迷子の日記。行ったり来たり。

本当に本当に本人以外にはどうでもいいようなことをつらつらと書き連ねています。このブログにはアフィリエイト広告を使っています。

2025年9月8日。久しぶりの大失敗。

今日は、介護の現実を記録として残す内容です。少し重たい話です。

 

介護の中で、やっぱり私は、下の世話が一番堪えます。
そのためつい、大事にならないように、母に「早めに(トイレに)行ってね」と口うるさく言ってしまいます。
心の中はいつも「〇日に失敗したから、そろそろだわ」と待機モードです。

 

この日は、月曜日。可燃ごみの日です。ゴミを集めるついでに、トイレもきれいにします。一通り掃除をすませて、ゴミを捨てに行きました。

朝から空は雨模様でしたが、なんとか降り出す前にゴミ出しも終えて、朝食と薬も済ませて母は一度目の「朝寝」です。10時前には起きてきて、「お茶の時間に間に合ったわ」と言うので、いつものようにカフェオレを入れてアーモンドチョコレートを食べました。

母が二度目の「朝寝」に入って間もなく、お世話になっているガス会社の営業の方が訪ねてこられました。転勤の挨拶と言うことで、言いようのない淋しさと不安に襲われます。あらゆるサービスの中で一番信頼していた、誠実で優しい営業の方です。ひとしきり別れを惜しんで、お世話になったお礼を告げてお別れしました。

 

しばらくして、私がトイレから出ると、母がよたよたとトイレに向かってくるのに出くわしました。上手く入れ違えたことに「あら、タイミングが良かったわね」と母に声をかけながら、ふと、母の足元を見ると、生々しい光景に一瞬でパニックに陥りました。

無言でトイレの扉が閉められます。いつにない勢いに、寝室を覗くと、敷布団のシーツから床までが目を覆いたくなる状態でした。

慌ててゴム手袋をはめ、古いタオルやボディシートなどで汚物を処理し、床を拭き、それから母の着替えと身体を拭くボディシートを持ってトイレへ向かいます。

「お母さん、開けるわよ」と声をかけてドアを開けようとすると、力いっぱい押し返される。何度か問答を続けて、落ち着いたころトイレに入り、汚れた下着など集めてゴミ袋にまとめました。

その間もずっと「お母さんだけが、どうしてこんな風に襲われるのかしら」とパニックの母が繰り返すので、つい言葉がきつくなってしまいます。
「襲われたんじゃない、お母さんが失敗したのよ。とにかく、早く着替えてよ。まだ出てきたら駄目よ。綺麗にするまで動かないで」それでも、もぞもぞ言っている母に「黙って!いうこと聞いてちょうだい」と声が荒くなります。

とにかく、汚物をまとめて、まだ収集車が来ていないことを祈りつつ、ゴミ集積所に走りました。

帰宅後、母のワンピースとタンクトップも汚れていることに気づき、全て脱がせていると「あなた、それも捨てるの?」と言うので、2枚だけで洗濯機を回しました。

こう、たびたび惨事があっては、その都度、衣服を捨てていると着るものがなくなってしまいます。

やっと一息ついた私を見て、母が「ねえ、ちょっとポチポチで調べてよ」と言います。“ポチポチ”はパソコンのこと。ネットで調べてほしいという意味です。

「何を?」と尋ねると「お母さん一人が攻撃されるの。なぜ、お母さんが攻撃されるのか調べて欲しいのよ」

つい言ってしまいました。

「攻撃されたんじゃなくて、お母さんが失敗したの。こんな風にならないように、毎日毎日、お母さんに声をかけてるけれど、お母さんちっとも言うこと聞いてくれないじゃない」

暫く黙ったあと、「あなたは、いつでもお母さん一人が悪いって言うのね」とにらみつけてきました。

毎日毎日……おなかの調子を気にすると「お母さんは、うんちはしないのよ」と答えるので、「いやいや、よく失敗してるわよ。後片付けが大変なのよ」と言うのですが、都合の悪いことは全て忘れてしまうようです。

色々な方が介護日記や介護記録を公開されていて、最近はよく拝見して、勉強したり「私もがんばろう」と思ったりしているのですが、そのなかで目につくのが、若い頃の親の言動に傷ついたり振り回されたりしたことが、介護中に思い出されるという話です。

「忘れないわよ」とはっきり書いていらっしゃる方もあります。

私も、介護に入るまでは同じ感情を持っていたと思います。
母とは決して良好な関係ではありませんでした。母は子を自分の従属物だと思っていて、家庭を持たない私が母のために尽くすのは当然だと、平然と言葉にしていました。そんな母のことがどうしても好きになれませんでした。

それが、認知症が進み、医学的にもはっきりと証明された今、思ったよりも葛藤することはなく、守るべき人としてきちんと見られています。

私がいないと何もできなくなっていく人に、日に日に子供に戻っていく人に、できるだけのことをしてあげたいと思う。

結構、がんばっていると思うのです、普段は。

ただし、今日のようなことがあると、一気に日常がひっくり返る気がします。

言い訳をずっとしゃべりつづける母が疎ましく、汚わいにまみれた空間を心の底から憎む。

母の足先が壊死を起こしてから、病院の応対に苦慮しました。いくら病状を訴えても、今ひとつ真剣に対応してもらえない。担当医すべてがそうではありませんが、あるときはたらい回し、あるときは「沖縄に引っ越せばいいのに(暖かい場所だと血流が良くなるから)」と乱暴な言い方をされたり。

初めての入院では「認知症の兆候があらわれたら治療を中断する」と告げられ、その通り、病名が分かって、担当科に部屋替えする当日に退院させられました。

「なんて冷たい」と何度思ったか分かりません。何度も何度も途方に暮れて立ち尽くしましたが、今日のようなことがあると、ふと、理解できる気がするのです。

手厚い医療が受けられたとしても、認知症は治りません。それは、介護の負担が無期限に続くことを意味します。人手不足などの理由から、思っているよりも在宅介護期間は長いのです。

以前、勤務先で伺った方は、お母様が要介護3になってやっと施設に入れたそうですが、プライバシーの観点から、近所の方と同じ施設にはなるべく入らないというルールがあり、自宅から車で片道3時間かかる県境の施設になったとのことでした。

人間関係は、年齢に関係なく複雑です。
高齢者だからといって、穏やかで優しいとは限りません。むしろ、長年積み重ねてきた性格やこだわりが、より強く表に出ることもあるのだと、最近つくづく感じています。
我が家の隣には、ご高齢のご夫婦が住んでいます。奥様は90歳近く、ご主人はそれ以上。母の介護で家にいる時間が長い私に対して、どうやら何かと気になるようで、「ついでに買い物や身の回りのことをしてほしい」と、第三者を通じて伝えてこられました。
しかし、奥様は自分から「お願いする」のが嫌なようで、毎日私が御用聞きに伺うようにと希望されたのです。
丁重にお断りしたところ、翌日から嫌がらせが始まりました。垣根を越えて玄関ポーチに水を撒かれたり、庭木の枝や草を我が家の敷地に投げ入れられたり。ポストには、何ヶ月も前の医療生協の組合員誌が、びしょびしょに濡れた状態で入っていたこともあります。回覧板を回すと、うちの印鑑の上に自分の印鑑を重ねて返してくるなど、細かくも不快な行動が続いています。


最近では、ご夫婦でデイケアに通われるようになり、週に二回、送迎バスが来ます。
ある日、担当の女性が「はぁっ!面倒くさい人!」と大きな声で言っているのが、我が家の2階の窓からもはっきり聞こえてきました。
人の性格は、きっと最後まで変わらないのだと思います。

そんな人たちがいる環境に、母が馴染めるとは到底思えません。結局、母がまだ自分の感情が表現できるうちは、在宅介護を選ぶより仕方ないと考えるのです。


私自身も、万全ではありません。線維筋痛症と診断され、身体のあちこちが頻繁に痛みます。顎関節症も進行し、マウスピースを何度調整しても違和感が残ります。何度かは、母と同じ膠原病検査や甲状腺機能検査を進められて受けましたが、今のところ結果には現れず、不調を抱えたままの日々です。

「いつまで続くのだろう」と考えることがあります。
認知症を発症している場合、積極的な治療をしないという判断(もしくは方針)は、本人にとっても、介護する側にとっても、悪くはない……間違ってはいないのかもしれない。
そんな思いが、今日のような日にはふと頭をよぎります。

 

◆◆◆

 

昼食を終えた母は、穏やかな顔でこう言いました。
「昨日は遅くまで起きていてね、ちょうど風くん(藤井風さん)がテレビに出てるのたくさん見られたのよ。良かったわあ」
昨日、関ジャムに出演していた風くんを「お母さんも見たい!」と言うので、一度寝かせてから夜11時頃に起こしました。
正確には、母は自力で起きてきて、「始まった?」と訊いてきたのです。


「今日は、徹子さんの部屋に出るわよ」と伝えると、「昨日から幸せねえ」と、目を輝かせて待っています。
もう、今朝のことはすっかり忘れてしまったかのようです。