
エロに秘められる力とは
日本において、エロ漫画の始まりは1970年代に出現した『官能劇画』に端を発すと言われており、現代のようなアニメ絵のエロ漫画は80年代からその色を現し始めたという。
今となってはSNS全盛の時代、広告などでも目に触れない方が難しい環境となってきたわけだが、多くのインターネット文化はエロ漫画と呼ばれる文化と密接に連携してきたと言っても過言ではない。
例えば多くのインターネットの流行、面白い画像や動画が拡散されていく文化。いわゆるミームという現象は、このエロ漫画が元となったものも日本においては多くある。
それはエロ漫画に限らずとも、成人向け描写作品、同人誌やゲイポルノなどもその類の現象を見受けられるだろう。
また、有名どころのIPで言えば『FGO』なんかも元はエロゲーであるということは余りにも有名な話だ。
というようにエロをひた隠しにする現代においても、先人達が遺した古のエロの文明というはひしひしと引き継がれているのだ。
エロに秘められた思いというのは、ただエロいというだけで何故こんなにも果てしないエネルギーを生み出しうるのか。
その疑問に立ち向かい、自身でそのエネルギーの発電を体験しつつ考察したい。
そんな思いで以下のことに取り組んだ。
エロ漫画作ってみたというお話
突然だが、私はとある興味本位でエロ漫画を作ってみた。
この計画は2022年7月2日に試作型を作成したのをきっかけに本格的に制作を始め、そして遂に今年の2024年4月始めに配信サイトでの発売を持ってしてこの計画の完遂を成し遂げたものである。

試作型

正直この話を記事にして残すかはかなり迷う物であった、軌跡として残して置くには余りにも異色過ぎる内容であるからだ。
普段、漫画のまの文字すら扱わないような場でいきなりこんな話が混ざっているというのも、絵面としては奇々怪々もいいところだろう。
それはもちろん重々に承知していることだった。ましてや満足の行くクオリティで作り上げられた物でもない。
しかし、私は何故。このエロ漫画を作りたいと思ったのか。その言語化を試みる過程で、どういう人間がこのような漫画を作り始めるのか。
その一端の現象として、記録として、広大なネットの海に、戯言として放流したいと、私はそう思ったのだ。
生半可な衝動で作れるようなものでなかったという点
先にお話しする事として、まず私は普段そんなに絵を描く人間ではない。
ましてやR18向け描写などの経験も殆どない。
頻度としては年に3~6枚程度のイラストを趣味程度に創作するぐらいであり、芸術肌でも何でもないマジの素人だ。
ましてや漫画なんて幼い頃を除けば書いたことも考えたこともなく、背景、コマ割りやトーンの張り方などは全てその時に間に合わせで調べて学んだものだ。
ノウハウの蓄積等一切ない、その程度の技術力で生み出されたものである。
まぁそうは言ってもなんやかんやで、やはり創作には興味のあった人間なわけであったので、絵そのものには大変な関心を元から抱いていた訳だ。
それを始める為の土壌は既にあったと言ってもいいだろうが、だがこれだけではエロ漫画を作ろうという動機には安易に成りえるものではない。
創作に携わったことのあるものなら誰もが分かっていることだと思う、エロ漫画以前に、漫画を創るというそのこと自体が大変な行為であり、生半可な衝動では決して完遂することなど出来ないものであるということを。
私も制作にかかる前から漫画を創る事の大変さは知識としては知っていた、そもそも一枚絵のカラーイラストですら個人差はあるものの大体7~12時間は掛かかっていても全然不思議でない世界だ。
言ってしまえば漫画は、一コマ一コマがそのイラストの匹敵するものであり、いくらモノクロで描くものとは言え、完成させるには莫大な時間を要するものなのだ。
そしてこの漫画を生み出す事の出来る漫画家もまたその世界においても化け物じみた存在であり、この手の話でよく例にでる週刊少年ジャンプの作品などその最たる例だろう。いくらアシスタントがいるからといっても、週刊ペースの作画作業というのは差し詰めプロのような人間にとっても拷問に近い行為だろうと容易に想像が出来る。
それほどに我々が知る様な漫画というものは過酷な制作工程の上に成り立っているものなのだ。このような背景を知っていれば、まず余程の情熱でもなければ完成作品を作ること自体非常に難しい事だと理解できるだろう。
それが経験のない素人ともなれば尚更だ。
実際私が試作型を制作してから本格的に作品が完成するのに1年と半年のも期間が掛かってしまっている。
そして当初の計画では平均的なページ数である24ページを想定して着手したものだったが、絵コンテやコマ割り作業をするに連れて、このままではペース的に完成まで天文学的な期間を要する事が判明し、当初の予定のその半分、12ページへと計画を変更したのだ。
これは元々私が遅筆なこと、そしてコマの作画カロリーの削減等諸々も相まって、このような事態を招いてしまった。
そして、何よりも、始めたからにはこの作品を完成させなければならないというプレッシャーに迫られるというこの日々への苦痛感、必要な作業を概算して想像する絶望感。
実に。実に実に、二度と味わいたくないような体験であった。
何よりも絵コンテの段階で壮絶な羞恥感に襲われ、時より私は何をしているんだろう。と考える日は少なくなかった。
己の好奇心が招いた衝動感を今となっては呪いたい。
実際、当作品に至っては己の羞恥感を克服できず、最終的には軽度な成人向け描写となってしまった、実に心惜しい事をしてしまった。
そもそもエロ漫画制作に興味を持った経緯
ところで話は変わるが皆さんは、亜人という作品をご存知だろうか。

桜井画門先生による日本の漫画作品であり、2015年に劇場アニメとして放映された人気アニメ作品である。
本作は不死者である『亜人』という存在について巡り争う内容であり、実に興味深い世界観で展開される作品で、不死がテーマの作品が好みである私にとっても、非常にお気に入りのアニメ作品の一つだ。
......で、そんな作品がどうエロ漫画への興味に繋がるのか?という話だが。
大抵の場合、好きになった作品の原作者もセットで気になるというのがファンの宿命というものだろう。
原作者である桜井画門先生は、極めて画力やミリタリー描写の高い漫画家ということでも有名で、私はこのお方が過去にどのような作品をその手で漫画を手掛けてきたのか。
非常に強い関心を抱いていたのだ、それが全ての始まりでもある。
この、作者。過去作品を調べていくと......。
『亜人』以前の作品が見当たらないのである、いや正確には。
桜井画門名義での作品が見当たらなかったのだ。
不思議に思った私は、更に深掘りしていくことに。
......?
なんと。
この作者、別名義。
漫画家. GGGGGGGGGGとして成人向け漫画作品を書いていたのだ。
https://book.dmm.co.jp/list/?author=243863
これには未だに凄まじい衝撃を味わった事を覚えている。
原作の漫画の雰囲気からおよそかけ離れたような画風であったからだ。
いや確かに亜人原作の初期の方から見比べて、現在の亜人画風への変髄というものがあったが、まさかその画風の影響が成人向け漫画から受け継がれたものだったとは。
しかも亜人は内容も内容だ、凡そお色気とはかけ離れた世界観の物語だ。
この作風のギャップが、私を狂わせたのだ。
私は漫画家GGGGGGGGGGに強い興味を抱いた。
『えっこんなハードな作品も描いてて?えっ?えっ?こんなエロ漫画もかけんの?このひとやっば~💛かっこいい💛』
心の雌蠣がそのような感情を心深くに抱いた。
私はここで初めて成人向け漫画家が産み出すエネルギーというものに関心を抱いたのだ、彼が産み出す『亜人』の世界観、これがどのようにしてこのエネルギーが関わってくるのか、その機序を知りたいと思った。
それが大雑把に私がエロ漫画制作に本格的に興味を抱いたきっかけというわけだ。
※ちなみに『亜人』に関しての補足だが、原作一巻においては別の原作者が担当していたが、二巻からは全て桜井画門先生が担当されている。
そんな経緯で始めたわけだが、如何せん無計画なものであったこともあり、制作は困難を極めた。
絵コンテを切った段階で、『これ...本当に全部作画するのか?』と絶望し、半年ほどエタったのだ。
さすがに精神的にもスケジュール的にもきつすぎると、だがそうはいっても無意味なエタ期間を過ごしていた訳ではない。
どうすれば楽に漫画を創れるか?その一点を考え続けた半年でもあった。
私には自由に人物を描けるほどの画力もなければ、背景も描けない。コマ割のセンスもあるわけではない。
そこで生み出したアイデアが、ページ数を半分にする事と、コマ割りを減らす、背景に関しては3DCGを活用することを考えてみた。

特にメインシチュエーションとなりうるベッドに関してはblenderという3Dソフトでモデリングし、これを使い回すことで負担を軽減することを考えた。
調べてみると3Dを活用して背景作画に起用しているという漫画家も少なくないと言う。これは真っ先に実践できた事例だ。
だが、モデリングといってもこれはこれで美術的な造形力が問われる分野でもある。複雑な形をした小物などは描画ソフトに搭載されているフリー素材などを加工することで形とした。
あともう一つ重要な要素が、メインとなるキャラクターのデザインだ。
ただでさえ情報量がカットされている作風なので、キャラの情報をスッキリしすぎず、かつ比較的に安易に描写できる衣装である必要がある。
その結果の題材として、逆バニーという存在だった。
バニー衣装自体は細部な描写や質感の考察がなくてもそれっぽく見え、更に程よくちゃんとエロいものだ。今作においてはこれ以上の適任もないだろう判断した。
竿役に関してはよくあるモブ風キャラというものにしたが、如何せん男性キャラの描写は殆どしたことがないので、ある意味苦戦した。特に例の箇所は描写の種類が多様なので、どういうスタイルで描くかはかなり迷う要素であった。
まぁそうはいってもモザイクでどうせ隠れることを考えれば、そこまで深く考えることでもないことではある。
そういう意味では初めて日本固有のモザイク規制に感謝する瞬間でもあった。
と言う風になんやかんやで、日々に地道に作画作業を進め、描いては直し、デッサンに苦しみ、主観のジレンマに囚われ、猛烈な生命力を消費して今作は完成された。
12ページ、巷では一冊としては最小限の枚数だと言う。これが最低限の努力なのだと考えると、如何に我々が普段目にするエロ漫画家達が遥か高みに存在しうるのか。
身に染みて味わう事が出来る、そんな体験であった。
エロ漫画を実際に作ってみて
結局、ここが一番大事な所なのだが。
私はこの物作りを通じて、何を得て、何を感じたのか?
彼らのように優れた作品を生み出しわけでもなければ、新たな人生のヒントを得たというわけでもなかった。
だが、ただ一つ理解したことはある。
エロ漫画家、彼らの創作への思いは”本物”の熱意なのだと。私如きの、偽りの熱意では到底なしうることの出来ない、本物の熱い創作への感情、モチベーション、思いだ。
私にはそれがなかった。
彼らのエロに対する描写は本物で、偉大な性欲の生み出す圧倒的な描写は多くの人間を魅了する。そして、そんな作品に対してエネルギーを注ぐことの出来る人間は、限られた人間であるということ。
私は彼らのように描写の探求にのめり込む事が出来ず、どちらかと言えば作品が完成できればクオリティなんて二の次でいい。そのような思想で物作りをしていた。
だが別に完成至上主義とて悪いことばかりではなく、そのような思想でなければそもそもとして作品を作ること自体が出来なかったであろうし、完成させなければ後悔し成長することも出来ないであろうから。
だが、そうであってもやはり創作に狂うことができなかった私そのものの人間性としては、才能に雲泥の差があるということなのだろう。
何を創りたいか?ではなく、創るとどうなるか?そのような発想から出発したものの末路が今回の私であるということだ。
でも私はそういった創作者達の狂気の熱を垣間見えたことだけでも、体験としては十分な収穫があったと感じる。
これが、今回私がエロ漫画を制作してみて感じた主な感想だ。
せっかくなら没にした展開の続編の制作をとも思ったが、詳細はまだ考えていない。何れ機会があればまた挑戦してみることもあるだろう。
以上、哲学的探究心でエロ漫画を作ってみたという話でした。
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