永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ヴィクトール・フランクルからの問いかけ01

『 人生の意味とは結局、各人が自分の本質を存在にもたらすことにあるのだとすれば、現存在の意味とはつねに具体的なものでしかありえないということは自ずから明らかです。現存在の意味は、ただそのつどの人格に即して (ad personam)、またそのつどの状況に即して(ad situatio mm)のみ妥当するのです(というのも、個々の人格に対してだけではなく、個々の状況に対しても、それぞれの意味実現がなされるべきであるからです)。それゆえ、人生の意味への問いはただ具体的にのみ立てられうるのであり、答えもただ活動的にのみ与えられうるのです。「人生問題」に答えるとは、とりもなおさず、「人生問題」に責任を持つ答えを与える ver-antworten) こと、答えを「行なう」ことなのです。
(中略)
 人間は、絶対的な意味を捉えることができないだけではなく、いかなる点においても絶対者を認識することもできません。人間にも絶対的な認識は存在します。けれども、人間には絶対者の認識は存在しないのです。人間にも客観的な認識は存在します。けれども、人間には、主体についての、自分自身についての客観的な認識は存在しないのです。主体は自分自身を超越しているのです。古代哲学は、哲学のあらゆる営みは「驚き」「不思議に思うこと」から始まると主張しましたが、実際にこの主張のとおりであるとすれば、あらゆる哲学者が直面している本来的な驚き【不思議】とは、自分自身の実存という神秘であり原現象なのです。哲学者として私は、私が存在すること、私が私であることに驚くのです。(以下略)p112~113』

やや難しい文体で書かれているように感じられます。

ホロコースト生還者」の精神科医として、極限状態におかれた状況やその場における心理についても、分析しているのが、著者のフランクル氏です。

その彼は、自らを「哲学者として私は、私が存在すること、私が私であることに驚くのです。」を表現しています。

「私は私だけれど、本当は誰?」というような問いは、私にもあります。存在というものは、創造主である神【主】から魂を授かり生かされている人格という理解がありますが、DNA以外に、個人を特定する術は持たないのかも知れません。

その人間に問われているのは、「人生問題」であり、その「解」は、「自分が生かされている意味を探りながら行動する」と言う意味合いを私は感じるのです。

今の時代は、「正解」をすぐに知りたがる傾向が、異常に強いと感じます。

しかし、人生には、想定した通りには行かないことが、あまりにも多い現実があります。

これらを味わいたくないという人が増えた、あるいは、一回倒れたら、即、死をイメージさせられている可能性も感じます。

人間は、ロボットではないのですから、「間違えがあっても大丈夫だ」と考えていた方が、生きやすいと思います。人生崖っぷちの発想は、無意識に不用な力みを生みます。これは、避けた方が良いのではないでしょうか?

参考文献
Viktor Emil Frankl Homo patiens : Versuch einer Pathodizee
『苦悩する人間 V·E· フランクル著 山田邦男・松田美佳[ 訳 ] 春 秋 社』

ヴィクトール・エミール・フランクル(ドイツ語: Viktor Emil Frankl, 1905年3月26日 - 1997年9月2日)は、オーストリア精神科医、心理学者、ホロコースト生還者。著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、代表作は『夜と霧』。患者が自ら生きる意味を見出す手助けを施すことにより、精神障害を克服する心理療法「実存分析」(のちにルートヴィヒ・ビンスワンガーによりロゴセラピーと改められる)を提唱した[注釈 1]。

ja.wikipedia.org

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