基本読書

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公平な課税方法について考えさせてくれる一冊──『課税と脱税の経済史──古今の(悪)知恵で学ぶ租税理論』

税金は基本的にあらゆる人々の生活に関わり、その行動に影響を与える。たとえば消費税がいついつから上がるとなればその前までに駆け込み需要が発生するものだし、タバコ税が上がればこれを機会にタバコをやめようという人も現れる。

17世紀のイングランドでは窓の数に応じて課税される「窓税」があったのだが(なぜなら窓がたくさんある家に住んでいる人は裕福だと思われていたので)、窓の個数に応じて課税額が変わったので、人々は自宅の窓を塞いでまわった。理不尽な税金が課せられた時、国家を転覆させるほどの暴動に発展することも珍しいことではない

本書『課税と脱税の経済史』は、こうした課税者側と、税金をなんとか逃れようとしてきた人々の歴史を紐解き、「公平な」課税方法は存在するのか。未来の課税方法はどのようなものでありえるのか。「真の課税負担者」は誰なのか──といった、税にまつわる疑問や理論を解き明かしてくれる一冊だ。著者らは経済学者なので、一本道の歴史ではなく、テーマごとに課税と脱税のおもしろエピソードを紡いでいく。

 この本でとりあげるエピソードには、信じがたいとか、ばかばかしいなどと思えるものがいくつもある。とんでもない失敗やむごたらしい事件もある。また、教訓にすることはできないが、常識からかけ離れた面白おかしいものも。だが、愚行ばかりではなく、驚くほど賢い行いもとりあげる。税を立案し、導入するときに取り組むべき問題は、基本的に昔もいまも変わらないというのが本書のテーマだからである。(p.xix)

かつて存在したいろいろな税

本書を読むと、世の中には本当にたくさんの税と、あの手この手で税を回避しようとした人間がいたのかがよくわかる(『歴史からわかるとおり、課税を免れようとする人びとの創意工夫力にはほとんど限界がない』p.478)。

たとえば、最初に触れたが17世紀のイングランドには「窓」税があった。もともとイングランドには暖炉の数に応じて課税される「炉税」があったが、これは査定の時に役人が家の中に入って確認しないといけないので労力もかかるし納税者からは嫌われていた。一方、「窓」なら外から確認できる。画期的な発明といっていいが、人々は窓税導入後窓をレンガで塞ぎはじめ、日当たりも換気も悪くなった。換気が悪くなったため、伝染病が蔓延し、日当たりが悪化しビタミンDが欠乏し発育阻害が発生した。

窓税の他にも階級制の課税がこれまで何度も試みられてきた。たとえば、フランスでは貴族の租税回避を防止する試みとして、1695年に「カピタシオン」が導入され、階級ごとに異なる税額が徴収された。これは、いくつかの利点のある課税方法だ。

まず、階級がはっきりとした社会では、高い階級はそのまま高い支払い能力を持つと考えられた。また、自尊心や自負心によって、強制なしでも正しく納税されると考えられた。実際はどうだったのか? といえば、これが想定通りにうまくいくわけではない。たとえば伯爵の中には公爵より裕福な者もいたはずだが、階級が低いので納税額は公爵よりも安かった。また、自尊心や虚栄心がそれほど強くない人の場合は、正しく納税されないこともあった。そして結果的に社会が変化すると社会的地位は支払い能力とは無関係になりつつあり、結果的にこの税も廃止される運命になった。

上記の事例からも明らかだが、プライドや誇りをもとにして税金をとろうとしてもうまくいかないことが多い。たとえば、1934年までオランダのキュラソーにあるクイーン・エマ橋は通行料をとっていたが、靴を履いていない人は無料とされていた(貧乏なので)。ところが、通説によると、このルールは裏目に出た。貧困者の多くは貧乏人と思われることを嫌がって、人から靴を借りてでも通行料を払ってこの橋を渡った一方、裕福な人々の多くは出費を惜しんで裸足で渡ったのだ。

税の真の負担者は誰なのか

課税をめぐる問題点のひとつに、税の真の負担者が誰なのか、往々にしてわかりにくいということが挙げられる。どういうことかといえば、税を課された人が、実際には真の税の負担者になっていないケースが存在するのだ。一例として、低所得労働者の賃金に対して政府から補助金が給付される場合、その低賃金労働者の雇用者は給付金を上乗せする前の賃金を前持って引き下げておく可能性が考えられる。

 (……)だが、税の帰着先を決めるのは、政府の希望ではなく、課税に対する行動反応の結果なのである。
 税の真の負担者を特定するのは困難だろう。現時点で、法人所得税の最終的な負担者は誰か──労働者か、株主か、あるいは消費者か──という基本的な疑問でさえ明確にされておらず、いまだに物議を醸している。(p.473)

これについては現実の事例も列挙されているが、ウィンストン・チャーチルのたとえ話がわかりやすい。ある教会が近所の貧困世帯に無料で食事を振る舞い始めたとする。貧困者が引っ越してくる。そうすると家賃が上がり、浮いた食費を上回る超過家賃を貧困者は払わないといけなくなる。そうなると、利益を得られるのは、家賃収入を得ている地主だ──こうしたことが、実際には税をめぐる各所で起きているのだ。

超過負担

また、真の負担者とは別の問題として、単純に課税をしたいだけなのに課税から逃れようと人々が行動する結果、「超過負担」が発生するケースも多い。「窓税」はその良い例だ。窓税によってたしかに徴税が楽になった面はあるだろうが、無意味な「窓の数を減らす」という行動を納税者らに起こさせた。これが「超過負担」だ。

窓税によって一人あたり10円の税金が発生しても、窓を潰す行動によって実質的なコストとして2円のコストが追加で社会に発生しているとしたら、本来政府は10円の税金から12円以上の社会的価値を生み出さねば割にあわないことになる。

では、できるだけ超過負担を発生させないためにはどうしたらいいのか? 一つ言えるのは、税を逃れようとする行動それ自体が歪みに繋がるので、逃れようのないものを課税対象にすることが挙げられる。「土地税」はわかりやすい例だろう。土地は隠すことも動かすこともできない。また、階級などに左右されない全員一律の「人頭税」も戸籍が整備された現代では歪みは発生しづらいが、公平性の観点から疑問が残る。

おわりに──超過負担が少なく、さらに公正な税を目指して。

税負担は支払い能力に応じたものであるべきだ、という考え方は現在世界的に広く行き渡っている。しかし支払い能力──実際に今いくら稼いでいるかに関係なく、その人が本来どれぐらい稼ぐ能力を持っているのかを含めた、潜在的な支払い能力のことである──を満足に図る方法は依然として存在せず、公正な税に至る道は遠い。

とはいえ窓税の頃から比べれば課税もずいぶんと進歩した。本書では所得税や法人税、消費税(VAT)といった税の誕生と現状の問題点について述べ、最終的には今後必要とされるであろう税や、テクノロジーによる変化にまで視点を広げて見せる。たとえば本書では、遺伝子情報を用いた支払い能力の推定可能性についても言及されている(ただし肯定的な文脈ではなく、あくまでも可能性の提示・問題提起という文脈)。

AIの発展に伴い、人間の労働領域が削られつつある昨今、より「公正な税」を志向する力は強くなっていくだろう。そのためにも、本書のような課税の歴史を抑えた一冊が存在してくれていることはありがたい。