
ツノ坊と明治村に出掛けました。明治村は結構お気に入りで、たまに行きたく
なるんです。
当然ガラガラと思っていたら、朝の10時なのに駐車場の料金所が渋滞して
ます。
「まさか~」
と思ったけど、駐車場の中も車がいっぱい、入場券を買おうと思ったら、
発券所に長蛇の列。
この時とうとう悟らされました。
「今日は本当に混んでるんだ・・・」
しかし引き返す訳にはいきません。ということで入園。
真っ先に向かったのが帝国ホテル。まずはここの建物ガイドに参加しようと
決めていたからです。
これがとっても楽しかった。ボランティアのガイドさんに案内してもらい、
いろんな説明を聞きました。
「建物を設計したのはアメリカ人のフランク・ロイド・ライト。
ホテルのオープニング・パーティーの日、関東大震災が起こったが、
ライトの設計したホテルはビクともしませんでした。
でもこのパーティーの席にはライトはいませんでした。
ライトは、ホテルの細部にまで徹底したこだわりがあり、それを
貫き通しました。その結果、建設費は当初の3倍にまで膨れ上がり、
ライトはその責任を取らされ、クビになっていたんです。
その後、帝国ホテルが建て直されることになり、ライトがデザイン
した建物が取り壊されることが、当時の佐藤栄作首相が訪米時に
話題となり、アメリカのマスコミからその取り扱いについて質問
された佐藤首相が、
『必ず後世に残します』
と独断で公言してしまったんです。
慌てた政府は、急遽その対応策を検討しました。その中で明治村に
引き取ってもらうという案が浮上しました。
しかしこの荘厳な帝国ホテルを移築するには莫大なお金が必要で、
それを明治村が負担する力はありません。
そこで政府が1/3、募金で1/3、残りの1/3だけ明治村が負担
という案が国から提示され、移築が始まりました。
ところが作業が始まっても、一向に国からのお金が届かない。
よくよく調べてみると、丸ごと移築すれば当然国の重要文化財ですが、
一部だけの移築ではその認定が得られず、
『重要文化財でない建物の移築に予算を出すことはできない』
ということになってしまいました。
おかげで明治村単独でその資金を捻出せねばならなくなり、細々と
しか作業が進められず、その作業を終えるのに、結局17年かかる
ことになりました」
こんな秘話を紹介してくれました。
帝国ホテルのガイドツアーを終えると、今度は明治村の丁目ごとのガイド
ツアーです。明治村は1丁目から5丁目に区分けされていて、最初は帝国
ホテルがある5丁目のツアーへ。
そこで金沢監獄の監獄体験を。

こんな独房がずら~っと並んだ監獄。そこに入所させてもらいました。

正座なんかしちゃって、神妙でしょ。
こんな感じで5丁目の2つのガイドツアーを終えると、お昼時に。
しかしあまりの混雑で、どのレストランも売店も列、列、列・・・
待つのが嫌いな私は、昼食抜きにして、午後の2丁目、3丁目のガイドツアー
に突入。
各丁目のガイドツアーは2時半くらいですべて終了してしまうので、その後は
建物ごとのガイドということで、西園寺公望別邸「坐漁荘」と最も最近移築
された芝川又右衛門邸を案内してもらいました。
3時を過ぎると、建物ガイドも終了するので、後は自分たちでブラブラ1丁目を
見学しましたが、やっぱりガイドさんの説明が無いと、楽しさは半減どころか
それ以下ですね。
そのガイドですが、驚くのは、こうしたガイドはすべてボランティアで、一切
無料なんです。それぞれのガイドさん味があって、実にすばらしい。それが
無料、タダなんて! ありがとうございます。
こうして終園までたっぷり見学して、帰路につきました。
帰りの車の中で、ツノ坊がポツリと、
「あ~あ、やっぱり私は生まれてくるのが遅かったな~
もっと昔に生まれるべきだった。今の時代は私には合わない」
実はツノ坊、時々こういうことを言うんです。聞けば、
「子供のころからよくそう思ってた」
そこですかさず、
「だから希少価値があっていいんだよ。
それにもっと前に生まれてたら、私と出会えなかっただろ」
こうして二人、明治時代から再び平成の世に、パック・ツゥー・ザ・プレ
ゼント。