アイソモカ

isomocha: 知の遊牧民の開発記録

手袋、悲しい顔をつくる

悲しみ四部作、その3です。
「命あるものはいつか死ぬ」に近い、「物はいつかなくなる」という自然の摂理に向き合うことと、人間との付き合い方を考える。

ピジェベント Advent Calendar 2022 - Adventar 7日目

悲しみ四部作の1と2では、鳥を失った悲しみと、「悲しみ刑」について書いた。

isomocha.hatenablog.com

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大学生の頃、交際相手の人間に手袋をプレゼントされた。黒く、手首の周りにフワフワの飾りがついていた。指先がシュッとしたデザインが、当時の自分から見て大人っぽい雰囲気があり、結構気に入っていた。しかし、なくした。まずい。探した。なくしたと思われる場所に電話で問い合わせるなどもした記憶だが、見つからなかった。非常にまずい状況。

交際相手にもらった手袋を失くしたというのは、一大事である。というのは、一般に、物を失くすということは、物を大切に扱っていなかったと解釈されることが多く、他人にもらった物を大切に扱っていなかったということは、それをくれた人物を大切だと思っていなかったと解釈されることが多い。ゆえに、交際相手にもらった手袋をなくしたということは、交際相手を大切に思っていないと解釈される可能性が高い。

だが、手袋は、交際相手を大切に思っていようがいまいが、何なら自分で買った100円の手袋であろうと、手袋というものは、マジでなくなる性質がある。これまでの著者による観測から、手袋は、他の物よりもなくなる確率が高いことが知られている。

手袋がなくなりやすい理由:

  • 冬にしか使わないから取り扱いに慣れていない
  • ポケットに突っ込んでおいたときに、少し飛び出した状態であると、落ちる可能性が高い
  • 食事などの場所に両方とも置き忘れた場合でも、ショッピングモールのような屋内で過ごす場合には特に、気づかないで半日過ごすこともある

そういうわけでなくなりやすい手袋だが、現在の私は、アウトドア用品の紐をつけ、ポケットではなくカバンに入れる、高級な手袋は買わない、などの対策をとっている。 もし冬にロードバイクで出かけた先で手袋をなくしたら、帰りに手がかじかんで落車するか交通事故にあう可能性があり、命にかかわる。

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話が脱線した。

大学生の頃の私には、そこまでの「手袋は他の物よりもなくなりやすい」という世界認識はなかったものの、「命あるものはいつか死ぬ」に近い、「物はいつかなくなる」という自然の摂理に向き合うような仕方なさは感じていた。

しかし、仕方なさを感じている顔を交際相手に見せるのはまずい。前述のとおり、手袋をなくしたことで交際相手を大切に思っていないと解釈されたら、面倒なことになる。交際相手までいなくなってしまうかもしれない。この焦りは、手袋を失った悲しみを完全に凌駕した。 鳥を失ったときのようなシンプルな悲しみは、全くなかった(あったとしても、感じる暇がなかったと言える)。そして私は精一杯の悲しい顔をつくることにしたのだが、(あるいは、「申し訳なさそうな顔をした」とも表現できるのかもしれないが、)うまく悲しい顔ができていたのかどうか、真相は冬の闇の中である(なお、当時の交際相手とはのちに別れた)(ほかに色々なことがあり、私が別れを切り出したのだが)(人間と付き合い続けるのは難しい)。

この「悲しい顔をつくる」は、自分の内面の悲しさとは別で、人間との付き合いの上で、表現したほうがいいと思ってそうするものだ。「悲しみ刑」は自分の内面に作用するものなので、違うタイプの悲しみだと思うんだよな。そして、このどちらも、「手袋に紐をつける」のような実用的な解決策とは関係がないように思える。

一方で、シンプルな悲しみは、色々と考える時間を与えてくれる気がしている。というようなことを、鳥を失った悲しみを抱えて、シャワーを浴びながら考えていた。

悲しみ四部作の4記事目最終回は、アーカイヴされた悲しみを取り出して解釈し、記述する話。

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