先日、用事があって近鉄奈良駅の商店街に行きました。旅行中の外国人の方が沢山いて、商店街は混雑しています。そういう混雑の中に身を置くと、ここは自分のいる場所ではない、との思いを強くします。テレビのチャンネルを変える時、芸人の出ているバラエティ番組が映り、しゃべったり、笑ったりする大きな声が聞こえてくるとすぐにチャンネルを切り換えます。テレビを見るとは、テレビが映す場所に自分の身を置くことと考えることができます。するとこのにぎやかな場面は自分のいる場所ではないと思います。
私は歳をとりました。心のどこかで自分の死を意識しながら生きる身です。若い人のように永遠に生きるような思いで、自分が死ぬ存在であることなど考えもしないで、生きている姿を見ると、自分とは違うと強く意識します。電車に乗っても老いた人は少なく、ここは自分のいる場所ではないと感じることが多くなりました。自分たちは生きているんだというオーラが発散される場は避けたいと思うのです。
私が住んでいる場所は奈良市の郊外に当たる部分ですので散歩で歩いても、歩いている人は少なく、静かな散歩を楽しめます。静かな環境での生活を送ることができます。
ある言い方をすると、そこは私がいる場所ではないと感じる場所は、「この世」が支配している場所であり、私が落ち着ける場所は「この世」から遠ざかったところ、神との交わりに浸れるところと言えるように思います。
白毫寺というお寺が近くにあります。そこの境内からは奈良市内、生駒山、金剛山が見えます。お寺の境内でベンチに座りながら、遠景を見ながら黙想することがあります。とても静かな場所です。
