姿を見ることは単純に楽しいものです。
そんな踊りの一部を。

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久しぶりに動く被写体を撮ったものですから、せっかく撮ったのにぶれぶれの写真が半数以上になってしまいましたが、その中でも比較的マシなものを掲載させていただきます。

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中にはカメラに向かって「撮って!」と言わんばかりに反応する方が必ず何人かいらっしゃいます。


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そうそう、レトロ電車や花電車も当然登場いたしました。

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うーん、画像的には最低ですね(笑)

そして、最後の自由参加の写真もまだマシに撮れたのはこれだけ。

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今度は見るだけにしましょうか、、、、、。



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前回では街の風景を趣を与える伝統的建造物や貴重な建物の劣化が進み、残念な状態になっている光景をご紹介させていただきましたが、そんな中、おそらく自ら再生し、朽ちそうになっていた建物を見事に甦らせれたものもあります。
1枚目の写真は弁天町の電車通りに昔からある蔵なのですが、何年か前までは利用しているのかどうかもわからない様子だったのが、全体的な化粧直しもすませて、現在はアートギャラリーとなっているようです。この蔵は元々それなりに維持はされていたので、このようにきれいになる可能性は高かったでしょう。
2枚目の写真は、つい何か月か前までは、この建物の前を通るたびに少し忍びない気持ちにさせられていた、かつてのマルハ大洋漁業(現在はニチロと合併し、マルハニチロとなっている)の函館事務所だったところです。以前はその名残であるマルハのマークが窓の鉄柵の中にあったのですが、それがないにしろ、このように以前とほぼ同じような姿で甦ったのは、西部地区建物ウォッチャーとしてはうれしい限りです。おそらく一般住居として利用されているように見受けられますが、そっと温かく見つめていたという気持ちにさせてくれます。

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これは船見町にある古民家カフェですが、仕事柄この建物が中古住宅として5年くらい前に販売されていたことは知っており、成約となった時には、おそらく居住用として誰かが住むのだろうと考えていたが、改修工事を終えたみるとカフェとなったことに驚いた。決して簡単に見つけられ気楽に行けるよう場所ではない常盤坂上にあり、余計なお世話だが、こんなところでやっていけるのだろうかと勝手に心配してしまうくらいだった。しかし、そんなのは文字通り大きなお世話であったようだ。

そのような、使用する人たちが自ら改修して古い建物に息を吹き替えさせている一方で、見た目には甦ったが、疑問が残る建物がある。

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それが、旧野口梅吉商店のむ建物だ。現在はそれなりに有名になっている「わらじ荘」という若者の拠点となっている建物だ。
実は、この建物には筆者にとってちょっとした経緯を持っている。それは、ハコダテトリエンナーレ2012年の開催に際して、この建物をその会場の一つとして利用しようと所有者を探して交渉したことから始まった。最初に話ができたのは所有者の息子さんで、こちらの話の趣旨に理解を示してくれ、所有者である父親に取り次いでもらうのと同時に屋内を見せていただく許可を得ることができた。
そして、トリエンナーレのスタッフとともに実際に屋内を見たら、時代を感じさせる見事な内装があったり、佇まいがあったりしており、古建築物を利用したアートイベントとして充分価値のある建物であることを認識したが、ただ、二階は床が崩れかかっており、開催するときは二階を利用せず、一階のみにしようということになった。そして、改めて所有者と面会し利用させてもらうことを打診した。所有者は当初OKを出してくれたが、その後日程など具体的な話をしに行ったときに何故か考えを翻し、無理難題の条件を付けてきた。その条件が何だったのか、恥ずかしながら10年以上たった今は思い出せないが、とても対応ができるものではなく、結局この建物を開催を断念せざるをえなかった。
その後、しばらくはそのまま空家として存在することになり、次第に外壁も朽ちてきて、内側だけでなく、外側もそろそろまずいのではという状態になっていった。そんな時、私が交渉した所有者が亡くなったことを風のうわさで聞いた。そして、その後「わらじ荘」というものが出来上がった。わらじ荘とはどんなところかは、その説明を省略するが、シェアハウス的な形で若者たちが集まり、イベントや活動などを行いネット上での関心を多く集め、NHKでも特集番組が作られるようなものだった。
あの、使用が危険な二階の修復をし、住めるようにしたのは見事だと思った。
おそらく、所有者が息子さんに変わってから、何にも利用しないのはもったいないとして、何かに利用されることを、私がお願いにあがった時と同じように承諾したのだろうと思う。それてとてもいいことだと思った。私の時は失敗したが、時間を経てそのように生まれ変わったのは素晴らしいことだと思った。

しかし、この建物に集まった若者たちは大学生などで、正直言って改修する資金があるようには思えなかった。実際の工事は素人ながらでも何とかやったとしても、その資材の調達でもそれなりにお金がかかるはずであるのは、業界の末端にいる私にもわかる。誰がお金を出したのか?しかし、それは第三者の余計で勝手な想像であり、当事者には全く非がないことなのだからそっと見守っていた。

ところが、この写真は約2週間前のものだが、見てお分かりの通り、外壁や屋根の補修が足場を組まれて、もう完了間近になっていた。
その何に問題があるのか?皆さんはそう思われるでしょうが、それが大いにあるのです。この建物は景観形成指定建築物になっており、指定された建築物は定期的に函館市から補修するための補助金を受けることができる。その補助金を基に補修を行うことは全く問題がないのですが、何故、前回ご紹介した伝統的建築物や他の景観形成指定建築物よりも先んじてこの建物が補修できたのか?ということです。私は面倒なため、わざわざ当事者や函館市に確認をとらずに勝手な想像を働かせてみた。
まず、居住者あるいは所有者等の関係者が自費で行ったのなら何の口をはさむようなものではないし、そうだとしたら話はここで終わるし、身勝手な想像を謝るしかない。
しかし、もし函館市が他の老朽化した指定建築物よりも先んじて、この建物の補修を優先したとしたら、それはちょっと問題がある。
例えば、写真は撮らなかったが、大町にある同じく景観形成指定建築物である、元カフェ「JOE」(旧遠藤吉平商店)の現在の姿は見るに堪えられないほど外観が崩れかかっている。もちろん、補助金が出るといっても、工事費全額が出るわけではないため、所有者がその不足分を出せないと言ったら、補修も行われず劣化が進んでしまうのも理に適う。したがって、たまたまこの旧野口梅吉商店の関係者その不足分を出せたとしたら、これもまた文句のいえないことではある。確かに制度上問題はない。

さて、問題なのは、西部地区あちこちに老朽化した指定建築物がたくさん存在しているのに、制度を変えようとしないことだ。
補助金も満額ではなく、また、それも外観の補修に限るというものであれば、結局のところ、所有者がどれだけお金を出せるかかが、建物の生命にかかわってくるということだ。実際に、いくら伝統的建造物であれ景観形成指定建築物であれ、内部の補修が資金的な理由によりできず、維持が困難となったら、所有者は建物を解体することができる仕組みになっており、そのように解体された建物もいくつも見てきている。どんなに西部地区の景観を保持しようときれいごとを言っても、最終的には所有者の資金力に頼りにするしかないのが現状なのだ。

この度、新幹線の函館駅乗り入れをアピールして当選した大泉市長だったが、聞こえのいい政策に投じる金があったら、せっかく乗り入れても、函館に着いてみたら見るものが無くなった、いい雰囲気の街並が崩れたとなったら、それは本末転倒だ。大泉新市長については次回述べさせていただくが、函館は今何かがおかしくなっている。
今回題材として、取り上げさせてもらった「わらじ荘」だが、函館市としてはアピールにちょうどいい材料として好感を持っているようだが、同じ弁天町住んでいる筆者にとって、「わらじ荘」が存在することによって、若者が弁天町に集まり活気が出てきたとか、何か雰囲気が変わったということは全く感じていない。今まで通りのある種の寂しさと、年々増えていく空き地と、以前はどこかで見たことのある高齢者の姿がなくなったとか、それだけだ。発信はネットでいくらでもできるし、ネット上で話題になったとしても、街というものは「実際に」保たれたり、リノベーションされたりしなければ変わらないものだ。
今、必要なのは、朽ちかけている建物を自費でノリベーションし、新たな利用方法を見つけ出す人間が現れるか、現在の制度を大幅に見直し、本気で建物の保存を函館市が取り組むかのどちらかしかない。



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