久しぶりの出張で酷い宿を掴まされ、自棄酒を飲みながら(といっても小ちゃいのを一つ)本作を観ていたのだけど、酒で溶けた脳みそでも「凄いなぁ」と思うほど手描きのパワーを存分に思い出させられた。
当時の流行だったオムニバスの形式で、少女が猫と共に不気味な場所へとピエロに誘われてゆく冒頭と締めの「ラビリンス*ラビリントス」からして強烈で、人物の手足や背景の歪み、落ち着かない不気味な音、少女やその母親らしき女性の温度を感じない喋り方、どれをとっても感覚を狂わされる。思わずツッコミたくなるような隙すら容易に与えないから、あっさり現実に引き戻されるようなこともほぼない。
これに挟まれるようにして2作品が鎮座していたわけだが、どちらも負けじとトラウマ物の迫力で、川尻監督の「走る男」は80年代のサイバーパンクを匂わせる潰し合いレースの孤独なチャンプの末路を描き、兎に角尋常じゃ無い勝負への執念、というかもはや怨念のレベルに至ってしまった男の最後をこれでもかと見せつけていた。
懐かしい感じのコンソールが格好良い
圧巻の絵力にグーの音も出ない...
大友監督は大友監督で、誰もが羨むようなスタッフ(作画監督”なかむらたかし”、原画”森本晃司”)と共に、どこぞの国ででかい工事を受注していたのが政権交代で中止を余儀なくされたものの、全自動で機械任せにしていた現場が勝手に工事を進めているためサラリーマンである主人公が1人で止めに行くという有りそうで、そんなの無いだろうという、当時高度成長期にあった日本ならではプロットである「工事中止命令」が怖いやら滑稽やらで面白かった。
鼻息荒く工事を止めに来たものの
機械がひとつも言うことを聞いてくれなくて疲労感がつもっていき...
今時の作画スタイルに馴染んでしまった若い視聴者が、手描きの荒々しい躍動をどう感じるかは知る由もないが、けして懐古趣味の一言で片付けて良い作品では無いだろう。もしも本作を今の技術を用い、これ以上の仕上がりで僕らに観せることが出来るというなら話は別だが、まず無理だ。そもそも無駄に綺麗な仕上がりになったら、この味わいは損なわれるだろう。
「この時代だから創れた」
今の時代が作っている物も然り、その時時にしか生まれない物があるのだ。古いとか新しいではなく、その時代その時代の良さに気づける自分でありたいものである。













