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隠退牧師 holala によるブログ

天の故郷を熱望したアブラハム

 創世記に出てくるアブラハムは信仰の父と呼ばれる人物です。アブラハムは、私が信仰の模範とした一人の人物です。私は信仰を考える時、アブラハムを思い起こします。彼は神から約束を与えられた時、それを信じ、人生の新たな歩みを始めました。

創世記 12:1~2
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

 彼は神から、大いなる国民にする、あなたの名を高める、祝福の源となる、との約束を与えられました。そして「わたしが示す地に行きなさい」との命令に従いました。信仰とは、神の約束を信じ、約束に伴う命令に従うことと教えられました。神の約束はそれに伴う命令に従ってこそ実現することを教えられました。このことの典型的な例は、出エジプトの出来事と言ってよいと思います。

 私がもう一つアブラハムの信仰で彼を模範とすることがあります。神はあなたを大いなる国民にすると約束しました。アブラハムの子孫が増え広がって大いなる国民になるのを彼は見ることができません。彼が見ることができるのは、せいぜい、自分の孫です。つまり自分が生きている間には実現しない約束を信じたのです。自分が生きている間に実現しない約束を信じるなんて愚かに見えるかもしれません。でも彼は信じました。ここに模範となるアブラハムがいます。

 キリスト者が信じる死を越える希望となる神の約束も、彼が生きている間には実現しません。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 キリスト者が永遠の命に生きるのは、神の国に迎えられた時と言ってよいと思います。キリスト者も地上の生涯を終えます。そして復活し、神の国に迎えられ、永遠の命に生きると教えられます。これは、この地上に生きている間には実現しません。生きている間には実現しない神の国に迎えられるとの約束、それが神の約束だから信じるわけですが、自分が生きている間に実現しない神の約束を信じる模範としてアブラハムを私は敬います。

 そのアブラハムは神の言葉を聞いて、75歳の時に住み慣れた場所を離れ、神の示す地に向かって旅をしました。その後彼は住む場所をあちこち変える歩みをしました。

ヘブル 11:15~16
もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。

 アブラハムは天の故郷を熱望していたので住み慣れた故郷に戻ることはしなかったとあります。このことは創世記には書かれていません。ヘブライ人への手紙だけに書かれていることです。

 私は東京出身です。自分が育った場所を訪れたことがありますが、昔の面影がありませんでした。都会ですから町は大きく変貌していました。私には懐かしく思い出す故郷はありません。天の故郷を自分の故郷にしたいとの思いを聖書から与えられました。

 私もアブラハムのように、住む場所を変えました。東京で育ち、仕事をし、結婚もしましたが、牧師となってから三重県、静岡県、石川県と住む場所を変え、今は奈良県に住んでいます。私には懐かしいと呼べる故郷は地上のどこにもありません。でも天の故郷があります。恵みと受けとめます。

猛暑の夏