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Google Gemini (サブスク版)の手抜き例 古代人と熊

古事記日本書紀における熊の記述から、古代日本人が熊に対して抱いていた感情を論じなさい。とくに畏怖について具体的に指摘しなさい。そして、どの神もしくは登場人物が熊と関係が深いかを見つけなさい。」という質問に対して、

 

古代日本人は熊に対して強い畏怖の念を抱いていました。これは、主に以下の二つの文脈から具体的に指摘できます。
「熊野」の荒ぶる神: 『日本書紀』の神武東征(じんむとうせい)の段には、神武天皇が熊野(現在の三重県南部から和歌山県東部)の地に至った際、熊野山の荒神(あらぶるかみ)の毒気(いざり)に当たって、天皇や兵士たちが一時的に意識を失い、倒れてしまったという記述があります。この「荒神」は、地元の土着神や自然の猛威を象徴しており、この地域が持つ原生的で強力な力、すなわち熊に対する畏怖を物語っています。この難所を乗り越えるためには、天照大神や高木神の助け(布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ))が必要であり、人知を超えた存在として熊が捉えられていたことがわかります。

熊と関わりある有名人については、こう返してきた。

熊と最も関係が深い、あるいは熊に関連するエピソードで重要な役割を果たす登場人物は、日本武尊(やまとたけるのみこと、『古事記』では倭建命)です。 
日本武尊は、景行天皇の皇子として、九州南部の熊襲を征伐する任務にあたります。
古事記』や『日本書紀』の物語において、彼は女装して熊襲の首領である川上梟帥(かわかみのたける)を謀殺し、その勇敢さから「日本武尊」の名を与えられたとされています。
この征伐譚は、大和朝廷による地方支配の過程を描いた服属神話であり、熊襲という「熊」を名前に含む強敵を討つことで、日本武尊の英雄性が強調されています。 
また、前述の神武東征の文脈では、熊野山の荒神(大熊の化身とも解釈される)の毒気に当てられた神武天皇を救うために、熊野高倉下(くまのたかくらじ)という人物(または神)が献上した布都御魂剣も重要な関係を持ちます。この剣によって神武一行は回復し、東征を続けることができました。 

当然、熊野の地名については疑念があるので、下記を問い合わせる

熊野の地名は後世の当て字ではないでしょうか?

「隈(くま)」: 「奥まったところ」「隅」「辺境」「隠れた場所」といった意味を持つ古い日本語です。都(大和朝廷の支配の中心地)から見て、紀伊半島南端のこの地域は、まさに深く険しい山々に閉ざされた未開の辺境の地であり、祖霊が隠れこもる「根の国」や「黄泉の国」の入り口と考えられていました。
「隠(こも)り」: 神々や死者が「籠(こも)る」場所、つまり「隠国(こもりく)」が転じて「くま」になったという説もあります。 
これらの説が示すように、「熊野」という漢字は、元々あった「クマ」という音に対して、意味や響きが近い、あるいは地域のイメージに合う漢字を後から当てはめたものと考えられます。

 ここはいいだろう。「こもりく」の熊野だろうとされる。いずれにせよ、地名や人名に熊があるからAIは上述の応答をしたのであろう。

ということで、熊野も熊襲も直接的な回答になっていない。動物である熊に対しての問い合わせだ。だから、「神武天皇がオオクマに脅かされた」部分は妥当な返答であるがそれ以外は的外れとしかいいようもない。

 西郷信綱の『古事記注釈』をあたっても、熊に直接言及しているのは神武天皇の記事くらいである。

 

日本書紀では「天熊人(抽仰に供える米を作る人)」が登場するが、熊を名に含む人名は案外多い。熊襲だけではない。忍熊王みたいな感じである。

 有名な例としては、阿倍比羅夫は東征を行い、秋田県あたりでヒグマを捉え斉明天皇に献上したという記事がある。

これは、つまり、東北地方にしかヒグマがいなかったことになるのだろう。当時はツキノワグマとヒグマを区別していたと思えないからだ。