マタイ福音書を日々少しずつ読みデボーションをしています。私にとってデボーションとは、聖書を読み、思いめぐらし、そこに神の導きを聴き取ろうとする行為です。聴き取ったらそれに従います。先日読んだ箇所は、12章46節から50節までです。新共同訳聖書には「イエスの母、兄弟」という見出しがついています。
イエスが群衆と話しておられるとき、イエスの母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていました。ある人がイエスに「母上と御兄弟たちがお話をしたいと外に立っておられます」と告げました。するとイエスは、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言い、さらに続けました。
「だれでもわたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12:50)。
これを読んで、わたしはイエスの兄弟と呼ばれたいと願いました。わたしはイエスとは無関係な人間ではなく、兄弟と呼ばれたいと思いました。それなら、天の父の御心を行うことが大切となります。
そこで、今回、わたしは天の父の御心として何をしたらよいのかと思いめぐらしました。新約聖書には、神の教えが沢山書かれています。今の私に神は何をしなさいとおっしゃるのか思いめぐらしました。すぐに結論が出るわけではありません。日々の生活の中で、思いめぐらしました。すると、そうだ祈ることだ、執り成しの祈りをすることだとひらめきました。
特にテレビのニュースに登場した人のために祈ってみたいと思いました。最初の祈りは、埼玉県八潮市に起きた道路陥没事故により、行方不明になったトラックの運転手の方が一日も早く見つかり、ご家族のもとに帰ることができるようになることです。事件直後は、どうなるかどうなるのか、と関心を持ってみていましたが、いつの間にか、報道もされなくなり、日々の関心事から消えてしまいました。忘れてはいけないんだ、運転手の方が家族のもとに帰るまで、祈り続けようと思いました。
次の祈りは、ウクライナのゼレンスキー大統領のための祈り。アメリカのトランプ大統領との会談が口論の内に終わり、トランプ大統領の不興を買いました。あの口論をテレビで見て、ゼレンスキー大統領の発言に共感を覚えました。トランプ大統領には彼に寄り添う姿勢は見えませんでした。しかしアメリカ大統領の権力は絶大です。ウクライナへの援助中止を検討しているとの報道もあります。私はウクライナの大統領のために、ウクライナがロシア侵攻からの安全を保証される形で戦争が終結することを祈り求めたいと思いました。
すぐに人々から忘れ去られてしまう人たちのことを覚えて祈ることを父なる神の御心に従うこととしました。
