チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

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ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」日本初演(1965)

ブリテン(Benjamin Britten, 1913 - 1976)の、怖くて大迫力だけど最後には少なくとも表面的には静かで深い安らぎを与えてくれて、平和って本当に大切なもんなんだなーって再確認させてくれる「戦争レクイエム」の日本初演です。

芸術新潮1965年4月号)

1965年2月22日(月)東京文化会館
デイヴィッド・ウィルコックス(David Willcocks, 1919-2015)指揮 読売日本交響楽団
ソプラノ・伊藤京子(1927-2021)
テノール・中村健(1932-)
バス・立川澄人(1929-1985)※
合唱・この演奏のために編成された5つのプロ合唱団の合同

英国の世界初演が1962年5月30日、それから3年も経っていない時期での日本初演って主催者の意気込みが半端ないですね。

ちなみにこの曲の合唱パートはアマチュアでも歌えるように書かれているということで、いつか歌ってみたいです。

【追記】最初にこの記事を書いてから10年後に希望が叶いある合唱団で歌うことになったのですがめちゃムズ!アマチュアでも簡単に歌えるように書かれているというのはウソでした。しかし少し慣れて来て不協和音がキマッたときは快感。


和田アキ子のテレビ番組でデストロイヤーに4の字固めをかけられていたのを見たという証言があるんだけど、ブリテン初演とイメージかけ離れすぎ。

ストラヴィンスキー来日(1959)~演奏会の四者の感想

1959年4月から5月にかけて開催された「大阪国際フェスティバル」のために、イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882-1971)が4月5日(日曜日)に来日し、一ヶ月滞在しました。夫人と、弟子で指揮者のロバート・クラフト(Robert Lawson Craft, 1923-2015)が同行しました。

↑ 杉浦康平氏(1932年生まれ)によるポスター(1030×728mm)。60年も前なのに古さを感じさせません

 

NHK交響楽団を率いて「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「花火」、「夜鳴きうぐいす」をフェスティバル・ホールで演奏した5月1日(金)は補助席を出しても足りなくてオーケストラ・ピットにまで席を作ったほどだったそうです(このときの「火の鳥」がYouTubeで見れます)。

 

その演奏会に関する、聴衆、評論家、オーケストラ、そしてストラヴィンスキー自身の感想をまとめてみました。

 


1.【一般の聴衆代表岡部伊都子氏(1923-2008、随筆家)~「芸術新潮」昭和34年6月号】

「現存する最大の作曲家、そして音楽に関心をもつものは避けて通ることのできない近代音楽の魂であるストラヴィンスキーが、自分で自作の指揮をするのだから興奮しないではいられない。

5月1日、ストラヴィンスキー指揮のNHK交響楽団をきくために集まった人々の顔は、一種とくべつな熱烈さと純粋性にあふれていた。(中略)東京の文士や作曲家の姿も散見する。みんな、ストラヴィンスキーを自分の中に抱いている人々だ。

七十七歳になっているというストラヴィンスキーは、老人らしくたよたよとして舞台にあらわれる。正面にむかって九十度の深いおじぎをする。日本人でもめったにしなくなった深いおじぎである。そして無雑作に指揮をはじめる。(中略)面白いことは全楽器が大奮闘しているフォルティッシモのときには、彼は指揮を中止してハンカチで額の汗をふいている。そして音がしずまると、ガゼン彼の腕は激しく動き鋭いあいずを示す。(中略)NHK交響楽団も火のような清らかさで神経をハリつめた壮大な演奏をしていた。(中略)チェレスタ黛敏郎、タンバリンに指揮者岩城宏之が加わり、同じストラヴィンスキーの舞台にたつ喜びを味わっていたらしい。二度、三度アンコールにこたえて舞台の中央に戻ったストラヴィンスキーは、そのたびに客席に三度、あの深いおじぎをくりかえし、後のオーケストラ奏者に礼をする。(中略)前かがみになり、心臓の下に手をあてて、あらわれては消える老作曲家の姿に、涙のにじむのをとどめることはできなかった。」

 

→自分がもしその場にいたらやっぱり生ストラヴィンスキーを見ただけでジーンとなったと思います。YouTube動画では黛氏と岩城氏がなんとなく確認できました。


2.【評論家代表:吉田秀和氏~「音楽芸術」昭和34年7月号】

「このあいだ、イゴール・ストラヴィンスキーが日本にきて、自作の指揮をしていったのをきいて、この指揮をする作曲家のすがたがどこで接してみても、あまりにも、同じなのに、強い印象をうけた。(中略)とにかく、公衆との共感に、土地柄での差というものが、あるのだろうぐらいに、かねがね、思っていた。

それが、ストラヴィンスキーでは、ちがっていた。そういえば、大変失礼な言い草だが、当代一流をもって目されているフィラデルフィア・オーケストラやハンブルクの西北ドイツ放送局のオーケストラを相手にした時も、N響を相手にした時も、彼のわたしの前にえがいてみせた音楽は、本質的に同じものだった。東京の公衆と、ニューヨーク乃至はローマ、ハンブルクの公衆とは、そのうえ、大変ちがうものなのに。

一体、音楽家演奏家にしても作曲家にしても―のなかには、「自分の公衆」というものを、特に、強く必要とするものと、それほどでもないものと、まあ、わけてみれば、二通りの区別があるのだろうか。

それは、また、単に、音楽会にあつまった時の人間の集団という意味での、「公衆」ばかりでなく、もっとひろく、深く、芸術家として、自分の芸術を育て維持し、発展させてゆくために、特に強く、自分にあった精神的自然的風土を必要とするものと、それほどでもないものと、二通りあるという風に考えられるのではなかろうか。」

 

→良く言ってるんでしょうか?まあ、悪く言ってるんでしょうね。「作曲家の指揮はつまらない」っていうのが常識らしいですが。。

 

3.【NHK交響楽団代表:オーボエ奏者の川本守人氏~佐野之彦著『N響80年全記録』(文芸春秋)171ページより】

「自分の作った曲に対する思いがこちらにひしひしと伝わってくる。火の鳥』の練習中にセカンドヴァイオリンの譜面を直すんですからね。作ってから何年も経っているのに、これでもかと、納得するまでよくしていきたいという気持ちを感じました。偉大な作曲家というのはこういうものかと。あの姿勢には本当に感動させられました」

 

→ かなり気合の入った練習をしたんですね!

 


4.【ストラヴィンスキーのNHK交響楽団に対する感想~「音楽芸術」同月号】

「ここのオーケストラと仕事をしてみて、ぼくは、楽員たちが、テンポの感覚(センス)をもっていないことを、確信するようになった。御存知のように、テンポはリズムとは別のものだ。ところで、ぼくは、「雅楽」をきくと、そのテンポはすばらしい。だが、ぼくはその音楽は理解できない。楽員たちは、これと似たようなことを、やってるわけだ。ぼくの「火の鳥」で、ぼくはテンポに関するぼくの考えを、彼等に理解してもらうことが、とうとうできなかった。その他の点では、このオーケストラは非常に満足だった。彼等はすばらしく協力してくれた。だが、テンポは、あのひとたちは、どうしても、わかってくれなかった。

 

→ガチョ~ン

 


大阪でN響を指揮するストラヴィンスキー

(追記) ストラヴィンスキーのテンポに関する考えがどういうものか分からなかったのですが、『芸術新潮昭和32年9月号の「ストラヴィンスキー・34の質問に答える」という記事のなかにそれらしきものがありました。

質問者 シェーンベルクは、良い演奏をするテンポは一つしかないと提唱していますが、これに賛成なさいますか?(シェーンベルクは、テンポの不確かな曲の実例として、ハイドンの《皇帝クワルテット》からとったオーストリア国歌を挙げている)

ストラヴィンスキー 私は、どんな音楽作品も、必然的にただ一つのテンポを持っているべきだと考えています。テンポがいろいろになるというのも、もとを正せば、演奏家が自分の演奏する作品にあまり親しんでないからか、または、それを解釈するのに個人的な興味を感じているからなので、ハイドンの有名な旋律の場合だって、テンポに何らか不確実さがあるとすれば、その誤りは、それを演奏する無数の人たちの驚くほかない振る舞いのうちにある。


→ テンポがただ一つと考えているからこそ、ストラヴィンスキーの指揮姿が吉田秀和氏にはいつでもどこでも同じように映ったんだな、と合点がいきました。ちなみに小林利之著『ステレオ名曲に聴く』(東京創元社)の165ページにも『...カラヤンの解釈を「全然まちがっている」と断言したのが、じつは作曲家ストラヴィンスキーです。彼の持論は「音楽は解釈されるべきものでない」というのですから、当然でしょう』という記述があります。

しかしながら、当時のN響が、テンポはただ一つという大して難しくもなさそうなことを何故理解できなかったのか依然として疑問が残ります。

もしかしたら日本人は日本古来の音楽の伝統にDNAレベルで支配されており、自分でも気がつかないうちに本能的に部分部分のテンポを変えてしまっているとか? (例: 酔っぱらいのカラオケおやじ)

(追記)

篠崎史紀氏エッセイ『ルフトパウゼ』にテンポ問題に対するひとつの答えがありました!

(2014年8月23日の記事にポスター画像を追加しました)

作品番号別・クラシックの有名曲(1~150番)

【2015年9月30日のどうでもいい記事に101-150番を追加しました】

クラシック音楽が好きな人は、たいていの名曲の「作品番号」を無意識のうちに覚えてしまいますよね。

そこのところをちょっと整理しようと思って、私情を排除しGoogleで「作品○○」(1から150まで)を検索して、作品番号ごとの検索結果の上のほうに出てきたものから書き出してみました(ヒマ)。例えば、作品番号14といえば幻想交響曲だよね!的な見方をしてください。

(珍しいと思った音楽は太字にしました。要注目曲かも)

1 ブラームス:ピアノソナタ第1番
2 ショパン:ラ・チ・ダレム変奏曲
3 ラフマニノフ:幻想的小品集
4 チュルニョーニス:2つの小品
5 コレッリ:ヴァイオリンソナタ
6 コレッリ:合奏協奏曲、ショパン:マズルカ
7 ショパン:マズルカ
8 コダーイ:無伴奏チェロソナタ
9 ショパン:夜想曲アルビノーニ:5声の協奏曲集
10 ショパン:エチュード
11 ショパン:ピアノ協奏曲第1番
12 シューマン:幻想小曲集
13 シューマン:交響的練習曲
14 ベルリオーズ:幻想交響曲
15 ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番
16 グリーク:ピアノ協奏曲、シューマン:クライスレリアーナ
17 ショパン:マズルカシューマン:幻想曲ハ長調
18 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
19 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番ラフマニノフ:チェロソナタ
20 ベートーヴェン:七重奏曲、ショパン:スケルツォ第1番、R.シュトラウス:ドン・ファン
21 ラロ:スペイン交響曲ショパン:ピアノ協奏曲第2番
22 ドヴォルザーク:弦楽セレナード、ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
23 ショパン:バラード第1番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
24 シューマン:リーダークライス、ショパン:マズルカ
25 ショパン:エチュード
26 シベリウス:フィンランディアブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
27 ベートーヴェン:「月光」を含むピアノソナタ集、ショパン:夜想曲第8番
28 ショパン:24の前奏曲
29 セルゲイ・ボルトキエヴィチ:12の練習曲チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド
30 ショパン:マズルカラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
31 ショパン:スケルツォ第2番、ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番「テンペスト
32 ホルスト:惑星
33 ショパン:マズルカラフマニノフ:音の絵、E・ケーラー:フルートのための35のエクササイズ
34 ショパン:華麗なる円舞曲
35 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
36 ベートーヴェン:交響曲第2番、チャイコフスキー:交響曲第4番
37 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
38 ブラームス:チェロソナタ第1番、シューマン:交響曲第1番、スクリャービン:ワルツ
39 ブラームス:4手のためのワルツ集、シューマン:リーダークライス、ラフマニノフ:音の絵
40 R.シュトラウス:英雄の生涯
41 ショパン:マズルカシューマン:弦楽四重奏曲
42 シューベルト:ピアノソナタ第16番、シェーンベルク:ピアノ協奏曲
43 ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲、シベリウス:交響曲弟2番
44 シューマン:ピアノ五重奏曲シベリウス:悲しきワルツ、ドヴォルザーク:セレナードニ短調
45 ショパン:前奏曲チャイコフスキー:イタリア奇想曲
46 ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集
47 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
48 チャイコフスキー:弦楽セレナード
49 メンデスルゾーン:ピアノ三重奏曲第1番、ショパン:幻想曲へ短調チャイコフスキー:大序曲「1812年」、カプースチン:シンフォニエッタ
50 ショパン:マズルカ
51 ショパン:即興曲第3番、ブラームス:弦楽四重奏曲
52 ショパン:バラード第4番、シベリウス:交響曲第3番
53 ショパン:英雄ポロネーズドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲
54 シューマン:ピアノ協奏曲
55 ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
56 ショパン:マズルカ、メンデスルゾーン:交響曲第3番「スコットランド
57 ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番「熱情」
58 ショパン:ピアノソナタ第3番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、ドヴォルザーク:スターバト・マーテル
59 ショパン:マズルカベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番
60 スクリャービン:交響曲第5番「プロメテ」、ベートーヴェン:交響曲第4番
61 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
62 メンデルスゾーン:無言歌集、ショパン:夜想曲第17番
63 ショパン:マズルカプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番
64 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー:交響曲第5番
65 ショパン:チェロソナタ
66 ショパン:幻想即興曲
67 ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、ショパン:マズルカ
68 ブラームス:交響曲第1番、ショパン:マズルカシューマン:こどものアルバム、ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
69 ショパン:ワルツ集、ベートーヴェン:チェロソナタ第3番
70 ドヴォルザーク:交響曲第7番、ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番、シューマン:アダージョアレグロ
71 ショパン:ポロネーズチャイコフスキー:くるみ割り人形ハイドン:弦楽四重奏曲
72 チャイコフスキー:18の小品、ショパン:夜想曲第19番
73 シューマン:幻想小曲集
74 チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番「ハープ」
75 シベリウス:5つの小品「樹の組曲」、ドヴォルザーク:「四つのロマンティックな小品」
76 ハイドン:エルデーディ四重奏曲
77 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
78 サン=サーンス:交響曲第3番、ブラームス:ヴァオリンソナタ第1番「雨の歌」
79 ベートーヴェン:ピアノソナタ第25番、ブラームス:2つのラプソディ
80 ベートーヴェン:合唱幻想曲、ブラームス:大学祝典序曲、フォーレ:組曲ペレアスとメリザンド
81 ブラームス:悲劇的序曲、ショスタコーヴィチ:「森の歌」、ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲第2番
82 シベリウス:交響曲第5番
83 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番
84 ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」
85 エルガー:チェロ協奏曲
86 ベートーヴェン:ミサ曲ハ長調
87 ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ
88 ドヴォルザーク:交響曲第8番
89 ジェームズ・バーンズ:交響曲第3番(何これ?冬の旅に勝ってます)、シューベルト:冬の旅
90 シューベルト:4つの即興曲
91 モシュコフスキー:20の小練習曲、ベートーヴェン:ウェリントンの勝利、ブラームス:2つの歌曲
92 ベートーヴェン:交響曲第7番
93 ベートーヴェン:交響曲第8番、ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
94 プロコフィエフ:フルートソナタシューマン:3つのロマンス
95 ドヴォルザーク:交響曲第9番新世界より
96 ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、ショスタコーヴィチ:祝典序曲
97 シューマン:交響曲第3番「ライン」
98 ブラームス:交響曲第4番
99 シベリウス:8つの小品、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ブラームス:チェロソナタ第2番、カステルヌーヴォ=テデスコ:ギター協奏曲第1番
100 ブルグミュラー:25の練習曲、プロコフィエフ:交響曲第5番
101 ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番
102 ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
103 サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」
104 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
105 シベリウス:交響曲第7番、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第14番
106 ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」
107 シャミナード:フルート小協奏曲ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番
108 ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番
109 ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番
110 ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番
111 ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番、シューマン:幻想小曲集
112 ショスタコーヴィチ:交響曲第12番、シベリウス:タピオラ、フォーレ:マスクとベルガマスク
113 シューマン:おとぎの絵本
114 ブラームス:クラリネット三重奏曲
115 ブラームス:クラリネット五重奏曲
116 ブラームス:7つの幻想曲集
117 ブラームス:3つの間奏曲
118 ブラームス:6つの小品
119 ブラームス:4つの小品
120 ブラームス:クラリネットソナタ
121 シューマン:ヴァイオリンソナタ第2番
122 ブラームス:11のコラール前奏曲ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第11番
123 ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
124 シューマン :アルバムの綴り
125 ベートーヴェン:交響曲第9番
126 ベートーヴェン:6つのバガテル
127 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番
128 ベートーヴェン:くちづけ
129 シューマン:チェロ協奏曲
130 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番
131 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番
132 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番
133 ベートーヴェン:大フーガ
134 シューマン:ピアノと管弦楽のための序奏と協奏的アレグロ
135 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番
136 ベートーヴェン:カンタータ「栄光の瞬間」
137 ヨハン・シュトラウス1世:アンネン・ポルカ
138 ヨハン・シュトラウス2世:ペピタ・ポルカ
139 ガリボルディ:グランド・エクササイズ、ツェルニー:100番練習曲
140 コルネリウス・グルリット:子供のためのアルバム
141 ショスタコーヴィチ:交響曲第15番
142 シューベルト:即興曲
143 カプースチン:ピアノソナタ第19番
144 サン=サーンス:カヴァティー
145 ガリボルディ:フルートのためのデュエット
146 ランゲ:3つのソナチネ
147 ショスタコーヴィチ:ヴィオラソナタ
148 マウロ・ジュリアーニ:ジュリアナーテ
149 カプースチン:短いけれど超絶技巧の練習曲
150 シャミナード:スペインのセレナード



。。。なぜかショパン強し!

この作品にはやっぱりこの番号しかないね!(運命の67、悲愴の74、ブラームス4番の98など)というのがけっこうあります。いっぽう、ベートーヴェンの皇帝(作品73)やらの超有名曲が意外とGoogleで引っかからないものだと少々驚きました。そういう曲は落ち目なんでしょうか?

さらに、それぞれの番号が持つ固有の性格なのか、名曲がひしめき合う作品番号があると思いきや、反対にスッカスカな番号もあることは興味深いです。

100番以降を見ると。。ブラームスベートーヴェンソナタ弦楽四重奏曲の作品番号を意識していたのは明らかなような気がします。

ちなみに、作品番号で名曲を語りすぎるとクラシック愛好家以外の人たちに気持ち悪がられそうなので注意すべきだと思いました。

レニングラード音楽院で一緒に学んだ潮田益子と前橋汀子(1962年)

『今日のソ連邦』1962年10月1日号より「レニングラードでバイオリンを学ぶ日本娘たち」です。

日本娘たち、というのは潮田益子さん(1942-2013)と前橋汀子さん(1943年生まれ)。

お二人はアウアー門下のアンナ・ブブノワ(Anna Bubnova・小野アンナ、1890-1979)の東京にあった教室で知り合いになったそうなんです。

彼女たちは1959年に来日したソ連のヴァイオリニスト、ミハイル・ヴァイマン(Mikhail Vaiman, 1926-1977)に演奏をきいてもらい、感心したヴァイマンが二人のレニングラード音楽院留学を援助することを約束。しかもヴァイマン自身が2人を教えることを喜んで了承。お二人のその後のご活躍にかんがみるにヴァイマンの目に狂いはなかったことになりますね。

その後、2年間は日本において音楽院への入学準備に費やされ、1961年8月に二人はいよいよレニングラードに到着しました。

二人がレニングラードで一緒に住んだのは音楽院の学生寄宿舎の3階、51号室。ラトビアの首都リガから来た2人とともに計4人。部屋がいつもきれいに掃除されていたので他の学生たちの手本として引き合いに出されていたというあたりさすがは日本娘。

彼女たちの日程は週に3回はヴァイマン先生のレッスン、さらに四重奏の練習、ロシア語の勉強、予習・復習でぎっしりつまっていたそうですが、わずかな余暇は仲のよい友だちとコンサートやオペラ、美術館に通ったらしいです。うらやましい~(とか気楽なものでは決してなかったということが現在日経に連載中の『私の履歴書』でわかりました)


↑ 音楽院に急ぐ潮田さんと前橋さん(下の写真と併せて考えると左が潮田さん??) 腕組んじゃって仲がいいですね。

 


↑ 今学年の最後の学習日が終って音楽院からうれしそうに出てくるお二人。

 


↑ 喫茶店「セーベル」で。カワイー。20歳前後

 


↑ この頃ソ連公演を行った「ジャズ・オーケストラ」渡辺弘(1912-1988)とスターダスターズのポスターを見つめる二人。

 


↑ 参考(渡辺弘とスターダスターズのモスクワ公演)

渡辺弘という人は日本ジャズ界ではすごい人だったんですね。昭和31(1956)年の産経ホールでのライブ録音をアマゾンで聴いたらこれが本当に約70年前の録音なのかとビビりました。

 


↑ ヴァイマンのレッスンを受ける潮田益子さん



。。。潮田さんと前橋さんがレニングラードで一緒の部屋に住み込んでいたとは知りませんでした。

【追悼】秋山和慶氏~桐朋学園高校時代のホルンの思い出

【2025年1月26日秋山和慶氏はご逝去されました】

1971年の週刊誌から30歳の秋山和慶氏(1941年生まれ)が東京交響楽団を指揮するようすです(撮影・竹原伸治氏)。



記事のよると「目下、アメリ交響楽団に招かれて、客演指揮中。昨年1月、ニューヨーク・カーネギーホールでの指揮ぶりにホレたアメリ交響楽団が再び招いたものだ。」

若い頃から評価が高かったんですね。



さて秋山氏による、ブラスバンドで頑張る学生へのアドバイス、励ましの言葉が吹奏楽雑誌『バンドピープル』創刊号(1980年4月号)に載っていました。

その中から、秋山氏のホルンとの出会いについて書かれた部分です。

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ボク自身は、指揮者になろうと、桐朋学園高校に入学したんですが、井口基成先生から「指揮をやりたいなら、ピアノもやらなくちゃダメだし、オーケストラの楽器も何かマスターしろ!」と言われ、「弦楽器はもういっぱいだからダメだぞ。おまえ、何やりたい?」って聞かれたんですね。

前から音が柔らかくて、縁の下の力持ち的存在で、中音域で豊かな表現力があるホルンにあこがれていたから、すぐに「ホルンやります」って言ったんです。そのとき手にしたのは日管のピストンのFシングル・ホルンで、放課後毎日毎日、N響と芸術家協会のスタジオで、もう死にものぐるいになってレッスンしました。それでも1ヵ月ほどたつと、どうにか2オクターブは出るようになったかなあ。そしたらすぐ、オーケストラの練習に入れられちゃって、またまた必死になって......。でも、そうしてオーケストラの一員、100分の1にメンバーとして一緒にやれたことは、指揮者になった今でもずいぶん役に立ってますね。

ですから、桐朋学園大学に進んでからも指揮を勉強しながらホルンも続けました。小沢征爾さんなどと替る替る棒を振りながら、みんなで懸命に吹いていたことなんかを思い出します。
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。。。青春の思い出ですね。秋山さんはホルン相当ウマいんでしょうね!



「ボク自身は音楽に終点はない、死ぬまでやっていかなくちゃならないと思っています。アマチュアとはいえ、1度は音楽にふれたことがあるなら、どうにかしてそれを一生続けてほしい。なにもプロになることばかりが道じゃないし、ボクは指揮していてアマチュアもプロもなんら変わるところがないと感じます。『音楽する』意味ではなんでも全部同じなのです。」

バレエ振付家・佐多達枝(1954年)

アサヒグラフ1954年6月2日号からバレエの佐多達枝さんです。



お母様は著名な作家・佐多稲子(1904-1998)さんなんですね。 「母の娘だといわれるとシャクだワ」。。。すみません

実は『芸能界七光り告知板』という記事からなのですが、七光りどころか佐多達枝さんは今の日本を代表するバレエ振付家の一人。以前はバレリーナとして第一線で活躍されていました。

以下、「現代日本の文学25」(学研、1971年)より


↑ お母様のひざにのる佐多達枝さん。

 


↑ 一番右。お母さん、ご兄さま、お姉さまと

 


新日本文学会の北多摩班ピクニック。中央が佐多さん。モテそう



。。。今年(2018年)6月16日に東京文化会館で佐多さんのカルミナ・ブラーナ(サタミナ)が再演されるんですね。

ただでさえ感動で観衆を唖然とさせたという前回の舞台がさらにシェイプアップされていると思われ。。絶対見に行かねば!

 

【佐多達枝先生は令和6年12月27日に永眠されたそうです。ご冥福をお祈りいたします】

シューマンの霊の願いにより発見されたヴァイオリン協奏曲

大作曲家の降霊術はローズマリー・ブラウンだけではありませんでした。



以下、『芸術生活』1969年6月号より(一部変更してあります)。

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ことの起こりは英国の作家、ジョゼフ・マクロード(Joseph MacLeod, 1903-1984)著の伝記『ダラーニ姉妹(The Sisters d'Aranyi)』が1969年に出版され、この中でシューマンのヴァイオリン協奏曲が死後世に出た不思議な物語を明らかにしたのが始まり。

シューマンは1856年に没したが、その3年前の1853年秋、ハンガリーのダラーニ姉妹【姉妹ともヴァイオリニスト】の大伯父に当たるヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を名演奏したのに感激して自分もヴァイオリン協奏曲を作曲した。しかし生前演奏される機会がなく、死後も関係者がその終楽章に難色を示したため、結局、彼の作品集には収められずに永久に闇に葬られる羽目になった。

1907年ヨアヒムが死んだとき、姉のアディラ(Adila d'Aranyi, 1889-1962)も妹のイェリー(Jelly d'Aranyi, 1893-1966)もこうした事情は少しも知らなかった。

ところが1933年、イェリーがコップで霊媒のお告げをいただくという、当時流行したゲームをしているうち、突然思いもよらぬシューマンからの伝言が届いたもの。自分のヴァイオリン協奏曲があるから、それを死蔵せず公開してほしい、とシューマンの霊はイェリーのコップを動かして、つぎつぎテーブルの上のアルファベット文字を示してハンガリー語まじりで自分の思いを訴えた。

シューマンのヴァイオリン協奏曲の楽譜は1937年にヨアヒムの蔵書から見つかり、同年初演された。

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。。。コックリさんみたいなもんだったんでしょうか。

Wikipediaの記述「アディラ・ファキーリは妹イェリー・ダラーニと同じく、心霊主義や交霊術に興味を持っていた。1933年3月にロンドンで交霊術に参加した際、ローベルト・シューマンの亡霊が現れ、『シューマン本人やヨアヒムの肉声』によって《ヴァイオリン協奏曲》が二人の姉妹に託されたという」とかなり違います。

この件、もう少し詳しく調べてみたくなりました。