無職の絵日記

ただ何もしていないだけです。

歴史に仮託すること

漫画だとか小説だとかを読んだりして、「ああ、これは自分が言いたかったことだ」とか、「自分が思っていたことを描いてくれている」と感じた経験は誰しもあるかと思います。そのように感じさせる力が強い作品は、共感性が高い作品だと言われて人気をはくしたりします。SNSでも作品の解釈が盛り上がったりしますが、これは自分が言いたいことを作品に仮託している側面もあります。そのような読者によって行われる仮託は作者の意図どおりのこともありますし、作者の意図とは関係なく発生することもあるでしょうが、フィクション作品の楽しみ方のひとつであると言えるでしょう。

このような仮託がフィクション作品だけでなく、実際の出来事だとか歴史についても行われる場合があります。世の中には歴史物というジャンルがあり、小説や漫画はもちろんのこと映画やドラマで非常に人気があります。それらはもちろんフィクションですから、それらの作品に共感したり仮託を行って楽しむというのは問題ありません。問題になるのは、歴史そのものに仮託が行われた場合です。司馬史観という言葉がありますが、ひとは人気のある歴史物の世界観やストーリーを本当の歴史と混同することもあります。

仮託という言葉は「他の物事を借りて言い表すこと」という意味ですが、「他の事柄を口実にしたり利用したりすること」という意味でも使われます。フィクション作品とは違い、歴史に仮託を行うということには問題が生じます。歴史というのは決して一面的に捉えられるものではなく、複雑にからみあった事柄を多面的な目線で読み取る努力が必要なものです。ですから、自分が言いたいことを自身に都合のよい歴史解釈にかこつけて人に押し付けるようなことがないよう気をつける必要があります。

夢の効用

嫌な夢をみることがあります。それも非常に現実的な、過去に本当に経験したのではないかという内容の夢です。例えば、他人からの直接的な悪意に晒されて往生するような夢です。自分自身の落ち度を認識しており、そのことについて人が不満を覚えることむべなるかなと思っている。これは現実に起きると大変に苦しい経験となります。夢でみたとしても、本当に経験したことではないかというリアリティを持って迫ってきます。これはつまり、実際には起こっていないことだけれど、本来であればそれが起こっていたとしても当たり前である、自分はそのような罰を受けても文句が言えないのであると、自分自身で考えているということなのです。

ですが、目が覚めてこの夢の内容をはっきりと思い出そうとしても、具体的に自分のどのような欠点に対して他人がどのような悪意をぶつけてきたのか描写することかないません。目覚めた私は夢の内容をそれほどはっきり覚えていられないということもありますが、何より夢の中で持っていたはずの苦しい気持ちがきれいに消え失せているためです。もしかしたら夢の中でもそれほど苦痛を感じていたわけでもなく、ただ気まずい思いをしていただけかもしれません。

そこで初めて思い当たります。夢でみた内容は実際に経験したのだとすれば決して好ましい経験というわけではないけれど、それは自分になんの影響も持たないことに。これは夢だからというわけではなく、現実の経験だとしても同じです。もし他人が私に対して多大な不満を持っており、鋭い悪意をぶつけてきたとしても、それはその人の問題であって私の問題ではないのです。そもそも、自分自身で勝手に自分の落ち度を誇張して、それについての(あるのかどうかもわからない)他人の不満を増幅していただけということもあるわけで、その場合、これはただの一人相撲です。

ショートショート「ブラシの遠足」(1016文字)

 僕は毎日、ゴールデンレトリバーのジョンをブラッシングする。
 ブラッシングに使うのは、ジョンがお気に入りのブラシで僕が小学校に入る前、ジョンがまだ子犬のときから使っているものだ。
 ジョンはブラッシングされるといつもうれしそうで、笑っているように僕には見える。

 ある日、ジョンをブラッシングしようとすると、ブラシが見つからない。
 いつもはわざわざ僕を呼びに来てブラッシングをねだるのに、今日のジョンは落ち着いている。
 普段ならブラッシングしてもらえるまでしつこく鳴き続けるのに。

「あら、わたしのブラシを見なかった?」
 洗面所からお母さんの声がした。お母さんのブラシが見つからないみたい。

 そこで僕は、昨日の夜の出来事を思い出した。
 昨日の夜、自分の部屋で寝ていたらどうしてもおしっこがしたくなってしまい、ひとりで階段を降りてトイレに行った。
 その時、お父さんもお母さんも寝てしまっていて誰もいないはずの居間から、話し声が聞こえた。
 僕はとても怖かったけれど、廊下からこっそりのぞいて話し声に耳をすませてみた。

 すると、居間ではなんと犬のジョンが、ジョンのお気に入りのブラシと話をしていた。
「明日はいよいよ1年に1回のブラシの遠足だね」
 ジョンがブラシに話しかける。
「今年はどこへ行くの?」
 するとブラシは、「今年は温泉だよ。家中のブラシが出かけるから、明日はブラッシングなしで我慢してね」と答える。
 ジョンは、「1日くらいへっちゃらだよ」といっていばってみせた。

 今の今まで、昨夜のことはすっかり夢だと思い込んでいた。
 今日は、家中のブラシが遠足に行ってるんだ。
 ジョンは、ブラシが遠足に行っていることを知っているのですましているように見える。

 次の日の朝、洗面所からお母さんの声がする。
「あら、こんなところにブラシがあった。昨日も見たはずなのに」
 ジョンのブラシもいつもの置き場所にあった。僕は1日ぶりにジョンをブラッシングする。ジョンは満足そうだ。

 すると、今度はお母さんの悲鳴が聞こえてきた。
「お母さんのブラシがジョンの毛だらけじゃない!」
 僕は思わずジョンの顔を見つめると、ジョンは訳知り顔で笑っている。
 僕にはジョンが、
「ははあ。ブラシのやつ、掛け湯をしないで温泉に入ったな」
 と言った気がした。

「代理排便」(ショートショート)

『たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座』という本を読みました。著者はショートショート作家である田丸雅智で、全国各地でショートショート講座を開催したり、「坊ちゃん文学賞」の審査委員長をつとめたりしています。ワークシートが用意されており、これを埋めていくことによりステップ・バイ・ステップで誰でもショートショートが作れるというものです。実際やってみましたが、けっこう楽しめます。普段はどうしても動画を見たり本を読んだりといった受動的な活動ばかりになりますので、たまにはこういった能動的な活動を行うと脳が喜ぶような気がします。以下は、この本のワークシートに沿って書いてみたショートショート(1000文字ちょっと)です。

タイトル:「代理排便」

代理出産が当たり前になった時代。すでに技術的な課題も倫理的な課題もクリアされてから数世紀の月日が流れた。ついに、人類にとって出産と並んで原始的かつ本質的な営みである「排便」にも取り組む時がやってきた。この課題に意欲的に取り組んだのはかつて新興国と呼ばれていたアフリカやアジアの各国である。急激な人口増と経済発展に伴い、そこに暮らす人々のストレスも人間という生き物が本来抱え込める度合いをとうに超えていた。それらの国々ではメンタルを含む健康的なリスクが増大し、各国政府が支持率を維持するために、健康課題への取り組みが最重要視されることとなった。特に重視されたのが便秘対策である。歴史上、例を見ないスピードで変化する社会に暮らす人々が受ける重圧は、そのまま彼らの排便能力の弱体化につながった。このような状況下において、代理出産の技術で先進国をリードし、代理出産を目的のひとつとした観光旅行を国の重要な産業のひとつと位置付けているA国が「代理排便」の技術にいち早く取り組み、確立したことは必然であった。各国の富裕層をはじめとする便秘に悩まされていた人々はこぞってA国の代理排便サービスを利用するようになり、A国はインバウンド排便の興隆により一人当たりGDPを一気に西側諸国なみに押し上げた。排便サービスは永続的な利用を前提に設計されており、サブスクリプションサービスで提供された。このサービスを利用する人たちも最初のうちは便秘がひどい時だけ代理排便を行なっていたが、やがて自分で排便できる時であっても代理排便を利用することが常態化していった。これを問題視したのは西側の超大国で、安全保障上の問題から排便を取り戻すことを掲げた極右勢力が政権を取ると、A国を初めとする「世界の便所」各国に排便関税を課すことを宣言した。しかし、このことによって窮したのは、関税による負担を被ることになった超大国の国民であった。すっかり弱体化しきった排便能力のため自身での排便も叶わず、関税による価格上昇により代理排便も満足に利用できず腹をパンパンに膨らませた人々が街に溢れた。関税発動から一月後、人々の限界に達した排便がついに爆発し、超大国の国土は糞尿と異臭に塗れた。超大国は、今後100年は草木も生えない不毛の地となった。

いろいろなことをどこかで諦める

本の雑誌」が創刊50周年だったそうです。私の生家は文化的不毛地帯でしたから、この雑誌の存在を知ったのは成人してから友人に教えられてのことです。友人の母親がこの雑誌の熱心な読者であるということを聞き、世の中には本を読む「親」というものが存在するのかと驚いたものです。特集では、創刊時からの読者を募集し、応募があった2名の読者の方のインタビューが掲載されていました。創刊50周年の雑誌の創刊時から読者ですから、当然、年代としては70代で定年退職されています。おひとりは小学館に勤めていた元編集者ということですので、出版業界内の人ということになると思います。

もうひとりの方は、出版業界とはまったく関係のない静岡県に在住の読者でした。東京の大学に在学中、たまたま書店で本の雑誌の創刊号を目にして買い求めたそうです。本の雑誌に手を出すくらいですから、もともと読書好きでありサブカル好きであったということです。大学卒業後は静岡県内で職について、転職もありながら60歳過ぎまで働いたそうです。今でも本を買い続けており、生活する家とは別に書庫としている建物を持っています。奥様も読書家であり、この方が買っている本を全て読んだ上で、図書館のヘビーユーザーでもあるということです。

私も20代前半までは本やらCDやらを集めることがアイデンティティの一部であった時期が確かにありました。それをある時点で、なかば意識的になかば自然消滅的に諦めたのです。それはもちろん住宅事情を含む経済的な理由であったり、仕事にもそれなりに専心する必要があり本が読めなくなったりしたことによるものでした。同じ世代の多くの人がそうであったと思いますが、私も将来に展望が持てませんでしたので、その中で趣味のものを集めたり、集めたものをずっと持ち続けることに自信が持てなくなったのです。そんなわけで、その読者の方はなんともうらやましい人生を送られているように私の目には映ったのです。

サブスクを1ヶ月だけ解約する試み

部屋の片付けをすると頭の中がすっきりすると言われています。やってみると確かにその通りで、やっかいごとがあって疲れている時なんかに不要なものを処分したりすると気分が楽になることもあります。ただし、疲れているときに部屋の片付けに取り掛かるのにはそれなりに勢いが必要ではありますが。スマホの不要なアプリを削除したり、あまり利用することのないサブスクを解約することでも部屋の片付けと同様の効果が得られるものと思います。失職した際、支出を絞るために利用頻度の低いサブスクや他の手段で大体可能なサブスクを解約したところ、気分が軽くなるという副次的効果がありました。

とはいえ、サブスクの解約も部屋の片付けと同じで、勢いがないと取り掛かることができません。そこでおすすめしたいのは、「1ヶ月間だけ解約してみる」という試みです。これからずっと利用することができなくなると思いと解約しづらいかもしれませんが、1ヶ月だけであれば敷居が下がるのではないでしょうか。惰性でお金を払い続けてしまうのがサブスクのサブスクたる所以であり、どの企業もサービスのサブスク化を推し進めようとしている理由ではありますが、それを逆手に取って解約することに快感も得られます。

そもそも動画サービスであれなんであり、毎日利用するものは少ないはずです。1年のうち何日間それを利用しているかカウントすると、半年間にも満たないものが多いのではないでしょうか。であれば、それらのサブスクは1年のうち半分だけ加入しておけばよいことになります。特に動画サービスなどは各サービスでコンテンツが重複しているものも多いですし、そもそも観たいと思っていても観きれないほどのコンテンツがあります。これはある種の積読(つんどく)のようなものだと思います。マクロで考えると積読が経済を活性化させているとも言えるかと思いますが、個人が穏やかに暮らすことを目指すのであれば、生活に必須でないものは少し足りないくらいがちょうどよいのです。

当然、GWは耳鼻咽喉科も休む

年始くらいに左目の下あたりがピリピリする症状があり、眼科にかかりました。炎症を起こしているのでは、という診断で目薬を処方されました。花粉症にも効き目があるということで、しばらく1日4回、点眼し続けています。1日2回の点眼で済む目薬もあるそうですが、価格が2倍するということですので、そちらは選択しませんでした。目薬によって、花粉症による目のかゆみは抑えられているように思いますが、目の下がピリピリする症状は、悪くもなっていませんが良くもなっていないように思います。そこで耳鼻咽喉科に行ってみようと思い、Google Mapで近所の医院を調べました。

少しそんな予感はしていましたが、調べた耳鼻咽喉科に行ってみると休診でした。本来であればやっている曜日ではありましたが、GWですから仕方がありません。決して急患というわけでもありませんし、文句をいう筋合いはありません。若い頃はそんなことはなかったのですが、最近ふとしたときによだれがたれることがあります。気を抜くと口の中に唾液が溜まってしまっているようで、下を向いたときにつーっとよだれが落ちます。もとから花粉症はありますが、コロナ禍以降にマスクをする機会が増えてから口元に気を張ることがなくなったことも一因かもしれません。

テトリスが精神衛生の向上に役立つという記事を読みました。初めて買ったゲームボーイのソフトはテトリスで、当時は通信ケーブルを用いた対戦もよくやったように思います。テトリスは確かに中毒性のあるゲームとは思いますが、本当にメンタルヘルスに貢献するのでしょうか。もし本当であれば、少しは不安症が軽減することもあるかと思い、最近はSwitchでテトリスをやっています。もとからSwitchでやるゲームはNintendo Classicsのファミコンスーパーファミコンゲームボーイのゲームばかりで新作をほとんどやりません。この歳になってゲームに求めるのは目新しさではなく、懐かしさと癒しです。