迷子の日記。行ったり来たり。

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2025年8月31日。母と深夜に風くんを観る

今夜の母は、いつにも増して物忘れがひどくなっていました。
「お風呂に入りましょうね」と声をかけて脱衣室へ連れて行くと、「ここで何をするの?」と尋ねてきます。
顔つきもぼんやりしていて、少し危なっかしい印象です。


普段入浴は欠かしていないし、週に一度は洗髪もしているので、今日はお風呂を休むことにしました。
母の着替えを手伝いながら、5分おきに寝る前の目薬を差します。


「お母さん、目薬も終わったから、これで寝たらいいからね」
「ありがとう」
まるで、もう1秒も起きていられないかのような返事でした。

 

今夜は久しぶりに、深夜の音楽番組に風くんが出演する予定です。
(最近は有名人の名前に敬称をつけないと無作法に思われることもあるようで、本来なら“藤井風さん”と書くべきかもしれません。でも、デビュー当初から“風くん”と呼んできたので、今日はこのまま“風くん”で……)


母を布団に寝かせながら、「今日は風くんがテレビに出るから、私、少し遅くまでごそごそしているけれど、いいかしら」と言うと、
「まあ、風くんが出るならお母さんも見たいわ」母の返事は驚くほどはっきりした口調でした。


そして、「遅くに出るんだったら、お母さんちょっと寝るけれど、起こしてちょうだいね」と言い、
「分かったわ」と答えると、「絶対に忘れないでよ。ちゃんと起こしてね」と念を押されました。

 

母は「今のことは忘れても昔のことは覚えている」という典型的な認知症のタイプとは少し違っていて、直近のことでも覚えている時は覚えているし、昔のことでもすっかり忘れていることがあります。
それが原因で、相手に不信感を抱かせてしまう場面を見ると、胸が痛みます。


物忘れや不思議な発言が始まったのは、冷静に振り返ると5〜6年前。
ブログを再開して、改めて気づきました。


4年前の春、母が初めて入院したとき、大量のステロイド剤投与によって認知症の兆候が進行する可能性があると説明されました。
もし症状が悪化した場合は、膠原病の治療を中止し、即退院になると言われたのです。


不安になった私は、母にノートを渡して交換日記を始めました。
内容は、届けた着替えのリスト、テレビやコンビニに使うお金の記録、庭の花の開花状況など簡単なものです。
一度だけ、朝刊の隅に風くんの記事を見つけて、切り抜きを貼ったことがあります。


母の返信には、風くんのことがたくさん書かれていました。
「早く動画が見たい」「新しい歌が聴きたい」――そんな言葉が並んでいました。


約1か月の入院の後、病棟を移る予定だった翌日に突然退院が決まり、「認知症が決定的になったのか」と思いましたが、主治医からは明確な説明はありませんでした。


そのとき私は、「風くんのことがわかるなら、まだ大丈夫」と思ったのです。
実際、退院後に脳のMRIを撮っても認知症は確認されず、介護審査でも認知症とは判断されませんでした。

 

とにかく、8月最後の夜。
母と私は、風くんを観るために久しぶりの夜更かしをしたのです。

母は何度も「カッコいいわねえ」と言いながら、最後まで番組を観ました。

 

◆◆◆

 

追記


風くんは、独特の挙動や話し方が、幼く見えたり、怪しく見えたり、スピリチュアル寄りに映ることもあるかもしれません。
でも私は、彼の音楽を聴くたびに、心の奥にある頑なな何かがほぐれていくのを感じます。
そして、彼の詩の奥深さに、いつも引き込まれていくのです。