劇場と音楽、映画、読書

定年後の劇場通いの日々です

新国立の「くるみ割り人形」

12月25日(木)の夜に新国立劇場でバレエ「くるみ割り人形」を見る。年末恒例の公演で、今回はウィル・タケット振付による新製作のお披露目公演。クリスマスの日だということもあり、完全に満席。バレエを習っていそうな子供もちらほらいた。今回は12月19日から1月4日までの18回の公演で、クララは6人が交代で踊る。

 

25日はクララが米沢唯、王子が渡邊峻郁、ドロッセルマイヤーが福岡雄大というキャスト。7時開演で30分の休憩をはさみ、終演は9時半ごろ。皇族も見に来ていたが、警備は控えめ。

 

今回のプロダクションは、割と古風な振付の印象。イワノフの原振付に基づくとなっているが、1934年のワイノーネン版を参照したようで、クララは登場時から大人が踊る。1966年のグリゴローヴィチ版でクララは少女が踊り、夢の中で大人になったクララを大人が踊る形になった。それ以降はこうした形の上演が多い中で、昔に戻ってマイムも少し増やした印象。

 

「くるみ」はチャイコフスキーの音楽は良いのだが、台本が弱く、1幕と2幕のつながりが弱いため、決定版の振付がなく、いろいろな版が乱立しているが、今回の振付もその一つになった。最大の特徴は2幕でお菓子の国に行く場面が、明確に「夢」とは演出されずに、現実のような形に見えることだ。1幕のネズミの登場場面でも現実との区別がついていない。

 

美術や演出はそれなりにうまくまとめてあり、1幕のパ・ド・ドウ(ドロッセルマイヤーも絡むのでパ・ドトロワになっている)と2幕のグラン・パ・ド・ドウはうまく振り付けられていて、米沢唯の踊りのうまさが際立っていた。

 

しかし、コールドの振付は弱く、1幕の「雪の精」、2幕の「花のワルツ」も面白くない。イーグリング版で、とてもモダンな感覚で複雑なコールドの使い方を去年まで見ていたので、物足りなさを感じた。

 

去年までの版ではネズミの被り物がグロテスクで、ちょっと嫌だったが、今回のネズミはちょっとかわいくなっていて、見ていて楽しかったが、ネズミと兵隊人形の戦いは工夫がなくあっさりと終わり、面白みがなかった。

 

2幕はお菓子の国へ行く形で、パティシエが出てきていろいろなお菓子の踊りとなっている。しかし、チャイコフスキーの音楽は各国の踊りを想定してエキゾチックな響きとなっているので、なんとなくちぐはぐな印象。

 

若手のダンサーの中ではダンス教師とネズミの女王を踊った根岸祐衣、フォンダンローズの直塚美穂が美しい踊りを見せた。

 

オーケストラはマーティン・イエーツ指揮の東京フィルだが、この時期の東京フィルは第九の演奏会などもあり、二組に分かれて演奏しているので、金管に弱さが出ていた。

 

それでも、第九とくるみを済ませて、年越しの準備が整った。観劇前に、家でキャベツのサラダと、鮭のグラタンで軽く腹ごしらえした。

読響の第九

12月23日(火)の夜にサントリーホールで、読響の第九を聴く。読響は12月18日から27日まで7回の公演。指揮はマキシム・パスカル。客席は9割程度埋まっていた。7時開演で、終演は8時15分ごろ。

 

マキシム・パスカルは、12月13~14日に二期会のオペラ「ファウストの劫罰」の指揮も担当しており、読響を振っていたから、その後も日本に残り第九の公演をやっているようだ。クリスマスも家に帰らずに頑張ってくれている。

 

パスカルは蜘蛛のように長い手足を持ち、指揮棒を使わずに長い手を存分に動かして指揮をする。ベートーヴェンの第九というと、普通重厚な演奏が多いが、パスカルが振ると、軽やかな印象で、現代的だった。

 

現代的な演奏もそれなりに楽しく、退屈せずに年末気分を味わう。歌手陣は女性二人が日本人で、男性二人は来日組。テノールのシヤボンガ・マクンゴは南アフリカ出身、正統派のテノールでよく声が出ていた。合唱は新国立合唱団の60人で、安定的な歌唱。歌手陣の登場は第四楽章の途中からで、オケの演奏中にぞろぞろと入ってきた。最初からいるのはつらいかもしれないが、せめて第三楽章から着席していたほうが落ち着いて聞ける気がする。

 

毎年聞くのもなんだなあという気もするが、年末はこれでもかというばかりに、第九とくるみ割り人形のオンパレードなので、つい見てしまう。

 

公演前に家でビフストロガノフを食べて腹ごしらえし、帰宅後はすぐに寝た。

 

 

二期会のファウストの劫罰

12月13日(土)の昼に東京芸術劇場二期会の「ファウストの劫罰」を見る。14時開演で、20分間の休憩をはさみ、終演は16時45分ごろ。観客は7割程度の入り。ベルリオーズの作品で、歌入り物語といった音楽で、完全なオペラというよりも、オラトリオのような歌入り楽曲という印象。

 

「セミ・ステージ形式」となっていたので、多少の衣装や演技があるのかと思ったが、歌手は出番になると登場して譜面台に楽譜を置いて歌うスタイルで、演技はほとんどない。これならば、「演奏会形式」というべきではなかろうか。

 

舞台の上に読響がフル編成で並び、その後ろに60人ぐらいの合唱団がいて、譜面を見ながら歌う。ソロ歌手(4人)は、オーケストラの前で歌った。衣装といえば、悪魔メフィストフェレス役が赤いネクタイと赤い靴を履いていた程度。

 

舞台後方に大きなスクリーンがあり、上田大樹によるコンピュータ合成のような映像が次々に映し出される。この映像が物語とどのように関係しているのかよくわからない。まったく役に立っておらず、音楽を聴く邪魔をしているように感じたが、字幕がこのスクリーンに映されるので見ないわけにはいかず、困ってしまった。

 

映像効果を高めるためか、舞台は照明を落として薄暗く、歌う歌手にだけスポットライトが当たる。演技もないので音楽を聴きたいと思うが、オケが暗くてよく見えずにストレスがたまった。

 

物語は、「ファウスト」の一般的な流れに沿っており、あまり大きく外れてはいない。音楽も、マキシム・パスカルの指揮がよく、ファウストの物語がよく感じられた。歌手では題名役の宮里直樹がよく、テノールの声がよく響き高い音まで美しく響かせた。それ以外の歌手もそれなりに歌ってはいたが、若干弱いと感じられた。

 

オケは読響なのでとても安定しており、響きもよい。後半の最初のほうでヴィオラの首席(鈴木康浩)による独奏があったが、とても美しい音色で、これを聴いただけでこの作品を見に来たかいがあると感じさせた。

 

音楽的には良いが、うっとうしい映像が邪魔して、全体の印象が悪くなったという感じ。

 

帰りがけにスーパーで買い物して家で食事。小松菜のおひたし、豆腐の甘辛煮、塩鮭の低温調理などを作って食べた。

スリー・キングダムス

12月5日(金)の夜に新国立中劇場でサイモン・スティーヴンスのサスペンス劇「スリー・キングダムス」を観る。18時30分開演で、途中20分間の休憩が入り、終演は21時35分ごろ。入りは薄く、4~5割しか観客が入っていなかった。これならば小劇場でよいかもしれない。客層は若い人が多かった。

 

ロンドンで殺人事件が起こり、ロシア系の売春婦が殺される。捜査を担当する刑事は、犯人を追って、ハンブルクエストニアを回る。調査を進めるうちに、正体不明の怪しそうな人物が次々と現れて謎めいたことを語る。犯人を追う刑事は、結局、悪魔に誑かされて、廃人となってしまう。

 

見ているうちに、なんとなくデイヴィット・リンチのテレビドラマ「ツイン・ピークス」を思い出した。正体不明の人物が次々と現れて、謎がどんどんと深まっていくという作劇術はまるでリンチだ。チラシを見たら、リンチの映画の影響を受けているとちゃんと書いてあった。

 

古典劇では、問題は神や英雄などの登場による解決が図られるが、近代劇はあくまでも人間の営みを描くものだと思っていたが、この作品のようにつじつま合わせは「悪魔」の存在で逃げてしまうと、おもしろくもなんともない喜劇にしか感じられない。

 

リンチの作品は、同じような作劇だが、次から次へと起こる謎めいた出来事により観客を引き込んでいく。この作品ではそれだけの力が感じられずに退屈した。こんな芝居をわざわざ上演する価値があるのだろうかという感じ。

 

それでも12人の出演者はそれなりに頑張って演じていた。セットも工夫されているが、新国立の中劇場は残響がよくないためか、演劇の公演だと台詞が聞き取りにくく、サウンド設計も疑問。観客が入らないのも当然化もしれないと感じさせた。

 

観劇前に軽い食事。豚ひれ肉のソテーと焼きリンゴなど。

オルフェオとエウリディーチェ

12月4日(木)の昼に、新国立劇場グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」を見る。3回公演の初日。3回ともマチネーの設定。午後2時開演で、25分間の休憩をはさみ、終演は4時10分ごろ。8~9割の入り。平日の昼間とあって、年金生活者風の人が多い。

 

話は亡くなった妻エウリディーチェを取り戻すために、オルフェオが冥界へ行き、連れ戻ろうとするが、我慢できなくなって振り返えり、永遠にエウリディーチェを失う話。グルック版では、最後にアモーレが出てきてエウリディーチェを生き返らせるハッピーエンド版になっている。

 

バロック・オペラのムードで、園田隆一郎指揮の東京フィルが、バロック風の音色でうまく演奏していた。オケも小編成で、出演者も少ない室内オペラ的な作品なので、新国立の大劇場で演奏すると、音量不足というか、迫力がない。

 

演出は勅使川原三郎で、4人のダンサーが歌のない音楽部分をコンテのようなダンスでつないだが、腕をぐるぐると振り回すだけの単調な踊りですぐに飽きてしまった。また、舞台前方にダンススペースを広くとったこともあり、歌手はかなり舞台の奥のほうで歌うことになり、声が十分に広がらないという、演出上も問題点も感じられた。

 

オルフェオはアルトのサラ・ミンガルド、エウリディーチェはソプラノのベネッタ・トーレ、アモーレは杉山由紀という配役。皆歌唱は良かったが、一番魅力的だったのはミンガルドだった。

 

こうした作品をレパートリーに持つことも大事かもしれないが、もっと小さな空間の劇場で上演してほしいと思う。

 

帰りがけにスーパーで買い物して、家に帰ってみそ仕立てのカキなべを食べた。

服部百音のリサイタル

12月2日(火)の夜に浜離宮朝日ホールで服部百音のヴァイオリン・リサイタル「Storia Lab 2025」を聴く。11月の後半にインフルエンザなどで寝込み、2週間ほど劇場通いができずに何作品か見逃したが、体調回復して久しぶりに復帰した。

 

服部百音はStoriaと称してオーケストラとの共演をするリサイタルを毎年開催しているが、今回はピアノ伴奏だけのヴァイオリン・ソナタを演奏する室内楽版。本人もコンサート後に語っていたが、マニアックな選曲で、百音の世界を聞かせる企画。朝日ホールは550席程度の広さなので、こうした演奏会にはちょうど良い大きさ。

 

19時開演で、途中20分の休憩をはさみ、終演は21時15分ごろ。ほぼ満席で、若い人向けの席も準備されていた。センター中央部は招待席で、ライオンの鬣のような髪型の元首相、大学理事長も務める女性作家、百音の父親の服部隆之などの姿が見えた。

 

プログラムは、本人も「マニアック」と語るほどいかにも百音らしい選曲で、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ1番、ストラヴィンスキーのディヴェルティメント「妖精の口づけ」が前半。前半だけで55分程度。

 

休憩の後はショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタの後に、父隆之の作曲による「地球の子供たち」だった。アンコール2曲でファルジ・サイなど。

 

ロシアの作曲家が中心のプログラムなので、ピアノ伴奏はロシアのダニエル・ハリトーノフが担当した。百音とほぼ同年齢の若手だが、彼のピアノがめっぽうよかった。伴奏に徹してヴァイオリンの合わせるのではなく、丁々発止とヴァイオリンと掛け合い、素晴らしい音楽を作り上げていた。

 

百音は細く小さな体に真っ赤なドレスを着ていた。ハリトーノフは長身でひょろっとした印象。ピアニストにしては姿勢がよい。百音は入魂して曲に没入、各曲が終わるとそのまま倒れこんでしまうのではないかと心配するほどの弾きっぷり。

 

プロコフィエフから、ストラヴィンスキーと調子を上げ、ショスタコーヴィチで最高潮に達した。やはり百音のショスタコーヴィチは最高だと思う。最後は隆之の曲で美しく優しさにあふれた曲だが、百音が弾くとこれも荒々しいまでの力強さを表現した。

 

渋い選曲だが、聞きごたえ十分で、大満足で家路につく。コンサート前に食事をしていたので、家に帰ってバナナを食べて寝る。

 

 

ロッシーニの夕べ

11月12日(水)の夜にイタリア文化会館で「ロッシーニの夕べ」を見る。18時30分開演、休憩なしで19時40分終了。

 

イタリアから若いバリトン(ジュゼッペ・デ・ルーカ)とメゾソプラノ(マルタ・プルーダ)が来て、日本人のピアノ伴奏(林直樹)で70分歌った。「ロッシーニの夕べ」とある通り、「セビリアの理髪師」「アルジェのイタリア女」「チェネントラ」からの歌。

 

まだ若いので修行中だろうが、ロッシーニの曲はアジリタが多いので、結構苦労して歌っていた。わざわざ難しい曲を選んでいるのだろうかと思うほど。バリトンは、若々しいはつらつとした声で、メゾソプラノは低めの声に芯の太さを感じさせるような声質。「理髪師」のロッジーナの歌はちょっと合わない気がした。

 

ピアノ伴奏の林直樹は初めて聞いたが立派な演奏。藤原歌劇団で伴奏をしているらしい。使用したピアノはイタリアのファッツォーリで、高い音はきらびやかではないが、落ち着いて中温がふくらみのある美しい音。

 

アンコールも2曲歌うサービスぶりで、なかなか楽しいコンサートだった。帰りがけにいつものスペインバルで軽く食事。トルティージャ、ハモン・セーラノ、ポテトサラダ、カキのアヒージョ、イカフリットスなど。