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前に、はこだて西部散策と銘打って、結局唐牛健太郎の墓を見つけられなかったと言う一文を書いた。そうしていたら、函館まちづくりセンターで「唐牛健太郎展」をやるという記事を見つけた。不思議な縁もあるものだ・・。早速休みを見計らって見に行くことにし、そのあと再度、唐牛の墓所を探そうと考えた。
実を言うと、「唐牛健太郎」の名を知ったのは、本当につい最近のことである。私は全共闘世代でもないし、その大部分の構成員である「団塊世代」には、ある意味反感すら持っている。しかし、そうは言ってもその世代は、直後の私たちの世代にとっては、「憧れのお兄さん、お姉さん」たちなのである。 「ゼンガクレン」という言葉も、大学生になれば、「ゼンガクレン」になれるものだと単純に思っていた世代である。だから、その委員長になった人が自分の出た高校の先輩であったことには、一種の驚きを感じた。単純に考えれば、学生運動に憧れを感じていたのかも知れない。だが、この思いは「連合赤軍事件」や「浅間山荘」で消えてしまった。 自分が大学生になった頃には、すでに「全共闘のお兄さんお姉さん」たちは、社会の企業戦士となっており、大学には、イノベーションができないマニアックな「自治会幹部」が「体育会」と空しい闘争ごっこを繰り返すだけだった。成田の闘争すらも、アルバイトで「動員」される有様だった。ラジカルな人々は、むしろ「プロ化」していたのだ。 私はそんな状況に、反吐を吐いた。 唐牛はそのころ、田中清玄の系列会社にいたり、居酒屋を経営したり、漁師になったりしていたが、その成り行きをどう感じていたのだろうか・・。今は知るよしもない。 函館まちづくりセンターに、駐車場側から入ると、入口の真っ正面で「唐牛展」がこぢんまりと開かれていた。唐牛のもっとも有名な活動が活動なだけに、いかにもそれっぽい(いわゆる左翼系)風貌や、いかにも「団塊だぞ」というような人々が熱心に展示に見入っていた。カンパ箱が受付にあるのも、いかにもそれっぽくてなつかしい。なんだか、学生時代の「自治会館」に迷い込んだような懐かしさを感じた。 ![]() だが、唐牛の晩年は、多彩な人々との親交があったようだ。唐牛の墓石のデザインは、あの「秋山祐徳太子」だという事も初めてわかった。ますます行きたくなってきた。だが、前回も述べたように、そのありかはようとして知れないのである。 しかし、巡り合わせとはあるものだ。今日この辺かも知れないとあたりを付けていた場所があったのだ。それは「船見町」というキーワードだった。パネルにあった、唐牛の墓の落成の様子の写真を見ると、後ろにかすかに映っているのが、見覚えのある建物だったのだ。それは、私の叔父の旧宅であり、そこで今から30年ほど前に祖母がそこで亡くなった家であった。私は確信した。 ふと、受付の方で話し声が耳に入った。60前後の紳士(おそらく、頑張ってきた人)が、唐牛の墓所を受付に尋ねていたのだ。「ものすごい急坂の突き当たりですよ、上にちょっとした駐車スペースがあるんです。」という言葉で、私は確信した。遠い記憶が蘇ったのだ。 「まちがいない」 私は確信し、外人墓地方面にそそくさと車を走らせた。旧検疫所跡を通り抜け、陸軍墓地を山の方にまっすぐ向かう。この頂上付近に、今はない叔父の旧宅があったのだ。まだ穴澗が海水浴場だった頃、この家はよく通った。急坂の突き当たりにある某宗教の専用駐車場に車を止めた。家のあったあたりの角度を確かめながら、唐牛の墓を探した・・・。 ![]() 「あった・・・。」 私は小さく呟いた。唐牛の墓は本当にこぢんまりとしていたが、植生がきちんと手入れされ、一つのオブジェのようだった。見ようによっては、啄木の墓よりも品性がある。だが、観光化されてはいけないな。そんな思いをいだかせる佇まいだった。誰が手向けたのか、小さな花が手向けられていた。 ![]() 合掌 そして、写真を撮らせていただいた。しかし、巡り合わせだ・・・。まさかこんなになつかしい場所にあったとは・・・。すると、先ほどの紳士が、向こうに見えた。あちこち探している風であった。たぶん見つけることができないのだろう。ムリもない。本当にこぢんまりとしているし、まして、案内板もないのだ。 あさっての方向に向かう彼に、私は探し当てられたお礼のつもりで、話しかけた。 「あの・・・、もしかして、唐牛さんのお墓をお探しですか?」 紳士はすぐ反応した。 「はい、そうですが?なぜ?」 「先ほど、まちセンで、ちょっとお見かけしたので、もしかしたらと・・・。」 紳士は、にこっと微笑んだ。 私は、唐牛の墓を示すと、紳士は一礼し、「ああ、これなんだ、わかりづらいですね・・。」とつぶやき、そっと合掌した。 私はそのまま、紳士を見届けたあとで、車を走らせ、坂を下りた。宝探しを手伝ってくれた祖母に感謝しつつ、小さい頃入り浸った駄菓子屋の「三角屋」の原風景にも触れられた・・・。 ![]() 「ありがと、ばあちゃん・・・・。」 顔も知らなかった唐牛大先輩のおかげで、大好きだった祖母の面影や、幼い頃の記憶にも逢わせてもらった感じがした。 こちらもよろしく にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2010-10-31 23:27
| 函館・道南
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