imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

天山南路を往く 25

八楼から紅山公園へ

 重厚な崑崙賓館に入ってトイレを借り、再度八楼のバス停まで戻って前日バーで紹介してもらった市内の観光地「紅山公園」に移動する。バスは当然2路のクリーム色の車体のを待って乗りました。気温も上がってきて結構暑いのだけれどバスは快適で紅山まで移動しました。バス停留所を降りてスマホの地図どおり地下道をくぐって反対側の公園へ。さらに高速道路の反対側の山が目指す紅山公園と分かりこの高速道路をどこで渡るかで頭をひねる。相当大わまりして橋を渡ってビルの立ち並ぶ街に出てきました。ここまで30分くらい。そろそろ腹も空いたので近くのマクドナルドに入りハンバーガーとコーラで昼メシとしました。

マクドナルド烏魯木斉・紅山にて

チーズハンバーガーセット 美味し!

 店を出て坂道にかかったのでやって来たバスに乗り坂の上の公園入口まで。暑いので歩くのキツいです。公園に入りさらに山の上まで行くバッテリーカーの切符を買ってゴトゴトと山を登ります。山頂近くで降ろされると後は徒歩で山頂まで歩きます。観覧車とか展望台があって展望台からは烏魯木斉市内が一望です。また霞んだ空の彼方に遥か天山山脈の雪の峰も観ることができます。

紅山山頂をアタック

烏魯木斉の近代的市街地を見下ろす

 

 山頂には、アヘン取り締まりで名を挙げた欽差大臣の林則徐の銅像がありました。彼はアヘン戦争で英国艦隊の威力の前に屈した清朝政府によって新疆のイリ地区に左遷されていたのです。しかしここでくさることなく現地での水利事業に尽力するなど地元の人民から慕われるほどの善政を敷いたといわれています。

欽差大臣・林則徐閣下

 再びカートに乗って下山。とにかく暑いのでいったんホテルまで帰ることに。バスに乗って北門まで出て歩くとすぐだったが、バスに乗らずともそう遠くはない。夜間の冷房が効きすぎたのか、なんだか夕べから喉が痛いので薬屋によって薬剤師に訴えるとなにやら「これ絶対お勧め!」といった感じで黄色いパックに入った漢方薬を売ってくれた。
 それを飲んで昼寝をして起きたら夜の7時。外はまだ明るい。のろのろと起き出して最後の晩もビア・バー「10年老店」へGO!
 今日はいつもより遅いのでお客も少し入っている。適当にビールを頼むと柿ピーと一緒に持ってきてくれた。

ビールと柿ピー(最高のコンビネーション!)

 テーブルの向こうの女性二人はどこか他店で買った焼き肉の串を持ち込んでいる。勘定を済まして店員君に「君たちはビールは飲まないのか?」と尋ねたら「飲みますよ。あ、でも仕事中は飲みませんw」と言う返事。「俺、今日で烏魯木斉を離れるのでみんなに一杯ずつおごらせてくれよ。」と言ったら店員君は「謝謝!」と言って握手を求めてきた。三日通えば常連だw

 

天山南路を往く 24

「八楼」の想い出とは

 前回書いた記事で触れた烏魯木斉市内循環バスの「2路」に乗って「八楼」の停留所に行くのは翌日のことになる。前日は昼飯を大盛りのポロ飯で仕上げたため、あまりお腹が空いていなくて前日に行ったビール屋さん「十年老店」でビールを飲み、店員さんに市内の見るべき場所を聞いて帰って来た。店員さんのお薦めの場所は、景色のいい紅山公園、美味いものが喰える和田二街、博物館ということだった。博物館は行ったので、明日は紅山公園に行くことにしよう。そしてその前に「八楼」を訪れることにした。

 で、「八楼」すなわち八階建ての意味なのだが、昔の烏魯木斉市内には八階建ての建物は珍しくそこに出来たバス停留所だから「八楼」の名が付いたわけである。こんな話がある。「烏魯木斉に暮らすせがれを訪ねて田舎からやって来た老人が烏魯木斉の駅前で道が分からず困っていたそうだ。周りの人々はお爺さんに息子の仕事場について何か知っていることはないかと尋ねた。お爺さんは、『そう言えばエレベーターとか言うのが有ると言っておった!』と話したところ、周りの人々は皆口々に『あ、それは八階建てのあの建物だ!』と叫んだ。そう、そのビルこそ当時烏魯木斉で最高のホテル『崑崙賓館』だったのだ。」という逸話だ。

新疆崑崙賓館正面

 というわけで翌朝はまた地下鉄に乗りその名も「八楼」駅まで向かったのであった。

八楼のバス停にやってきた

 もうすでに八楼停留所はきれいにドレスアップされていた。

八楼停留所に設置されたバス 内部は記念品売り場

 この停留所は当時のバス路線のもので多くの労働者がこのバス停から乗り降りしていたわけである。従って多くの市民がこの停留所と2路バスに愛着を持っているわけだ。みんなバス停の前で写真を撮っている。僕は愛着がわいたのが昨日のことだがやっぱり写真を撮った。

 崑崙賓館は烏魯木斉市内で当時最高のホテルだったと思う。多分当時の「地球の歩き方」にはこのホテルしか宿泊場所は載っていなかったのではなかったろうか。ソ連人の技術者を泊めていた歴史のある重厚な建築であり、同じ場所で現在も改築が続いている。市役所などの公署に近く、友好訪問団などに入ってこの地に来た人はお世話になったホテルではなかったろうか。ただ市場や繁華街からは遠く、静かで治安はよいが夜になると何とも不便な場所だったろう。まあそのころの中国旅行とはそんなもので、ホテルの中の売店や骨董品屋、書画店などでお土産を買えば十分なものが買えた。食堂もホテルのレストランで三食食べればおいしい新疆料理が出てくる。そういう旅が懐かしい。
 

天山南路を往く 23

烏魯木斉市公共汽車2路の想い出

 半日籠もっていた新疆ウイグル自治区博物館を出ると何故か警察のバスが敷地に入ってきた。降りてきたのはアフリカからと思われる貴賓の集団。みんなで博物館前にそろって記念写真。

 俺は博物館前から国際バザールに向かうべくバス停に。いろんな路線がこの停留所を通っており路線図からバス停「二道橋」にむかうバスを探す。すると市内を環状に回るバス路線「2路」が目に入った。「ああ、これならわかりやすくて良いよね~」と直感し来るバスを待つ。スマホの地図で路線をクリックすると現在運行中のバス位置まで表示されあと何分待てば今いる停留所までバスが来るのかまで表示してくれる。やがてやって来たクリーム色の2路バスが停留所に止まった。女性の運転手が乗っている。手元にあった1元コインを料金箱に放り込んで乗車。いろんな路線のバスと並行して走り出すが、やがてこのバスだけがクリーム色のバスだとわかった。環状線の観光客向けのバス、いわゆる「游○路」バスみたいなものかと思ったがどうもそれだけではないらしい。

2路の想い出

 GO!と書いているポスターを見るとただの市内遊覧用バスというだけでなく、何か烏魯木斉市民の記憶に残る追憶のバスが「2路」であるようなのだ。だから他の路線とは別格のあえてクリーム色の赤いラインのどこかクラシカルな想い出バス仕様の塗装になっているわけだ。

 二道橋に降りて国際バザールを歩くが、まあ今まで見てきたような美食街が連なる通りで、確かに烏魯木斉ではウイグル人濃度の高い地区になっている。ここではポロ飯を食べておなかを満たしたが、再度バス停に戻ってこのバス路線の物語を見てみることにした。

歌手である刀郎の2曲

 この二道橋は「関于二道橋」という歌の舞台になっているし、「2002年的第一場雪」の歌詞の中にも「八楼のバス停に停まった二路のバス~」という歌詞が見える。

 歌はここから聴くことができるよ。

youtu.be

 八楼というのはバス停の名前で「八階」という意味だけど、どうやってバスが八階に停まれるのかは実際に明日「八楼」に行って確かめてみることにしよう。

「二道橋に関して」の歌はこっちです。両曲とも良い歌ですね。

youtu.be

天山南路を往く 22

新疆ウイグル自治区博物館

 朝から新疆ウイグル自治区博物館を見学。朝一でいかないと混みそうな予感がしたのでタクシーで移動。新疆はタクシーの台数が多く、高徳打車などのアプリを使わずとも手軽に車を止めて移動が可能でした。博物館は西北路という広い道に面しており既に入り口前にはたくさんの観光客が開門を待っている。最初に入場券を買いに窓口まで行きパスポートを見せると高齢者サービスで免費。プリントされた券を持って入り口に移動し荷物検査を経て入場した。大きな博物館で、入館すると一階の一部は工事中で閉まっていたが二階から上の展示は見ることができました。

 特に人気があって展示室の入り口に案内の人が立っている展示がおなじみの新疆のミイラ展示。これは人気があります。日本で時々開催されるエジプト考古学の展示では必ずミイラが呼び物になっています。「美しいスカラベ」とか「神秘の死者の書」とか「ミイラを納めた芸術的棺」なんかははっきり言ってどうでもいい。断然ミイラのご本尊がないと展示にならない・・・、と俺は思うんですがどうですかね?

新疆出土 古尸陳列

 和田の博物館でもミイラを展示していて、展示物を写真に撮ることも特に制限はなかったんだけれど、この博物館では遺体以外の展示は撮影自由なのだが、ミイラの前に「撮影禁止」の看板を持った係員が立っていて撮影はできないようになっています。

和田の博物館に展示されているニヤ遺跡で出土した夫婦の遺体(既出)

  特に有名なのは「楼蘭の美女」と称される楼蘭鉄板河遺跡で発見された紀元前19世紀頃の遺体です。これは残念ながら写真はありません。

楼蘭の美女」解説のみ

 なお、警察の専門家による生前の容貌復元が成り、生前の頭部像が造られ展示されています。この辺の考古学と犯罪科学の融合がおもしろいですね。

 それと今回特別展示なのか「シルクロード楽器展」が開催されていました。冒頭にも書いたけれど唐代の詩人の作品に、「胡笳」という楽器を胡人が吹く様子が描かれていました。その胡笳とはどういう楽器なのか実物を見てやろうと一所懸命探したのですが、ありませんでした。残念!

シルクロード楽器展

 

「五星東方」展示

 さすがに自治区の博物館だけあって、例の「五星東方」に関する展示の周密さは群を抜いていました。ニヤ遺跡で日中合同考古学調査隊が発見した錦の肘当てはこの博物館に所蔵されています。

国家宝蔵!

 ニヤには精絶国という国があり、発掘されたのは95MNI 号墓地といわれる墓地群。その国王夫妻墓といわれる8号墓から出土したのが「五星東方」の肘当てだったそうです。

 その「五星」って何?とか「東方」ってどこ?とかいう疑問に答えてくれる展示もあって、今回行った新疆各都市の全部の博物館で取り上げられていた「五星東方」の謎が、今回の新疆ウイグル自治区博物館でほぼ解ったように思われます。

 

天山南路を往く 21

烏魯木斉の夜

 あっという間に夜が来て、といいたいがここ新疆では夜が来るのは遅い。北京時間ではとっくに夜8時なのにまだまだ午後4時くらいの明るさだ。これには本当に困ってしまう。晩飯を食べるタイミングがよくわからなくなるのだ。でもおなかもすいたしホテルを出ると文芸路を北東に歩く。人民電影院もあるし、八一劇院(八一は解放軍のシンボルだ)や芸術学院もあるからそういう名前がついているのだろう。ぼつぼつ道路脇に店も出始め夕食のにおいも漂ってくる。と、ぽつぽつ雨が降ってきた。新疆ウイグル自治区で初めての雨だ。すぐ雨はやんだが何か珍しいものを見た気がした。夜が近づくと急に気温が下がり始め、ちょうど外歩きにはいい温度である。急に薬局が増え始めた。河南省の霊宝を歩いた経験では近くに大きな病院がある兆候だ。案の定、烏魯木斉市第一人民医院児童医院という大きなビルが建っていた。小児科医療の救急部門らしく入り口には担当医師の大きな顔写真と経歴が張ってある。見るとみんな省外の小児科病院の高名な医師らしく、この病院に常駐しているのではないのかもしれない。あるいはネットを使っての問診や診断の援助などをしているのかもしれない。その辺はよくわからない。

烏魯木斉市第一人民医院小児科ER

 病院の門前にはおもちゃ屋さんの屋台が出ていて、患者の子供さんに買ってあげるために繁盛しているようだ。まあ、何にでも需要とそれに見合った供給の道がある。

 ここは烏魯木斉地下鉄の「北門」駅があり、ホテルから歩いて10分くらいのところにある。そこから地下鉄でひと駅の「新興街」に移動し地上に出る。

地下鉄を出るといい感じに暮れなずむ街があった

 ここまで来たのは、「地球の歩き方 西安敦煌ウルムチ」の中で「AKFビール実験室」なる店が紹介されており、今まで比較的地方の都市を歩いてきたので都会的なバーにも入ってみようと思ったからである。だがそれらしい店は見つからない。目印になっているホテルも消えており、コロナ流行をのり越えた時間の流れの残酷さを感じた。しかしビルの狭間の奥まった場所になにやら怪しい赤い光がちらと見えたのでさっそく接近してみた。

「10年老店」

 「10年老店」と屋号があり、開店以来10年を経た店であることが解る。張り紙には「各地のビール工場と注ぎ口をつなげてるよ」的な字が見える。「ここだ!」

 

各種のクラフトビールの注ぎ口が壁から生えている図

 さっそく入店してお勧めの銘柄を訊くと「果実系がいいですか?それとも薫り高いのがいいですか?」と訊かれたので果実系を頼むと「桜桃」なる銘柄をチョイスしてくれた。

桜桃&柿ピー

「10年」のタンブラーとおつまみは柿ピー!これでいいのだ。甘いサクランボの風味のビールが注がれている。美味い!

ギネススタウト

 二杯目はギネススタウト。500cc缶をサーバーに逆さにはめ込み1パイントグラスに注ぎ込む。おいしいです。仙台のバーで飲んでいるみたいだ。ここが気に入ったのでウルムチ滞在中は通うことにした。3日も通えば常連だ!?

 

天山南路を往く 20

トルファンからウルムチ

 トルファンは緑が多くて静かないい街だ。街路樹が繁っていて、歩行街の頭上には葡萄棚が広がって陽の光を遮ってくれる。陽の光と言えば、南彊ではついぞ見なかった青空と太陽、月の影、そんなものがはっきりと見える。ホテルの18階から遠望すれば遠く火焔山の赤茶けた山肌も見える。夏から秋に変わろうとする季節の移りが空気から感じ取れる、そんな街だ。

 夜にはホテルの向かいにある公園にたくさんの市民が集まって来て、スピーカーから流れる音楽にのってたくさんの踊りの輪が出来る。そういう人びとが、自らの平和な暮らしを大切にしている雰囲気がある街だ。新疆に来て感じられるのはそういう居心地の良さと言っていいだろう。トルファン3日目の朝、この街を出て行く。最後の目的地はウルムチである。

 当初、高鉄に乗ってウルムチまで引き返そうと思ったが、時刻表を見て考えを変えた。トルファン北駅を1220に出発するK9785列車に変更してのんびりとウルムチまで向かうこととする。この列車は喀什を出発して、和田から若羌を経て格庫線に入り、タクラマカン砂漠を横断し、ロプ・ノールを通ってトルファンまでやって来た列車だ。終点はウルムチなので、俺が和田から乗ってきた鉄路を逆周りで来たことになる。そんな夢のような列車に一部なりとも乗らなかったら後悔するに決まっているではないか。

吐魯番北駅から緑皮車に乗る

カシュガルから和田経由で砂漠を横断しやって来た烏魯木斉行きK9785列車

 そう思ってすぐに後悔した。トルファン北駅に来てちょうど停車中の同列車に乗り込む。2時間ほどの乗車なので硬座を予約しておいたのだが、それが大量の荷物を持った乗客で埋め尽くされひどい混みようだ。頭上の荷物棚はすべて埋め尽くされ、予約した席もなんだかおっさんがふんぞり返っている。硬座取るとたいていはこういう目に遭う。決まっておっさんが座っているのだ。にこやかにこの席の占有権を主張したら何やら呟きながら別の席に移って行った。最初から自分の席に座って居れば良いものを、おっさんはそうはしない。しないからおっさんなのだ。

 あまりの混雑に列車長さんが登場し、棚の荷物を整理し始める。きっちり詰めればちゃんとはいるのだ。暑い車内も走り出すと空調が効いてきて過ごしやすくなった。

 線路はスラブ軌道で時速100km以上の高速で走り抜ける

 烏魯木斉の鉄道駅は2つあって、片や烏魯木斉南、片や烏魯木斉である。先に停まるのが烏魯木斉「南」駅、次が烏魯木斉駅だ。カシュガルから寝台で到着して高鉄に乗り換えたのが烏魯木斉駅だったので、今回も烏魯木斉駅まで数分乗車して降りることにしたが実際にはこれは避けた方がいい。なぜならこの駅は大きいが空港に近い、市中心部からはいささか離れた駅なのだ。市内中心部の国際大バザールなんかに近い駅は「南」駅なのでそちらで降りるのがいいだろう。今回はタクシーで繁華なロータリーに面した人民電影院そばの亜朶酒店に宿を取った。さすがに新疆ウイグル自治区の首都だけあって高層ビルもたくさんあり、砂塵も少ないし繁華な町です。

人民電影院とホテル

 人民電影院は古い歴史がありそうな映画館で、南京事件の映画なんかをやっていた。繁華街なので武装警察が車両を出して警備中。もうこの光景には慣れてきたが、実際には中国全土で繁華街にはこういう警備が当たり前である。

 腹が減ったので、近所のチェーン店と思われる「エビ餃子」を売り物にした店に入る。せっかくだからエビ餃子と羊肉の串焼きを頼む。で、やって来たのが

おしゃれなシートにのった羊肉串焼き

そしてぷりぷりとしたエビ餃子

いやー、なんかなあ。少なくともこうじゃあねえんだよな~。都会的すぎるというか洗練され過ぎなんだよ。ギトギトしてないし。

天山南路を往く 19

トルファンでの外貨兌換

 酷暑の中、何とかトルファン名所巡りを完遂。タクシーは貸し切りで500元、100元のマネージャー氏へのコミッション込みで600元となった。まあこの額は妥当なところだろうなと思った。なにせ効率よく見どころを回りたいし、訪問箇所の選定とかドライバーさんとの連絡とか些事はマネージャー氏の交渉に依存しているからだ。ドライバー氏はマネージャー氏の友人でいいヤツだとの評価なので安心してお願い出来るという利点もある。話がついて、お金を支払おうとしてつまずいた。金額が大きくなると、スマートフォンのバーコード支払では対応できないことがある。現金の持ち合わせがないので、トルファンで初めての外貨兌換を実行しようとする。

 昼休みに近くの中国銀行に向かったら、すでに閉店。真っ昼間なのに・・・。道の対面の中国工商銀行に行ったがやはり閉店中。よく調べてみると、夏は午前中の営業が終わると次は4時まで昼休みで開いていないのも納得。開いていないというのは本当に店が閉鎖されていて、「ひと気が無い」というのはこういうものかと。

 4時になったが太陽はまだ空高く輝き、夕方というには程遠い。しかし意を決してホテルを出発。暑いので葡萄棚の続く通りを歩き中国銀行に。なんだか日本銀行みたいだが、所謂国立銀行は「中国人民銀行」という別の組織。人民が付いている方が偉いのが中国だ。

 今度は開いていた中国銀行に入店すると、10人ほどの顧客が順番待ち。店全体が午後の和やかで落ち着いた雰囲気に満ちている。やがて漢民族らしいフロアマネージャーというか支店長さんというか、りゅうとした身なりの男性が寄ってきて何やら話しかけられる。英語で話せますか?と聞くとさすがバンカー、英語が普通に通じる。日本円を人民元に替えたいんだが、というと現金扱いの窓口の列に並んで座って待ってなさいという指示。なんだか希望が見えてきた。隣に座ったおじさんが色々話しかけてきて、両替をしようと思って持っていた壱萬円札を俺の手から取り上げるとしげしげと眺め「これ、人民元でなんぼになるの?」とか訊いてくる。周りにどんどん人垣が出来て俺の壱萬円札はみんなの手から手に渡っていく。なんだか初めて訪中した時に日本人を物珍しそうに眺めていた同志たちを思い出した。

 順番が来てなんだか何十万元もの札束を無造作にビニール袋に入れておじさんは手を振って帰って行った。俺の番が来て窓口に座ったが担当の女性行員は胸に「研修生」のバッチをつけている。色々やりとりしたが、結局「私には両替する権限が無い。」と言われてしまい、「あっ、そうでしたか。」としか言いようのない状況に。

 やがて彼女の先輩の、この人は明らかに漢民族ではない女性行員がやってきて別室で対応してくれることに。そこへ支店長氏が学生風の若い男性を連れて部屋に入ってきた。何かやりとりをして、学生さんはカウンターに座っている俺の肩越しに自分の銀行カードを行員に差し出した。「え、この人の銀行口座と俺の両替何の関係があるの?」と誰もが思うだろう。それから女性行員さんはこう言った。「この銀行では外貨兌換の機能がありません。そこでこの学生さんに今から外貨預金口座を開いてもらい、そこにあなたの日本円を入金します。今日の交換比率でその分の人民元を学生さんからあなたに支払います。」

 なるほどそうか。俺は学生さんから弐萬圓分の人民元をいただくことになった。「日本に来る予定でもあるの?」と聞いたが、「私は学生なのでそういう予定はありません。」という答えだった。純粋に困っている日本人に便宜を図るためにそんなことまでしてくれたのだ。こういう無私の善意にすがって俺は新疆を旅している。学生さんとその友達4人と握手して別れた。俺はこの地域で嫌な思いはしたことがない。今日も銀行の支店長、行員さん、札束のおじさん、学生さん、みんなの善意あふれる行いに支えられて楽しく旅を続けている。ありがとうございます!

吐魯番市内を見下ろす(右手奥の山塊が火炎山)