一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

七尾線 3 急行能登路:キハ58 102

1981/05/04 七尾線 穴水/能登三井、8504D 能登路12号 輪島発金沢行、キハ58 102

 今回は七尾線急行能登路から。穴水の下り側で、左の線路は七尾線輪島方面であり、

右側の線路は能登線蛸島方面になる。輪島行が2時間弱来ないため、準備なしの状態で

急遽列車撮影となった。

1981/05/04 七尾線 穴水/能登三井、8504D 能登路12号 輪島発金沢行、キハ58 102他2両

 

 やって来たのは2両の急行能登路12号。手前のキハ58には小型のヘッドマーク有り。

急行能登路では、四国の急行と似た小型のヘッドマーク取付の列車が存在していた。

なおこの列車は臨時のようで、穴水で珠洲発の急行能登路12号404Dに連結。

  輪島1255→8404D能登路12号→1333穴水、404Dに連結

  珠洲1222→ 404D能登路12号→1338穴水1348→1542金沢

 

 この関係では、8404Dが運転しない場合は、350Dが接続していた。

時刻は、穴水着が1338で、404Dと350Dが同時刻に見える。

  輪島1300→350D普通→1338穴水1400→350D普通→1654

  この350Dは、8404D運転時は穴水着1356で能登路124号には接続しない。

 

 多客時は、臨時8404Dで輪島発の臨時急行を増発で、直通サービス対応と思える。

しかし、輪島発の時刻だけを見ると、急行区間が増えてはいたが、普通列車乗換よりも

5分も時間がかかってしまった状況。この程度は特に気にしなかったのであろうか?

 

  キハ58 102(1962年製)、1990/03に北近畿タンゴ鉄道に譲渡(KTR2002)

       最終配置は福知山であった。

    ※鉄道ピクトリアル687、キハ58系、P65

    ※国鉄気動車客車情報1986の配置は七尾のため、その後移動と推定。

 

 

 参考:JTB時刻表1981/01、1981/07

    国鉄気動車客車編成表1981、国鉄気動車客車情報1986

 

 

七尾線 2 キユニ26と普通列車:キユニ26 15

1981/05/04 七尾線 羽咋/千路、354D 輪島発金沢行、手前はキユニ26 15

 今回は七尾線のキユニ26から。夕方の上り普通に連結されており、撮影ができた。

羽咋から下り千路側で、線路を上に渡る道路の上から撮影。陽がかなり傾いているが、

晴れでまだ陽がさしている。田植えの時期であり、多くの水田で水を張っている状態。

地域にもよるが、この時期の撮影画像では水を張った水田は風物詩的になっていた。

 やって来た上り354Dは7両編成、一番手前には郵便荷物車のキユニ26 15であった。

国鉄気動車客車編成表1981によると、七尾線用にキユニ26 15と16の配置があった。

 

  キロ25 33(1960年製)

     →キハ26 433(1967年格下げ)

       → キユニ26 15(1976年改造)、廃車は1985年

  ※鉄道ピクトリアル729、キハ55系、P62~P69

 

 その後ろはキハ58系とキハ55系になるが、キハ58系でも非冷房車の連結が見られる。

国鉄気動車客車編成表1981、P42,七尾所属から、以下記載あり(抜粋)

  キハ58(非冷房):435/711/1000/1002、このどれかと思われる

  キハ28は全車冷房の記載であった。

当時はキハ58やキハ28の非冷房車はまだかなり見られていた。なお、非冷房のキハ58は

七尾線能登線普通列車用でとの記載もあった。

 

 

  参考:JTB時刻表1981/01、1981/07

     国鉄気動車客車編成表1981

     鉄道ピクトリアル729、キハ55系、

 

 

七尾線 1 旧型客車:金沢発七尾行121列車とオハ41

1981/05/04 七尾線 羽咋/千路、121列車 七尾行

 今年もよろしくお願いいたします。

 

 昨年同様に、国鉄末期のころの撮影画像を修復と復元を行なう予定です。資料等から

車両の記載を分かる範囲で客観的に記載しながら、同時に当時の実際の行程を再現し、

撮影時の気持ちや状況雰囲気なども主観的に追記で再現もしたいと思います。基本的に

昨年末と同じ頻度での追加更掲載を想定です(10日で3回ほど予定)。

 

 さて今回から少し七尾線能登線を予定です。撮影は、大半が1981/05/04になります。

その後は北陸線関係を同じく少し予定ですが、撮影画像が少なく、また特急街道なのに

その撮影が皆無という状態。従って普通列車と普通電車が少々。その先は複数テーマで

整理編集中ですが、やはり自分の好みで相当の偏りがありますね。それも含めまして、

どうかよろしくお願いいたします。

 

 

 夕方の七尾線羽咋を発車した金沢発七尾行下り普通121列車は、DE10に旧型客車

8両連結の長い編成。当日は昼間まであまり天気が良くなかったが、この時間になると

雲一つなく晴れた状態。夕日を浴びた列車が実に良く映える。また、発車後で加速した

DE10の排煙が夕空に少し見られており、タイミングとしても良い状況に感じた。

1981/05/04 七尾線 羽咋/千路、121列車 七尾行、DE10 1027+オハフ33 2028・・・

 

 客車は全部茶色、よく見ると窓配置がオハ35やオハフ33とは異なる車両が連結。

旧「ロ」改造車、いわゆるロングシート通勤改造車オハ41/オハフ41が連結であった。

同列車、客車の2両目と3両目は、オハ41 400番台

 

  形状や国鉄客車気動車編成表等から以下と推定。

   DE10 1027

    +オハフ33 2028、オハ41 400番台、オハ41 400番台、オハフ33

      オハ41 450番台、オハ35、オハ41 400番台窓枠塗装、オハフ41

 

  以下国鉄客車気動車編成表1981、P67から(金沢運転所)

   ・オハ35:2035

   ・オハ41:401/402/403/404/405/406、451/452/453

     ※P67では451/451/452→451/452/453の誤植と思われる

   ・オハフ33:2028/2043/2418/2438/2575/3553

   ・オハフ41:2/3

    ※他にオハ47/スハフ42/オハフ46もあるが、急行能登用と推定で省略。

    ※別途資料等で、オハ41 400番台車では窓枠アルミサッシ交換らしいが、

      窓枠塗装車があるらしい(404と405等)、自分の画像では番号不詳。

    ※オハ41 400番台の元車はスロ51、450番台の元車はスロ53

      資料も含めて、最後に掲載。(吉備線掲載で、今回は再掲載)

 

 七尾線の客車普通列車は以下2往復で、基本的に朝の上りと夕方の下りのみ設定。

朝の金沢行と夕方の金沢から戻る多客時の通勤通学輸送用と思われる。

 

  121レ:金沢1634→羽咋1749→1828七尾

  123レ:金沢1831→羽咋1942→2027七尾2029→2036和倉温泉

  122レ:和倉温泉513→520七尾522→羽咋558→705金沢

  124レ:七尾552→羽咋636→4745金沢

 

 当時は、全国の亜幹線や支線等で、朝夕の多客時の輸送力列車として、1~2往復の

客車列車が存在という例が少なくなかった。その車両にロングシート通勤改造車が使用

の例があり、旧型客車の晩年でも一部の線区で見られていた。七尾線はその例に該当。

 なおこの旧型客車は、国鉄気動車客車編成表1982で50系客車にかわった記載あり。

オハ41廃車年月(1981/07~1981/09)から、撮影後の2~3か月で置換と推定される。

 さらに国鉄気動車客車情報1986では、12系客車の配置の記載あり。旧型客車運用→

50系客車→12系客車となり、機関車牽引の客車列車としては、しばらくは残存していた

ようである。

 

 

 七尾線の旧型客車は時期的に最末期で結構貴重な撮影となっていた感じであるが、

撮影時は全くその意識が欠落であった。七尾線能登線の撮影は考慮せず、準備ゼロで

同行者と共に行った状態。記憶が間違っていなければ、松波集合で国民宿舎?に泊まっ

たような。なお、5/3~5/4の昼過ぎは天気が良くなく、富山港線以外は半分乗り鉄

プランで対応になっていた。

 

  5/2:(急行越前)→富山

  5/3:富山→神岡→富山→富山港線撮影→富山→津幡→(穴水)→松波(泊)

  5/4:当初予定は、松波710→(421D)→738蛸島742→940穴水

    穴水944→(能登路1)→1020輪島1029→(能登路8)→1301金沢

        北陸線他で撮影を想定、→(きたぐに下り)

  5/5:(きたぐに下り)→糸魚川大糸線撮影→新宿

 

 ところが、5/4の松波710発の421Dが20分以上遅れ状態で到着、すぐに発車した。

そしてその後、珠洲到着前に驚くべき放送案内あり

 「この列車は遅れのため珠洲で折り返し上り列車になります」

 「正院・蛸島へ行く方は、駅前のバスをご利用ください。列車の切符で乗れます」

マジですか。崩壊する計画。自分以上に乗り鉄の同行者が参っており、困惑ばかり。

だからといって文句を言っても事態は変わらないため諦めて、今後の対応を再考慮。

 撮り鉄メインの人は蛸島をあきらめ、北陸周遊券+能登追加でも区間外になる蛸島

までの追加購入した乗車券の珠洲/蛸島間を払い戻し等手続きして、急いで折返しの

上りに乗り込む。自分もそうすべきと思ったが、一番目的の富山港線の撮影が済みで、

5/5の大糸線撮影に影響ないため、天気も良くないこの日は諦めの境地になっていた。

やむを得ず、乗り鉄の同行者と共に次の蛸島行を待つ。蛸島に行く機会を考えたら、

今回を逃すと、次に来る時が簡単にある様にはなかなか思えなかったからである。

 

   5/4続き:珠洲1024→(425D)→1031蛸島1045→1247穴水

         能登路7号/能登路12号/350Dを撮影(穴水/能登三井・中居)

        穴水1434→1511輪島1523→1601穴水

        穴水1613→(能登路16号)→1724羽咋

         能登路18号/121レ/354Dを撮影

 次の425Dも多少遅れてビビったが蛸島まで無事行ってくれた。当然でもありがたい。

その蛸島駅は、まるで中間駅のような棒線に小さなホームと駅舎。遅れもあり、すぐに

折返し発車。せっかくだから1コマでも撮影すればよかったのに結局撮影画像は無し。

 しかし戻って、今度は穴水での輪島行の接続が悪く、結果エイヤで急遽撮り鉄対応

となった。2時間程でも結構撮影自体は結構出来ていた。この時の画像は次々回以降に

掲載予定。その撮影の後には、ようやく来たる輪島行に乗車で、終点まで往復となる。

ここでも終点輪島駅での撮影画像は皆無。全く困ったもの。駅を少し見て上りに乗車。

 夕方になると晴れてきて、能登路16号で羽咋到着直前に見た車窓から発作的に下車。

再度臨時撮り鉄となり、羽咋/千路で撮影追加。これが今回の撮影画像になっていた。

 朝の蛸島行が予定通り運転であれば、自分は七尾線での撮影は行なわなかったはず。

世の中わからないものである、としか言いようがない。

 

 ちなみに、撮影の121列車にオハ41やオハフ41が連結とは直には気が付かずの状態。

何か違和感がある客車が連結としか思えなかった。その確信は撮影後に金沢に戻る時。

戻りの羽咋1913発の356D乗車で、宝達で下り123レと交換停車の時に、隣に停車の客車

ロングシート通勤客車改造車である点に気が付いた時。「あ!」と発した記憶あり。

知っていれば羽咋から上りではなく下り123列車に七尾か和倉温泉まで乗車したはず。

どちらでも、金沢に戻る夜の列車はまだ存在するから、車内撮影含めてできたのに。

とてももったいないこと。

 事前準備あればもっとうまく対応できた可能性あり、大きな反省点ですね。エイヤ、

出たとこ勝負、賽の目、は、もはやこれしなかい場合はしょうがないですが、厳しい、

機会損失でもったいない、としか言いようがないです。

 

 

 七尾線能登線については、和倉温泉から先の運用はのと鉄道となり、さらにその

先の「穴水/輪島」「穴水/蛸島」間は廃線となってしまった。また、能登地方の地震

被害は大きかったと聞いており厳しい限り。列車の運行自体は元に戻ったそうですが、

一日も早い地方全体の復興をお祈り申し上げたいと思います。

 

 

 以下は、オハフ41履歴になります。

オハフ41 履歴

 

  以下はオハ41履歴ですが、七尾線のオハ41は履歴4になります。

 

オハ41 履歴1

オハ41 履歴2

 

オハ41 履歴3

 

オハ41 履歴4



 

 

 

 

 参考:JTB時刻表1981/01、1981/07

     国鉄客車編成表1980

     国鉄気動車客車編成表1981/1982

     国鉄気動車客車情報1986

 

     オハ41/オハフ41 1は以下

      鉄道ピクトリアル777/778、スハ32系(Ⅰ/Ⅱ)

      鉄道ピクトリアル748/750、オハ35系(Ⅰ/Ⅱ)

      鉄道ピクトリアル718/719、スハ43系(Ⅰ/Ⅱ)

 

 

水島臨海鉄道(キハ352)82

1982/03/31 水島臨海鉄道 三菱自工前、キハ352

 今回は水島臨海鉄道から。終点三菱自工前まで乗るには本数が少ないため要確認。

工場地帯の通勤列車のため、朝夕限定、和田岬によく似ていると思われた。水島までは

本数があるが、終点までは当時平日と土曜は下り4本上り3本、日曜は2往復のみ。

 

   ・倉敷市730→751三菱自工前757→820倉敷市

   ・倉敷市①805→826三菱自工前

   ・倉敷市1711→1732三菱自工前1742→1803倉敷市

   ・倉敷市②1811→1836三菱自工前①1849→1911倉敷市

      ※①日曜運休 ②日曜は水島止

      ※JTB時刻表1982/03から抜粋

 

 乗車は倉敷市1711発の三菱自工前行、通勤輸送のためか車両は元キハ10の3両編成。

当時キハ10の営業運転は国鉄にはなく、譲渡車両とはいえとても貴重になっていた。

終点の三菱自工前は、駅自体はホーム1つの棒線小駅に見える。

 

  ・キハ10 7(1955年製)、旧番号はキハ48106

     →1976年に水島臨海鉄道に譲渡、キハ352

     全部で7両の移譲があったが、1989年までに廃止。 

    ※鉄道ピクトリアル980 思い出のキハ17系、P164他

 

 ちなみに、キハ352の正面では、ヘッドライトがシールドビーム2灯化改造に見える。

しかし、国鉄で見た形状とは異なっていた。以下参考。

 芸備線 三次留置のキハ11/キハ17、56-2参照

 

1980/07/27 芸備線 三次、キハ17 331

旧塗装のまま、シールドビーム2灯化改造車。

 

  参考:JTB時刻表1982/03

     鉄道ピクトリアル980 思い出のキハ17系、P164/P115他

 

 なお、次に想定であった岡山臨港鉄道は、以下既に掲載済です。

   湘南気動車 22(岡山臨港鉄道 キハ7002)、2024/09/05(仮83)

 今回で山陰線/伯備線で米子/岡山より概略西側(一部を除き客車気動車)は終了と

なります。東側は、旧型客車走行も含めて今後予定いたします。

 

 

 次回来年以降は、北陸地方の撮影出来た線区を予定、ただし画像は多くないです。

本線の特急列車等は基本なしです。最初は七尾線から、その後は富山港線の旧型国電

北陸線普通列車、普通電車)、高山線、ごく一部越美北線、を予定となります。

 

 2025年に閲覧していただきました方々へ

対象線区も撮影対象もかなり偏っておりました。ですが、なるべくデーター等は出来る

範囲で正確に客観的に、引用参考も記載したく思いました。それとともになりますが、

その時に自分が見て感じたことは、40年ほど前の記憶からですが、かなり主観的に記載

させていただきました。ご覧いただいた方々と一緒に当時の雰囲気を感じられるように

との思いです。もちろん別のあるいは逆の感覚等もあることは十分理解しております。

それも含めまして、御覧いただきました方々、大変ありがとうございました。

 

 次年も似た傾向になるとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

 

 

一畑電車 81-2(元京王5000系)

2016/09/18 一畑電車 電鉄出雲市、デハ2111、京王5000系復刻塗装(赤帯にひげ付き)

2016/09/18 一畑電車 電鉄出雲市、デハ2101、京王5000系復刻塗装

 

 今回は一畑電車(←一畑電鉄)のデハ2111/2101。2016年に家族で行った時になる。

そのため国鉄時代ではなく参考扱いレベル。なお京王線での5000系の画像も以下提示。

電鉄出雲市→川跡→出雲大社前、と乗り継ぐときに、遭遇する機会があった。

 

 京王5000系譲渡は雑誌で知ってはいたが、電鉄出雲市でいきなり復刻塗装に出会う。

しかも、手前のデハ2111(元京王クハ5859)は、何とひげ付き。京王では、1967年頃

から先頭車のひげが消された様であり、自分は写真で見るだけであった。

      ※RM Library 146京王5000系、P22

 

  ・デハ5119とクハ5859(1968年製)は1994年に一畑電鉄へ譲渡

    →(デハ2101/デハ2111)

      ※RM Library 146京王5000系、P35他から抜粋

 

  1986/05 京王線 北野(高架前)、デハ5109

 3個目の画像は、現役の頃の京王5000系デハ5109から。この車両は伊予鉄道へ譲渡の

ようである。これと2個目の一畑デハ2101を見ると、ワンマン運転の表示、ミラー、

および優等列車用のボート以外はとてもよく似ている印象であった。

 1986年の頃は、京王5000系は基本新宿までの特急運用には使用されてはいなかった

ように思われる。ただし全く特急運用から完全撤退というわけでもないようであった。

6000系の特急が休日は高幡不動京王八王子行と高尾山口行に分割の運用があったが、

行楽シーズンは全車高尾山口行となる時があり。その時期は、高幡不動/京王八王子間に

5000系特急を短区間で往復使用させた時期もあった。

 また、競馬開催時になるが、府中競馬正門前/新宿間の臨時急行の画像も見つかった。

 通常は朝に通勤急行や快速に1往復?雑誌等でそのような記載を読んだ記憶があり。

そのため朝にカメラをもって待ち構える。記憶が間違っていなければ朝のラッシュ後の

時間に京王八王子発新宿行き特急に使用。(ただし高幡不動までで、6000系に車両交換)

どうも3枚目の快速が京王八王子で折返し、上記の短区間の特急になっていた可能性。

末期では優等列車にはごく限られた運用で使用されていたようである。

 

 

  ・デハ5109(1966年製)は、1988年に伊予鉄道へ譲渡

    →(モハ716)

     RM Library 146京王5000系、P35他から抜粋

 

 

   参考:RM Library 146京王5000系

 

 

一畑電気鉄道81-1

1980/07/25 一畑電鉄 松江温泉、デハニ53/クハ102/デハ22

 

1980/07/25 一畑電鉄 松江温泉、デハ22/クハ102/デハニ53

 

 今回は、一畑電鉄から。当時の地方の中小私鉄には、相当の旧型車が普通に存在。

予備知識ゼロで短距離乗車のときの撮影画像になる。朝の多客時で、隣の駅の古江から

松江温泉までこの電車に乗車。これらの車両は、見た目戦前の私鉄の旧型車を想像。

お椀型通風器装備の車両が当時でも現役で稼働していることに、とにかく驚いた記憶。

 自分の同期でも、地方の中小私鉄を結構訪れていた友人がいたが、その気持が実に

よくわかると思う一瞬。自分も買収国電を含む譲渡等で多少は訪れたこともあったが、

国鉄大手私鉄からの譲渡車両の有無を抜きにして、その怪しさはとても深いものを

感じる場合が少なくなかった。

 

 2016/09/18 一畑電車 出雲大社前、デハニ52

 2016/09/18 一畑電車 出雲大社前、デハニ52

 その撮影のデハニ53ではなかったが、36年後の出雲大社前駅に、デハニ52が展示。

本当にこの同仕様車を松江温泉でであったことを思い出す。

 ちなみに、1980年に駆け足で山陰地方にも行った時には、大社線の大社駅まで往復、

しかし直に折返し乗車で出雲大社へは行かず。2016年に家族で行った時に、ようやく

出雲大社へ行くことができた。その時は国鉄大社線は廃止、一畑電車利用であった。

沖縄以外は一応全国に行っていたはずであるが、当時いわゆる観光地には一部を除いて

行っていなかった場合がほとんど。そのため、いわゆる観光地には、どこに行っても

新鮮味があると言ったら、奥さんから笑われてしまった。

 

 車内にも入れたため、ご参考。

 

 

吉備線 オハ41(オハ41 502)60-7

1981/12/29 吉備線 岡山、オハ41 502

 今回も吉備線津山線)のオハ41から。通勤客車ヘ改造されたオハ41 502になる。

この車両も前回/前々回のオハ41と似ており、違いが外観ではちょっとわからない。

 大元は700㎜の中型窓が並ぶ特別二等車スロ51のようで、その途中の改造の経緯が

異なっていることになる。オハ41への再改造時に、最終的に車掌室他を取り払った

ため、岡山で見かけた時には他車との差がよくわからなかった。

 

1981/12/29 吉備線 岡山、オハ41 502

 

  オハ41 502(1971年改造)

    ←スロフ51 43(1966年改造)←スロ51 43(1950年製)

      廃車は1982/11、最終配置は岡山

     ※鉄道ピクトリアル718、スハ43系(Ⅰ)、P76・P78/(Ⅱ)P76

 

 これで岡山で見ることができたオハ41は終了となります。4両とも撮影できました。

今回、オハ41の履歴をまとめてP1~P4まで再掲載でご参考です。遭遇が出来なかった

車両も多かったです。特にオハ41 251~255についてクモハ73901等と似た経緯があり、

ジュラルミン製の車体の鋼製化載せ替えのため、見たかったと思いました。

   ※以下表のP2のみ撮影車両無しで、新規です。

   ※オハ41 502はP4です。

 

オハ41 履歴P1

 

オハ41 履歴P2

オハ41 履歴3

オハ41 履歴P4

 

  資料:JTB時刻表1981/12

     国鉄客車編成表1980、国鉄気動車客車編成表1981/1982/1983

     鉄道ピクトリアル718/719、スハ43系(Ⅰ/Ⅱ)

     鉄道ピクトリアル748/750、オハ35系(Ⅰ/Ⅱ)

     鉄道ピクトリアル777/778、スハ32系(Ⅰ/Ⅱ)