小説に限らず、(他者に読まれることを前提として書かれた)あらゆる文章表現に共通しているのは、その文章に価値があるかどうかを決めるのが「他者」という点である。
この本、小川哲「言語化するための小説思考」のまえがきに書かれている一文である。商業目的ではないが、今書いているこのブログも(備忘録の役割はあるものの)、やはり読まれることを前提に書いている。そもそも公開しているし、誤字脱字に気づけば修正するし、長すぎたかなとか、(ポストする)間があきすぎたかなと「他者」の存在を気にしている。そして、その評価は「他者」がする。改めて言われなくてもと思うが、普段は気にしていない点でもある。
小川さんは研究職を見切って小説家の道を選択した(とトークショーで語っていた)。本好きで「他者」とは関わらない仕事を選んだつもりだが、小説を書くとなると「他者」を考えなければいけない。じゃあ、小説ってなんなの?と考えて、小川さんが小説を書くときに考えていることを表した本である。
実にとっつきやすいように書いている。ここらが小川哲の才能と思えるが、一方で彼の術中にはまっているような感じも受けるのだ。最初の章が「小説国の法律について」、3章の「知らない世界の話について堂々と語る方法」などと、「そそる」題が続く。きちんと「読ませる文章」になっている。それが職業なので当然ですと言われそうだが。
面白いと思ったのが、「『伏線』は存在しない」の章。小川さんはこの言葉が嫌いだとのこと。他の作家と話していても「伏線」の定義がはっきりしないという。やや端折るが、小川さんにとって小説とは伏線そのもので、それこそ回収されない伏線はあってはいけないはず。「伏線回収がすごい」のが賛辞になってはおかしいと書く。小川さんがプロットを作らずに小説を書くタイプで、「書いてしまった文章をいかに伏線にするか」と作品内で小説を構築しているという。まだ小説は2作しか読んでいないが、少しわかるような気がする。
そのほかの章を紹介すると、「小説の『勝利条件』」「小説はコミュニケーションである」「小説ゾンビになってわかったこと」「小説の見つけ方」など。巻末に短編の「エデンの東」を収録。少しばかり裏話を聞かせてもらった気がした。
