
実は、父が先週11月4日木曜、他界しました。
2日もいつも通りに、朝散歩して、12時に自分で運転して会社へ行き、
会社の食堂でお昼ご飯を食べ、夕方、いつもよりちょっと早めに、会社
から帰宅しました。
しばらくして、ツノ坊が父に呼ばれると、
「調子が悪い」
そこで母の実家の加藤医院にツノ坊が乗せて行きました。
本人は「熱はありません」と言うものの、念のため検温してみると、
40℃もあり、点滴などの治療を受け、解熱剤の効果もあり、一旦は
熱も下がりました。
翌3日朝、再び40℃の発熱しましたが、もう一度点滴を受けたりして、
夕方には36.5℃に下がりました。
ご近所のうどん屋さんのうどんが食べたいと言い、半分以上平らげました。
ところが夜に入ると、咳が出始め、それが続き、
「息を吸うのはいいが、吐くのが苦しい」
と言い始めました。
10時半ごろ、加藤医院に電話をして、一旦は出掛けることになりましたが、
ベッドから降りても立ち上がれないし、外は寒いので、
「明日朝まで様子を見よう」
ということになり、12時に過ぎには、我々二人とも自室に下がりました。
しかし翌4日朝、様子を見に行くと、息絶えていました。
享年83歳。
体調が悪いと言ってから、たった1日半で、アッと言う間にいなくなって
しまいました。
翌5日に通夜、6日に密葬。
家族、親戚、父の友人、ご近所のみなさん、そして一部の社員で、とても
温かい雰囲気で、父に最後のお別れができました。

段ボールを愛し、日本の、そして世界の段ボール機械業界に大きな貢献を
した。そして誰よりもISOWAのことを愛し、考え、牽引してきた父。
父は、私にとっても、磯輪家にとっても、ISOWAにとっても、とても
大きな精神的支柱でした。その父が、忽然とこの世からいなくなってしまった。
こんなに大きな喪失感に襲われるとは、夢にも思いませんでした。
それだけ心の中でやっぱり父に頼っていたんでしょうね。
父が「自分の人生を賭け、自分の人生そのものだ」と言い切ったISOWAを
しっかり受け継いで、存続させていく、当たり前だけど、とても重い、重い
使命が、改めて自分の両肩にのしかかってきました。
でも父のためにも、必ず、社員と力を合わせて、世界一の段ボール機械メーカー
になります。
見ててくれよ、お父さん。見守ってくれよ、お父さん。
本当に60年間ISOWAを引っ張ってくれて、お疲れ様でした。
天国で、お母さんとゆっくりとした時間を楽しんでね。
お父さんとお母さんの息子に生まれることができて、幸せでした。
本当に、本当に、ありがとう。ありがとう。
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急なことで、みなさんにご連絡することができませんでした。
申し訳ありませんでした。
12月16日(木)13時より、ウェスティンナゴヤキャッスルでお別れの
会を催します。
お時間の都合がつきましたら、ぜひお越し下さい。