
1981/05/04 七尾線 羽咋/千路、121列車 七尾行
今年もよろしくお願いいたします。
昨年同様に、国鉄末期のころの撮影画像を修復と復元を行なう予定です。資料等から
車両の記載を分かる範囲で客観的に記載しながら、同時に当時の実際の行程を再現し、
撮影時の気持ちや状況雰囲気なども主観的に追記で再現もしたいと思います。基本的に
昨年末と同じ頻度での追加更掲載を想定です(10日で3回ほど予定)。
さて今回から少し七尾線能登線を予定です。撮影は、大半が1981/05/04になります。
その後は北陸線関係を同じく少し予定ですが、撮影画像が少なく、また特急街道なのに
その撮影が皆無という状態。従って普通列車と普通電車が少々。その先は複数テーマで
整理編集中ですが、やはり自分の好みで相当の偏りがありますね。それも含めまして、
どうかよろしくお願いいたします。
夕方の七尾線、羽咋を発車した金沢発七尾行下り普通121列車は、DE10に旧型客車
8両連結の長い編成。当日は昼間まであまり天気が良くなかったが、この時間になると
雲一つなく晴れた状態。夕日を浴びた列車が実に良く映える。また、発車後で加速した
DE10の排煙が夕空に少し見られており、タイミングとしても良い状況に感じた。

1981/05/04 七尾線 羽咋/千路、121列車 七尾行、DE10 1027+オハフ33 2028・・・
客車は全部茶色、よく見ると窓配置がオハ35やオハフ33とは異なる車両が連結。
旧「ロ」改造車、いわゆるロングシート通勤改造車オハ41/オハフ41が連結であった。

同列車、客車の2両目と3両目は、オハ41 400番台
形状や国鉄客車気動車編成表等から以下と推定。
DE10 1027
+オハフ33 2028、オハ41 400番台、オハ41 400番台、オハフ33
オハ41 450番台、オハ35、オハ41 400番台窓枠塗装、オハフ41
以下国鉄客車気動車編成表1981、P67から(金沢運転所)
・オハ35:2035
・オハ41:401/402/403/404/405/406、451/452/453
※P67では451/451/452→451/452/453の誤植と思われる
・オハフ33:2028/2043/2418/2438/2575/3553
・オハフ41:2/3
※他にオハ47/スハフ42/オハフ46もあるが、急行能登用と推定で省略。
※別途資料等で、オハ41 400番台車では窓枠アルミサッシ交換らしいが、
窓枠塗装車があるらしい(404と405等)、自分の画像では番号不詳。
※オハ41 400番台の元車はスロ51、450番台の元車はスロ53
資料も含めて、最後に掲載。(吉備線掲載で、今回は再掲載)
七尾線の客車普通列車は以下2往復で、基本的に朝の上りと夕方の下りのみ設定。
朝の金沢行と夕方の金沢から戻る多客時の通勤通学輸送用と思われる。
121レ:金沢1634→羽咋1749→1828七尾
123レ:金沢1831→羽咋1942→2027七尾2029→2036和倉温泉
122レ:和倉温泉513→520七尾522→羽咋558→705金沢
124レ:七尾552→羽咋636→4745金沢
当時は、全国の亜幹線や支線等で、朝夕の多客時の輸送力列車として、1~2往復の
客車列車が存在という例が少なくなかった。その車両にロングシート通勤改造車が使用
の例があり、旧型客車の晩年でも一部の線区で見られていた。七尾線はその例に該当。
なおこの旧型客車は、国鉄気動車客車編成表1982で50系客車にかわった記載あり。
オハ41廃車年月(1981/07~1981/09)から、撮影後の2~3か月で置換と推定される。
さらに国鉄気動車客車情報1986では、12系客車の配置の記載あり。旧型客車運用→
50系客車→12系客車となり、機関車牽引の客車列車としては、しばらくは残存していた
ようである。
七尾線の旧型客車は時期的に最末期で結構貴重な撮影となっていた感じであるが、
撮影時は全くその意識が欠落であった。七尾線や能登線の撮影は考慮せず、準備ゼロで
同行者と共に行った状態。記憶が間違っていなければ、松波集合で国民宿舎?に泊まっ
たような。なお、5/3~5/4の昼過ぎは天気が良くなく、富山港線以外は半分乗り鉄の
プランで対応になっていた。
5/2:(急行越前)→富山
5/3:富山→神岡→富山→富山港線撮影→富山→津幡→(穴水)→松波(泊)
5/4:当初予定は、松波710→(421D)→738蛸島742→940穴水
穴水944→(能登路1)→1020輪島1029→(能登路8)→1301金沢
北陸線他で撮影を想定、→(きたぐに下り)
5/5:(きたぐに下り)→糸魚川→大糸線撮影→新宿
ところが、5/4の松波710発の421Dが20分以上遅れ状態で到着、すぐに発車した。
そしてその後、珠洲到着前に驚くべき放送案内あり
「この列車は遅れのため珠洲で折り返し上り列車になります」
「正院・蛸島へ行く方は、駅前のバスをご利用ください。列車の切符で乗れます」
マジですか。崩壊する計画。自分以上に乗り鉄の同行者が参っており、困惑ばかり。
だからといって文句を言っても事態は変わらないため諦めて、今後の対応を再考慮。
撮り鉄メインの人は蛸島をあきらめ、北陸周遊券+能登追加でも区間外になる蛸島
までの追加購入した乗車券の珠洲/蛸島間を払い戻し等手続きして、急いで折返しの
上りに乗り込む。自分もそうすべきと思ったが、一番目的の富山港線の撮影が済みで、
5/5の大糸線撮影に影響ないため、天気も良くないこの日は諦めの境地になっていた。
やむを得ず、乗り鉄の同行者と共に次の蛸島行を待つ。蛸島に行く機会を考えたら、
今回を逃すと、次に来る時が簡単にある様にはなかなか思えなかったからである。
5/4続き:珠洲1024→(425D)→1031蛸島1045→1247穴水
能登路7号/能登路12号/350Dを撮影(穴水/能登三井・中居)
穴水1434→1511輪島1523→1601穴水
穴水1613→(能登路16号)→1724羽咋
能登路18号/121レ/354Dを撮影
次の425Dも多少遅れてビビったが蛸島まで無事行ってくれた。当然でもありがたい。
その蛸島駅は、まるで中間駅のような棒線に小さなホームと駅舎。遅れもあり、すぐに
折返し発車。せっかくだから1コマでも撮影すればよかったのに結局撮影画像は無し。
しかし戻って、今度は穴水での輪島行の接続が悪く、結果エイヤで急遽撮り鉄対応
となった。2時間程でも結構撮影自体は結構出来ていた。この時の画像は次々回以降に
掲載予定。その撮影の後には、ようやく来たる輪島行に乗車で、終点まで往復となる。
ここでも終点輪島駅での撮影画像は皆無。全く困ったもの。駅を少し見て上りに乗車。
夕方になると晴れてきて、能登路16号で羽咋到着直前に見た車窓から発作的に下車。
再度臨時撮り鉄となり、羽咋/千路で撮影追加。これが今回の撮影画像になっていた。
朝の蛸島行が予定通り運転であれば、自分は七尾線での撮影は行なわなかったはず。
世の中わからないものである、としか言いようがない。
ちなみに、撮影の121列車にオハ41やオハフ41が連結とは直には気が付かずの状態。
何か違和感がある客車が連結としか思えなかった。その確信は撮影後に金沢に戻る時。
戻りの羽咋1913発の356D乗車で、宝達で下り123レと交換停車の時に、隣に停車の客車
がロングシート通勤客車改造車である点に気が付いた時。「あ!」と発した記憶あり。
知っていれば羽咋から上りではなく下り123列車に七尾か和倉温泉まで乗車したはず。
どちらでも、金沢に戻る夜の列車はまだ存在するから、車内撮影含めてできたのに。
とてももったいないこと。
事前準備あればもっとうまく対応できた可能性あり、大きな反省点ですね。エイヤ、
出たとこ勝負、賽の目、は、もはやこれしなかい場合はしょうがないですが、厳しい、
機会損失でもったいない、としか言いようがないです。
七尾線、能登線については、和倉温泉から先の運用はのと鉄道となり、さらにその
先の「穴水/輪島」「穴水/蛸島」間は廃線となってしまった。また、能登地方の地震で
被害は大きかったと聞いており厳しい限り。列車の運行自体は元に戻ったそうですが、
一日も早い地方全体の復興をお祈り申し上げたいと思います。
以下は、オハフ41履歴になります。

オハフ41 履歴
以下はオハ41履歴ですが、七尾線のオハ41は履歴4になります。

オハ41 履歴1

オハ41 履歴2

オハ41 履歴3

オハ41 履歴4
参考:JTB時刻表1981/01、1981/07
国鉄客車編成表1980
国鉄気動車客車編成表1981/1982
国鉄気動車客車情報1986
オハ41/オハフ41 1は以下
鉄道ピクトリアル777/778、スハ32系(Ⅰ/Ⅱ)
鉄道ピクトリアル748/750、オハ35系(Ⅰ/Ⅱ)
鉄道ピクトリアル718/719、スハ43系(Ⅰ/Ⅱ)