今日は、介護の現実を記録として残す内容です。少し重たい話です。
介護の中で、やっぱり私は、下の世話が一番堪えます。
そのためつい、大事にならないように、母に「早めに(トイレに)行ってね」と口うるさく言ってしまいます。
心の中はいつも「〇日に失敗したから、そろそろだわ」と待機モードです。
この日は、月曜日。可燃ごみの日です。ゴミを集めるついでに、トイレもきれいにします。一通り掃除をすませて、ゴミを捨てに行きました。
朝から空は雨模様でしたが、なんとか降り出す前にゴミ出しも終えて、朝食と薬も済ませて母は一度目の「朝寝」です。10時前には起きてきて、「お茶の時間に間に合ったわ」と言うので、いつものようにカフェオレを入れてアーモンドチョコレートを食べました。
母が二度目の「朝寝」に入って間もなく、お世話になっているガス会社の営業の方が訪ねてこられました。転勤の挨拶と言うことで、言いようのない淋しさと不安に襲われます。あらゆるサービスの中で一番信頼していた、誠実で優しい営業の方です。ひとしきり別れを惜しんで、お世話になったお礼を告げてお別れしました。
しばらくして、私がトイレから出ると、母がよたよたとトイレに向かってくるのに出くわしました。上手く入れ違えたことに「あら、タイミングが良かったわね」と母に声をかけながら、ふと、母の足元を見ると、生々しい光景に一瞬でパニックに陥りました。
無言でトイレの扉が閉められます。いつにない勢いに、寝室を覗くと、敷布団のシーツから床までが目を覆いたくなる状態でした。
慌ててゴム手袋をはめ、古いタオルやボディシートなどで汚物を処理し、床を拭き、それから母の着替えと身体を拭くボディシートを持ってトイレへ向かいます。
「お母さん、開けるわよ」と声をかけてドアを開けようとすると、力いっぱい押し返される。何度か問答を続けて、落ち着いたころトイレに入り、汚れた下着など集めてゴミ袋にまとめました。
その間もずっと「お母さんだけが、どうしてこんな風に襲われるのかしら」とパニックの母が繰り返すので、つい言葉がきつくなってしまいます。
「襲われたんじゃない、お母さんが失敗したのよ。とにかく、早く着替えてよ。まだ出てきたら駄目よ。綺麗にするまで動かないで」それでも、もぞもぞ言っている母に「黙って!いうこと聞いてちょうだい」と声が荒くなります。
とにかく、汚物をまとめて、まだ収集車が来ていないことを祈りつつ、ゴミ集積所に走りました。
帰宅後、母のワンピースとタンクトップも汚れていることに気づき、全て脱がせていると「あなた、それも捨てるの?」と言うので、2枚だけで洗濯機を回しました。
こう、たびたび惨事があっては、その都度、衣服を捨てていると着るものがなくなってしまいます。
やっと一息ついた私を見て、母が「ねえ、ちょっとポチポチで調べてよ」と言います。“ポチポチ”はパソコンのこと。ネットで調べてほしいという意味です。
「何を?」と尋ねると「お母さん一人が攻撃されるの。なぜ、お母さんが攻撃されるのか調べて欲しいのよ」
つい言ってしまいました。
「攻撃されたんじゃなくて、お母さんが失敗したの。こんな風にならないように、毎日毎日、お母さんに声をかけてるけれど、お母さんちっとも言うこと聞いてくれないじゃない」
暫く黙ったあと、「あなたは、いつでもお母さん一人が悪いって言うのね」とにらみつけてきました。
毎日毎日……おなかの調子を気にすると「お母さんは、うんちはしないのよ」と答えるので、「いやいや、よく失敗してるわよ。後片付けが大変なのよ」と言うのですが、都合の悪いことは全て忘れてしまうようです。
色々な方が介護日記や介護記録を公開されていて、最近はよく拝見して、勉強したり「私もがんばろう」と思ったりしているのですが、そのなかで目につくのが、若い頃の親の言動に傷ついたり振り回されたりしたことが、介護中に思い出されるという話です。
「忘れないわよ」とはっきり書いていらっしゃる方もあります。
私も、介護に入るまでは同じ感情を持っていたと思います。
母とは決して良好な関係ではありませんでした。母は子を自分の従属物だと思っていて、家庭を持たない私が母のために尽くすのは当然だと、平然と言葉にしていました。そんな母のことがどうしても好きになれませんでした。
それが、認知症が進み、医学的にもはっきりと証明された今、思ったよりも葛藤することはなく、守るべき人としてきちんと見られています。
私がいないと何もできなくなっていく人に、日に日に子供に戻っていく人に、できるだけのことをしてあげたいと思う。
結構、がんばっていると思うのです、普段は。
ただし、今日のようなことがあると、一気に日常がひっくり返る気がします。
言い訳をずっとしゃべりつづける母が疎ましく、汚わいにまみれた空間を心の底から憎む。
母の足先が壊死を起こしてから、病院の応対に苦慮しました。いくら病状を訴えても、今ひとつ真剣に対応してもらえない。担当医すべてがそうではありませんが、あるときはたらい回し、あるときは「沖縄に引っ越せばいいのに(暖かい場所だと血流が良くなるから)」と乱暴な言い方をされたり。
初めての入院では「認知症の兆候があらわれたら治療を中断する」と告げられ、その通り、病名が分かって、担当科に部屋替えする当日に退院させられました。
「なんて冷たい」と何度思ったか分かりません。何度も何度も途方に暮れて立ち尽くしましたが、今日のようなことがあると、ふと、理解できる気がするのです。
手厚い医療が受けられたとしても、認知症は治りません。それは、介護の負担が無期限に続くことを意味します。人手不足などの理由から、思っているよりも在宅介護期間は長いのです。
以前、勤務先で伺った方は、お母様が要介護3になってやっと施設に入れたそうですが、プライバシーの観点から、近所の方と同じ施設にはなるべく入らないというルールがあり、自宅から車で片道3時間かかる県境の施設になったとのことでした。
人間関係は、年齢に関係なく複雑です。
高齢者だからといって、穏やかで優しいとは限りません。むしろ、長年積み重ねてきた性格やこだわりが、より強く表に出ることもあるのだと、最近つくづく感じています。
我が家の隣には、ご高齢のご夫婦が住んでいます。奥様は90歳近く、ご主人はそれ以上。母の介護で家にいる時間が長い私に対して、どうやら何かと気になるようで、「ついでに買い物や身の回りのことをしてほしい」と、第三者を通じて伝えてこられました。
しかし、奥様は自分から「お願いする」のが嫌なようで、毎日私が御用聞きに伺うようにと希望されたのです。
丁重にお断りしたところ、翌日から嫌がらせが始まりました。垣根を越えて玄関ポーチに水を撒かれたり、庭木の枝や草を我が家の敷地に投げ入れられたり。ポストには、何ヶ月も前の医療生協の組合員誌が、びしょびしょに濡れた状態で入っていたこともあります。回覧板を回すと、うちの印鑑の上に自分の印鑑を重ねて返してくるなど、細かくも不快な行動が続いています。
最近では、ご夫婦でデイケアに通われるようになり、週に二回、送迎バスが来ます。
ある日、担当の女性が「はぁっ!面倒くさい人!」と大きな声で言っているのが、我が家の2階の窓からもはっきり聞こえてきました。
人の性格は、きっと最後まで変わらないのだと思います。
そんな人たちがいる環境に、母が馴染めるとは到底思えません。結局、母がまだ自分の感情が表現できるうちは、在宅介護を選ぶより仕方ないと考えるのです。
私自身も、万全ではありません。線維筋痛症と診断され、身体のあちこちが頻繁に痛みます。顎関節症も進行し、マウスピースを何度調整しても違和感が残ります。何度かは、母と同じ膠原病検査や甲状腺機能検査を進められて受けましたが、今のところ結果には現れず、不調を抱えたままの日々です。
「いつまで続くのだろう」と考えることがあります。
認知症を発症している場合、積極的な治療をしないという判断(もしくは方針)は、本人にとっても、介護する側にとっても、悪くはない……間違ってはいないのかもしれない。
そんな思いが、今日のような日にはふと頭をよぎります。
◆◆◆
昼食を終えた母は、穏やかな顔でこう言いました。
「昨日は遅くまで起きていてね、ちょうど風くん(藤井風さん)がテレビに出てるのたくさん見られたのよ。良かったわあ」
昨日、関ジャムに出演していた風くんを「お母さんも見たい!」と言うので、一度寝かせてから夜11時頃に起こしました。
正確には、母は自力で起きてきて、「始まった?」と訊いてきたのです。
「今日は、徹子さんの部屋に出るわよ」と伝えると、「昨日から幸せねえ」と、目を輝かせて待っています。
もう、今朝のことはすっかり忘れてしまったかのようです。