聖書を読んでいて、それは信仰上の建前を語っていて、心に響いてこないと感じることがあります。
youtubu で男声合唱を聴き、自分も男声合唱サークルで歌っていたことを思い出しました。素敵な曲を歌えたことは良い思い出であることに気づきました。
牧師を隠退し、隠退後の転居先について、神の導きを覚えました。
洗礼を受けてキリスト者になった人は聖なる者とされました。聖なる者とはどういう意味でしょうか。
異邦人キリスト者である私たちは、イエス・キリストのものとなるように召されています。キリストのもの、どういうことでしょうか。
洗礼を受けてクリスチャンになったなら、ほとんどの人は神に従って生きていきたいと考えるのではないでしょうか。つまり、すでに信仰の従順へと導かれているのです。しかし・・・
聖書は私たちに問いかけます。ローマの信徒への手紙1章も、問いかけます。
昨日、礼拝説教奉仕を行いました。その説教を紹介します。 新約聖書 ルカ福音書1章26~45節説教 お言葉どおりこの身になりますように ~~~~~~~~~~ 0.はじめに →天使がマリアにあなたは男の子を産むと告げました。そしてマリアは、「お言葉どおりこ…
運転免許証を返納することにしました。
「いつでも死ねるために生きる」。今読んでいる本の中にある言葉です。この言葉を思いめぐらしました。
牧師にとって牧会する教会を転任することがあります。転任の判断は、神の御心かどうか祈りつつ考えます。
人生って何だろう。人生の夕暮れで思う。
天使のツゲを聞いたマリアは答えます。「お言葉どおり、この身に成りますように」。私たちもこの告白をするように招かれています。
老いの中にあって牧師としての働きを振り返り、自分を励ます必要を覚えます。
知人からある集会に誘われ、聖書の読み方を学びました。この読み方に従い、今日まで聖書を読んでいます。これも神の導きと信じています。
聖霊を信じる信仰を求めるように神が導かれた出来事の続き。
いくつかの出来事が起きましたが、偶然とは思えません。神さまが布石を強いてくれたように思えます。
死を越える希望を確信するためにもがき、いろいろ試みています。「待ち望む」ということを考えています。
外出をすると、ここは自分のいる場所ではないと思うことがあります。そこは「この世」が満ちています。
神を信じるだけでなく、神を知る体験。神が生きて働く神であると知りました。
人との出会いは私にとって神の導きです。牧師会を通して神学の基礎を身につけることができました。
置いた人間の生き甲斐とは何でしょうか。神の視点で生き甲斐を考えるとは?
最初に赴任した教会でがむしゃらに奔走して会堂建築を行いました。
同じ地区の牧師を訪問して導かれた神の恵みです。信仰のあり方としての敬虔、親のあり方を教えられました。
エレミヤ書で印象に残る聖句です。「わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて/無用の水溜めを掘った。水をためることのできない/こわれた水溜めを」。
神さまは、人生の伴侶を備えてくださいました。その証しです。
牧師になりたいとの憧れを抱きました。その憧れを神さまは私に与え、実現に導かれました。
朝起きるとすぐに聖書を通読するという新しい習慣が身につきつつあり、うれしく思っています。
罪が分からなくては洗礼を受けることができません。自分の罪を思わされる出来事が起き、洗礼に導かれました。
大学を卒業したのと、人との出会い、思いがけない出来事によって、礼拝に通うようになりました。不思議な神の導きです。