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おとぼけママのハッピーブログ

凧上げか、それとも凧釣りか

 

元旦。

家族みんなで近くの神社へ初詣に行った。

神社からの帰り道、凧上げをしている親子を見かけた。

低学年くらいの女の子が凧の糸を引く。

適度な風があるため、凧は空高く舞い上がっていた。

 

「凧上げがしたい!!」

家に着くと同時に次男が言った。

「お母さん、一緒にやろう!」

(そう来るよね、やっぱり)

 

次男は待ちきれない様子で、さっさと昼食を済ませ、外にある物置へと走っていった。

私が家の裏に広がる田んぼへ行くと、次男はすでに凧上げを始めていた。

 

凧上げと言っても、次男は数年前に、百均で買った釣竿を振り回している。

よく見るとその遥か先にビニールの凧が虫のように小さく見える。

父がどうせなら高くあげるようにと、凧に釣り糸を括り付けたのだ。

そして、勢いよく舞い上がった凧を時々リールを回して操縦する次男。

これは凧上げか、それとも凧釣りか。

 

「お母さんにも貸してあげるよ。」

「いや、いいよ。難しそうだし。」

そう言った私に、貸してあげたい、やらせてあげたい、という次男の熱い想いが伝わってくる。

「それでは、少しだけ。」

 

・・・やらなければ良かった。

次男と交換した途端に、空高く泳いでいた凧は風に乗り切れずに急降下を始めた。

そしてクルクルと回りながら、離れた木に引っかかってしまった。

そこまでは枯れた草木が生い茂っている畑を通らなければいけないが、嫌とは言えない。

私は「バカの実(オナモミ)」を大量にズボンと靴にくっつけながらも、心配顔の次男と一緒に凧の引っかかった木に向かって急いだ。

長い棒で、木に引っかかった凧をゆすってみるがどうやっても取れない。

長男に電話をして援護を頼む。

長男は脚立と棒を持って登場した。

さすが兄。

何度かゆすっているうちに、凧は再び空に舞い上がった。

 

「もうちょっとやってみようかな。」

しょぼんとなっていた次男だったが、凧がとれた途端に、気をよくしたようで、また凧つり・・・いやいや凧上げを始めた。

 

しかし、しばらくすると、「あっ紐が切れた!!」と次男の声が。

空を見上げると、ヒラヒラと自由になった凧だけが遥か彼方へ泳いでいった。

慌てて長男と次男は凧を追い、猛ダッシュ!!

凧は近所の家に入る細い道に舞い降りていたところを捕獲された。

 

年初め。

「もう、元旦から大変だったよ!」と言った次男。

私はズボンと靴にびっしりと付いたバカの実をとりながら、大笑い。

 

今年もおかげさまで、あたふたとせわしなくとも、楽しい1年になりそうな気配です。

皆様にとっても幸せな1年となりますように。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

 

自由人のこだわり

長男はこだわりが強い。

そのこだわりは社会生活にも支障が出るほど強いので、時々、彼を苦しめる。

かわいそうだと思うが、どうやったって代わってあげることはできないので、彼の話を聞き、対応できる範囲で解決の道を探す。

 

こだわりは小学校高学年から強くなった。

幼い頃からルールに縛られることが嫌いな自由人だった長男。

子育ては思うようにならないことが多かった。

その一方で、そんな自由なところが、私にはない世界が彼の目の前には広がっているようで、どこかうらやましくもあった。

彼のフィルターを通して見える世界を私も見てみたい。

その個性を伸ばしてあげたいと思った。

 

中学生になって、異変が起きた。

もしかしたら、中学生が一番窮屈な時期なのかもしれない。

小学生の時のような遊び中心ではいられない。

高校生のように自分で何かを決めて、行動できる範囲も狭い。

特有の環境で彼は彼なりに適応しようとしていたけれど、思春期の心の不安定さと、閉じ込めようとも閉じ込められない彼のこだわりが、次第に彼の心を辛くしていったのだと思う。

 

今は大人になった。

でも、今も戦っている。

漠然とした不安と時々、自分でもどうすることもできないこだわり。

子供じゃないから騒がないけれど、溜め込んだら、消化できないそのこだわりは行き場を失い、膨れ上がるようだ。

 

先日、様子がおかしいので、問いただしてみた。

「もう子供じゃないから、言わない。」

「笑われるくらいのことだから。」

「お母さんに迷惑をかけるから。」と彼は言った。

 

2週間くらい前から睡眠がとれていない。

表情も暗い。

彼が自分の中で何かを抱えているのは明らかだった。

「溜め込んでいいことなんてなかったでしょ?」

「お母さんが元気なうちは頼っていいんだよ。」

「年をとって動けなくなったら、助けてよ。お互い様ってことでいいじゃない。」

責めないように、重くなりすぎないように言葉を選ぶ。

ようやく長男は重い口を開いた。

 

私だけで解決できない問題は隣に住む祖父母と共有する。

父親には相談できない。

随分寛容に見てくれるようになったけれど、まだもう少し時間がかかる。

翌朝、祖父母と相談して、意見を聞いて、長男に伝えた。

「おばあちゃんもおじいちゃんもみんな真剣に話を聞いてくれたよ。」と伝えた。

「みんな優しいね。」

その後、長男は度々そう言った。

「お兄ちゃん、横で寝てもいいよ。」

最近、お兄ちゃんと別の部屋で寝ていた次男が声をかけてくれた。

不安な時、誰かがそばにいてくれると嬉しいことを年の離れた次男も理解している。

 

家族という小さな世界。

長男はその小さな世界で生きている。

余裕のある時は、外の人ともつながれるけれど、家族のように心を許すことはできないようだ。

もっと広い世界で生きて欲しい。

もっといろんな人とつながって欲しい。

そんな想いは、私の自分勝手な願望かもしれないけれど、家族以外にも「助けて」って言える人が、できたらいいなと思う。

安心できる人がいたらいいなと思う。

その人を自分も助けてあげられたらもっといいなと思う。

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました♪

 

 

 

 

自分の時間を取り戻す

 

『老後に後悔することランキング第2位は「お金を残しておかなかったこと」それでは第1位は?』

そんな見出しに惹かれて、NEWS PICKSの記事に目をやった。

 

「お金よりも大切なもの」は容易に想像がついた。

「時間」だ。

記事の中でも、そのように書いてあった。

「自分の時間を作らなかったこと」が第1位だと。

 

「やりたいことはその時にやりなさい」と言っていた祖母の言葉を思い出す。

酒好きで遊び人だった祖母の父。

静かで優しかった祖母の母。

そして、8人兄弟の長女として生まれた祖母。

背中に妹をおんぶして、尋常小学校へ通っていたという。

尋常小学校を卒業した後は、すぐに製糸工場で働き始めたようだ。

祖母にとっては後悔というはっきりしたものではないが、その時々で「もっとこうしたかった」という想いがあったのではないかと思う。

 

記事の中では「やりたいことが見つかる世界の果てのカフェ」という本の登場人物の言葉が引用されていた。

「自分はなぜここにいるのか?」と問いかけることが未来を変える鍵になるという。

1時間でも自分のために時間を作る。

そして自分のやりたいことをやる。

それは自分の時間を取り戻すことにつながっていくという。

 

子供たちを見ているとその若さを羨む自分がいる。

若い頃にもっとこうすれば良かった、なんて思っている自分に戸惑う。

もう後悔しているのかな。

だとすれば、このまま同じように生きていたら、もっと後悔してしまうかもしれない。

この先、必ず訪れる介護の問題。

私には4人の親の介護が待っている(夫はタッチしない未来が見える)。

そして、夫や自分自身もにも身体の変化が訪れる。

忙しいと(忙しがっていると)それを忘れて、時間に流されてしまう。

今からでも遅くない。

自分の時間を作ろう。

そして、自分の好きなことをする。

1日のうち1時間は確保する。

できれば睡眠を削りたくないけれど、今は仕方ない。

むしろ「自分の時間を生きている」と意識して確保することが大切なのかもしれない。

 

最近、友達から日帰り旅行へ誘ってもらった。

いつもなら適当な理由を見つけて、断ってしまう。

家族を残して、自分だけ出かけるなんて、とどこかで後ろ髪引かれる思いがしていた。

田舎だと特にそういうところがある。

長女、嫁、母親。

どこを切り取っても、しっかりしなければいけない。

そして、我慢しなければいけない。

でも、そんな固定概念を作っているのは自分なのかもしれない。

 

ふと、自分が旅好きだったことを思い出した。

もっと気軽に行ってみようかな・・・。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

 

 

 

 

 

 

 

ホームセンターにハマった息子

最近、小6の次男がホームセンターにハマっています。

車で20分の場所にあるお店。

週末になると、毎週のように行きたがるのです。

そこに何が?!

私の心の声です。

 

ホームセンターは大抵、日用品の購入には行きますが、それ以外の探求はあまりしません。

学生の頃は一人暮らしをしていましたので、可愛い日用雑貨を探したり、部屋をカスタマイズしようなんて、意気込みもありましたが、今はもっぱら、トイレットペーパーやシャンプー、洗剤類といった生活感たっぷりのアイテム購入という目的で入店します。

滞在時間は30分以内です。

早ければ、15分以内にはもう両手一杯に荷物を抱えて、店を後にしています。

それが、次男と一緒に行くと、長ーいのです。

レジに並ぼうとする私に「ちょっと来て、いいものがあった。」と言っては、まるでお店の店員の如く、商品の紹介をしてくれます。

特に最近は調理器具に興味を持っています。

「これなんかどう?便利そうだよ。」

「こんな器具もあるんだよ。」

たくさん、それはもう、たくさん商品を勧めてくれます。

お店の回し者?・・・ではありません。

これだけ熱心に勧めてくれるのだから、何か一つは買わなくてはという消費者心理を理解しているのか(絶対していない)、次男と行く時はいつも余分なものを購入してしまう(させられてしまう)現象が我が家では頻発しております。

 

 

 

 

保温ポットは、容量がちょうど良く、とても重宝しておりますが、果たして「スティックポテトチョパー」とやらは活躍場面があるのでしょうか?

いえいえ、やってもらいましょう、次男に。

購入した先週の週末、早速、次男は面白がって大量のジャガイモをスティックにして、油で揚げて、フライドポテトを作ってくれました。

美味しかった!

「スティックポテトチョッパー」のご活躍を心より願っております。

 

今週(今日これから)また次男にホームセンターに連れて行ってと頼まれている母です。(もうよくない?)と心の中で思いながら、ついつい連れて行ってしまうのは、日用雑貨を見ている時の生き生きとした次男の顔が浮かぶからです。

見て回って、楽しいのならば、それで良いか。

安上がりか高上がりかは要するに私の意思の問題なのだから。

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました♪

 

 

家族について思うこと

 

週末、長女のアパートへ遊びに行ってきました。

県外に住む長女は医療系大学の4年生。

もうすぐ社会人になります。

 

「どこに就職しようか」と迷っていた彼女は、その前に「どこに就職できるか」が重要で、こちらが選んでもあちらが選んでくれなければ、就職できないという当たり前のことに嫌というほど気づかされました。

これまで、面接のようにその場で評価されるような経験が少なく、比較的のんびり歩んできたので、不合格という通知はかなり自尊心が傷つき、自信を失ったようで、就活生の苦悩を実感したようです。

最終的には自分の希望していた地元の病院ではなく、県外の病院へ就職が決まりました。気持ちを切り替えるのに時間がかかっていましたが、今は県外の病院で経験を積んで、いつか地元へ帰ってきたいと思っているようです。

 

私たちは車で彼女が就職する病院やその周辺を見て回りました。

姉が大好きな弟達は、姉のところへ行く時は必ずついてきます。

特に年の離れた弟は優しい姉にベッタリです。

でも、これまでずっとそんな風に仲が良かったわけではありません。

長女が中学生や高校生の頃は、思春期で自分のことで精一杯でしたし、末っ子はまだ幼く、手がかかりました。

仕事と長女の塾の送り迎えと末っ子の世話に加えて、長男が体調をくずしたため、次第にそちらへかかりきりになりました。

父親は長男の病状への理解ができず(認めたくなかったのかも)、私と言い合いになることもありました。

みんなに余裕がなくなり、家族はバラバラでした。

 

家族の形はそれぞれで、どの家も何かしらの事情を抱えているのではないかと思います。不穏な空気が流れているような時はあがいてもがいて、必死になりますが、悪い方へと進んでしまうことも少なくありません。

私はひたすら自分の足元を見て毎日を過ごしました。先を見ると不安で、後ろを振り返ると後悔ばかり。その日を精一杯過ごすことしかできませんでした。でも、その日に集中することで、辛い時期を何とか乗り越えていくことが出来た気がします。

 

何かで読んだのですが、精神的に辛い時は、思考が未来と過去を行き来するようです。

「今」に留まらない。

だから、今を意識する「瞑想」のようなことが効果的なのだとか。

そうかもしれません。

結局のところ、その日、その日の積み重ねが未来につながっていくのですから。

 

「『雨降って地固まる』だね。」と、その頃のことをたまに長男と話します。

嵐のような3年間を過ごし、長男の体調の回復と共に、家族の関係も少しずつ良い方向へ向かいました。

何故か嵐の前よりずっと。

今は、その嵐が平穏を連れて来てくれたのだと思っています。

共通の困難な出来事が各々を成長させてくれました。

また、いつか違う嵐は来るかもしれませんが、一人で立ち向かわず、一緒に乗り越えていきたいと思います。

 

時々、「自立」とは何かと考えます。

子供たちに自立して欲しいと思っていましたが、自立とは一人で生きていくことではなくて、誰かと支えながら生きていくことではないかと最近は考えるようになりました。そう考えると、子供たちはそれぞれに自立に向かっているのだと思います。

焦らずに見守っていけば良いのかもしれません。

 

最近は実家の父にがんの再発の兆候が現れ、精密検査を受けています。

また闘病生活が始まるかもしれません。

不安のようで、頻回に電話がきます。

父にも出来る限りのことをしたいと思います。

親として、子として、私はいろんな関係性の中で、生きています。

そのつながりを大切にしていきたいと思います。

 

今回はちょっと真面目な話。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

若手社員の自己効力感

 

 

うちの会社は従業員3人の小さな会社です。

普段、会社で事務や軽作業を中心にやっている私は、現場(外作業)の様子が分からないので、リーダーの若手社員に仕事の進捗具合を確認することが日課となっています。

 

昨年までは、ベテラン社員がいて、ある程度のことは任せていました。

しかし、ベテラン社員が地元へ帰ることになり、代わりに入社3年目の社員がリーダーになりました。

彼は入社当初から、「上に立つこと」は望んでいませんでした。

それが、ベテラン社員の退職により、突然リーダーになってしまったのです。

もちろん、了解を得てのことですが、社員3人、彼以外は2年目と1年目。

了解しないわけにはいかないと思ったのかもしれません。

 

彼はとても素直です。

「ちょっと大変な作業だけど、頑張ってね。」

そう声をかけると、

「やりたくないっすね!」と即答です。

それも、清々しいくらいに笑顔で返事が返ってきます。

正直なんです。

とっても。

感心するくらいに・・・。

 

そんな彼が、この半年で大きく成長しています。

「人に興味がない」と言っていた彼が、休憩中に後輩社員と頻繁にコミュニケーションをとっています。

大抵は仕事の話で、盛り上がっています。

「今日、こんなところでトラブっちゃってさー。」とか。

「ほんと、あれはやりたくないんだよねー。」とか。

私もそこで事務作業しているので、耳に入ってきます。

内容が、ちょっと気になりますが・・・楽しそうです。

 

それから、最近は進捗状況を聞くと、自分の意見も交えながら、話してくれます。

今日は、長くかかっていた仕事にようやく目処が立ち、昨年よりも収益が見込めそうだと、嬉しそうに話してくれました。

「収益が見込めそう」と話してくれることが、彼の仕事に対する向き合い方の変化だと思っています。

これまでは、会社の利益云々よりも、指示されたことをやるだけで精一杯でしたから。

機械のトラブルが起きても、どうしてそれが起きたのか、どこを治せば良いのか、学ぼうとする姿があります。

「機械のことが、だいぶ分かるようになりました!」

知り得なかった新しい知識を体験を通して知る喜びがこちらにも伝わってきました。

その言葉に私も嬉しくなりました。

 

「自己効力感」という言葉があります。

「出来そう」という感覚。

彼はそれが育ってきているように感じます。

そして、「組織効力感」という言葉があります。

「皆と一緒なら出来そう」という感覚。

今取り組んでいる仕事に対して、みんなで一緒に頑張ろうという雰囲気が、彼から後輩たちに届き、「組織効力感」につながっているように思います。

小さな会社ですけれど、みんなの頑張りが確実に成果を生んでいます。

(本当に小さな会社ですけれど・・・。)

 

今の時代ですから、いつまで会社にいてくれるか分かりません。

成長して、飛び立っていってしまうかもしれません。

それでも、今、一緒に頑張ってくれる社員と共に会社も成長できたら良いなと思います。

会社はまだ未熟で(私も社長も)、失敗ばかりですから。

 

自営業から夫が会社にして10年。

綱渡りのような10年でした。

本当に転落しかけた時期もありました。

(怖かったー。)

それでも、なんとか持ち直して今に至ります。

これまで、縁があって一緒に頑張ってくれた社員みんなのお陰です(事情で辞めていった方も含めて)。

 

忘れっぽい私。

今日も誰かが、私のやりかけの仕事をやってくれてありました。

心より感謝いたします!

 

 

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました♪

 

 

本は聴こう、オーディブルの魅力

 

 

読書の秋。

私は子供の頃から本が好きだったのですが、仕事と子育てに追われて、しばらく本から遠ざかっていました。すぐに没頭してしまい、家事や育児に支障が出てしまうため、どちらかというと読書を意図的に絶っていたのです。

ようやく時間ができて、「さて、本を読もう!」と思ったら、今度は老眼が進んで、文字を追うことが疲れてしまうようになりました。

最近は読む気力さえなくなって・・・。

そんな時、テレビで流れたオーディブルのCM。

「本は聴こう。」というキャッチフレーズと「2ヶ月無料体験」に惹かれて、試してみることにしました。

オーディブルはプレミアムプラン月額1,500円とやや高いような気もしますが、単行本だったら1冊分、文庫本なら2冊分と考えれば、本をたくさん読む人ならば、お得ではないかと思います。

そして、「本を読む」とどうしても目も手も取られてしまいますが、「本を聴く」のであれば、移動しながらや作業しながら本が楽しめます。いつもなら後回しにしていた家事も聴きながら行うとサクサク終わります。

それは本好きの私にとって新たな喜びでした。

 

書店で見かけて、興味はあるけれど、ちょっと躊躇してしまうようなボリュームのある本や逆にあまり興味がなく、スルーしてしまっていた本などが、おすすめに上がってくるので、本を購入するよりもハードルが低く、色んなジャンルの本に出会えることも魅力です。

 

最初に聴いた本は吉田修一著の「平成猿蟹合戦図」でした。

始まりから終わりまで、予想外の展開に驚きと安堵と勢いを感じた作品でした。

ナレーターの初村健矢さんの声は落ち着いた安定感のある声でした。

その後に逢坂冬馬著の「同志少女よ、敵を撃て」を聴きました。

第二次世界大戦でドイツと戦ったロシア人、それも女性狙撃兵の話で、強い衝撃を受けました。世界中で今も起きている戦争について、改めて考えました。

ナレーターの青木瑠璃子さんの声が透き通っていて、寒く、冷たい戦いをより印象づけていました。

そして、今日聴き終わった本が、中島らも著「ガダラの豚1」です。

真剣な話の中にクスッと笑いが散りばめられていて、それぞれのキャラクターが個性的でユニーク、そして超常現象とか奇術師とか現実離れしている話かと思いきや現実味のある納得感のある内容でした。まだ2、3と話が続きますので、楽しみです。

ナレーターの山内圭哉さんのキャラクター毎に違う間の取り方や話すスピードが絶妙で笑いを誘います。

気づくと、移動中とか待ち時間とか家事の時間とか隙間時間にすでに3冊も聴いていました。

 

「本を聴く」

朗読は読書と違う魅力があります。

ナレーターはたくさんの登場人物をたった一人で声色を分け、朗読していきます。

それが、まるで芝居を見ているような感覚になるのです。

 

本は好きです。

実際に本を手に取って、文字を追っていくことも好きです。

でも、徐々にそれは出来なくなってきました。

新しい本との出会いも諦めかけていました。

それが、朗読によって、子供の頃に感じていた本を読んで、世界が広がっていく感覚、心が揺さぶられる感覚を再び体験しています。

現実世界にいながら、そんな体験ができる。

やっぱり「読んでも」「聴いても」本はいいです!

 

2日ほど前、風邪で学校を休んだ次男。

暇だと言うので、「忠臣蔵」を聞かせました。

ハマって、今も聴いています。

活字を読ませたいけれど、全然読まない(図書館で本を借りてこない)次男です。

こうなったら、朗読で本の世界を広げてあげるのもいいのかもしれません。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。