※ 現実の日本史を題材とした古典文学のアニメ化なので、ストーリーのネタバレは作品の性質上「問題なし」と判断し、ネタバレ全開で記載しています。
目次
● アニメ制作陣と物語の輪郭
アニメ「平家物語」は2021年9月からフジテレビオンデマンドで先行放映され、今年の1月~3月にかけてフジの深夜枠アニメで放映されました。全11話。
結論から先に書きますと、個人的にはとても素晴らしい作品だと思いました。
監督は山田尚子氏。
山田氏の他の監督作品としては、TVシリーズ及び劇場版「けいおん!」や映画「聲の形」が挙げられます。また今作品は作家・古川日出男氏の現代語訳「平家物語」を基礎としているとの事。
● 二つの < 目 > が語る歴史
ストーリーは古典原作「平家物語」そのものですが、アニメ独自の登場人物とそれに付随する設定も存在します。
その人物は琵琶法師の少女「びわ」。
未来を見通す能力を兼ね備えるオッドアイ(虹彩異色症)の眼を持つびわは、琵琶法師の父親を平家の武士に殺害された後に平清盛の息子・重盛と出会います。ここで注目すべきは出会った重盛もオッドアイを持つ設定になっている事。重盛のオッドアイは死者や亡き者の怨念を見ることが出来るというものです。
びわに自身が持つ能力と相通じるものを感じた重盛は彼女を屋敷に迎え入れ、重盛の息子である維盛・資盛・清経の兄弟らと共に生活させる事にします。
こうして、びわの眼を通して平家の栄枯盛衰が描かれるのがこのアニメ「平家物語」です。
● 狂言回しとしての < びわ >
平家全盛の世にあって「死者」を見る事の出来る、つまり”過去・原因”を知る能力を持つ事で平家の行く末を憂慮する平重盛。そして”未来・結果”を見通せるびわの能力。
2人の”眼”によって描かれる作品前半の進行は、平家の栄華と滅亡を歴史として知る現代人の眼と同じ立場である事に気付かされるでしょう。
”平家の良心”として描かれた重盛はやがて病死し、その際にびわは重盛の能力である”眼”を受け継ぎます。
それにより、作品後半はびわが過去と未来を知る者としての「狂言回し」の立場となって、後世の我々視聴者の代弁者として「平家物語」を見つめていくのです。
恐らくそういった作品上の立場ゆえに、びわと共に幼少期を過ごした平維盛・資盛・清経らが少年から青年に容姿が成長していくのに対し、びわは時が経っても平家が滅亡するまで容姿・言動が全く変化しません。何故なら、びわは歴史的史実として平家の滅亡過程を俯瞰する視聴者の立場なのだから。
これは非常に秀逸な作品構成だと思いますね。
おかげで視聴者はその時々で描かれる登場人物の感情に共感しながら、この「平家物語」という一大叙事詩にスッと入っていけます。
● 原典とアニメが交差する名場面
アニメでは有名な平家物語「敦盛最期」の部分も描かれています。
著作権上、このシーンの画像を提示出来ないのが残念ですが、この時の平敦盛と熊谷直実の哀切なる邂逅シーンは『日本人とアツモリソウ ― 平家物語「敦盛最期」が語り継いだもの ― 』という記事にも詳しく書いています。
古典「平家物語」の構成は巻第一~巻第十二とプラスして最後の灌頂巻で構成されており、アニメのラストシーンも灌頂巻「大原御幸」~「六道之沙汰」の部分です。
壇ノ浦の戦いにて死にきれなかった平徳子(平清盛の娘、安徳天皇の生母)は後に出家して建礼門院となり、そこへ後白河法皇が訪ねた際のやり取りが心を打ちます。
また、仏像の手に掛けた5色の糸を手に取って建礼門院が亡くなるシーンは、平家滅亡を見届けた際に盲目となった(と思われる)びわが琵琶法師となって「平家物語」を語り継ぐ姿と交互に描写され、視聴者にとても深い余韻をもたらしています。
● 滅びを語り継ぐということ
「平家物語」は、勝者の物語ではありません。
栄華を極め、そして滅びていった者たちの姿を、後世に語り残すための物語です。
このアニメ版「平家物語」は、歴史を断罪も美化もせず、ただ「起きてしまった事」として静かに見つめ、語り継ごうとします。
未来を知るびわの視線と、死者を見る重盛の眼が交錯する構造は、私たち現代の視聴者が歴史とどう向き合うべきかを、言葉ではなく感覚で示してくれているようでした。
滅びは悲劇であると同時に、決して特別なものではありません。どんな栄華も、どんな権力も、やがては終わります。
だからこそ、それを「なかったこと」にせず、物語として手渡していくことに意味があるのだと思います。
琵琶法師となったびわが語り始める「平家物語」は、過去の出来事を記録する為ではなく、人が同じ過ちを繰り返さぬよう、また滅びの中にも確かに存在した感情や尊厳を忘れぬ為に語られるのでしょう。
この作品は、
「歴史とは何か」
「語り継ぐとはどういう行為なのか」
を、静かに、しかし深く問いかけてくるアニメでした。







