絶品 蓬莱軒本店「ひつまぶし」 従兄弟会男子部最終日

木曽川遊歩道から犬山城を望む

 



朝6時30分過ぎウオーキングに出発。

今朝はホテルから数分のところにある木曽川東岸沿いに整備された木曽川遊歩道を下流に向かって歩いた。

遊歩道は800メートルくらい整備されており歩いて行くと、ちょうど犬山城がある。

遊歩道の終端のあたりに清潔感あふれた彩雲橋公衆トイレがあった。

その対面にきれいに清掃された庭に誘われるように足が向いた。

ホテルインディゴという表示があった。

国宝茶室「如庵」を有する日本庭園有楽苑とあった。

その佇まいに気圧されて、奥の方に入っていく勇気がなくて覗いただけで退散したが、ぐるりと外周を一回りしていたら、ホテル内の先ほどの散歩道が通じているように思われた。

スマホで検索してみると鄙には希な5つ星ホテル。

素泊まりツイン一人2万前後、朝食付き3万円台、2食付き4万円台と出ていた。

 

犬山城の下を通って我がホテルに戻ると、弟がコンビニで買ったサンドイッチを届けてくれた。

9時チェックアウト、9時過ぎ今日は名鉄で熱田神宮駅まで行き、先ずは熱田神宮参拝。

熱田神宮



熱田神宮には現役の時、名古屋に出張した際に参拝したことがあったと記憶しているが、どんな出張だったか何も思い出せなかった。

我々の旅行では神社仏閣へお参りすることはあまりないが、今回はランチの場所が熱田神宮駅の近くで、お店に行く経路として熱田神宮の中を横切るということで、ついでに手を合わせたに過ぎない。

信仰心の薄い連中なのだ。

行列ができていた



熱田神宮を抜けると、蓬莱軒熱田神宮店があった。

すでに20人くらい並んでいた。

私たちは数百メートル先にあるという蓬莱軒本店に行くので蓬莱軒熱田神宮店は横目で見ながら通り過ぎた。

蓬莱軒本店はうなぎのひつまぶしでは天下一品、ひつまぶしならここなのだそうだ。

10時30分頃本店に到着したが、すでに50人くらい並んでいた。

11時頃から整理券が配られた。

11時30分の開店には入れず、12時からの予定となる。

但し、12時に遅れると順番が後回しになると念を押された。

といっても、このまま待ち続けるには高齢者はくたびれた。

コーヒーでも飲んで待とうとお店の周りを探していたら、レストランのようなコーヒー店があった。

入ると結構大きなレストラン。

カウンター越しにはウイスキーやワインがたくさん並んでいた。

昼はレストラン、夜はラウンジのような雰囲気だった。

 

後日、弟から聞いた話では、このレストランは蓬莱軒が経営しているようだ。

多分待ち時間を利用しての休憩をとる場所を作っているのだろう。

なかなか、抜け目のない商売をしている。

さすが、明治6年創業で150年以上生き抜いてきた商売上手だと思った。

蓬莱軒 入口



12時直前にお店の前に行くと、12時入店組の順番確認をしていた。

ちょうど我々の順番ですぐに入店。

店内は満員ぎっしりだった。

6人掛けのテーブルに案内された。

もちろん我々は全員ひつまぶし(4,920円)を注文。

ビールとМちゃんは日本酒少々。

Мちゃんが一口飲むと、みなが「おなかどう、ひりひりする?」と聞く。

少し顔をしかめながら「ちょっとな」Mちゃんが答える。

儀式のようなものだ。

絶品 ひつまぶし



10分ちょっと待つと、お女中がワンセットずつ持ってくる。

ひつまぶしは、大きな木製の小型おひつのような器に、小さく切ったうなぎのかば焼きがこれでもかというくらいにご飯が全く見えないくらいぎっしりと敷き詰められた状態で出てきた。

もちろん熱々だ。

ひと口、口の中に運んだ。

しっかりとした豊潤な味わいが口の中に広がった。

これまでうな重、うな丼、ひつまぶしと序列順に考えていたが、ここのひつまぶしを食べた実感はうなぎの似たような料理を食べているのではない、これは確かにうな重でもうな丼でもない、ひつまぶしというジャンルの食べ物で、蓬莱軒本店はその第一人者なのだと確信したのだった。

ただ、Mちゃんにはこの量は多すぎたようだ。

仕方がない胃がないんだから。

でも、Mちゃんは育ちよく、器の中に測ったように半分くらいきれいに残していた。

それを見たBちゃんは「これもらっていいかい」とあっという間に食べてしまった。多分MちゃんはBちゃんの食欲を見越して、見事な箸さばきで残したように思う。BちゃんもMちゃんの期待に阿吽の呼吸で答えたのだった。それにしてもこの食欲、ここでもまた前期高齢者と後期高齢者の明確な元気度の違いを知った。

適度な飲酒と満足感一杯の食事を終えて、一路名古屋駅に。

東京組は東に、岡山組は西に、来年の再会を約しながら旅を終えたのだった。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング

従兄弟会男子部 郡上八幡を歩く(二日目)

郡上八幡駅

 

午前6時過ぎに起床。

古くて安いホテルだが、比較的部屋は広く、ベッドも広くがっしりして自分的には寝やすかった。

トイレに行く。

洋式便器は座る高さが、わが家の位置よりも低く腰を下ろす時に尻もちをつきそうな感覚にいつもなった。

洋式トイレに座る安心感が不安感になり大いにマイナス点だったが、みんなからはあまり苦情の意見は聞かなかったので、わがままな意見なのかしらと思った。

7時過ぎにウオーキングと朝食を摂るつもりでホテルを出発。

もう、子供たちが登校していた。

一帯は新旧の住宅が入り混じって続き、それぞれの住区を結んで狭い道が縦横に通っていた。

コンビニは何処にあるかと犬山遊園駅から犬山城辺りを歩いてみたが、コンビニを見つけることができなかった。

今の日本にコンビニの無い町が存在するのかと信じられない気持ちで歩いた。

コンビニもないけれど、見つけた喫茶店も朝はやっていないか又は廃業して店を閉めていた。

昨夜、「川むら」に行くとき見た横浜系ラーメン「丸岡商店」まで行ってみたが、朝は営業していなかった。

早朝から営業するラーメン店も多いのだが、朝から店を開ける習慣はないようなこの街の風景にびっくりしたのだった。

戻って皆に聞いてみた。

毎朝ランニングをする弟は犬山遊園駅の東側から犬山駅方面一帯に商店街や飲食店がありコンビニもあり朝食を食べたと言ったが、弟以外は朝食抜きとなった。

食べるところがなく、昨夜の飲み過ぎもあり、朝食抜きと決めたのだった。

従兄弟会男子部旅行も10回を超えるがこんなことは初めてだった。

皆、年を取ったのだと思った。

今日は名鉄犬山遊園駅から新鵜沼駅に行き、同じ場所のJR高山線鵜沼駅から美濃太田駅まで行き、長良川鉄道に乗り換えて郡上八幡まで行く。

美濃太田~郡上八幡の往復切符をBちゃんが配る。

これから2時間超の鉄旅だ。

列車旅は以前なら必ず飲み鉄になるのだけど、もう誰もアルコールのことは言わなくなった。

やはり着実に年老いているのだと実感する。

11時18分郡上八幡駅に到着。

お昼は事前に幹事が調べていたそば処「まつい」にタクシーで行く。

まつい


天ざると生ビールとお酒少々。

この数年大病をして体力ががっくりと落ちたMちゃんは以前の酒豪ぶりを抑えて、ビールはコップ半分、それから日本酒をゆっくりと飲む。

みんな心配して、胃がヒリヒリするかいと必ず聞く。

「もう胃はないんだけど、少しひりひり感がなあ」と言いながら一杯では終わらず杯を重ねるのだった。

まついのおそば


蕎麦はしっかりと言うか、がっしりしたコシの重い、そば通好みの蕎麦だったが、ちょっとその主張が強すぎる様な気がしないでもなかった。

そこのところを採点すると5段階評価の4というところかと思った。

それから、郡上八幡城へタクシーで上った。

郡上八幡城

郡上八幡城は明治維新で城取り壊しとなり、昭和8年に木造の模擬天守が再建された日本最古の木造の再建城という説明があった。

岡山にも高梁市に備中松山城があり、郡上八幡城よりも高い山の山頂に築城された天守閣が残っている。

雲海に浮かぶ「天空の城」として有名だ。

現存する天守12城の一つだ。

郡上八幡城はほとんどお城の近くまでタクシーで行けるが、備中松山城は中腹より上は徒歩となり、足の弱くなった高齢者には向かない。

郡上八幡城はそういう意味では、登りやすく、老若男女多くの観光客を集めやすいと思った。

下城も再びタクシーを使う。

タクシーで郡上八幡博物館に行く。

郡上踊りの実演がある。

男性のお年寄りと若い娘さんの二人で、郡上踊りの手ぶりや足の運びなど見せてくれる。

郡上踊りはほぼ徹夜踊りで踊りつくすのだそうだ。

郡上踊りほどビッグではないが備中松山藩の高梁市でも岡山県下三大踊りの一つの松山踊りがあり毎年8月14日~16日に開かれている。

多くの城下町には大なり小なり残っているのだろうと思った。

それから我々は城下町の名残が色濃く残る町並みをそぞろ歩いた。

今回の幹事長のHちゃんは足腰が弱って杖にすがって歩くが、幹事長の責任感からか弱音も見せず、少し遅れるところはあるが、懸命に歩いて、流石、保育園理事長兼園長という強い使命感を見せていた。

 

喫茶店で一休みして、再びタクシーで郡上八幡駅に戻った。

ところで私はまたも、往復切符を紛失していた。

又もというのは、このメンバーで2月に旅行した秩父地方の旅でも切符を紛失した前科があったのだ。

帰りの切符はもちろん自費で購入したら、Bちゃんから「兄やん、これは俺が預かるわ」とあきれ顔で引き取ってしまった。

 

いったん宿に戻って今夜の夕食会場に向かう予定だったが、少し遅くなったので直接会場に向かった。

今夜は犬山駅の近くにあるイタリアレストランの「BoCCO」。

もう歩き疲れて、駅からタクシーに乗ったが500メートルも行かない距離だった。

我々のチームでイタリアレストランは初めてだ。

イタリア料理といってもパスタとピザしか知らないので、東京組にお任せ。

出てきた料理を写真に撮るだけ。

何という料理だったか。

でも、ワインは3本ほど飲んだような気がする。

日本料理から一転してイタリア料理とは我々の旅行の幅が広がった。

結局、定番のパスタとピザは食べずに終わったが、なかなか美味しいイタリアンだった。

我々のグルメの領域も広がった。

次回もいろんな料理を楽しみたいと思った。

それから、幹事代理のBちゃんが調べていた、隣に立地するカラオケ店に行く。

下調べした時営業終了5:00となっていたので、夕方で終わるのか、おかしいなあとお思ったが、朝の5時のことかと入り口前でBちゃんがつぶやいた。

それからいつものように2時間ほどカラオケ大会を楽しんだのだった。

タクシーで帰着すると弟が明日の朝食はコンビニで買ってくると希望を聞いた。

弟の献身的な態度にはいつもながら感心する。

今夜も部屋飲みはなく、それぞれ自室に入ってすぐに就寝した。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング

「小雪」の秘密 ~ 従兄弟会男子部第一日(後半)

 

          「小雪」の秘密を探るMちゃん

 

 

名鉄犬山線に乗車して、30分ほどで犬山遊園駅に到着。

今日から連泊するのはホテル犬山館だ。

駅から歩いて数分だった。

築30~40年は経っているだろう古い6階建て。

小さな入口の前に「小雪」と白墨で書かれた看板があり、スナックでもあるのだろうと思った。

玄関を入るとすぐ左に受付のようなカウンターがあり、その右向かいにエレベーターがあった。

ホテルのフロントという風情はなく、アパートの管理人さんが門番をしているようだった。

男の人が一人、留守番風に座っていて、声をかけると非常に丁寧な口調でやさしい態度。

この人はいい人だろうと直感した。

部屋の鍵も全くおおらかで受付台に置いても、持って出ても何の注意もなく、行ってらっしゃい、とかお帰りなさい、おはようございます、と言葉短い。

質問しない限り余計なことはまったくしない、出ず入らずの対応で心地よかった。



ただ、入口の「小雪」はみんな気になった。

中にスナック小雪が存在するとはとても思えない。

多分Mちゃんだと思うが「小雪」の意味を管理人に聞いた。

そして我々に伝えた。

今日は二十四節気の冬の小雪(しょうせつ)にあたるという。

このホテルで二十四節気「小雪」を教えてくれる。

この違和感に私はほとほと感心した。

チェックインして荷物を置いてすぐ、我々後期高齢者3人はタクシーで犬山城へ。

少し若い前期高齢者2人は歩いて犬山城へ向かった。

犬山城までは歩いて10分ほどだ。

それにしても前期高齢者と後期高齢者の区分はタクシー派と歩行派で明確だ。

分かりやすい。

これは厚労省の見事な基準だと思った。

 

国宝犬山城は初めて行く。

私はここを制覇すると国宝5城登城したと言えるのだ。

オールド慶応ボーイのMちゃんは国内国外大体のところへは行っているようなので、当然国宝5城は完登しているものと思っていたが、聞いてみると

「それがねえ、姫路城に行ってないんだよなあ」

と、悔しそうに言った。

姫路城こそ一番先にと思っていたので、ちょっと拍子抜けだった。

 

急な階段


さて、その国宝犬山城は現存する最古の木造づくりの天守閣。

正式には望楼型三重四階地下二階、外観三重内部地下四階、地下(石垣の中)2階となっていると説明されていた。

創建以来の建物であり、最上部に上がる階段は急傾斜で後期高齢者にとっては完登することは易しくはないが、特に杖をついて歩くH園長はこれまで以上に頑張っていた。

今回の幹事長としての覚悟が見て取れ、さすがは園長先生と思ったのだった。

帰りも後期高齢者3人組はタクシー、前期高齢者は徒歩で帰った。

しばらくホテルで各自休息した。

炉ばた焼き川むら

 

今夜は歩いて10分ほどのところにある炉端焼き「川むら」に行く。

ちょうど約束の午後5時に入店した。

 

 

炉ばた焼き川むら お品書き

本日のお献立のお品書きがテーブル席に各自置かれていた。

冒頭のみ記すと

海鮮小鉢四点盛はひらめ昆布しめ造り、刻み山葵に塩昆布すだちを添えて、

鮪湯引き造りからし酢味噌添え

ふぐ・炙りたたき、もみじおろしに柚のジュレポン酢

生クラゲ・刻み紫蘇梅肉たれ

一読すると料理人の心意気が伝わってくるというものだ。

確かに一品一品吟味された材料が丁寧に調理されている。

決して押しつけがましくなく、やさしい薄味、といってもしっかりとした主張がある。

大げさでなく料理に愛情が感じられる。

鄙にはまれなる大変おいしい料理だった。

もちろんお酒はたっぷり頂いた。

誰が掘り当てたのだろう、このお店は気に入った。

多分べーちゃんだろう。

彼の旅行やグルメに関する調査能力はなかなかのものだと改めて感心した。

皆さん年を取りお疲れなのだろう、二次会はなくそれぞれ大人しく部屋に入って就寝した。

私の記憶ではこんなことは初めてだと思う。

 

 

国宝犬山城に行く ~ 従兄弟会男子部第一日(前半)

国宝犬山城


本日から二泊三日で今年二回目の従兄弟会男子部の旅行。

誰が言い出したのか、多分本家のMちゃんだと思う。

「もう人生長くないんだから、1年1回ではなく1年半に2回しようぜ」と声を上げたように思う。

もちろん異論はなく決まったけど、こんなにすぐに実現するとは思っていなかった。

東京の従兄弟たちは、旅行計画案の協議と称して月に3回以上飲み会に集まるという。

さすがに最近の旅行は、行先と言い、グルメと言い、非常に練られていることに感心する。

 

私たち岡山組の場合は兄弟なので弟に任せっきりだが、弟は地方誌の元編集長なので調査研究に抜かりはない。

今回は名古屋、犬山あたりを歩くので岡山始発の新幹線ひかり号に乗車した。

新幹線のぞみ号自由席はどの列車も満席以上、席がなく立っている。

のぞみ号は自由席2両、ひかり号は5両ある。

この違いは大きい。

そして岡山始発だから座れないことはないと安心して自由席に決めたのだった。

岡山始発のひかり号は1時間1本。

ひかりなんて中途半端な新幹線と思われるかも知れないが、関西に近づくにつれて乗客が増えて、これはこれでファンがいるのだなあと普段使うことのない私は驚いたり、まさに人さまざまと思いをめぐらせた。

10時42分名古屋着。

ちょうど2時間だった。

新幹線北口改札を出たところで、弟が用足しに行った。

どこが集合場所なのか、弟がかえって来るまで待つしかない。

10分くらい待っていると、見知った3人組が通り過ぎていく。

「おいおい」と声をかけると気づいて声を上げた。

しばらく再会の挨拶を交わしていると弟が戻ってきた。

さあ、これから再会ランチ。

 

名古屋はもう15年くらい前になるか、第一回従兄弟会で知多半島を旅した記念すべき場所だ。

まだ、60歳を過ぎたばかりだった。

会うとお酒を浴びるように飲んだ。

皆、その時の解散ランチをした時のことを忘れていなかった。

確か山本屋といった記憶があり、皆と歩いていくとすぐに見つかった。

でも、正確には山本屋本店だった。

ただ、思い出の店には入らなかった。

思い出と言うのは大酒飲みたちがここの冷蔵ショーケースに入っていた日本酒を平らげてしまったのだ。

みんな、山本屋本店の思い出はこのひとつだけでいいと思ったに違いない。

 

再会ランチは「まるは食堂」



そこを横目に見ながら通り過ぎて入ったのは「まるは食堂」という活魚料理店。

のれんには南知多町とあり、第一回の知多半島旅行を思い出し、話が弾んだ。

熱々のカキフライがうまい。

グルメ教主のMちゃんがシャコを注文し「ガレージ」と叫ぶ。

私たち兄弟は瀬戸内住まいだからガレージは常套句であるが、何でもよく知っている。

「ガレージ」こと蝦蛄(シャコ)

ビールとお酒をほどほどに飲み、さあ、まずは国宝犬山城に向かって出発だ。

幹事長代理のべーちゃんが「スイカスイカ」と叫ぶ。

今回、幹事長は保育園理事長兼園長のHちゃんだけど、こまごまとしたことはべーちゃんが先行して指示を出す。

名コンビなのだ。

と言っても弟はICOCAやSUICAなどの交通系カードは使わない。

頑固に拒否しているように見える。

使っているところを見たことがない。

あれは何なんだろうと兄は考え込む。

大した頑固者だ。

 

 

どうする、田舎の負動産!

国交省から届いた資料



中国地方の田舎町に親から相続した土地家屋があった。

家屋が老朽化したため、数年前に解体して整地した。

家屋を取り壊すと固定資産税が髙くなることを知った。

また跡地の草刈りはシルバー人材センターに依頼して近隣の迷惑にならないよう管理してきた。

しかし、子供の頃2万5000人前後の人口が今では6000人ほどとなり、地元の高校進学者は10人台など深刻な過疎化の中で、今更、土地を求める人たちはいそうもない。

実際、両隣にも声をかけたけれど、とても買いそうな人はいなかった。

 

昭和40年代前後の高度成長期には、父親は我が家でもいつでも1000万円以上で買う人がいると景気のいい話をしていた。

私が相続してから、もう20年以上になるが、一度、隣人が200万円でどうですと電話をかけてきたことがあった。

その時はまったく売る気持ちがなかった。

ちょうど田舎に戻っていた時、若い夫婦が飛び込んできて家を貸してほしいと懇願するように言った。

切羽詰まった表情にいたく同情してしまって、近隣地域に迷惑をかけないことを約束して、無償で貸した。

私としては、住む人がいれば、年数回でも家の管理や近隣への挨拶に帰る必要がなくなることなど、それでいいと思ったのだ。

以降20年以上住んでもらった。

引っ越しされた後に、家の状況を確認のため、元入居者家族がやってきた。

青年になった子供は、幼いころからこの家で育ったので懐かしいと涙を流んばかりの表情だった。

カンナの花もまだきれい



しかし、後期高齢者になり、年に数回でも様子を見に帰郷することや、固定資産税の支払い、草刈りなど費用、所有する意味のまったくなくなった状況などを考えるとこのまま子供の代に引き継いではならないと思うようになった。

 

7月に新聞で相続土地国庫帰属制度のことを知り、インターネットで検索すると一般社団法人日本不動産管財、暮らしの相談(不動産の処分)というところがあり、無料相談や無料調査に応じているということだった。

 

その内容は

(1)売却の可能性について

(2)国庫帰属制度や自治体への寄付の対象となる不動産かを無料調査するなどだった。

多少不安はあったが、一般社団法人であり、無料ということなので思い切ってインターネットで連絡すると大変親切に教えていただいた。

 

結果は

○<売却について>は、国交省の売買データを確認したところ、該当の土地は類似条件での同エリアの売買条件は極端に少なく、売却には相応の期間を要する又は売却困難と想定します。

 

○<自治体・国の引き取り>は公共のための道路等インフラ設備への利用が見込めないため、自治体の引き取りは困難です。

国が引き取る制度として、相続土地国庫帰属制度については、相続で、かつ境界が明確であれば申請できる可能性があります。

 

ということだった。

 

○広島地方法務局に問い合わせたところ、当該土地について、内容を聞いた範囲では、申請手続きは可能であるが、どのような問題が発生するかは最終審査が終わるまでは決定ではないのでと役人らしい慎重な物言いだった。

そして、相続土地帰属制度の資料などを送っていただいたが、大変親切な対応だった。

国もこの問題に危機感を持って取り組んでいるように感じた。

 

相続土地帰属制度に関する費用は

①審査手数料として土地一筆当たり14,000円。

審査手数料の納付後は、申請を取り下げた場合や、審査の結果却下・不承認となった場合でも、審査手数料を変換できません。

と赤字太字で注意書きされていた。

 

②申請された土地について、審査の結果、国が引き取ることができると判断した場合、帰属の承認の通知とともに、負担金の納付を求める通知が届きます。

 

③負担金の額は原則20万円(面積にかかわらない)

 

従って、相続土地帰属制度に関する費用は最小限214,000円が必要となるが、司法書士など専門家に頼むと土地の形状や境界杭の写真など資料作成を含めて10万前後~数十万円かかる場合もあるようだ。

鶏頭だろうか。



また、この問題について、友人同士の飲み会で話題を提供すると、相続放棄をすれば国が最終的に処理をしなければならなくなるという意見を聞いたが、私の場合はすでに相続済みなのでその方法は取れない。

また、通常の場合、相続する場合、プラスの相続やマイナスの相続とともに様々な事情があり、特別な場合を除いて、単純に相続放棄はできないだろうと思った。

 

そして、隣人にも話をしてみたらというアドバイスを受けた。

 

○両隣の方々に無償でいいのでと話をしたところ、片方は自分も処分先を探しており、土地を取得することは考えてはいないと言われた。

もう一方は、国庫帰属がうまくいかない場合は考えてもいいということだった。

多分、移転登記費用などお金がかかることを懸念しているように思った。

 

○職場仲間だった人が司法書士をしていることを思い出して、相談したところ、売却困難な土地を処分するときは、かかる費用はもちろんのこと、差し上げ料ぐらいは負担しないと前に進みませんよとアドバイスを受けた。

 

このアドバイスを聞いて私はいたく納得した。

自分が背負えなくなった土地を無償でいいから受けてくれと言う態度がいけなかったのだと気が付いた。

そこで国庫帰属がうまくいかなかった場合は考えてもいいと言った隣に所有権移転にかかる費用は当方が負担するし、少額ではあるが差し上げ料を出すと連絡するととんとん拍子に話が進んだ。

早速、土地の司法書士に連絡して手続きを依頼した。

 

結局、所有権移転登記料、財産を取得した人にかかる不動産取得税や贈与税そして差し上げ料を含めて20万円で申し出ると即座に同意了解されて一件落着したのだった。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング

 

家庭菜園 私の一押し夏野菜はモロヘイヤ

収穫したモロヘイヤ



家庭菜園を始めて40年以上になる。

生来、探求心や研究心が不足しており誰彼にお話しするような材料はないが、野菜作りは好きで、春夏秋冬、野菜を作り、

夏のモロキュウ、茄子の味噌汁、トウモロコシ、ゴーヤ等々、秋から冬にかけては鍋の白菜、おでんの大根、芋煮の里芋、冬から春収穫は赤玉ねぎやジャガイモを3坪ほどの狭い家庭菜園で栽培し収穫し晩酌を楽しんでいる。

 

こうした収穫の喜びの一押しがモロヘイヤです。

モロヘイヤを知ったのはいつごろからか、30年以上前に、毎週のように見ていたNHKの番組「野菜の時間」だったと思う。

キュウリも好調



モロヘイヤを第一に選ぶ理由は、何と言っても栽培が簡単なこと、そして管理がやさしいことだ。

ナスやキュウリのように脇芽欠きや3本仕立てなどの決まり事を気にすることはほとんど必要ない。

ただ、私のモロヘイヤの栽培法はまったくの自己流で他では見たことがないので、専門家からしたら素人のやることよと馬鹿にされるかも知れない。

それでは収量が少なすぎるという指摘があるかも知れないと自覚している。

しかし、家庭菜園は収量など気にすることなく、美味しいことが一番なのだ。

 

ということで私の美味しいモロヘイヤの栽培法です。

私のモロヘイヤ栽培法は密植栽培です。

まず、5月中旬から6月初め頃、育苗トレーに野菜の土を10㎝ほどの厚みに入れて、一面に種子を平均的にばら撒きます。

そして、薄く覆土をする。

芽が出るまで不織布シートで育苗トレーを覆い鳥害対策をする。

2~3週間で芽が出そろい、しっかりとした苗になってきます。

トレーの土を10~20区画に区切って、一区画に5~10本程度集めて、畑やプランターに移植する。

密植栽培のモロヘイヤ



モロヘイヤの教科書では、育苗ポットに4~6粒まき、本葉が出たら間引きを行い、最終的に元気な一本を残しますとある。

私の場合は密植した5~10本をそのまま育てる。

この苗が10㎝ほどになり、葉が少し大きくなったものを茎から摘みます。

摘心という作業だと思います。

摘心すると脇芽の発生を促し、枝数が増え、食べる葉が増えていくという算段です。

それも若葉ばかりを食べるということになり、これがまずいわけがないのだ。



この摘心した茎付き葉っぱを熱湯にさっと通して、お浸しで食べます。

これ一押し。

とろける様な上品さが口の中に広がります。

葉っぱからは、納豆のようなねばねばが出てくる。

これがモロヘイヤのおいしさを倍加させる。

ナスも好調



以前、スーパーで買ったモロヘイヤを食べたことがあるけれど、大きくなり過ぎたモロヘイヤ、摘心の葉とは似ても似つかぬ大きな葉。

そして、収穫からお店に並べられるまで時間がたち、嫌なニオイがしてきます。

モロヘイヤは時間が勝負、時間が命の野菜なのです。

だから、家庭菜園の一押し野菜なのです。

 

そういえば、最近はスーパーで売っているのをほとんど見かけなくなりました。

ぜひ、家庭菜園でモロヘイヤの密植法を試してみてください。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

全般ランキング
全般ランキング

わが家の令和の米騒動

アナベルが見ごろ


令和の米騒動はいつごろから始まったのかと思い、検索してみた。

ウィキペディアによると新米の出る2024年9月前にメディアの「コメ不足」報道で消費者の不安が高まり、必要以上にお米を買い求める消費者が発生したとあった。

2024年8月の5kgの価格は2,871円(前年同月比1.23倍、/前月比1.07倍)に対して、新米の出る9月には3,787円、11月3,985円、12月4018円と上昇していった。

 

私はかつての職場の同僚との付き合いで、秋になれば有名店のパンをお土産に持参しながら野菜を取りに行き、ついでにという感覚で、農家で使う30kg入りのコメ袋を頂いていた。もちろん、お歳暮として当地の名産の和牛肉などを送ってはいたが。でも、これほど高騰してくるとは思ってもいなかった。友人も、今年は高く売れたと喜んでいた。確か私のあやふやな記憶では30kg18,000円と言っていたように思うが、農協への売り渡し価格と言うことであれば、5kg3,000円となり、生産者米価でいうとほぼ妥当。

これが消費者米価になると、輸送コストや倉庫管理コスト、人件費、事務費、利益等々から9月新米価格3,787円程度というのは妥当な設定なのかなと素人は推計した。

ダリアも咲いた



ただ、商業ベースでは、予期しなかったコメ不足が現実となり、あれよあれよという間に5,000円越えの価格となり大騒ぎ、

「コメは買ったことがない、支援者の方がたくさん下さるので、まさに売るほどある」

と発言した江藤農水大臣は各界各層、国民の逆鱗に触れ、あえなく辞任した。

しかし、お米がこれほどまでにひっ迫していたとは日本政府も、農水省も、農協も、マスコミも、国民も誰一人知らなかったですむ話ではないだろう。

 

私たちの若いころは食管法(食糧管理法)という法律で、

「政府がコメなどの主要食糧の生産、流通、価格を管理する」

としていた。

この法律では生産者から高く買って消費者へは安く売っていたものだから、国の赤字拡大などを理由に1995年に廃止され、現在は「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」(食糧法)に引き継がれた。

規制緩和が進み、コメの自由販売が一層促進された。

鮮やかな色のダリア



ただ、今回の件は、政府は市場に任せすぎだったのではないかと思わざるを得ない。

市場はコメの自由化と流通などや価格の思惑がからみなどで、制御不能に陥ったように思う。

それは逆に言えば政府自身がその主体性や国民の生活を守るという視点を見失っていたというほかはない。

再度、政府の関与のあり様を見直すべきだと主張したい。



だが、日本は平和国家だ。

江藤大臣から交代した小泉農水大臣が備蓄米を徹底的に放出すると言明し、行動に移した。ただ、誰が考えても、考えなくても、これしかないという一手を打ったと言える。

世間は一気に落ち着きを取り戻しつつあるけれど、90トンの備蓄米の放出が終了したらどうなるのかしらと思わざるを得ない。

ただ、わが家はお米を口にするのは朝ごはんだけ。

お昼はパンや麺類、夜はお酒と肉や魚や野菜で、ご飯は食べない。

多分、30キロのお米は半年以上ある。

その上、宮城の米どころの友人からもササニシキやひとめぼれが届く。

今、わが家ではコメを巡るこれからの付き合いはどのようにすべきかと思案する。

令和の米騒動は、いろんな点で考えさせてくれた。

 

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング