JakeOdagiriのブログ

〜〜パラテクスト研究のブログ〜〜

挿絵の生成(論)について

2025年12月28日(日・晴)

 

 文学作品の中に絵画が挿し込まれてゐると、作品の解釈が補助されるといふことは、先行研究においてしばしば指摘されてゐる。例へば、主要人物の姿や作中舞台のやうな事柄が視覚化されることになる。すると、読者は、文字だけから作品の内容を解釈するのではなく、視覚的資料からその展開を見ることができるやうになる。このやうに、作品に何らかのリアリティーが付与されると匠秀夫が指摘してゐるとほりである。しかし、挿絵研究を見ると、一つの重視されてゐることは、挿絵の生成論といふ課題である。つまり、挿絵と本文との関係を解釈するに先立ち、その絵画は誰によつて、どのやうな意図で描かれたのかなどの、いはば裏にある情報を明らかにする課題である。

 この生成論の目的はさまざまであるが、挿絵の世界では作家が絵師に指示を出すことはしばしばあるのである。この指示は大雑把な場合も、詳細な場合もある。また、挿絵が入るといふ前提で作家が作品を書くことがそのやうな指示から読み取ることができる。出口智之が指摘するやうに、樋口一葉は絵師である中江玉桂に挿絵に関する指示を出してをり、作中にない出来事・シーンを描かせたのは、ある種のセットである、といふことである。このやうな実例はどれほどあるのかは本研究の対象ではないが、確かに興味深い課題である。特に、出口論や芳賀徹論のやうな論考に記述されてゐるやうに、挿絵は必ずしも本文と共に提示されることがない場合も多い。つまり、挿絵と本文は共に提示されるのは初出媒体のみで、本文が単行本や選集などに転載されることがあるものの、挿絵なしのものになる。つまり、初出媒体に提示されてゐる挿絵付きの本文は、何らかの意図でもつて組み合はせられてゐるので、それがセットになる。しかし、後々に本文は挿絵なしの姿で提示されるやうになるため、その本文の意味が変はるのであらう。特に生成論からすると、作家並びに絵師の意図の意図が問題になる。

 このやうな形で、作家と絵師との間に連絡があり、やり取りを通して挿絵が成り立つことは、言ふまでもなく重要なことである。しかし、挿絵の生成が不明な場合も比較的多いのである。それに、最終的に作家の意図にせよ、絵師の意図にせよ、そのやうなことは作品の解釈を決めることではない。文学作品の生成論と同じやうに、その過程は作品を論じる際に、一部に過ぎないといふ前提になつている。特に、作家の・絵師の・出版社の意図は必ずしも明確ではないことが多いのである。なぜある作品にある絵師のある絵画が挿入されてゐるのかは、書物それ自体から読み取ることができないことである。ここで、実例として取り上げることができるのは、1963年に刊行された偕成社版『少年少女 日本現代文学全集』のこことであるが、他にも同じやうな場合がある。

 なぜこの選集が浮かんでくるかといふと、全40巻には口絵やカット絵、挿絵などの視覚的資料が多く含まれてゐるからである。全巻は、確認できてゐるわけではないが、中に収録されてゐる作品に挿絵がもともとあつた場合がある。その一つは、「太宰治名作集」に収録されてゐる『津軽』からの「五 西海岸」といふ、「津軽(抄)」として再提示された作品に、西村保史郎といふ挿絵家によつて描かれた四枚の挿絵がある。よく知られてゐるやうに、『津軽』の初版本に太宰自身の手によつて描かれた五枚の挿絵がある。その五枚の挿絵に関する研究は比較的少ないが、太宰はどのやうな意図でそれぞれの挿絵を描いたのかは明確ではない。『津軽』の初版本を見ると、単独に出版されたものではない。『津軽』は小山書店によつて刊行されてゐた「新風土記叢書」の第7巻として出版されたものである。この叢書は、もともとメディアミックスの存在である。この点については、本研究で既に論考してゐるのだが、『津軽』に挿絵が入つてゐることは、特に珍しいといふわけではない。また、太宰は勝手に挿絵を作中に入れたといふことも考へ難い。ただ、同じ叢書を見ると、作家自身の手によつて描かれた挿絵もなく、更に写真がある場合は、第三者によつて提供されたものが挿入されてゐる。このやうに『津軽』を考慮すると、「新風土記叢書」には、独特な位置になつていることが確認できる。しかし、それにしても、『津軽』の挿絵の意図が読み取れるわけではない。生成論としては、叢書全体はメディアミックスの存在だからこそ、口絵写真と五枚の挿絵は特別なことであないことが分かる。

 これに対し、「太宰治名作集」に入つてゐる「津軽(抄)」はどうなつてゐるのであらうか。この選集全体は、これまで研究の対象になつたことがあるが(佐藤2017、2018)、挿絵の有り様に関する考察はない(なほ、口頭発表で、「太宰治名作集」に収録されてゐる「思ひ出(抄)」に挿し込まれてゐる挿絵を取り上げたことがある)。そして、調査できている範囲では、本選集に関する宣伝などがないやうである。しかも、書物それ自体にある情報だけからすると、その生成に関する言説はありながら、曖昧なものである。すなはち、中学生向けの選集で、中に収録されてゐる作品群は国語教育と関連づけられるものである。挿絵については、読書意欲を引き出すためにある、といふやうなことが書かれてある。しかし、絵師たちがどのやうに依頼されたのか、挿絵の存在論的なことは明記されてゐない。「太宰治名作集」の場合は、西村保史郎が挿絵を担当したことが書物に書かれてあるが、具体的な情報がない。すなはち、西村はそもそもどのやうな画家であるかは明らかではない。それに、調べようと試みても、西村に関する情報は少ないのである。年譜は確認することができるが、作品集や展示会などのやうな存在はまだ見つけることができてゐない。したがつて、「太宰治名作集」の挿絵の裏にある意図は簡単に読み取ることができるものではない。生成も同様である。選集の方針だけがその証拠になるだらう。しかし、ここで重要なのは、西村の意図や挿絵の生成論を取り上げることができなくても、完成した選集・作品集があり、その中に挿し込まれてゐる絵画は西村が明らかに原作を読み込んだ上で描いたものであることが読み取れる。したがつて、いはゆる生成論や意図などを議論しなくても、挿絵と本文との関係を充分論じることができるはずである。少なくとも、確認できる範囲での事柄を取り上げ、それ以外は推論にならないことは、比較的簡単なのである。

 挿絵に関する研究は発展中であり、これからも次々と出てくるだらう。やはり、文学作品の中に挿し込まれてゐる絵画だからこそ、作家からの指示、また絵師の意図といふやうな点以外に、多くの重要な論じなければならないことがある。特に、本研究でしばしば主張してゐるやうに、挿絵と本文との関係を議論することが非常に重要である。アダプテーション、もしくはパラテクストといふやうな観点から挿絵を見直すことができるはずである。