モー娘。以降の疑似わが娘系アイドル売りは、少子化を食い止めていた。

 ただリア充がイチャイチャしているだけの様を見せつけるトレンディドラマによって、昭和のアイドルは潰えて、ついでに少子化まで進んだ。
 トレンディドラマは、性欲もロマンス欲も満たさずに、ただ羨ましさだけをかき立てたため、視聴者たちはただ、キラキラした理想的な恋愛のみを追求し、利己的になって行った。
 見ただけでは何も満たされないので、ただ現実で欲望を満たすしかなく、だから、理想的な相手意外との恋愛は拒絶するしかない。
 もっというなら、それが叶えられるだけモテる奴も、もっともっとと求めるだけで、フランス人のように無責任なヤリチン化するだけだった。
 あのようなリア充称揚映画は、モテる奴に一極集中させた挙句、そいつをひたすら増長させ、屑化させるだけなのである。
 女性アイドルなんて追っかけても付き合えるわけでもないので、昭和の恋愛させるアイドルは潰えた。
 代わりに生まれたのが、モー娘。以降の、我が子を可愛がるような愛で方をするアイドルたちだ。
 実際に付き合いたいという感情をまず否定した前提で、複数人の美少女だけでグループを作って、美少女しかいない空間を作り上げて、我が娘を愛でるように楽しむことを受け手に暗に要求するコンテンツだ。
 だから、受け手もまた、そのアイドルたちに処女性を要求し、他の男とイチャイチャしないことを求めるようになった。
 なんせ、見守ってる側は少女と話すことも出来ないのだから、他の男と楽しそうに話しているだけでも良くない。
 なら、そういう美少女と話せるような立場に自分もなりたいと思うだけで、現実において妥協なんてしたくなるわけもない。
 ただし、美少女たちが男を叩くような描写は受け入れられてしまうが、その場合、「女性に男性がアプローチするのは罪」という去勢的罪悪感を植え付け、より深刻な問題を引き起こす。
 しかも大抵の場合は、男が出ているせいで、ホモでもない限りノイズとなってエロさも減り、叩き方によっては、より広く嫌悪感を引き起こすだけだ。
 無理やりにでも男を出そうと、そういうコンテンツをマスゴミが量産した結果、より拗らせた気色悪いオタクたちが大量に生まれている。
 実際のところ、モー娘。はエポックメイキングで天才的な感性とアイデアから生まれたが、コンテンツ自体にはそこまでの効果はなかったろうが、それによって派生した美少女コンテンツは、少子化の特効薬だった。
 モー娘。は殆どエロくなかったが、これがエロくなって行くと、性欲も満たして、現実においてまで、性欲の完全な充足を求める必要がなくなる、妥協した相手と結婚できるようになったわけだ。
 特に、男性キャラクターを完全に排除した作品によって、そのコンテンツは完成に近づいていた。
 女オタク向けでは、女性キャラを排除したコンテンツなんて既に存在しまくっていたわけだが、なぜか全てのコンテンツには男性キャラを出さないといけないという不可思議な先入感が存在していたのだ。
 実際のところ、女性キャラを排除したコンテンツというのは、異常に嫉妬深い女たちを増長させるだけで、彼女らはそれ自体で満足なんてせず、ただ現実において、好きな男の周りから他の女の影を完全に消したいという欲望を暗に肯定することによって成り立っているのに過ぎない。
 結局のところ、男女の恋愛観の違いなのだ。
 男性向けのコンテンツは性的ファンタジーに過ぎないが、女性向けのコンテンツは、価値観の肯定と教訓という名の洗脳によって成り立っている。
 ただそこにあるのは、あなたは正しいと肯定されたいという欲望と、こういう男と付き合うとヤバいぞ! こういう女になると幸せになれないぞ!という教訓を得たいという心の隙に付け込むカルト霊感商法的なビジネスがあるだけだ。
 後者の場合、まともだったら、もっと普通のエッセイやドキュメンタリーやノンフィクションへ行くはずで、女性向けロマンスとかいう最も現実とかけ離れた理想像を植え付けたいだけのマスゴミコンテンツへ行くような女は、致命的な認知的障害があるが。
 マスゴミは、こういう女たちに、更に異常な価値観と男性憎悪を植え付けるために、恋愛エッセイだの女性雑誌だので、より醜悪で異常な価値観を植え付けようと躍起だ。

 だが、2013年以降の萌え叩き、イケメンコンテンツ称揚が、その後どんどん増長して、完全に少子化は手の付けようがないほど深刻化している。
 全ての腐女子とイケメンコンテンツを作った奴ら、それを擁護し、侵略的に美少女コンテンツを攻撃した奴らは、全て、この咎を負っている。

 リア充プロパガンダによって生まれる嫉妬は、リア充な男に向けられるだけだったが、この性的抑圧と侮辱によって生まれる憎悪は、全ての女性に向かうだろう。 
 
 ポルノにも醜悪なものはある。
 たとえば、女性を複数の男が姦淫するようなコンテンツだ。
 ああいうポルノばかり大量に作られている目的は一つしかないだろう。
 男たちに、ああいう肉便器女とやりたいという願望を植え付けていることだ。
 あの手の作品で、男側が最後に報いを受けるような展開さえ殆どないのが良い証拠だ。
 男側が一人だと、そういう作品もあるが、複数人で組織的であるほど、そういう展開は全くなくなる。
 それを見て、自分も踏みにじる側になりたいと思うのか、より怒りを滾らせるのかは人によるが、どちらにせよ、読み終わった後に、すっきりと身の丈に合った恋愛をしようとは思えなくなるのは間違いない。
 もちろん、殆どの人は、現実にはないフィクションだと思ってるだろうが(大抵はやたら生々しく描かれるが)、だからといって、裁かれない悪役に腹が立つことは止められないし、羨ましく思うことは思うのだ。
 どうとも思わない人というのは、同情するかどうかはともかく、別に羨ましくも何とも思わない男くらいだろう。
 つまり、複数で女一人を犯してる場面を見ても、エロくも何とも思えないか、あるいは、そんな惨めな肉便器女がどうなろうがどうでも良いし、そんな便器とやってる男を心底から軽蔑して、同じになりたくないと思う男かだ。
 前者でしかない男は、自分が抜けないポルノばかりが増え、他人だけ楽しんでることには嫉妬し、怒りと不満を溜め込むため、プラス効果には何も働かないが、後者の場合、一応絵だけ見て抜けるなら、性欲は解消できるし「まあいっか」となることもある。

 現在のオタク業界では、恋愛ものは、やたらファンタジーものばかり作って、現実ではあり得ないという建前を作ろうとしている節がある。
 そうした作品には、良いものと駄目なものがある。
 良いものというのは、現実には本当にいない性格のヒロインや、現実にはあり得ない道具やシチュエーションを使ってイチゃつくものだ。
 例えば、透明人間ものを見て、透明人間に嫉妬したりしないし、蛇女に抱き疲れてる男を見ても、羨ましくはならないだろう。
 まあ後者の場合、それで欲求が満たせる読者自体が少ないだろうが。
 駄目なものは、結局、現実に居るようなヒロインと、現実にできるようにイチャつくものだ。
 設定がエルフだろうが天使だろうが、そう言うヒロインなら何の意味もない。
 たとえヒロインを落とす方法が、催眠だろうが何だろうが、それは仮定の話しに過ぎない。
 現実に催眠なしで、そういう美少女と付き合える男は居るわけで、そういう作品は、暗に、「お前らの場合は、魔法の力でも借りない限り、こんな美少女と付き合えませ~ん」と言ってるだけである。
 そんなことは言われなくても、殆どの男はそうした自覚はあるのであって、問題は、素直にそう諦めて、身の程を知れるかという話しでしかない。
 だから、ルパンのように、身を引くことこそ男の美学だと見せつけたり、美少女と付き合った男が痛い目を見たり(これは相当上手く作らないと難しい。なぜなら、現実に付き合って、幸せそうにしてる奴らはそこら中に居るし、まかり間違えば、単に偏見を助長したり、恐怖や去勢的罪悪感を与えるだけになるからだ)、そういう美少女に誰も近づけない様を見せたり、現実に叶えられる奴が誰も居ない性癖を持って、嫉妬せずに妥協できるようになるかだ。
 ああいう作品が、やたら残酷で露悪的に描かれるのは、ああいう凶悪な感じでは抜けない人間を排除して、抜けるサディストの性欲だけを満たすためだろう。
 要するに、連中の上の方には、ああいう連中が沢山いるというわけだ。
 フセインなんかが正にそうだったが。

 まあ、疑似的に付き合うシミュレーションを見せた上で、婉曲に伝えている分、そういうダメなファンタジー作品も、ないよりはマシだろうが。
 逆に言えば、屈辱感や嫉妬心が少ない自尊心の低い男の場合、性欲とロマンス欲求さえ疑似的に満たされれば、そういう作品だけ見ても妥協できるということだが。

 ただ、問題なのは、実際にマスゴミが大量生産している異世界転生ものは、ただホモ描写を押し付ける言い訳にしか使われてないから、あんなものはあればあるだけマイナスだろう。

 

 カリオストロがいかに優れていたかと言うと、ヒロインがあり得ないレベルの理想像で、姫様という、まあ絶対に付き合えないことは確実な属性で、これでもかとロマンチックな描写をした後に、身を引くことをニヒルでクールに描いたからだ。

 逆に、王子様というのは、やり捨てられるだけなら付き合うのも不可能じゃない分、質が悪い属性だ。

 

 


 そして最近になって、電通が運営しているNoteで、私がこれらのことについて、以前した話しをパクった上に歪めたような記事を書いて、挙句「ブルアカがー!」だの「そんな青春はないー!」だのと、引きこもりのジジババしか騙せそうにない下らない言説を垂れ流すマスゴミ工作員らしき奴が現れた。
 そんな青春があることも、そういう美少女が居ることも、そこらの学校にさえ行けば明らかなのだが。
 クラスに一人くらいは、そういう美少女は存在するのである。

 まあ、存在しないなら、現実に追い求める必要もないから、それで終わりなのだが。

 下手に現実に存在するようなリア充への憧れを拗らせてるから、追い求めることを諦められなくなって、妥協した結婚ができなくなるのだ。

 「なんであいつらは楽しんでるのに、俺だけ灰色の結婚生活をしなきゃならんのだ!」ということである。

 それでまあ、「存在しない」とか嘘吐こうとしているわけだが、海に行こうがプールに行こうが山に行こうが、そういう青春を謳歌している奴らは大量にいる。

 もし本当に現実に存在しないなら、フィクションだけで欲望を解消して、現実では妥協できる。

 女の場合はそうじゃないが、男の場合は、まあ、下世話な話をすれば、ヤルだけなら大抵の女とはヤレるし、一緒に居るだけならどんな老婆とも平気だからである。

 
 それに、ブルアカみたいなコンテンツの場合、そんな未成年がやってるわけない。
 ああいうのをやってるのは、本当にどうしようもなくモテない人間だけで、そいつらは、自分がそんな勝ち組になれないことは十分承知している。
 問題なのは、テレビや映画で垂れ流されてる「等身大の恋愛」を騙る、上位0.1%の勝ち組しか体験できない情景を描き、憧れと嫉妬を煽りながら、しかもモテない人間の欲望を解消さえしないリア充プロパガンダ恋愛ドラマ・映画・CMだ。
 少女漫画や女向けコンテンツはもっと悪質である。
 まさに電通が量産しているようなコンテンツだ。