『愛はステロイド』感想

2025年9月3日、愛はステロイドを見てきた!
最高映画だった!!うまく言葉にならない〜暴力も筋肉も男の特権じゃないし、規範的ではないクィアが大暴れしてんのがいいし、クィアを描くことの罰のように死が用意されるんじゃなく特大のファンタジーとあっけらかんとした生がある。死なない永遠の逃避行はただのランデブーになる。
愛はステロイドという邦題があまりにも最高じゃないか?そのままのタイトルよりもずっと魅力的で、作品の中毒性や幻惑性や暴力性を端的に表しててめちゃくちゃよい〜!

あらすじ
ルー(クリステン・ステュワート)と、ボディビルで名をあげることを目指しながら旅をしているジャッキー(ケイティ・オブライエン)が出会い、2人は恋に落ちる。しかし、町の裏社会を仕切るルーの父親をはじめ、ルーの家族が抱える闇に二人は巻き込まれていく…。

クィアであることを表明してる監督と主演2人で映画を作るとこんな叫びたくなるような作品が生まれてくるんだなあと思った。おもしろい!下品でお行儀の悪くて暴力的で血まみれでエロくてグロテスクで全然正しくなくて欠点のある人間としての生々しいクィアネスと抵抗と反抗のためのファンタジー

愛ってべつに高尚でも純粋無垢でもなくて、暴力的で即物的で痛みや憎しみを簡単に増幅させ人を衝動的にするし、依存を生み心をめちゃくちゃに破壊してしまう場合もあって、全然良いことばかりではないが力の一形態ではあって、ずっと抑圧されてきたルーの大切な痛みと怒りと憎しみを逃げられないくらいに目の前に引きずり出したのは、破天荒な運命の女ジャッキーだ。運命の女によって抑圧による偽りの秩序がめちゃくちゃにされる。

レズビアンのルーがジャッキーとキスをした時に言う「ノンケの思い出づくりじゃないよね?」とか、2人が出会う前にJJ(ルーの姉の夫)とジャッキーが関係を持った事があると知って「誰が相手でもいいんだろ」と言ったりとか、クィアの切実さもあるし(レズビアンからバイやパンセクシュアルへ向けられる)偏見があったり、家出中のジャッキーと同居してご飯を作ってやったり、激しい口論をした後に結局セックスが盛り上がって収束したりしながらルーとジャッキーは愛を深めていく。
ルーは姉のベスがJJからDVを受けている事に怒りJJを殺してやりたいと思いつつも、DVを愛だと思い込んでいる姉のことを心配し守ろうとすることで、本当は父の支配から抜け出したいのにそうできない自分への免罪符にしていたりする。ベスがJJから殴られすぎて意識不明になり、それでもJJが裁かれることがない悲しみと憎しみに暮れるルーのためにジャッキーがJJを殺す。ルーからもらったステロイドで既にバキバキの筋肉だが、愛によってその肉体がさらに盛り上がり凶暴化する。そしてルーはジャッキーのために殺人を隠蔽する。愛は決して良いものではなくて、時に過剰に暴力的になり見境をなくさせるものでもある。

ルーはたびたび掃除をしている。ジムの詰まったトイレの汚物を、ジャッキーが殺したJJを、町の支配者であり凶悪犯である父の右腕として父の邪魔者たちを、ルーとジャッキーの行く手を阻もうとするルーに片思いするデイジーを。ルーは人間が殺された時の痕跡の片付け方をよく知っている。父親から欲しかったのはたぶん愛なのに与えられたのは支配と邪魔な人間の片付け方なんだ。
ルーはジャッキーがJJを殺してから何度もジャッキーに自分の言う事を聞けと言う。ジャッキーを守るためだと。姉のベスがJJからの支配を愛だと思っていたように、ルーもまた父親からの支配を嫌だと思いながらも受け入れてきたように、ルーは愛しているからジャッキーを支配しようとする。ジャッキーはステロイドによって美しく盛り上がった理想の肉体へと邁進し、愛によって心も身体も膨張し凶暴化しその支配を全部ぶち壊していく。

クライマックスシーンが、誰もが度肝を抜かれただろうけど本当に笑っちゃうくらいヘンテコで最高に良いシーンだった。痛快だ。ルーのピンチに駆けつけたジャッキーが巨大化してルーの父親をいとも簡単に押さえつけ、ルーは銃を父親の口にねじ込む。支配被支配の逆転、力の勾配の反転、朝と夜の間、マジックアワーの幻想的な光の中でふたりは全てのしがらみから解き放たれるように走っていく。
クィアはよく物語でも殺されるけど現実が困難であるという理由で再生産するみたいに、あるいはクィアを描くこと自体の罰みたいに死や離別の結末しか用意できないのは単なる怠惰に思える。
愛はステロイドでの親子の不和はクィアだからというわけじゃないし、ルーもジャッキーもまったく規範的ではなくむしろ有害なんだけど、自分たちを支配しようとするもの全部ぶっ壊して生きるのが良い。
あのファンタジーみたいな巨大化のあと、何事もなかったみたいにふたりで逃避行をする。そのトラックの荷台で息を吹き返したデイジーを、ルーが片手で首をしめてあっさりとどめを刺し、禁煙してたのにデイジーの死体からタバコを拝借して一服してしまう。弔いの線香というよりも、やれやれというような面倒な一仕事を終えたあとの一服だし、ジャッキーは助手席でなんとも健やかに眠っている。

犯罪者2人の逃避行は『テルマ&ルイーズ』をすこし思わせるけど、もっとずっと凶悪で最悪な選択をした上で最後に死んでしまうこともなくあっけらかんと明るく続いていく生で終わる。鑑賞に耐えうる美しさをあらかじめ要求されるような規範に沿った礼儀正しい歴史的な物語でもなく、無害であることをことさら証明させられるようなマジョリティに迷惑をかけない許容範囲内のクィア表現でもない。それが最高に楽しかった!
家父長制に中指を立てつつ、女もまたそれを再生産してしまうところが描かれていてそれも良かった。

『愛はステロイド』作品そのものはめちゃくちゃ最高だが、A24公式がルー役のクリステン・スチュワートやジャッキー役のケイティ・オブライアン、ローズ・グラス監督のインタビューやメッセージを謎に過剰な女言葉で表現するのは嫌だった。

愛はステロイドのパンフレットの写真