
高齢者による交通事故が多い今日、余程注意を払わないと人様を傷つけてしまうことになりかねません。重々気をつけて運転したいと思っています。それでわたしは、車の運転を始める前に、必ず気合いを入れて、
「さあ、今日も安全運転でいくぞ! 」
と、声に出して自分に言い聞かせます。
今日は、家から少し遠い明海大学の歯科へ定期検診に行く日です。車の運転席に着くと、いつものように「さあ、今日も安全運転でいくぞ! 」と、出発しました。
こう決意を固め、この気分を保持して慎重に運転していきます。このようにして運転という行為に集中していると、ふと、この車を運転するという行為自体が、自分にとって、何かとても大切な行為のように思えてきました。
そして、この運転という行為にやり甲斐のようなものが生まれてきました。運転という行為が、こんなにも新鮮で充実した行為であると感ずるのは、初めてでした。
運転という行為が、尊いというか、貴重なというか、わたしに与えられた大事な行いに思えてきたのでした。
この時、はっと次の言葉が思い浮かんできました。
「これは、天命だな」
これは、「天命」の行為であると。
「たかが車の運転でしょ、大げさな。」と一笑に付されてしまいそうです。しかし、真実そう思えてしまったのだからしかたがないのです。
この天命は、自分の外側から定めとしてやって来たものではなくて、自分の内側から自然に湧き上がってきた、自然による創造的な気分のように思われました。
この時の、「これは、天命だな」という気分は、その後もずっとそのまま続いていました。
歯の定期検診を受けている最中でも。歯の検査を受けるという、受動的な行為でさえ、「これは、天命だな」と。検査を受けるという大事な「天命の行為」であると。そういう気分でずっと検査を受けていました。わたしにだけ与えられた、重要なミッションであるかのように。
これは、「言葉」ではなくまさしく「これは、天命だな」という「気分」です。「気分-体験」です。
この「気分」は、定期検診を終えて帰宅する頃までずっと続いていました。いつとは知れずすうっとこの「気分」は薄らいでいきましたが、通奏低音の如く心の底に流れているように思います。
〈参考リンク〉
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「天命しているんだなあ」 -吾が然る所以を知らずして然るは、命なり-
放浪者は存在者 種田山頭火「分け入つても分け入つても青い山」 金子兜太・鈴木大拙
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