因果の地層

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アニメ「平家物語」― 歴史を < 見る者 > の物語 ―

※ 現実の日本史を題材とした古典文学のアニメ化なので、ストーリーのネタバレは作品の性質上「問題なし」と判断し、ネタバレ全開で記載しています。

目次

● アニメ制作陣と物語の輪郭

アニメ「平家物語」は2021年9月からフジテレビオンデマンドで先行放映され、今年の1月~3月にかけてフジの深夜枠アニメで放映されました。全11話。
結論から先に書きますと、個人的にはとても素晴らしい作品だと思いました。

監督は山田尚子氏。
山田氏の他の監督作品としては、TVシリーズ及び劇場版「けいおん!」や映画「聲の形」が挙げられます。また今作品は作家・古川日出男氏の現代語訳「平家物語」を基礎としているとの事。

● 二つの < 目 > が語る歴史

ストーリーは古典原作「平家物語」そのものですが、アニメ独自の登場人物とそれに付随する設定も存在します。
その人物は琵琶法師の少女「びわ」。
未来を見通す能力を兼ね備えるオッドアイ虹彩異色症)の眼を持つびわは、琵琶法師の父親を平家の武士に殺害された後に平清盛の息子・重盛と出会います。ここで注目すべきは出会った重盛もオッドアイを持つ設定になっている事。重盛のオッドアイは死者や亡き者の怨念を見ることが出来るというものです。
びわに自身が持つ能力と相通じるものを感じた重盛は彼女を屋敷に迎え入れ、重盛の息子である維盛・資盛・清経の兄弟らと共に生活させる事にします。
こうして、びわの眼を通して平家の栄枯盛衰が描かれるのがこのアニメ「平家物語」です。

狂言回しとしての < びわ >

平家全盛の世にあって「死者」を見る事の出来る、つまり”過去・原因”を知る能力を持つ事で平家の行く末を憂慮する平重盛。そして”未来・結果”を見通せるびわの能力。
2人の”眼”によって描かれる作品前半の進行は、平家の栄華と滅亡を歴史として知る現代人の眼と同じ立場である事に気付かされるでしょう。
”平家の良心”として描かれた重盛はやがて病死し、その際にびわは重盛の能力である”眼”を受け継ぎます。
それにより、作品後半はびわが過去と未来を知る者としての「狂言回し」の立場となって、後世の我々視聴者の代弁者として「平家物語」を見つめていくのです。
恐らくそういった作品上の立場ゆえに、びわと共に幼少期を過ごした平維盛・資盛・清経らが少年から青年に容姿が成長していくのに対し、びわは時が経っても平家が滅亡するまで容姿・言動が全く変化しません。何故なら、びわは歴史的史実として平家の滅亡過程を俯瞰する視聴者の立場なのだから。
これは非常に秀逸な作品構成だと思いますね。
おかげで視聴者はその時々で描かれる登場人物の感情に共感しながら、この「平家物語」という一大叙事詩にスッと入っていけます。

● 原典とアニメが交差する名場面

アニメでは有名な平家物語「敦盛最期」の部分も描かれています。
著作権上、このシーンの画像を提示出来ないのが残念ですが、この時の平敦盛熊谷直実の哀切なる邂逅シーンは『日本人とアツモリソウ ― 平家物語「敦盛最期」が語り継いだもの ― 』という記事にも詳しく書いています。

ingano-chisou.hatenablog.com

古典「平家物語」の構成は巻第一~巻第十二とプラスして最後の灌頂巻で構成されており、アニメのラストシーンも灌頂巻「大原御幸」~「六道之沙汰」の部分です。
壇ノ浦の戦いにて死にきれなかった平徳子平清盛の娘、安徳天皇の生母)は後に出家して建礼門院となり、そこへ後白河法皇が訪ねた際のやり取りが心を打ちます。
また、仏像の手に掛けた5色の糸を手に取って建礼門院が亡くなるシーンは、平家滅亡を見届けた際に盲目となった(と思われる)びわが琵琶法師となって「平家物語」を語り継ぐ姿と交互に描写され、視聴者にとても深い余韻をもたらしています。

● 滅びを語り継ぐということ

平家物語」は、勝者の物語ではありません。
栄華を極め、そして滅びていった者たちの姿を、後世に語り残すための物語です。
このアニメ版「平家物語」は、歴史を断罪も美化もせず、ただ「起きてしまった事」として静かに見つめ、語り継ごうとします。
未来を知るびわの視線と、死者を見る重盛の眼が交錯する構造は、私たち現代の視聴者が歴史とどう向き合うべきかを、言葉ではなく感覚で示してくれているようでした。
滅びは悲劇であると同時に、決して特別なものではありません。どんな栄華も、どんな権力も、やがては終わります。
だからこそ、それを「なかったこと」にせず、物語として手渡していくことに意味があるのだと思います。
琵琶法師となったびわが語り始める「平家物語」は、過去の出来事を記録する為ではなく、人が同じ過ちを繰り返さぬよう、また滅びの中にも確かに存在した感情や尊厳を忘れぬ為に語られるのでしょう。
この作品は、
「歴史とは何か」
「語り継ぐとはどういう行為なのか」
を、静かに、しかし深く問いかけてくるアニメでした。


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安倍晋三元総理国葬儀 ― 静かに示された国民の本当の意思 ―

目次

国葬儀をどう受け止めたか ― 政争にはしたくなかった

昨日9月27日、安倍元総理の国葬儀が東京・日本武道館にて執り行われました。


出典:首相官邸HP
政府標準利用規約(第2.0版)に基づき掲載

今回の国葬儀に関しては、その決定プロセスに対する法的根拠が薄いと、少なからぬ野党が反対していましたが、私にはあまり興味のない事でした。漠然と「岸田首相は安倍さんを国葬対応にして、自民党右派を取り込みたかったのだなぁ」と思ったくらい。
もちろん支持者として、政府の「安倍国葬」対応に悪い気はしませんでしたが、一方、中曽根康弘元首相や佐藤栄作元首相のような別の形式でも構いませんでした。
私は安倍元総理をこれ以上、政争の具にして欲しくなかったのです。最後の機会ですから静かに故人を送りたかった、というのが率直な気持ち。

因みに、国葬国葬儀は厳密にいうと異なっており、「国葬は法律に基づく国家の葬儀」、「国葬儀は内閣府設置法に基づき、内閣が主催する政府行事」なのだそうです。また別に国民葬佐藤栄作元首相が該当)というのもあり、さらに昭和天皇の「大喪の礼」とも異なる制度となります。

世論調査と、実際の「国民の行動」

では9月27日、当時の様子です。
9月28日のテレ朝ニュース(一部引用)によると、

安倍氏国葬4183人参列 一般献花は約2万3千人」

安倍元総理大臣の国葬が27日に日本武道館で行われ、国内外から合わせて4183人が参列しました。
政府の発表によりますと、国葬には海外の要人も含めて4183人が参列し、一般向けの献花には27日午後6時時点でおよそ2万3000人が訪れました。

との事。
前日(27日)のテレビ朝日報道ステーション」では、一般向け献花台は最大3時間待ちの行列もできたそうです。その中には立憲民主党米山隆一衆議院議員の姿もあったそうで、「国葬には反対なので、武道館でやるほうは欠席です。でも、実は僕、元自民党だから、自民党時代にお世話になったので、個人としては献花をしようと」との事でした。

一方、9月27日の朝日新聞デジタル(一部引用)には

『「弔意の強制だ」「税金使うな」都内各地で国葬反対デモ行進 』

東京都千代田区日比谷公園では、国葬に反対する人たちの集会が開かれた。約1千人(主催者発表)が集まり、「国葬反対」などと書いたプラカードを手に、公園を出発してデモ行進した。

の報道が見られます。

そこで9月27日の当日、弔意あるいは国葬反対の意思表示を「現場にて行動した人」で比較すると、

弔意を示す :2万3000人(個人の自発意志、長時間拘束)
国葬反対デモ:1000人+α(組織動員含む、比較的短時間)

という感じに落ち着きそうです。
直前までの主要メディアが伝える「国葬の是非」に関する世論調査では、賛成・反対がかなり拮抗(むしろ反対がやや優勢?)していたようですが、実際の国民行動はかなりの差が出ましたね。
形式の是非はどうあれ、人様のお葬式にて、その外で騒ぐというのは日本人としてどうかしている、という世間的な常識が働いた事もあるのでしょう。

どんなに卑劣なノイズを
大きく見せかけて
国論二分を装っても
真のリーダーを惜しむ
静かな声なき声は
本当の行動力を伴い、
人々の心を打って、
やはり感涙を呼ぶものです。

上の文章は私が敬愛するブログ筆者の言葉(一般の方です)。

お葬式の記事ですから、これ以上はもうやめる事にします。

菅義偉前総理の弔辞


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菅前総理が、共に歩んだ故人への想いを深く語り上げた弔辞を述べられました。

7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。
その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、
最後の一瞬、接することができました。
あの運命の日から、80日がたってしまいました。

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。
かましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、
高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、
生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。
悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になられますか。
ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、
たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが少なくないようです。
明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、
毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。
これがあなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。
いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、
歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。
報われた思いであります。

平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、
その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、
自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、
一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、
その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。
この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、
確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、
一度として揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。
そのことを負い目に思って、
二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。
それが使命だと思ったからです。
3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。
私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、
いつまでも誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。
今でも、ふと一人になると、
そうした日々の様子がまざまざとと蘇ってまいります。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、
私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」
という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理
日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーを いただいたからこそ、
特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など
難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。
どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、
私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、
日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。
そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、
総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。
いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。
私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、
明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした。

衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。
岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、
いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、
故人をしのんで詠んだ歌でありました。

総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
深い悲しみと寂しさを覚えます。
総理、本当にありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣 菅義偉

● 感謝とともに ― 安倍晋三という政治家を見送って

最後に。
安倍晋三元総理、本当にどうもありがとうございました。
政治家としてのあなたの人生を、昨日、数多くの国民が感謝をもって確認いたしました。
あなたの静かにほほ笑む遺影に頭を垂れた一般国民は、あなたが示してくれた羅針盤を決して見失わないという決意を、新たにした事でしょう。

安らかにお眠りください。

本当にさようなら、安倍晋三・第90、96、97、98代内閣総理大臣

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増上寺にあふれた沈黙 ― 国民が示した ”最後の現実”

日本国民は本日、安倍元総理との最後のお別れをした。

元総理のお通夜・告別式は東京・増上寺で執り行われた。特に告別式の本日は増上寺に人が溢れ、一般献花が中止になるほどだった。
御遺体は告別式後、増上寺を出棺。お寺の周辺は見た事も無い人の数だ。棺は自民党本部、総理官邸、そして国会議事堂前を巡った後に、荼毘に付されるという。


2022年7月12日 安倍元総理の出棺を待つ増上寺周辺の国民
出典:Wikimedia Commons
作者:匿名
ライセンス:CC BY-SA4.0
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TV中継で御遺体を乗せた霊柩車が最後の永田町巡りを行うのを見届けた後、自宅を出た。
私も本日、安倍元総理との最後のお別れをしなければならない。

● それでも問う ― 「アベ政治は本当に許されないもの」だったか

もし ”アベ政治が許されない” ものならば、例え不慮の暗殺とはいえ、こんなに国民が最後の別れを惜しむだろうか?
もちろん個々の政策批判は大いに必要な事である。
しかし、安倍元総理に対してはあまりにも ”イメージ攻撃 ”、”人格攻撃 ”、そして ”政策とは何ら関係のない揚げ足取り攻撃” が多過ぎた。
出棺の様子を中継していたTV番組のゲストコメンテーター・橋下徹氏も、そこは指摘していた。彼の眼も潤み、そして時々声を詰まらせていた。

もし ”アベ政治が許されない” ものならば、政権担当時の6度の国政選挙を全て制してしまえるものだろうか?
政策云々は別として、それは国民の「現状維持」への圧倒的な希求の結果ではなかったか。ならば、むしろ”許されない”のは、選挙の民意を無視した「アベ政治を許さない」キャンペーンの扇動者たちの方という事になる。

もし ”アベ政治が許されない” ものならば、世界中はもちろん、特に今や完全に日本国と敵対関係となってしまったロシア・プーチン大統領や、あのタリバン政権からも誠実な弔意が寄せられているのを、日本国民はどう受け止めるべきなのだろうか。

これらの疑問に ”アベ政治を許さない” 者たちは何ら答えようとはせず、 今もTwitter などで故人に対し、扇動的な言葉を投げかけている。
彼らこそ民主主義の破壊者であり、日本国民の分断を目論む者たちである事にどうか、もうそろそろ一般国民は気付いてほしい。

● 凶行を生んだのは誰か ― 「反アベ無罪」という空気

安倍元総理を直接手にかけた犯人について少し。
一般に「凶悪な殺人」の事件には、その殺人者の数だけ「身勝手で常人には理解不能な理屈」がある。犯人個人の量刑確定の為には、取り沙汰されている宗教団体と犯行動機との因果関係の究明は必要なものの、一般国民がそこに注目し過ぎるのは全く意味のない事だ。
襲撃の対象が恨みを抱いていた教団のトップから安倍元総理へと転じてしまった後、犯人は直接的面識の無い元総理に強い殺意を持ち続けたという。襲撃対象者の変化に唐突なまでの開きがありすぎて、何故そんな事になってしまうのかは、”犯人の歪んた思想のせい”としか言いようがない。
また犯人の母親が経済破綻したのは20年前。その恨みを今この時の犯行とするのも常識的にとても不自然だ。

一つ確信を持って言えそうなのは、常識的な神経の持ち主ならば絶対に踏み出すはずのない大きな倫理的ハードルに対して、それを一気に低くし、更に犯人に助走をつけさせたのは、扇動者・分断者らによって醸成された「反アベ無罪」の空気感だったのではないか、という事だ。

この事件を受けて、例えば既存メディアが自省を持って振り返るならば、危険な空気の自浄作用も期待出来たかもしれない。しかし現実はそのような方向に全く進んではいない。特定宗教団体がクローズアップされてしまった事で、今回の日本にとって大変不幸な事件の背景分析が、とんでもなく矮小化されてしまう可能性がかえって大きくなった、と私は感じている(一応、文章の論理的建前としてこのように記したが、既存メディア自体があちら側なのだから、初めから全く何も期待出来ないのは分かっている)。

● 一国民としての献花 ― 政治でも党派でもなく


2022年7月12日 筆者撮影

自民党北海道・某支部
ここの献花・記帳台は地域に周知されている訳ではない。さらに党の選挙事務所内なので、TVニュースで見られたような増上寺の一般献花記帳所のような場所と異なり、市井人にとってはかなり敷居が高いはず。
だから、まだ多くの人が訪れている訳ではないと予想して、供花はお花屋さんで予めアレンジメントにしてもらったものを、お写真の右隣に供えさせて頂いた。
という私自身、別に自民党員ではない。さらに言えば、安倍政権時代にあっても参院選比例では自民党以外の候補に投票するのも珍しい事ではなかった人間。
この場所に足を運んだのは、あくまで一国民としての素直な想いの顕れである。

自宅に戻った時に、元総理が御遺骨になって昭恵夫人のもとに戻られたという報を聞いた。これで本当にお別れになったのだと思い至った。

安倍晋三元総理、今まで日本の為にありがとうございました。

安倍晋三さんを死なせたのは誰だ

目次

● 私たちは安倍晋三に甘えていた ― 支持者も、無自覚な国民も 

参議院選挙が終わった。

どうしても議席を維持して欲しかった比例の青山繁晴氏、山田宏氏、岡山選挙区の小野田紀美氏など、まだ何人かいるけれど、本当に良かった。選挙区候補は住んでいる場所が異なればどうする事も出来ないが、比例候補は誰にでも投票出来る一方、当然一人にしか投票出来ない。いつもここは悩ましいところ。

参政党も議席一つ獲得ですか。
これまでの我が国の施策の中には、明確にグローバリズムが行き過ぎてしまった分野がある。どうか国益の為に、その部分を牽制したり、一定の歯止めをかけながらも経済を回す事が出来る成長戦略を模索して欲しい。
「行き過ぎたグローバリズムはいけない」だけなら誰でも言えるのだから。

しかし私個人は今回の選挙に関してこれ以上、大した事は書けそうにない。
参院選の結果など・・・あの大事件に比べれば・・・

正直言って、甘えていた。
安倍元総理が現職時代、個々の国政課題で私個人の考えとは異なる施策を進めた時も、その政策には反対しつつも、総理の政治決断に至ったリーダーシップを最終的には信頼していたと、私自身を今振り返ればそのように思える。この世の現状では当該政策も仕方がない一面もあろうが、行き過ぎた場合は安倍総理ならどこかで歯止めはかけてくれるだろう、と。
その為か、総理を辞めた時も「安倍さん自身、いつまでも総理を続けられる訳ではない」と頭では分かっていながら、しばらく”安倍ロス”に陥ってしまった。一介の議員に戻った際も、仮に岸田総理がズレた事を始めようとしたら、全力で政治信条を等しくする者たちを束ねて阻止してくれる、とも思っていた。
そして、こんな事は無い方が当然いいのだが、日本がもし大変な有事に直面した時、安倍元総理がいればもう一度表舞台に立って対処してくれる、そう漠然と頭の片隅で期待していた・・・

全て甘えていた。
政策批判をする記事を書いた事もあるのだが、私は結局、完全な ”アベンジャー” だった。ただ、その事実から目を逸らしていたのは何を隠そう私自身だった。
このブログを書いて、約10年。
安保法制・モリトモ・カケ・検察庁法改正案など、「疑惑は深まった」と印象操作する既存メディアや特定勢力の主張に対する反論記事も沢山書いて来た。
安保法制は政策議論なので、世論が騒がしくなるのもある程度仕方がないものの、核も直接的同盟国も持たないウクライナが一方的にロシアに侵攻されてしまった事を考えると、日本にとって非常に必要かつ重要な法制度であった事は、国際情勢が既に証明している。その他は実態や背景を知ってしまえば、「国会でそんなに議論する事か!?」レベルの事ばかり。
コロナ対策は当時、全ての国の指導者がよく分からない未知のウィルスに対して試行錯誤・手探りで対応しなければならなかった為、部分的に些末な政策的失敗があるのは当たり前。むしろ的確に対応したら、「お前がウィルスばら撒いたから、その対応を知っている」疑惑が出るというものだ。
だからこそ、コロナ対策においても散々叩かれた当時の安倍総理が任期を残して職を辞した時、悔しさと、そして安倍総理の価値を知る識者・一般国民の惜しむ声を見て、涙が出た。
ところが辞任表明をした途端、内閣支持率が爆上がりしてしまう。誰も辞めるなんて思ってもいなかったから無責任に叩きまくり、辞任が決まったという事で腰を抜かしたのだ。
結局、国民もみんな甘えていたのだ。

しかし、今回の訃報で私個人はまだ涙は出ていない。
本当にショックな事は、感情をマヒさせるのだな。


2020年9月16日 総辞職した安倍晋三内閣総理大臣
出典:首相官邸HP
政府標準利用規約(第2.0版)に基づき掲載

安倍晋三を死なせたのは誰だ ― 「反安倍無罪」という社会の空気

以下は、7月8日付でアゴラに寄せられた評論家・八幡和郎氏の記事からの一部引用である。

「安倍狙撃事件の犯人は「反アベ無罪」を煽った空気だ」

安倍元首相狙撃事件の犯人がいかなる人物かは、あまり重要でない。そもそも、テロに甘い日本の社会風土が糾弾されるべきであるが、安倍晋三氏については、特定のマスコミや「有識者」といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こしたのであって、犯人が左派でも右派でも個人的な恨みをもった人であろうが、精神に障害を抱えた人であってもそれが許されると思わせた人たちが責められるべきである。

その意味で、犯人像がわかるまで政治的議論をすべきでないというのは間違っている。

「安倍をたたき切れ」といったのもいた。国会で狂ったように憎悪を煽った議員もいた。ヒトラーにいわれなくたとえた市民運動家と称する人もいた。暗殺教唆をした覚えのある人々はどう償うのか?

モリカケサクラなど過去の政治家とスキャンダルと桁がいくつも違うし、私服を肥やしたわけでない些事で執拗に憎悪を煽られた。

以上、引用終わり。

agora-web.jp

事件の詳細が分からない現状においては、公的な言論人として八幡氏の文章は少し拙速のような気はする。
しかし彼の怒りは、私にはよく分かる。
今回の事件と直接関係があるかどうかはともかく、私は八幡氏が指摘した「空気感」を以前から強く感じ、警戒し、憂慮し、そして怒っていた。

次に、フジテレビの上席解説委員・平井文夫氏が自社のサイトに載せた文章から一部引用する(彼は文中で八幡氏が指摘した「空気感」にも言及している)。

安倍晋三さんを死なせたのは誰だ」

八幡さんは「狙撃事件の犯人がいかなる人物かはあまり重要でない」とした上で、「安倍晋三氏については、特定のマスコミや有識者といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こした」と解説していた。

八幡氏は「安倍をたたき切れ、といったものもいた」「国会で狂ったように憎悪を煽った議員もいた」「ヒトラーにいわれなく例えた市民運動家と称する人もいた」と具体例を挙げていた。

僕の胸につかえていたのはこれだった。安倍氏をこれまで口汚くののしってきた人たちが「無事を祈ります」と言うのを聞くのが苦しかったのだ。
(中略)
闘う政治家」だった安倍氏に対しては攻撃もまた激しかったが、中には「許さない」とか「死ね」とか明らかに常軌を逸したものもあった。そしてそうした言動に対して私たちは「ダメだ」とはっきり言ってこなかったのではないか。

岸田首相は「卑劣な蛮行は許せるものではない」「決して暴力には屈しない」と言ったがそんなことは言われなくてもわかっている。私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、この社会の空気が、安倍さんを殺してしまったのではないかということなのだ。

以上、引用終わり。

www.fnn.jp

一方、TBS「報道特集」のキャスターが今回の事件で、戦前の5.15事件等を引き合いに出し、「軍国主義的世相」という解釈と安倍元総理の政治信条をオーバーラップさせて岸田総理に見解を問うたのは、本当に違和感を覚えた。明らかに違う。ズレ過ぎている。

軍国主義など全く関係ない。
このキャスターからすれば、安倍元首相こそ「軍国主義の元締め」であるはずだ。では、なぜ軍国主義的世相がその元締めを殺すのだ?
そのような見解よりも、行き過ぎた”反アベ無罪”の空気の中で、そこに近年みられる「社会から孤立した人の暴走犯罪」(ひろゆき氏はこれを「無敵の人」と呼んでいるが、この見解は慧眼である)がリンクしてしまったと考える方が、はるかに自然で説得力があるのではないか?

● 命と引き換えに残されたもの ― 岸田政権に問われる覚悟 

上で参議院選の結果について大した事は書けないと書いたが、最後に一つだけ。
今選挙では改憲に反対・消極的な政党は与党・公明党を含め、軒並み得票を落としたという。
自民党の大勝は、結果的に安倍元総理が命と引き換えにして勝ち取った「国民の憲法改正への覚醒と決断」であると思う。これはもう避けて通れない国家の宿命であり、目覚めた国民の意思だ。

元総理はまだ支持率が非常に高く、モリカケ騒動も起きていなかった頃に、支持率が急落する事が分かっていながらも安保法制を整備した。自身の内閣維持に関する安寧よりも、国家のために必要と思われる事を実行したのだ。
岸田総理が参院選の大勝を受けながらも、仮に今後、国家のために為すべき事を進めなかったとしたら、これは政治家として許されない事である。
万難を排して、ぜひ事を進めて欲しい。

悔しい、あまりにも悲しい・・・安倍晋三元総理死去

2020年8月に当時の安倍総理が辞任した際、その支持者や総理の真の姿を知る者たちが在任中の業績を称えて感謝の言葉を表明する中、

「ありがとう、とはまだ言わない」

と私はこのブログで書き、総理再々登板は色々な意味でハードルが高いだろうから、いずれは外務大臣で復帰してほしい旨の希望を述べました。
しかし本日、不幸にも凶弾に斃れ、それも永久に叶わない現実に至りました。
政権当時は内政課題で一部賛同しかねる政策も個人的にはあったものの、現実的に考え得る素晴らしいその外交手腕で日本人の生命と財産を必死で護ろうとされました。


国連総会議場での一般討論演説(2017年9月20日
出典:首相官邸HP
政府標準利用規約(第2.0版)に基づき掲載
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首相辞任後2年、この突然の訃報を全く受け止められない自分がいます。
何をどう書こうと、まとまりそうもありません。
ただ、総理辞任の時には言わなかった言葉をここで記さねばならない時が、こんな不幸な形で今、来てしまった事実を心の底から悲しく、悔しく思います。

安倍晋三元総理、本当に今までありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

人生を二度生きた男 ― 55歳から国土を測った伊能忠敬 ―

目次

● 人生の過程で、尊敬する人物は変わる

尊敬する、あるいは好きな歴史上の人物は?
そう問われれば、人は自分が生きてきた年代によって、思い浮かべる名前が変わるものだと思います。若年期なら英雄や革命家の名を挙げたかもしれません。
しかし、人生の後半に差しかかった今の私が挙げるならば・・・

伊能忠敬

55歳という当時としては決して若くない年齢から、17年をかけて日本全国を自らの足で測量して、国土の正確な姿をこの国にもたらした人物です。

● 伊能家再興と、村を救った名名主としての前半生

幼少の頃の忠敬は少し複雑な家庭環境を過ごしたようですが、優れた学問的素養に注目した親戚筋が彼を伊能家へ婿入りさせた事から、忠敬の人生が大きく動き出します。
酒造業を営んでいた婿入り先は村(現在の千葉県内)でも二大有力家の一つであったものの、当時の伊能家は当主が不在の期間が長く続いていました。その為、家業は親戚の手を借りる形で継続されるも、事業規模は縮小傾向にあり、もう一方の有力家に差をつけられてしまう状況でした。
つまり伊能家再興が忠敬に期待された訳なのですが、伊能家当主として彼はその大任を見事果たします。
また彼は優れたリーダーとしてよく村をまとめ、特に天明の大飢饉では貧民救済に務めて村から一人の餓死者も出さない事に成功しました。
ここまでが忠敬の大まかな前半生。

● 50歳で江戸へ ― 学問への尽きる事のない想い

若い頃から算術が好きで暦学や天文学にも興味を持っていた彼は、家業を50歳で隠居し江戸に出て、幕府の天文方だった高橋至時に弟子入りします。当時の至時は新しい暦を作る改暦作業に取り組んでいました。
最新の正確な暦を作成する場合、天文学と地球の大きさの正確な数値を知る必要があって、地球の大きさは緯度1度に相当する子午線の距離を測る事で計算出来ます。短い距離を測定して算出しても誤差が大きくなる為、忠敬と至時は先ず江戸から蝦夷地までの距離を測ればより正確な数値が出せるのではないかという結論に至りました。
こうして齢忠敬55歳、蝦夷地を測量し地図を作成しながら子午線1度の距離を求める旅が始まったのです。

● 55歳からの全国測量という挑戦

蝦夷地測量における幕府からの費用補助はほんの僅かであって、圧倒的に忠敬の持ち出しでした。しかし測量路程が終わる度に作成・提出された地図の精巧さに驚いた幕府は、回を繰り返すごとに忠敬の測量計画への待遇を改善していきました。
忠敬には蝦夷地の残りの測量(忠敬の蝦夷地測量は太平洋側までだった)を果たしたい思いがあったものの、諸般の事情で幕府に認められる可能性が低かった為、以降は内地の測量を重ねていく事になります。

伊能忠敬 e 資料館」の「伊能測量隊宿泊地 測量次選択」の項目(リンクあり)では、第1次測量(1800年蝦夷地太平洋側)から、第10次測量(1816年・江戸府内)までの忠敬とその弟子たちの具体的な行程が地図に示されています。
これらを見ると、改めて50歳を超えての彼の大変な知識欲と行動力に驚かされます。
因みに忠敬が果たせなかった蝦夷地北部・西部の測量は弟子の間宮林蔵が行い、そのデータで蝦夷地の地図は完成しました。

● 伊能図が示した、国家を動かす「道楽」の力

忠敬の測量の結果、作成された「大日本沿海輿地全図」(通称:伊能図)は、次の3種類。

大図:縮尺1/36000、全214枚
中図:縮尺1/216000、全8枚
小図:縮尺1/432000、全3枚


伊能小図3枚による日本列島
出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

そして忠敬が求めた緯度1度の距離は28.2里で、現在の値と比較して誤差がおよそ1000分の1と、当時としては極めて正確でありました(ただし当時の測定環境の限界もあり、経度は緯度よりも誤差が大きくなっている)。
残念ながら原本は火災などで全て焼失していますが、今でも時々伊能図の写本や資料が発見される事があります。例えば2001年7月5日朝日新聞は一面で「伊能忠敬 測量の全容判明」「大図206枚 米にあった」「未発見の140枚含む」と報じています。

伊能図の評価を示すエピソードとして。
1861年に英国海軍が日本沿岸の測量を強行しようとした際、たまたま幕府役人が所有していた伊能小図の写しを見て、その精巧さに驚き、測量計画を見直してその写しを入手する事で引き下がったそうです。

商人・村の名主としての前半生、学者・技術者としての後半生と、共に一生かかって成し遂げるような、しかも全くジャンルの異なる二つの大仕事を果たした訳ですから、忠敬の人生そのものが大偉業だと思います。
特に彼の後半生における偉業は、見方を変えると自己資金を大量に持ち出した金持ちの大道楽とも言えます。しかしその道楽は国家の大事業となり、しかもその活動を支えた資金は前半生にて自らの努力と才覚で得たお金。
生まれながらの金持ち殿様が好奇心から行った訳ではないのです。

● 人生を二度生きるということ

強靭な肉体と類稀な探究心で「人生をニ度生きた男」。
彼は生前の願いにより上野源空寺の墓所にて、師・高橋至時の隣で眠っています。

彼を見ていると、何かを始めるに”遅すぎる”と最初から諦める必要はないのだと感じられて、特に中高年には希望が持てますね。
人生の価値は、何歳で始めたかではなく、何を本気で成し遂げようとしたかで決まるのだと、伊能忠敬の生涯は静かに教えてくれます。

日露戦争前夜と重なる令和日本の安全保障 ― 歴史は暗記であってはならない ―

目次

● 台湾を巡る外交環境の急激な変化

日本の安全保障環境が静かに、しかし決定的に変わりつつあります。
それは「将来の可能性」や「専門家だけの議論」ではなく、すでに進行中の現実です。

先日、中米・ニカラグアが台湾と断交し、大陸の中国と国交を結ぶ事になりました。中国の経済攻勢の中、また一つ台湾と国交を結ぶ国が減少してしまったのです。この一件は単なる一国の外交方針転換ではありません。台湾を巡る国際環境が確実に、そして加速度的に悪化していることを示す一つの象徴です。

2021年12月10日 読売新聞オンライン より引用

ニカラグアが台湾と断交、中国と国交回復…外相「台湾は不可侵な中国の領土」

中米ニカラグアは9日、台湾との断交を表明した。中国外務省は10日、ニカラグアとの国交を回復したと発表した。台湾が外交関係を持つ国は14か国に減った。
ニカラグアのデニス・モンカダ外相は9日の声明で、中台が一つの国に属するという「一つの中国」原則を認めるとし、「中華人民共和国が唯一正統な政府であり、台湾は不可分な中国の領土だ」と述べた。(中略)
ニカラグアでは11月の大統領選で左派のダニエル・オルテガ氏が再選された。野党の有力候補7人を逮捕するなど強権的な手法を問題視した米英両政府は追加制裁を科している。

引用、以上。

台湾との国交を持つ中米・ホンジュラスにおいても、今年11月下旬の大統領選挙で勝利した左派野党連合のシオマラ・カストロ氏の政権移行チームは今のところ新政権発足後も台湾との外交関係を維持する方針との事(ロイター伝)ですが、新大統領に就任するカストロ氏は選挙公約で中国と国交を結ぶとしていた為、先行きは暗いです。

台湾併合に向け、外交・経済の両面から外堀を埋めていく中国の動きは、日本の安全保障と決して無関係ではありません。

● 日本の安全保障の重心ーー明治と令和の驚くほどの一致点

少し前までは日本の安全保障で注目すべきは朝鮮半島でした。
しかし今や最重要地点は台湾に完全にシフトしています。多くの日本人ならば、日本の安全保障上最大の脅威が大陸・中国であるという認識で異存はないと思います。
そして今の日本の置かれた状況が完全に明治期の日清、いやむしろ日露戦争前夜である事にどれだけの人が気付けているでしょうか?

明治のロシアが令和の中国に変わっただけ。
明治の朝鮮が令和の台湾に変わっただけ。

明治期のロシアは朝鮮半島を南下して、日本に匕首を突き付けようとしました。
伊藤博文は対露宥和政策を取り、自ら単身ロシアに渡って満韓交換論(満州でのロシアの権利を認める代わりに、朝鮮半島での日本の権利を認めてもらおうとする考え)を提案するものの、ロシア側から華麗にスルーされます。

今の中国は台湾を併合し、南から日本に匕首を突き付けようとしていますね。
左派系の野党及び自民党親中派は何かと中国に忖度しますが、日露戦争時と同様に安全保障という観点では得られるものは何一つないでしょう。着々と台湾併合の準備時間を相手に与えるだけです。そしてこちらが親中派の主目的なのでしょうが、多くは彼ら自身の懐が豊かになるという、一般国民からすると激怒ものの算段になっています。

明治の日本では小村寿太郎らが対露強硬策を主導して、当時世界最強だった英国との同盟締結にこぎつけました。この同盟の意味は大きく、日露戦争における日本側勝利にも貢献をしたのはご存じの通りです。
一方、今の日本は同じく現在世界最強の米国との同盟です。

あの時とは異なるプラスの要素として、100年前は日本から見て緩衝地帯であった朝鮮が国家としての体を成しておらず、ロシアに一方的な依存姿勢だったのに対し、現在の台湾は東アジアでも日本に次ぐ整った民主主義国家として、中国にしっかり現政権が対峙している事。
そしてこちらは大変なマイナス要素ですが、日本国内にあまりにも多くの経済・政治領域における中国勢力が浸透している事でしょうか。


画像:台湾総督府 出典:画像フリーサイト「photo AC」より

● 歴史と地政学を結ぶ直す必要性

この手の歴史の相似性は中学・高校の歴史授業レベルの知識があれば多くの人がすぐに気付けると思うのですが、逆にこのような発想に至る事が出来ないとするなら、現在行われている歴史教育なんて全く意味はありません。
歴史を「暗記科目」としている時点で大失敗なのです。
歴史と地政学は明確にリンクしています。人や制度は時代と共に変わっても、島や陸地はそのまま不変に存在し続ける為、地政学上この宿命は古来から繰り返されています。そしてこれからも。
日本人は大陸との関わり方を、歴史上の経緯から体系的に学ぶ必要があると思いますよ。日中友好とか、上っ面のおべんちゃらは必要ありません。

● 日本が「中国を助けた」戦後外交の帰結

そもそも一党独裁共産主義の毒性を内在させたまま、中国を西側サロンの仲間入りさせたのが世界にとっての大間違いでした。
しかもそれを大いに手助けしたのがこの国・日本です。
1989年の天安門事件の後、世界各国で行った経済制裁をいち早く解除してチャイナを助け、1992年には天皇訪中も実現させてしまいました。当時の中国・銭其琛外相は引退後の回顧録で「天皇訪中が実現できれば、西側各国が科した中国指導者との交流禁止を打破できる」とその狙いをハッキリと書いています。
やがて、多くの日本企業が中国詣で。

戦後、中国が政治的な意味で日本の国益になるような事に貢献してくれた記憶ってありましたか?鄧小平時代にごく僅かです。結局、日本ばかりが貢献し続けたんですよ。

● 中国市場で活躍する世界的経営者の残念な感覚

中国を助け、太らせ、そして安全保障上、追い込まれつつある日本。
2005年12月27日の東京新聞では、

「なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか」「政治が経済の足を引っ張っている」

と当時の小泉純一郎首相を厳しく批判した日本人経営者がいました。
中国市場を相手にする企業経営者が、靖国参拝によって外交関係が悪化する事を懸念すること自体は、現実的判断として理解出来なくはありません。
しかし靖国参拝の意味を「個人の趣味」という、極めて私的・軽量なカテゴリに落としている感覚には、歴史を歴史として捉える視点が決定的に欠けていると推察せざるを得ないのです。右であれ左であれ、歴史観を持つ人間からは「趣味」という言葉は絶対に出て来ません。

私は昔から日本の中国進出企業に対し「他の欧米企業とは異なる日本のみが抱える中国のカントリーリスク」をどこまで真剣に考えた上で、進出の是非と規模を決定しているのか疑問を抱いていました。
そして今のこの現状の日本。自分の祖国ですから「自業自得」と突き放すわけにもいかず、せめて多くの日本人が歴史の教訓に気付いてほしいと願う次第です。

● 国内における宥和派と強硬派の攻防

11月21日、日中外相電話会談(11月18日)の際に中国からの訪問要請があった事を林芳正外相自ら公表し、前向きに検討する姿勢を示しました。外務省は会談後の発表で訪問要請の事実を伏せていたにもかかわらずです。
普通は訪問を断るケースも有り得る場合、相手のメンツを考えて訪問要請は公表しないものですから、中国は大喜びでしょう。そして同盟国・米国は眉をひそめたはずです。
林外相が不適切な態度を取ったものだから、安倍元総理が12月1日に「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と発言しました。これは勿論、中国及び岸田政権親中派への牽制と、米国を意識してのものでしょう。安倍元総理は特に国際的に影響力がありますから当然、中国激怒です。分かりやすい国ですね。

上でも書いたように、日露戦争前も対露宥和派と対露強硬派の対立がありましたが、今度は相手を中国に変えてとなります。
改めて一つ言える事は、仮に中国宥和政策を取ったとしても中国の拡張政策が止まる訳ではなく、それを利用していっそう日本を圧迫して来ます。古今東西の歴史において外交上、宥和政策が成功した試しは殆どありません。

● 宥和か抑止かーー日本が選ぶべき道

現時点での中国による台湾併合への外交攻勢と、武力準備の度合い及びその可能性の分析は専門家に任せます。
しかし、いずれにせよ今の日本は日露戦争当時の「そのうち国運を賭けて開戦へ」といった前時代的選択肢を現代の価値観からも能力的な意味でも持ち得ないのだから、外交的に世界最強の同盟国・米国と歩調を合わせ、安倍元総理が構築したクアッド(日米豪印戦略対話)などに積極的に働きかけていくしかないでしょう。

歴史は、同じ形で繰り返されるわけではありません。
しかし、地理と大国の力学が生む構図は、驚くほど似た姿で再来します。
日露戦争前夜、日本は「宥和か抑止か」という選択を迫られました。そしてその判断は、国家の命運を左右しました。
現在の日本もまた、同じ問いの前に立たされています。

歴史は未来を予言しませんが、無視した者にだけ容赦なく同じ代償を支払わせます。歴史を学生の教科書的暗記で終わらせるのか、警告として読み取るのか。その差が、これからの日本の進路を大きく左右する事になるでしょう。