遥かなる栄冠 ― The Faraway Laurel ―

やる気スイッチを押せ! ―昭和おやじの卒業作戦―

それでも前へ

『それでも前へ』

 ホップ・ステップ・ドロップ――この悪い癖を抑え込み、自らに課した目標に向けてまい進し続けることが、果たして俺にはできるのだろうか。

 考えれば考えるほど、もはや単なるレポート課題の提出という次元を超越した、自身に内在する光と闇、善と悪、コスモスとカオスの戦いというスケールの大きな話になっていく。このままでは全宇宙の存亡をかけた戦いにまで発展してしまうだろう。

 俺は考えることをやめた。

 ブルース・リーの格言の"Don't think. Feel"だ。

 とにかく一歩を踏み出そう。『ホップ・ステップ・ドロップ現象』という悪癖も、俺の鼻と同じで、いまさら切りはなすことなどできないのだ。

 そこで、準備に万全をつくすよりも、まずはスタートしてしまうこと。『拙速は巧遅に勝る』だ。

 つぎに学習が始まったら、インプットするのはアウトプットのためという目的意識を忘れないこと。インプットの時点で満足してはいけない。レポートはアウトプットしてはじめて価値を生む。

 最後に、もし自分が満足し始めたら、それはもうウルトラマンの胸のカラータイマーがなり始めている段階と思うこと。

 俺はこの三つを肝に銘じた。もちろんすぐに忘れるのは目に見えているが、何もしないよりはましだ。

 

 しかしそれでも、これからもつまずいたり立ち止まったりすることはあるだろう。

だが、それでも少しずつ前に進んでいれば、その先になにか見えてくるものがあるかもしれない。もちろん何の根拠もないが――。

 

 俺は赤鉛筆を削ると、レポートの第一課題に目をとおす。そして教科書をひらいて課題の対象になっている章を読みはじめた。

 卒業という遥かな栄冠を勝ち取るための一歩は、進軍ラッパの響きも突撃の喊声もなく、いま静かに踏みだされたのだ。

 そして教科書に目をはしらせながら俺は思う、せめて挿絵か偉人の肖像画でもあれば、気晴らしに落書きでもできるのだが――と。

 

次回予告

いよいよレポート第一課題との本格的な戦いへ。

労働法の理念に照らされ浮き彫りになる、昭和おやじ30年の職人史。

“知の洞窟”に足を踏み入れる俺を待つものとは――。

次回『労働法  第一課題への挑戦』。

お楽しみに。

 

昭和おやじ、今年もホップ・ステップ・ドロップしながら進みます。本年もよろしくお願いいたします。

安心の罠

『安心の罠』

 有名な『ウサギと亀』の寓話で、ウサギは亀とのレースに敗れた。しかしウサギは亀に負けたのではない。ウサギは自分自身に負けたのだ。

 亀を大きくリードしたウサギは勝利を確信し、ゴール前で一休みしたところ、そのまま寝落ちしてしまう。そこを亀に追い抜かれ、後世に語り継がれる歴史的な大逆転負けを喫したのだ。

 そんなウサギにはマーク・トウェインの「失敗ばかりでもくよくよするな。とんでもない大失敗がひとつあれば、それで歴史に名を遺すことができる」との箴言を贈ってあげたいと思う。

 ともあれ彼の敗因は、自らの脚力に対する慢心などいろいろあるだろうが、最大の敗因は油断だろう。ウサギは勝利を確信した時点で脚を止めてしまった。その一言につきる。

 そして俺もまた、もっとも恐るべき“自分自身”が掘った“油断”という穴に頭から落ちてしまった。『レポートの嵐作戦』が聞いてあきれる。あまりの無様さに、文字どおり穴があったら入りたいぐらいだ。

 俺の悪い癖の一つとして、『ホップ・ステップ・ドロップ現象』というものがある。つまり①目標をたてる(ホップ)。②目標達成にむけて準備を整える(ステップ)。③そこで満足して歩みをとめてしまう(ドロップ)。

 つまり準備完了の安心を目標達成の満足と錯覚してしまうのだ。当然のことだが計画はいつも中途半端な結果に終わる。

 思いかえせば今までの人生で、なんども同じことを繰り返してきたのだが、またやらかしてしまったようだ。この油断は亀に負けたウサギの比ではない。ウサギだってゴールには40年もかからなかっただろう。しかも俺には無事に卒業というゴールにたどり着けるという保証はどこにもないのだ。 

 

次回予告

自身の宿命ともいえるホップ・ステップ・ドロップ現象にはまり込んだ俺は、 何とかこの陥穽からの脱出をはかる。

次回『それでも前へ』。

お楽しみに。

 

今年もなんとか落伍せずに年末までたどり着きました。

読んでくださった皆さまに心から感謝いたします。 来年も静かに歩みを進めていきます。

 

レポートの嵐作戦

『レポートの嵐作戦』

 孫子は今から約2500年前に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」の言葉を残した。

 そこで俺も労働法のレポートを書くにあたり、労働法の学びの内容について調べてみた。

 担当の教員は、学びの眼目として、雇用関係法を始め労働法の基本知識を正しく身につけることと、実際の労働現場においてその知識を正しく活用できる応用力を身につけることの二点をあげていた。

 だがいずれにしても、もう手遅れだ。

 労働法は還暦を目前に控えた昭和おやじに必要な知識ではない。

 俺はこの通信制大学を卒業できればそれでいい。その手段としての学びでありレポートの提出だ。

 とうぜん卒業後に弁護士や社労士を志すつもりもない。このまま駐輪場巡回員として職を失わなければそれでよしなのだ。

 つまり俺に必要なのは労働法の知識より卒業の事実というわけだ。

 こんな俺の性根を労働法の担当教員が知ったら、自分の髪の毛を搔きむしって激怒することだろう。

 というわけで敵を知り己を知ったので、次は具体的なレポートの書き方について調べる。

 通信制大学では、教科書を学習してレポートを作成して提出することが通常の授業を受ける事と同じ学修になり、主な学修の一つになる。

 レポートの文字数は課題に沿って1200字以上2000字以内にまとめ提出する。そしてそれは教員により教材理解、表現力、文章構成、文章作法、要約力を総合的に評価され、通知される。

 俺にとって教材理解や表現力などの力は皆無に等しいが、とにかくレポートを作成して提出しない限りは前に進めないので、まずは「労働法」のレポート課題4通の作成に取り掛かることにする。

 レポートの評価は不合格のⅮ評価以外であれば問わない。そして労働法の履修をすることにより卒業にむけての橋頭保を築き、その後に続く他の課題のレポート作成に勢いをつけようと考えた。

 そして俺は「労働法」攻略を『レポートの嵐作戦』と名づけた。

 どこぞの駅伝部ではないが、やはり目標達成には作戦名が必要だ。

 最初は卒業を賭けた大作戦の一歩なので、『オーヴァーロード作戦』という作戦名にしようと思ったのだが、卒業に至るまでのレポートの数を考えると、文字どおりオーヴァーロード(過剰負荷)になりそうなのでボツにした。

 教科書も準備し作戦名も決め、もう「労働法」の単位は俺の掌中にあるも同然だと結論した。

 深い達成感が俺を包み込む。

 そしてそのまま約三か月が経過した。

 俺はもっとも恐るべき、自らが掘った陥穽に落ちてしまったのだ。

 

 次回予告 

 ホップ、ステップ……そして見事にドロップ。

 俺はまたしても、同じ穴に落ちた。

 勝利を確信した瞬間こそ、もっとも危うい。

 次回『安心の罠』。

 お楽しみに。

定まった標的

『定まった標的』

 俺はふたたび赤鉛筆を舐めながら学習指導表に赤マルをつけ始めた。 

 しばらくしてレポート合格が3科目、テスト合格が1科目、のこり7科目がスクーリング合格ということが判明した。「スクーリングが7科目とは多いな」思わず俺は舌打ちをする。何げなく鏡を見るとなぜか前歯と舌の先端が真っ赤になっていた。 

 スクーリングの場合、物理的に拘束される時間が長い上に受講料を払わなければならない。なるべく出費をおさえて、“通信教育の無課金おじさん”として卒業をしようと画策していた俺には手痛い打撃だ。

 だが、よくよく考えれば履修登録を大学に任せてしまった俺の責任でもある。大学側としては俺の約40年にわたる怠惰の極みの所業をみて「こいつはスクーリングに参加させて、無理やりにでも机に向かわせないと勉強しないぞ」と判断したに違いない。

 しかし俺のような貧乏神と常に二人三脚をして生きている人間にとっては、スクーリングにかかる費用は正直いって“教育の竹の子剥ぎ”に等しい。 それでも俺は、静かにこの現実を受け入れることにした。

 つぎにレポート合格の科目をチェックする。「憲法総論・統治機構論」「刑法各論」「労働法」の三科目だ。みな、いかにも手強そうな名前をしている。まるで「どうしても卒業したくば、われら“レポート合格三人衆”を倒してから行け!」と言わんばかりだ。 

 俺は素早く書棚を見わたして教科書の有無を確認するが、約40年前の入学時に購入した教科書ばかりが目に入る。背表紙の色も完全に変色したこれらの教科書はすでに教材としての価値は無い。あるとすれば古文書としての歴史的価値ぐらいだ。

 「まさか、教科書を買っていなかったとは…」背中を流れる冷や汗で滝行ができそうだ。あちこち探しまわって、やっと段ボールに入ったまま眠りについていた労働法の教科書を見つけた。自慢ではないが、俺の部屋はまるでハリケーンの直撃を受けたような散らかりようなのだ。 

 レポートを作成する以前の段階であたふたする俺を見て「憲法総論」が言う――「我を理解せずして、統治は語れぬぞ!」。

 そもそも教科書が無くては理解などできないではないか。

 そんな俺を「刑法各論」が笑う――「ふははは!罪と罰の深淵を覗く覚悟はあるか?」。

 罪と罰の深淵の前に、まずは教科書を覗かせてくれ。

 最後に「労働法」が囁く――「働く者の権利を知らずして、社会は語れぬわ!」。

 何を言うか、俺が職人の世界で受けた人権蹂躙の数かずは、お前に講義ができるくらいだ。さいわい教科書もあるし、まずは貴様から血祭りにあげて戦陣の餞別(はなむけ)にしてくれよう。

 「労働法」を相手に俺は完全に三国志の武将になったつもりでいる。気分は『労働法』のレポート4通という関門を突破する『昭和おやじ千里行』だ。

 こうしてレポート提出作戦の第一目標は「労働法」のレポート作成に決まった。

 

 次回予告

 ついに決まったレポート提出の科目。

 第一の関門突破のため、はやる心を抑えて俺は作戦を練る。

 次回『レポートの嵐作戦』。

 お楽しみに。

 

 コメント、☆を下さった読者の皆さま、本当にありがとうございます。

 皆さまのまごころが、昭和おやじの『心の灯火』です。

 

 

 

科目を選べ!

『科目を選べ!』

 

 トンネルを抜けると、そこは新しいトンネルが口をあけて待ち構えていた。山積するレポート課題である。俺はさっさとシラバスを忘却の彼方に追いやると、レポート作成の準備に取りかかる。

 まずは通信教育部のホームページで自分の『卒業要件表』を見てみる。

 見なければよかった。

 様々な記号や数字がならび、まるでヒエログリフかボイニッチ手稿のようだ。きっとこいつは“シラバス四天王”のひとりに違いない。

 モニター画面の表示ではとうてい情報の整理ができないので、卒業要件表をプリントアウトして、赤鉛筆で卒業要件を満たさない科目に印をつけていく。その姿は競馬新聞に赤マルをつける昭和おやじそのままなのだろうが、自分の事なので苦笑する余裕すらない。これが他人ごとだったら、俺は涙をながして大笑いしていることだろう。

 赤鉛筆を舐めながらプリントと格闘しているうちに、おぼろげながら現在の履修状況が分かってくる。「必修科目」はなんとかクリア。「選択科目」と「選択必修」は壊滅ということが判明した。これでは母をたずねて三千里どころか単位を求めて三千里だが、すべて自分のまねいた原因であり結果だ。しかし、それを承知のうえで俺は卒業という遥かな栄冠を勝ち取ることを自らに課したのだと、自分で自分を慰める。

 そこで俺はみずからのモチベーションアップのために、静かに自分の胸に語りかける。俺は必ず卒業してみせる。そして勝利の証しとして、どこかの市長よろしく卒業証書を19.2秒ほど周囲に見せつけてやるのだ。そのとき、まさか俺が卒業するとは思わなかった連中はこう言って驚嘆するにちがいない。「見ろよあの人、たった19.2秒のために40年もかけたんだぜ!」と。

 卒業要件表で大まかな履修状況はわかった。こんどは焼け野原同然の惨状を呈している「選択必修科目」と「選択科目」から、履修パターンを知るために学習指導表なるものを入手する。

 そこには俺の氏名住所をはじめさまざまな個人情報と共に、在籍(正しくは罪責)期間、在籍可能期間や学費の納入状況が記入してあり、つづいて今年度の履修科目一覧が入力してある。

 むろん仕事とはいえ、どこかの誰かが、いつか俺のような無気力学生の役に立つ日もあろうかと、わざわざデータを打ち込む作業をしたのだろう。一瞬、俺自身がパンチャーの仕事をしていた遠い日の記憶がよみがえった。まったく、このパンチャーさんが愛おしく思えるくらいだ。

 この学習指導表のなかに記載されている11科目は、レポート、科目試験、スクーリング――この3つの履修パターンに振り分けられている。

 まず必要数のレポートを提出し教員に添削を受けて合格すれば単位履修できる「レポート合格」。

 つぎにレポートを提出するまでは同じだが、そこから科目試験を受けて合格すれば単位履修ができる「科目試験合格」。

 最後はスクーリングを受講した後に試験をうけて合格すれば単位履修ができる「スクーリング合格」だ。

 

 次回予告 

 レポート作成の科目の選択を迫られる「俺」――。

 どの科目を、なにを基準に決めるのか――。

 だが「すべての道は卒業に通ずる」との思いで、とりあえず一歩を踏み出す。

 次回 『学びの選択』。 

 お楽しみに。

 

戦いのすえに

『戦いのすえに』

 この532件の中から自分が必要とする科目を絞り込んで履修登録をするのだが、絞り込み条件がアクティブラーニングやらラーニングアウトカムズ(アウトでカムズとは禅問答なのか?)など、まるで何かの暗号のようだ。

 中には“教員”という検索条件があるのだが、教員を条件に履修登録をすると、授業料に加えて指名料でも取られそうな気がする。

 幸いキーワードで検索するダイアログボックスがあったので「楽をしながら単位が取れる科目」と入力してみる。俺にとって卒業はもはや手段ではなく、目的そのものなのだ。

 検索結果は「0件のシラバスが見つかりました」さすがはシラバス、そう来るか。すぐさま「ウソをつけ!どこかにあるはずだ!」と入力。

「0件のシラバスが見つかりました」なかなか頑固だ。

「誰にも言わないから、こっそり教えて」

「0件のシラバスが見つかりました」まだ言うか!

「この通りだ、頼む!」

「0件のシラバスが見つかりました」なんてやつだ。

 思いつくかぎりの懇願、恫喝、悪態、果ては呪文まで入力して、気が付くと小一時間が経過していた。

 途方にくれて机の端に目をやると、大学から送られてきたまま開封してない郵便物が目に止まる。どうせ大学から俺に送られてくる郵便物など、学費納入の督促に決まっているのだ。気は乗らないがシラバスとの攻防の気分転換のつもりで封を開けてみる。

 封筒の中にはクリアファイルに入った「履修登録期限が過ぎましたので、大学側で履修登録を行いました」という通知と、履修登録した科目の一覧表が入っていた。

 どうやら俺とシラバスとの戦いは、始まる前に終わっていたらしい。

 結局、戦いのすえに勝利を納めたのは俺でもシラバスでもなく、大学事務局だった。

 

 次回予告 

シラバスとの戦いが終わったと思ったのも束の間。

次に待ち構えていたのは、山積するレポート課題だった――。

卒業へ向けて、俺は本当にはじめの一歩を踏み出せるのか?

次回『レポート作戦発動』

お楽しみに。

シラバスを攻略せよ!

シラバスを攻略せよ!』  

 もともとシラバスの語源は、羊皮紙のラベルという意味のギリシャ語で、大学における授業のスケジュールや講義内容、評価の方法などを詳しくまとめた資料のことだ。

 40年前、とうぜんシラバスなどというものは無かった。ましてや大学と自宅がパソコンを介して繋がるとは夢にも思わなかった時代だ。なにせ当時の学生証は現在のようなプラスチック製のカードではなく、紙製だ。つまりパルプだ、パピルスだ。  

 しかも俺はその学生証を財布と一緒に洗濯してしまった。

 昭和の世界に取り残されたままの俺にとっては、大学のホームページにアクセスするだけでも大仕事なのだ。これに比べれば、不正駐輪の常習者との根競べなど、ただの幼稚園のお遊戯みたいなものだとすら思えてくる。

 しかし日本の大学でわざわざ“シラバス”などという横文字をつかって敷居を高くする意味があるのだろうか。 せめてシラバスを“大東亜決戦機”とかいう名前にでもしてもらえば、俺も履修登録のたびに自らの士気を鼓舞できるのだが。

 俺はシラバスを見据えたまま、丹田に意識を集中して呼吸を整える。今ごろシラバスも大学ホームページのなかで、敵の来襲を告げる角笛を高らかに吹き鳴らしていることだろう。 

 俺は相手に考える暇を与えず一気に間合いを詰め、検索画面を開く。先手必勝だ。 しかし検索画面にあらわれたのは「532件のシラバスが見つかりました」とのメッセージと、膨大な数の科目と教員の名前、単位数の一覧だ。 

 その威容におもわず俺は息をのんでつぶやく「これがシラバスか・・・相手の思考能力の限界を突く、知的な飽和戦術を使ってくるとは」。

 いままで何人の向学心に燃える勇者が、ここであえなく斃れていったことだろうか。彼または彼女たちの無念の想いが、まるでモニター越しに立ちのぼってくるようだ。 

 

 次回予告 

 難攻不落のシラバスを相手に、俺は履修科目の登録に挑む。

 だが意味不明な文字列に加えて検索内容を弾く鉄壁の守りの前に 、戦いは次第に泥沼化してゆく。

 シラバスよ、なぜそこまで俺を拒む――。

 次回「戦いのすえに」 

 お楽しみに。