日々、ショウズ。

日々、感じること、おもったこと。それを伝えたくなるとき、ぴったりのことばは見つからないけれど、それでも、ことば、文字で表現することを試みてみようか。

私は間違っていた

私は間違っていた。

 

私はじゅうぶん、世の中を経験したから、

これからはもう世の中に浸るのではなくて、

少しそこから足を抜いてもいいんじゃないか。

社会から少し距離をとってもいいんじゃないか。

 

そう思っていた。

 

だけれどもそれは間違っていたと思う。

 

私は心の奥底にしまいこんで封印していたものを解き起こさなければいけなかったし、

まだまだたくさん社会の中で経験をしなくてはいけないんだなと思った。

 

その旅は一生続くものだ。

 

私は半人前、成熟なんてしていないんだ。

 

私は社会の中で生き続けなければならない。

それは生きる覚悟のようなものかもしれない。

 

 

虹のはなし

数日前、目の前の景色に虹が現れた。

虹といっても、空に浮かぶ虹ではない。

メンタルが限界に達した時に、現れる現象で、デジタルのいくつかの原色がギラギラと染色体のように少しうねりをきかせながら、断片が現れる。

 

視界に少しばかり現れ始めると、それは止むことなく増えていき、目の前の景色を覆おうとする。

そうなると、横になって目をつぶり、それが過ぎ去るのを待つしかない。

目を閉じても、その景色はまぶたの裏側で続いている。

 

この前久しぶりにその虹がやってきた。

いつも通りに横になって目をつぶった。

虹は広がりを増していき、

「もうどうにでもなれ。」と私の中の何かが言った。

すると、虹は消え去っていた。

心身というのは、こんなにもつながっているものなんだと、改めてそう感じた。

 

その日からだったか、その翌日からだったか、私の中に現実的な自分が現れた。

私の体の中、胴体の中心にしっかりと立っている。

 

この半年間の苦労、それは自分の直感に傾きすぎた日々だったのかもしれない。

そして世間の目、自分がよく思われたいという願望、人から下に見られたくないというプライド、

翻弄されたのだろう。

 

創造性のある自分、直感に従うことを優先してきた自分、これでやってこれた。

この半年間の出来事は、それをもろくも崩れさせ、一掃せざるを得ない、こんな苦しい日々があっただろうか。

 

虹の後に現れた現実的な自分。

もうどうにでもなるんだ。

 

 

 

時の長さ

伊勢神宮に行きたい心を思い出して、

神宮のウェブサイトを見てみると、

8年間におよぶ式年遷宮が始まっていた。

 

8年かけて、物事を成し遂げたことはあるだろうか。

長い、情報が瞬時に飛び交うこの時代に長すぎる。

 

しかし、この価値観とは、ひとつの見方なだけであって、8年間という期間は、短くもなく、長くもない、長短の価値観に当てはめているだけなのかもしれない。

 

時の長さはそれに応じた、それゆえの長さでいいのではないだろうか。

 

8年かかっていいんだ、いいんだよ。

 

やってみて、成し遂げた後、振り返ると、

ふと、そこには意味や価値がじんわりとたちのぼるのではないだろうか。

銀杏

部屋の窓から臨める銀杏の木がある。

部屋を掃除する前には、疲れているときには、ふくよかに黄色に開いている様を目にしても、そこにある。そういうことですまされてしまう。

 

それが掃除をした後には、なんだかはっとする黄色の様を身体が受けとめている。

 

明らかに心身の持ち様が変化している。