40年前の、あの日から
今を去ること約40年前、春の風に吹かれながら卒業を誓い合った学友たち。 あるものは晴れて卒業の栄冠を勝ち取り、あるものは志半ばで学業を諦めた。 また、なかには学籍から鬼籍へと転籍したものも少なからずいることだろう。
そして、そのいずれでもない男が、この俺だ。
通信制大学に籍を置いて、気づけば約40年。 卒業を誓ったあの日から、元号は三度変わり、学長は三度代わり、俺のやる気は三日おきに息絶えた。
なぜ学業が疎かになったのか。 理由は、いくつもある。 仕事との両立、生活の変化、やる気スイッチの断線―― どれも言い訳のようで、どれも本当だ。
そして今、なぜ卒業という“遥かな栄冠”を目指すのか。 人生、何か一つくらいゴールにたどり着いたものがあってもいいではないかと、この年齢になって気づいただけだ。
このブログは、そんな俺の“悪あがき”と“ほんのわずかな希望”を、俺の言葉で記録する場所だ。
俺はまだ、昭和にいる。 だが、言葉は令和まで届くかもしれない。
【お召し上がりの前に】
この語りは、少し『かた茹で』で調理してあります。もしお口にあいましたら、昭和おやじの自分語りにおつき合いください。
ちがった道
昭和というひとつの時代が、静かに終わりへ向かい始めていた頃。 俺は某大学の通信教育部に入学した。
理由は二つあった。
ひとつは受験した全ての大学の試験答案と自分の考えに、ちょっとした意見の食い違いがあったこと。
もうひとつは、浪人しても勉強をし続けるだけの根気が自分にはないことを知っていたことだ。
しかし、いま思いかえせば、自分のバカさ加減がまるで催涙ガスのように身にしみる。
試験答案との意見の食い違いと言っても、レオナルド・ダヴィンチについて論ぜよという問題には、「頭の禿げた変わり者」と解答した(俺はいまでもこの答案は正解だと思っている)。続く面接では「本校のモットーを言うように」との問いには「合格するかどうかもわからない大学のモットーなんて覚えてくる必要は無いでしょう」と答えた(面接官は文字どおり白目を剥いた)。俺に言わせれば、ほんの些細なことだったはずだ。
そんな理由で通信制の大学に入学した俺は、学業にいそしむはずが、アルバイトにいそしみ始めた。
自分で稼いだカネを、自分の好きなように使える。その快感に、俺はすっかりやられてしまった。
本来ならば高校時代に受ける洗礼なのだろうが、在校中はホームルーム委員長やら部活動、そして校内新聞のイラスト描きなどで忙しいうえに、バイトをしてまで欲しいものも別に無かったのだ。
そんな俺は教員たちには可愛がられたが、それが成績に反映されたことは一度たりとも無かった。」
次回予告:足音は、遠ざかるものと、近づくものがある。 それを聞き分ける耳を、俺は持っていたか――次回 『遠のく足音と近づく足音』
お楽しみに