『27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。 箴言27:1新改訳2017』
「明日のことを誇るな」を読むと次の箇所を思い起こします。
『12:16 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。12:17 彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』12:18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』12:20 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』12:21 自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」 ルカ12:16-21新改訳2017』
明日まで命があるのか? 人間にはわからないという視点を意識しておきたいですね。
しかし、明日の準備をしなくても良いと言うことにはなりません。
この箴言は、自分のエネルギーの配分に関しての警告だととらえています。
集中するべきは「今ココ」です。
そして、「過去を宝にし、未来に希望を持つため」の配分です。
過去に、上手く行かなかった記憶に、取り憑かれるのは、大きなエネルギーの損失です。
でも、過去を一切、忘却してしまうのも、モッタイナイ事ではないでしょうか?
少しは、過去の経験から、教訓という宝石を発掘しておきたいですね。
そして、「今ココ」は、課題、楽しみ、ゆとりなども合わせて満喫したいです。
あまり、無理をせず、背伸びもほどほどにして、リラックスをできる範囲を探りたいと考えています。
「何があっても大丈夫」と構えられるように、自分自身を磨いていきたいですよね。
最大の課題は、明日への備えです。
ルカ伝12章に、「心配しすぎ」に対する警告が記されています。
これは、「あーでもない、こーでもない」という堂々巡りのループに陥らないようにというイメージだととらえています。
堂々巡りほど、エネルギーを激しく消耗するものはないのではないでしょうか?
最低限の備えをして、「今ココ」に戻れば、もっとエンジョイ出来る可能性があるのに、実にモッタイナイと思ってしまいます。
でも、自分の衣装を引っ張り出しながら、コーディネートを考えたりする「一人ファッションショー」などは、有意義な時間の使い方だと思います。
人生には、悩むこともありますが、堂々巡りの無限ループに入るよりも、「考える」「選択肢を挙げる」「決断する」というシンプルな思考を優先した方が良いと考えています。