京都先斗町で火事になった。
先斗町は鴨川に沿った細長い路地があり、京都らしい風情が感じられる繁華街だ。
ふつうの呑み屋ではなく、一見さんお断りのような敷居の高い飲食店やバーが並ぶ。
歩けば右にも左にも店が立ち並び、冷やかして散策するだけでも楽しい。
この先斗町の店たちが広い通りを挟んであったら、この風情は生まれない。
ましてや車がひっきりなしに通り抜けたら、人々はもう誰もやって来ない。
京都の民家は、全て建築基準法違反じゃないかと思うくらいにひしめいている。
特に、観光地から離れた庶民が暮らす町では、家と家の間は人は通れない所が多い。
なぜこれらのマッチ箱のような家々を建てるのに、建築許可が下りたのか不思議だ。
今の建築基準法では、家は境界線から最低50㎝は離れていなければならない。
出窓やひさしがあったら、その出っぱりから50㎝だ。
ところが京都庶民の安手の家々の間は、とても1mも離れていない。猫も通れない。
境界から最低50㎝と法律にあるのは、日照や通風を少しでも確保するためだ。
また修繕に必要な空き地が必要だからというが、50㎝じゃとても作業はできない。
延焼を防止するためでもあるというが、50㎝じゃとても防止できるわけがない。
江戸の町は家屋が木造で密集していたので、一旦火災が起こるとすぐ燃え広がった。
水で消火するなんてとても無理なので、家々を壊して延焼を防ぐのが基本だった。
今は権利関係が難しいので、緊急に問答無用で家を壊してしまう事は無理だろう。
でも、家と家の間がとても狭くて路地の幅も狭いと、人々の付き合いは濃くなる。
食べ物を交換し合うなど、路地を挟んでの近所づきあいがまだ活きていたりする。
江戸の長屋住まいの人々の付き合いとまではいかないが、それに似たものが残る。
港町や離島の町も、漁師の家等がひしめきあい、通りも人がすれ違うのがやっとだ。
ぼくはそんな所を歩くことが好きで、離島を旅しては狭い路地を捜して歩いた。
時代に取り残されたように、電柱の明かりがまだ裸電球だったりするのが良いのだ。
でも、そんな風情のある港町の家々の密集が裏目に出た。
大分佐賀関の大火災で、170棟以上が一夜にして消失した。
港町や離島では住宅を建てる平場の面積が狭く、どうしても家々が密集してしまう。
高層マンションは上にどんどん積み重ねるのだから、隙間問題からはフリーとなる。
しかし、いったん火事が起こると、この前の香港高層マンション火災のようになる。
でも高層マンションが立ち並ぶ街なんて、不動産屋が儲かるだけで何の風情もない。
川沿いの家は風情がある。川の土手を散歩して、いつでも水の流れを眺められる。
でも、一旦大雨が降ると川は氾濫し床上下の浸水、最悪は家が流されることもある。
ああ、うまくいかないなあ。風情があればあるほど、自然災害や火事の危険がある。
街の魅力や風情というものは、自然災害や火事の危険と引き換えに成りたつんだね!




