えちこの旅ブログ

知的好奇心のおもむくままに

MENU

戦後80年 長崎の平和公園周辺をめぐる旅(プラス推し活での特別体験を添えて) 前編

あれから80年 長崎の地で「クスノキ」を合唱

今年は第二次世界大戦終戦から80年の年。

それは、原爆投下から80年を同時に意味しています。

1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町上空に世界で2度目の原子爆弾が投下され、約7万4千人の方が犠牲となりました。

その中には、私の祖母の親族の方や祖父のご友人も含まれており、また祖父自身、人生の選択肢の一つを違えていれば、その犠牲になっていたかもしれません。

今私がここに存在しない未来があったかもしれない。

そんな話を子供の頃に聞いていたこともあり、80年の節目である2025年8月9日には、長崎の地へ行こうと以前から思っていました。

そんな矢先、8月9日にNHKで生放送される歌番組『MUSIC GIFT 2025 ~あなたに贈ろう 希望の歌~』内で、私が大ファンである福山雅治さんが、長崎スタジアムシティからパフォーマンスを行うことが発表されました。

長崎ご出身の福山さんは、2014年に被爆樹木をテーマにした「クスノキ」という楽曲を発表されており、今回はその楽曲を披露されるということ。

そして、そのパフォーマンスに参加する5000人の合唱隊兼観覧者を募集するとのこと!!

行こうと思っていた長崎で、推しにも会えるなんて。しかもテレビ中継に一緒に参加できるなんて。応募しないわけがない。

正直、倍率も高そうだし当選すると思っていなかったのですが・・・

見事、当選しました。

応募総数は約4万5千人だったそうです。

9倍の倍率、勝ち取りました。

ちなみに、昨年長崎スタジアムシティのこけら落としライブも倍率10倍の中、勝ち取り参戦しています。

ファン歴30年超えの執念です。自分でもびっくり。そりゃ今年、雨女にもなるわ。ここで運使い果たしてんだもん。

そんな訳で、推し活も加わった長崎の旅。

行きは新幹線と特急を乗り継いで、大阪から長崎へ向かいます。

f:id:iechiko:20250821192856j:image

乗り換えの博多駅。

ここにもいたわ、ミャクミャク様。ほんと、君はどこにでもいるね。

f:id:iechiko:20250821192912j:image

今回の会場となったのは、長崎スタジアムシティのHAPPINESS ARENA。

今まで何十回とライブには参戦してきましたが、歌番組のパフォーマンスに参加するという初めての経験。本当に貴重で素敵な体験をさせて頂きました。

ちなみに、家に帰って録画を見たら、福山さんを正面から捉えたときに、すみっこの方に私いました。本人しか気づかないレベルの不鮮明さではありますが。

これは、ついに押しとテレビ共演を果たしたといっても過言ではありません。

f:id:iechiko:20250821192659j:image

大満足にゃ。

ちなみに、数週間前にネットニュースをざわつかせていましたが、長年のファンからすれば「福山さんが下ネタ発言するって、全く特別なことじゃないよね」って感じです。

確かに対処の仕方がまずかったのかなーとか、ほんでそもそも何でみんな女子アナと飲み会したがんねんとも思いますけど。

ただ「福山さんだから仕方ないよねー」とか言うと、「痛いファンが擁護しててきもい」とか言う人が出てくるし。

言いたいことも言えない世の中はポイズンだけど、言いたいこと言ったらそれはそれで叩かれる。知辛い世の中ですね、ほんと。

まぁ、芸能がトップニュースになるなんて今の日本が平和な証拠だと思います。

ということでそんな平和な時代に生きる私たちが今改めて見るべく景色、平和公園周辺散策の様子をご紹介していきます。(温度差急変化です。)

平和公園(平和祈念像・平和の泉)

9日は昼過ぎにスタジアム入りで観光する時間が全くなかったので、周辺観光は翌日10日に行いました。

まずは、長崎の平和のシンボルがある平和公園へ。

長崎市内を走る電停「平和公園」駅から徒歩2分です。
f:id:iechiko:20250821192713j:image昭和26年に整備された広さ約18.5haにも及ぶ公園。

3つのゾーン(線路より下のスポーツ施設等を入れると5つのゾーン)から構成されています。

まずは、その中の「願いのゾーン」と呼ばれるエリアへ。

公園は小高い丘の上にあります。階段横に屋根付きのエスカレーターもありました。
f:id:iechiko:20250821192908j:image上に上がると、平和の泉があります。

こちらは、原爆の被害に遭い、熱風の中水を求めて亡くなった方たちに捧げられたものだそうです。

石碑には、被爆当時9歳だった山口幸子さんの手記の言葉が書かれています。

「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて とうとう油の浮いたままのみました」

この言葉だけで、当時の惨状を思い知らされます。
f:id:iechiko:20250821192727j:image長崎の平和のシンボルといえばこちら。

長崎出身の彫刻家・北村西望氏作の「平和祈念像」

前日、ここで開催された平和祈念式典の撤収作業が行われていて、近くまで行くことができませんでした・・・
f:id:iechiko:20250821192813j:image

天を指さした右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手は「平和」を意味しているそうです。
f:id:iechiko:20250821192652j:image長崎の鐘
f:id:iechiko:20250821192821j:image

f:id:iechiko:20250821192744j:image「平和記念像」以外にも、園内には世界各国から寄贈された平和を祈る彫刻が設置されていました。

原爆落下中心地

続いて、平和公園「祈りのゾーン」

ここはまさに、原子爆弾が投下された中心の場所です。

祈念像がある場所からは500mほど離れています。

f:id:iechiko:20250821192839j:image公園内にあった当時の被害区域。

薄紫色のエリアが全焼全壊となった場所です。

f:id:iechiko:20250821192751j:image当時、焼け野原と化した中心地も、現在は公園として整備されています。

原子爆弾中心地碑
f:id:iechiko:20250821192835j:imageこの地の上空500メートルの場所で、原子爆弾がさく裂し多くの命を奪いました。

塔の前にある「原爆殉難者名奉安箱」には、原爆により亡くなった方、また被爆しその後亡くなられた方々の氏名(複製)が奉安されています。

浦上天主堂遺壁

f:id:iechiko:20250821192843j:image

1914年、東洋一の壮大さを誇る天主堂として建てられた浦上天主堂。

しかし、爆心地から約500mの地にあったため、ほとんどの建物が倒壊・消失。

また堂内で多くの方も犠牲になったそうです。

現在、浦上天主堂は再建されていますが、この場所に当時消失を免れた聖堂の一部が移築されています。

f:id:iechiko:20250821192716j:image
f:id:iechiko:20250821192806j:image
古くから、日本には千羽鶴の風習はあったようですが、広島で原爆症に苦しんだ佐々木偵子さんが、病気の平癒を信じて千羽鶴を折り続けたことをきっかけに、現在では平和の象徴として折られるようになったようです。

私は小学校の時の修学旅行先が広島でした。

千羽鶴をみんなで折って、広島の平和祈念公園にある「原爆の子の像」に捧げた記憶があります。

吊ってある千羽鶴がどれも新しく綺麗だったので、今も継続的に千羽鶴が捧げられていることが分かります。

地元の子供たちが描いたであろう戦争及び平和の絵。

被爆当時の地層

公園の一段下に下がった場所に、被爆当時の地層が保存されていました。
f:id:iechiko:20250821192824j:image
f:id:iechiko:20250825093342j:image瓦礫と化してはいますが、家の瓦やレンガなど形をとどめているものも多くあり、生々しさが感じられました。

被爆50周年記念事業碑
f:id:iechiko:20250821192754j:image
長崎市出身の富永直樹氏によって制作された像。

傷ついた子供を抱く母親の像。子供は当時の日本を、母親はその日本を支える世界の国々を表し、多くの支えを受けながら平和の礎を築いたことを忘れてはならない、という思いが込められているそうです。

日本は戦後80年。

ですが、世界で見れば人間は数千年もの間、ずっと戦時中です。

「平和」は当たり前にあるものではない。

今の世の中にも思うことは沢山あるけれど、爆撃の恐怖におびえることなく、家族や友人を戦火で失うこともない。

当時の人たちが何よりも欲した日常を過ごしていることだけで、十分幸せなことなのだと当時焼け野原となった場所に立ち、改めて思ったのでした。

今の自分ができることは、どれほど目をそらしたくなるような惨劇であったとしても、この場所で何が起こり、そして世界が今どうなっているのかを学び、知り、考えることだと感じました。

そのために、続いては「長崎原爆資料館」に向かいます。

後編に続く。