青葉台駅伝言板

考えをまとめるための日記。頭を整理するごとに書き換えてしまうので、そんなつもりで優しく見てくーださぃ

新年は喪中にて・・・

 今年は喪中だったため、新年の挨拶は控えさせていただいた。

 とはいえ、年賀状のやり取り自体が年々減り、「今年で最後にします」と宣言されたものもいくつかあったので、最終的に誰に出せばいいのか判断がつかず、結果として喪中欠礼すら出さないという、ある意味もっとも失礼な形になってしまった。
 それでも、いただいた年賀状に対して「実は喪中でした」と返信するのも気が引ける。そこで、連絡が取れそうな手段を一つずつ試しながら返信を試みることにした。
昨年パソコンを新調したので、旧パソコンから年賀状ソフトを移行し、改めて連絡先を確認する。

 家電(いえのでんわ。いえでん)が書いてある相手は、住所も変わっていないので連絡がつきそうだと思い電話してみるが、留守番電話か「この電話番号は現在使われておりません」のアナウンス。住所が変わっていなくても、家電は更新されないものなのかと妙に感心してしまう。
 携帯電話番号なら通じるかと思えば、こちらもほぼ留守番電話。

「そりゃそうだよなぁ。十年以上かかってこなかった番号から急に電話が来たら、不正アクセスみたいに見えるよなぁ」

 そう思いつつも、最低限の個人情報だけ残してメッセージを入れておく。
 メールアドレスもあるが、メールでつながる相手は大抵SNSでもつながっているので、そちらで簡単に挨拶を済ませた。
ということで、今年いただいた年賀状のうち、実際に連絡がついたのは、携帯に電話して折り返しCメールをくれた後輩一名(今のところ)。
 年賀状の醍醐味は、手書きのメッセージに込められた相手の気持ちを受け取ることだと思う。家族が大きくなった、結婚した、引っ越したといった報告に加え、最近は「転職した」「定年で再雇用になった」など、人生の節目の話も増えてきた。年齢が近いこともあり、読んでいて気持ちがシンクロする。
 そしてふと気づくのは、「あの人に会わなくなったな」という事実が、いつの間にか自然に積み重なっていることだ。気づかないうちに、会わないことが当たり前になってしまっている。
やはり、人には会って話さないといけない。そうしないと、本当に人と話せなくなってしまう気がする。生成AIを便利に使っていると、なおさらそう思う。

年末の風景

年末から年始に、季節と景色が変わっていく。

年末らしくなってくるのはHelloweenくらいだろうか。それからクリスマスに変わって、新年に向かっていく。

 オフィスの前に大きなクリスマスツリーがあったのが25日まで。26日の仕事納めにはあっという間になくなって、営業日も終わりだから正月のしめ飾りに置き換えている。目まぐるしい。

 正月の松の内が終わればしばらくさみしい季節が続く。しばらくすると梅が、桜が咲いてくる。こちらは自然の景色だ。

 その外側の季節は、猛暑がまた始まってくるのかな。本当に四季ではなくて2季だ。

 

 以前、海外に住んでいたことがある。米国中西部の郊外。ここでは山とかは見えずに、一面トウモロコシ畑が続く。Field of Dreamsの世界だ。で、トウモロコシが刈り取られると、刈り取った畑でHelloweenグッズが売られる。なので、自然の景色とイベントカレンダーはつながっている。そのあとのクリスマスは、ショッピングモールもさることながら、個々人の邸宅のイルミネーションが目を和ませる。これはクリスマスだからとすぐに消えるわけではなく、1月いっぱいくらいは十分に飾られている。雪か、イルミネーションか、というのが冬の景色。4回くらいしか冬を迎えることができなかったが、自然と住民が一体になった、実に美しい季節のマーキングだった。

 

 この正月は喪中なので、年賀のあいさつはご辞退と思ったが、それ以前に「今年を最後に賀状でのあいさつは終わりに」との便りも多数届いた。今更どこに喪中の案内を出すべきかの範囲もわからない。このまま正月を迎え、年賀状が届いたところに、「実は今年は喪中でした」のハガキを送ろうか。そうなってしまうのも、実に愛想の悪い。

 

 で年末年始、何も始末できていない。年末の騒動から守るために、渋谷のハチ公は囲われるらしい。年末年始にいくところもないので、渋谷でも繰り出してやろうか、とでも思いたくなる。何も騒がないほうが、何も起きないのかもしれないし。

 

 年号が二けたで表されているために、2000年になったときに前年からの引継ぎ処理がうまくいかないのではないかという、2千年問題も、年の暮れで取りざたされる。確かに年号は2桁の部分も多々あったので、大混乱になるのかと思ったが、そこは人類の叡智なのか単なる騒ぎすぎなのか、大したことも起きなかった。そのためにインドの人も多数来ていただいて面倒を見てもらったというのに。

 

 21世紀に入って、丸25年。四半世紀が経ったのだそうだ。

 この25年は早かったか遅かったか、25年単位だと特に感想もわかない。世の中のサイクルがより短い周期で動くからなのかもしれない。

 で、また来年を迎える。

リステリン依存症

 口内炎というのは、どうしてこうも長引くのだろうか。

 気がつけば一週間以上、舌の横に小さな白い斑点が居座り続けている。なかなか治らない。風邪をひいたせいで体調のバランスが崩れたのかもしれない。

 ピリピリと痛みが走るたびに落ち着かない気分になり、食べるものも制限されてしまう。辛いものはもちろん、酸味のある食べ物も刺激が強くて避けざるを得ない。食事の楽しみが半分奪われたような気分である。
 これまでに口内炎を治すための薬もいろいろ試してみた。患部に貼るタイプのものや、軟膏を塗るもの。

 説明書には「効果的に効かせるには、綿棒で患部を少し傷つけて血がにじむくらいにしてから軟膏を塗る」と書いてあるらしい。そんなことをすれば痛い痛い。試しにやってみたものの、涙が出るほどの刺激で、結局続けられなかった。
 さらにビタミン剤を服用して直すという方法もある。ビタミンB群が効くと聞いて、ドラッグストアでいくつか買って飲んでみたが、効果があるのかどうかは正直よく分からない。毎日飲んでいると「効いているはず」と思いたくなるのだが、口内炎は依然として居座り続けている。こうなると、薬やサプリメントに頼るよりも、生活習慣そのものを見直すべきなのかもしれない。
 そんなボヤキを友人にこぼしたところ、「そんなの、リステリンですぐに治るよ」と言われた。

 口内炎はいわゆる雑菌が原因だから、消毒してしまえばよいのだとか。確かに、口の中は常に細菌が繁殖しやすい環境である。殺菌作用のあるマウスウォッシュで口内を清潔に保てば、炎症も早く収まるのかもしれない。半信半疑ながら試してみると、確かに患部の痛みが少し和らいだような気がした。

 口内炎は小さなトラブルだが、日常生活にじわじわと影響を与える。

 食事の楽しみを奪い、会話のたびに違和感を覚え、集中力まで削いでしまう。だからこそ、治らないと余計に気持ちが沈んでしまう。
 結局のところ、口内炎は「体調のバロメーター」なのだと思う。風邪や疲れで免疫力が落ちているときに現れるサイン。だから、薬やビタミン剤だけでなく、休養や睡眠、栄養バランスの取れた食事が大切なのだと改めて感じる。小さな痛みをきっかけに、自分の生活を見直す。そう考えれば、口内炎も少しは意味のある存在に思えてくるのである。
 ところで、リステリンは確かに刺激が強い。口内炎が治った後でも、その強烈な刺激を求めてしまう自分がいる。まるで麻薬のような嗜好性を感じるのだ。痛みを消すために始めたはずが、いつしかその刺激そのものが癖になる。口内炎の治療から始まった習慣が、別の意味で生活に入り込んでしまうのである。

 

アルムナイ

アルムナイという言葉、転職した新しい会社で定着しているのに驚いた。

 

アルムナイ(alumni)は、英語で「卒業生」「同窓生」といった意味です。人事分野では定年退職者以外の退職者を指す言葉して使われています。

アルムナイとは | 人事用語集・辞典 | 人事のプロを支援するHRプロ

から引用

 

 以前は終身雇用が前提で、中途退職する人は裏切り者。そんな考え方もあった。

 今は転職も当たり前だし、優秀な人が貴重な戦力として来てくれる、だから業務や技術を知っている人は大事なわけで、そういった人とも同窓生として取り扱って、また機会があれば一緒に戦力として働いてくれるかもしれない。

 

 そもそも昔の人材の採用って、結局一緒に仕事できるやつかどうか、という大きなくくりで済ませられると思う人も結構多い。何のビジネスをやっていても、そこそこ事業が成長するころはそれでよかったかもしれない。組織を育てるために社員はその部品、そんな考え方も通じたことはまだよかった

 しかし今は様々な業種がしのぎを削っている現代。大きな重厚長大産業ですらも数年後には解散が呟かれる現代において、一緒に仕事をしやすいだけでうまく組織は回らない。絶えず中と外を比べ、自分たちの優位性はなんなのかを意識する。特に組織が盤石ということもあまりなく、どちらかといえば一部の人が組織を引っ張ったりすることが有効だったり、絶えずこの職場に来ると社員に何かを提供できるような場になることを意識できるようにすることが大事なように思う。

 優秀な新人が絶えず来てくれる会社はありがたい。でも優秀な経験者が絶えず来てくれる会社はもっと強い。組織が柔軟性を持っていて、新しい人に何か(給与、経験、生きがい、感動など)を提供できるという組織作りは大事。その中で一緒に働けた人をマークして、その人たちが再度帰ってこようと思える組織作りのために、アルムナイという言葉が生きてくるように思う

 

※ それにつけても、最近の転職エージェントのCMはどうなのかなと思うが。祈りで誘ってみたり、社内評価が高いときは転職でも高い時って、違うだろと思う。

 政治家だと、・・・・チルドレンとか、いうんかな

暮らし、安心?


水回りのトラブルって、突然きますね

 

 家族でちょうど旅行に出発するぞというタイミングに限って、不意にトイレが詰まったりする。

 旅行の高揚に水をさしたくないから、仕方なくCMで宣伝している業者を呼ぶ。

 30分ほどで駆けつけて、おもむろにパッコン(正式にはラバーカップというらしい」で1,2分ガシャガシャ。ほどなく詰まりは収まり、すぐに家族のランチが2回できるほどの高額請求が。技術料、なのだそうだ。そのあとの旅行の盛り上がらないことは言うまでもない。

 

 で、今回は実家の水回り。トイレタンクに貯水する水道管からの水の出が極端に悪い。実家には高齢の母が一人で、これまた間違いなくもめそうな案件。

 最初、知り合いの近所の工務店に電話をすると、「うちはもう、技術者が全部出払っているんですよね」あからさまに個人向けの小さい話はやりたくない印象。

 仕方ないので市役所のホームページを丹念に探すと、個人向けの水回りトラブルの対策の消費者窓口を見つけ、電話してみた(まだ今回はトラブルになってないけどね)

 電話をすると、窓口の人が丁寧な応対をしていただいた。「ホームページにも市役所登録工務店はあるんですけど、みな得意不得意があるんですよ。2社ほど紹介しますけど、必ず見積もり合わせを取ってみてくださいねと。

 なんだかなぁ、そんなに難しいのかと、そのうち1社に電話をかけて、市役所に相談してからここに行き着いた経緯を紹介。

「うちのエンジニアを行かせますよ。相見積を取ると、見積もりだけで5千円とか1万円かかっちゃいますよ。担当者が行って、小さな部品の交換で済めば、そのくらいの費用で済んじゃいますから、相見積はもったいないですよ」と。

 聞いた社名でGoogle Mapを見ると、確かにきちんとした工務店は映っている。仕方ない、信じて頼んでみるか。

 

 数日後、担当者が二人でやってきた。平日だったので、こっちも午前中年休を取って対応。母には奥に引っ込んでいてもらい、修理にあたってもらう。技は確かなようで、30分ほどで、詰まっている部品を交換し、ほどなくトラブルは収まった。

 「請求はいくらですか?」

 聞いてみると、請求はあとから会社がするので、この場では言えないという。難しい人たちだなぁ。別れた後、SMSで「先ほどはありがとうございました。支払いは当方が行うので、請求額はこちらでも確認させていただきます」と書くと、すぐに「承知しました。よろしくお願いいたします。」と。

 念のため、相見積もりのくだりを念押しすると、そこからは返事が来ない。

 

 さて、請求額はどうなるか。想定通りでなかったら、また報告します。

 

事後報告:今回の事業者は、ぼったくりではなかったようです。よかった、よかった

社外活動

自分は、結局情報システム部門でのキャリアが長くなった。
当時の情シスは、あまり外出を好まず、黙々と機械と向き合っている人が多かった。窓のない部屋で作業していて、気がつくともう21時。周りの人たちはすでに飲み屋に行っていて、「なんで呼んでくれないんだ」と悔しく思う毎日だった。


それでも、いくつかのシステムを作り上げるうちに、なんとなく“コツ”のようなものがわかってきて、長時間残業しなくても仕事を終えられるようになった。
そんな折、上司に「社外活動」に参加してもよいか相談したところ、「業務に支障がない限り構わない」との回答をもらった。こうして、自分の社外活動が始まった。

 

社外活動とは、各社の情シスの人たちが、いくつかのテーマに沿ってワーキンググループ(WG)を組み、1年間活動して年間報告書をまとめるというもの。IBMのユーザー会

やJUASなど、いくつかの団体のWGに参加して活動した。


社外活動には、どうも人によって相性や好き嫌いがあるようで、自分はけっこう性に合っていたと思う。一方、同じ時期に入った同僚は「ちっとも面白くない」と言って抜けていった。まあ、そんなものかもしれない。

 

社外活動のメリットとしては、表現力が鍛えられることが挙げられる。社内の人ばかりだと、社内用語が通じるし、話に詰まったら特定の上司をいじっていれば会話が成り立つ。でも、社外ではそうはいかない。

 

一番驚いたのは、情報システムに対する考え方の違いだった。自分は重要インフラ産業にいたので、「絶対に間違いがあってはいけない」と、固く精緻にシステムを作っていた。


しかし、商社に近い会社では、事業の多くが3年で終了する(継続しない)ため、情報システムはまず簡易に作り、事業が残った場合に初めて精緻に作り直すという。まさに「事業の上に道具として情報システムを作る」という考え方を地で行っている。なるほどなぁ。だから経費を見ても、運用などのコストが自社に比べて平均で一桁安いわけだ。勉強になるなぁと感動した。

 

でもね、情報システムも所詮は人間が設計するものだから、勉強の時間がなければ作りも甘くなるし、セキュリティホールができたり、抜け漏れも発生する。そんなことを他社の情シスと話すことで、自社の常識にとらわれず、理解力や表現力が磨かれていく。

 

さらに話を深めていくと、それは単なる会社ごとの常識の違いだけでなく、文化の違いにもつながってくる。転職して他社に行ったら、システムのルールや常識に戸惑うという話も聞く。だからこそ、社外活動を通じて“目利き”を磨いておくのも悪くないかもしれない。

 

ジジィネタ

混沌の時代が始まろうとしている。

始まりはいつだったんだろう。やはり、首相が暗殺されたころかな。

 

 コロナに入り、次の首相がマスクに奔走して、そのへんまではまだ良かったけど、単なる忖度だけで首相がなるようになり、なんで総理になりたいのかも、総理になって何したいのかもわからない。

 それでも金でしか、人を惹きつけられない器の問題なのかもしれない。あげるほうも、もらう方も。阿吽の呼吸。自分のお金ならいいけど、自分のお金だけで回せないから、権力を恣意的に捉えて、お金を作る。そしてそれが問題になって久しいのに、まだいけるんじゃないかと考える人達。

 所詮、80を過ぎた人たちは、自分がいる1,2年が、これまでと同じように回ればいいかな、と思っているだけかもしれない。結局は若い人が責任を背負うのだ。

 投票権ができたら、一人1票の平等とかのまやかし。年金を多くもらいたいだけの老人と、これからを担う若手がなぜ同じ1票なのか。結局暇な老人だけが選挙に行って、そこに忖度すればいいと政治家も舐めてかかる。

 

 まして今回は、「初めての女性宰相」と銘打って、なりたい人たち、担ぎ上げたい人たちが、あからさまな根回しを始める。まわりも、せいぜい、自分が数年楽しめば、いいのだ。

 でも若い人の人生は続くのだ。国も多分続くはずだし、今が良ければいいやと考えた人たちが問題を先送りし続けていた。

 

 国も会社も、成長しなければなくなってしまう。それは人も同じ。年配者には、所詮時間がない。だから若手にベットしないといけないのだ。

 今回の政権離脱。よく考えられたと思う。長年の、連携と言われながら、蓄積された不満と横暴。それがここ一番のところに決断された。横暴でも力があればリターンは期待できる。今回は力も数もないのだ。いわゆる定年離婚みたいなもの。

 

 この混沌を抜けるためには、成長が不可欠である。人も組織も。そして成長は痛みも苦労も伴う。猛省して苦労をしないといけない。

 人生50年と言われたのが、70年と言われ、それが100年とか言われている。定年は60が、やっと65から70になり始めるかどうかの状態。終わり2,30年は、成長が見込みにくい時代になってしまう。

 

 新しいことを始めないと。年配者にはこれまでの経験があるはず、いつまでも前にたとうとするから、老害とか言われるんだ。

 

 さて、自分は近々新しいパソコンが届く。新しいプログラムを書かないといけないのだ。もちろん、主人公は若手である