ルカ 12:6~7
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりはるかにまさっている。
これは今朝読み、思いめぐらした聖書箇所です。
夜明け前の暗闇の中に目覚めることがよくあります。トイレに行きますが、その後なかなか眠れません。色んな思いが去来します。今朝は、悪魔が信仰なんて人間の想像に過ぎない、永遠の命なんて単なる空想だとキリスト者の希望を否定する思いを私にぶつけてきました。私は御言葉に立つと心の中で宣言し、悪魔に抵抗しました。暗い闇の中で、悪魔は活動します。
その後、自分の生き甲斐って何だろう、との思いが湧いてきました。牧師としての働きも終わりました。特別にすべきことはないし、何をしてもいいのですが、何もしなくてもいいのです。張り合いがないといえば張り合いがなく、何を生き甲斐としたらよいのかと思い巡らしました。その内に寝入り、目が覚めたら外は明るくなっていました。
夜、妻に「あなたの生き甲斐はなに?」と聞きました。そしていつものように寝る前の祈りを共に祈りました。その時妻が祈りました。神さまの期待に従う歩みができるように、と。それを聞いて、そうか、と思いました。何を生き甲斐にしたらよいのか、あれこれ考える必要はないと気づきました。
自分が自分の生き甲斐を考えると自分が人生の主人公になります。キリスト者の私の人生は、イエス・キリストを主とする人生です。自分の生き甲斐を求めるのではなく、イエス・キリストあるいは神さまが私に何を期待しているのか、それを知るべきだと思い知りました。神の期待に応えていく、そのことを生き甲斐にすればよいと知りました。
神さまは、自分のような人間には何も期待しない、というのは間違いです。安い値段で売り買いされる雀すら神さまは顧みられます。「あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」。神さまは、私にも何か期待しておられる、と信じます。
私のような者に神が期待するなんてありえない、と卑下することはしません。聖書は、私が雀よりはるかにまさった存在だと語ります。神さまが私を顧みてくださるのは確かであり、私にも期待しておられるのです。神さまは何を期待しておられるのか、思い巡らしたいと思います。でも、私が今普通に信仰者として歩んでいること、それを神さまは受け入れ、喜んでくださっているかもしれません。自分で考える生き甲斐、自分が造り出す生き甲斐ではなく、神さまに期待される歩みをすればよい、今日の結論です。
