gusonの日記

脳外科勤務医.仕事,茶と書,仏教,趣味,その他について独り言です.

はじめに水素ありき

 水素。これは特別な元素なのであろう.もっとも単純でもっとも基本となる原子.

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まず,宇宙の誕生とともに水素が大量に生成.そして,これが,分子雲となって宇宙全体に散らばる.何億年かけて,恒星系,惑星系が生成されつてくるが、これ水素が働いてそうなっていく。あと、重力やら電磁崩壊、強い相互作用など。そしてその結果、核融合反応生じる。それにてヘリウムが生成.酸素や炭素なども生成されていく.これらは最後は鉄を生成し終了となるとのこと.

 おおよそ生命に必要となる元素ができていく.有機物の生成.これは炭素が圧倒的に重要である.炭素が中心となって,分子構造の骨格ができていくが,生命活動の維持には水素がやはりキーとなる.水という奇跡.すべての生命は海から来る.これはさらに水素の性質である水素結合,これは外れたり,接着したり,特定の条件でどちらも可能ということ.これによって遺伝情報が蓄積されることになった.こうした生命現象というものその根幹に水素の特徴が、充分に生かされている。

 量子力学相対性理論などこの水素原子をモデルに構築された。エネルギー不連続な値を取る事、励起の意味、そして排他原理。シュレディンガー方程式、物質の二重性。物理法則の理解の鍵を提供。

 また、燃料電池核融合発電など究極のクリーンエネルギーも水素が中心にある。これらでエネルギーを得ることができればよろしいが、かなりハードルは高い。夢に終わる可能性大ではあるが。

不思議の宇宙について

 太陽に限らず、宇宙、その成り立ちについて、ふしぎてある。宇宙が誕生しておよそ138億年、地球ができて64億年。宇宙ー太陽を含め惑星の成り立ちは本当に摩訶不思議である。宇宙に漂う分子雲が集積しだし、密度が高じて重力が発生。分子雲は大半が水素で残りはヘリウム。それ以外の原子はない、宇宙誕生で最も早くできた原子、陽子電子一個づつ。そしてこれが重力に引きつけられて物質の集積が持続。分子雲同志の衝突やらいろいろな要因、ここで重力のみ有し物質なきダークマターなるものも出てくる。いずれにしても水素中心の雲、重力に引かれ、集合しこの過程で電磁波を出し崩壊。これら重力崩壊する物質が閉じこめられ電磁波の代わりに熱を発しこれが何万度になると水素やヘリウムがイオン化し、ついにまず、水素による核融合がおきて恒星の元が作られる。重力と安定し、太陽が作られて行くと言うけど、なんかよくわからない説明。

 惑星も分子雲の集積から始まると。分子雲は水素とヘリウムからなっている。これもわからない。ともかく、そんな事を何億年もやっていまの太陽系ができたと。そして、その第三惑星に生命が誕生し、今日にいたる。まったく、いまの人類の誕生、われわれの存在はジャンボ宝くじ百万回を超える偶然の産物であるのがわかる。

 さらに。この重力の不思議。ダークマターとは何か?また、重力場では空間が歪み、時間も歪む、ゆっくり流れる。水星と地球では時間の流れ方相違する。これは、光の速度が最速であり、そのために時間の流れ方が違うとの事。映画インターステラーにてブラックホール近くの惑星で探索し15分程度で戻るも母船では23年経ったいたと言う印象的なシーンがある。このブラックホールの不思議。光も脱出できないと言うものもある。

 宇宙への興味は尽きない。

 

年賀状について

 今年、その数はかなり減じた。私、ここ五年ほど不幸が続き11月に喪中ハガキを作り送っていた。昨年は久しぶりに不幸のない年、年賀状を送れる年であった。しかし、結局、年内に書くことなし。で、年があけ、年賀状、50枚に達せず。やはり予想通り。皆、年賀状を書くパワーが減じている。

 どう言う意味があるか?なんとなく近況がわかる。報告みたいなものとして。以前からの友人へ贈る言葉。挨拶をすることにはそれなりに意味がある。今年の減じ方は例年に無い激しい。また、年賀状終いの記載があるのも若干名あり。年賀状終い、父は確か80過ぎで終いとした。それも高齢で文章を書くのが苦痛となる、衰えのためである。私より年長者はともかく十年若い人から、今年で年賀状終いとします、と書かれてあるのをみると少々驚く。

 この風習は我が国独自のものであろうか。例年150枚程度、不幸が続く前はやっていたが、どうも親の年齢がそれなりになると喪中ハガキはやはり減らして100枚程度は出してきた。私の仕事としてはこれは少ないであろう。あまり、関係を人脈をムリに広げない、と言うポリシーがあると。

 

初釜にて

 毎年お世話になっている、そして花びら餅をいただく。客として対応する、また、水屋での仕事。これらは経験済み、まだ、席主、正客は未経験。また、道具について。どのような道具を使用するか。

 あらゆる事があり、それぞれに深い。あまりに深い。茶碗について。茶入れ、床、花、花入、香合、茶掛。そして、釜。最も高価である。これを勲章のように用いたのが信長。美を基準に道具の見立、茶の道の確立は、茶祖利休。そして、秀吉をはじめ多く大名を弟子に取り立て。

 現在。茶道の意味。意味は、単に趣味でやる事しかないのであるが、おそらく意味はない。ただ、学ぶ事。茶道の先生としても、生徒が茶道を学びの深さにとりつかれ、その先がどうなるか、それについて導き手は良くご存知。ただし、どうなるか、それが何処へ行くかの答えなど先生には多分ないのだ。茶道とどう向き合って行くか。ルーチンとして何を学ぶか。

継承と持続、そして永続へ

 いつの時代も技術の継承は問題となる。政治、文化、学術、あらゆる分野が悩んできたであろう。職能集団、それに属する人は常に前者、自分の芸なり技を磨いていく。

 まず、想定されるのは家元制であろう。代々その子孫に継承されるものである。それには必ず創業者、中興の人、そして今を率いている人、この三者がある。剣術にも免許という制度があり、皆それを目指して励んだ。免許クラスとなると、道場を開ける実力があると認められた事を意味するが、これは江戸時代以後の歴史。江戸時代にはこうした文化芸術から剣術まて様々な一種家元制みたいなものができた。それぞれどのような系譜があるか、それはそれで興味深いものがある。

 仏道も然り。いわゆる総本山と言うところには歴代の管長が懸命に運営してきたのであろう。管長を選ぶ法もしっかりと存在しているのであろう。仏陀が亡くなり、二祖とされる華佗綺羅星のごとく存在した十代弟子をはじめ多数。仏の教えのため、結集を開き仏典をまとめて行く。

 これらシステムと言って良いメカニズムはどうも生命の本質を示唆している気がする。これは自己相似系のフラクタルそのものであると、佐々木閑先生。あらゆるレベルで継承と持続を繰り返す。そして、それは完全なるコピーではなく、あくまで自己相似で、微妙に相違し、差異を生み出す過程である。この差異があるから進歩もし、かつ崩壊もするのだろう。

 文明も然り、いつか滅びる。そして、交代する。無論、個人としては、もっと早く消滅する。一人で旅立つ。笑点大喜利で有名だった桂歌丸は7年前、三遊亭円楽は3年前に鬼籍にはいる。そして、現在ではメンバーも交代し継承されている。笑点といえば、円楽、歌丸、楽太郎。しかし、今はなし。

 永続するシステムに至るまで、多くの要素が絡み合うが、メンバー、構成要素は必ず変わっていく、それがシステムの要請である。システムとは何か。永続する生命とは、そして重要なのは生命には死がある。死する者を見つめる事ができるのは、神、不死なる者のみである。

 

物語の両翼:キルヒアイスとヤンウェンリー

 銀河英雄伝説でワンシーン、両雄の会見がある。両者ともお互い正しく認識していた。前者はヤンウェンリーがクーデター計画を察知したかもと感じ、正確に彼の同志、上官、そして幼馴染であるローエングラム公に報告しているし、後者はキルヒアイス提督の人となりを見抜き、自国の政治家より信頼にたると評価した。そして、ヤンウェンリーの養子に声をかけている。

「君はいくつですか。私の初陣と同い年なんですね。私が頑張れというのは変ですが、いつまでも生きていて下さい。」

将軍が敵少年兵に声をかけるお手本であろう。

 

 しかし、このクーデター計画もキルヒアイス提督の予言通りヤンウェンリーの察知するところになり、彼、ヤンウェンリーの同志ビコック提督に伝言を残しておく。これがのちに重要な意味をもつのだが、残念であはあるがクーデター計画そのものはお粗末ではあった。浄化、再建、正義の戦いをスローガンにするが、これまたヤンウェンリーの見事な戦略によって制圧される。

 ローエングラム公にしてみれば、別にクーデターが成功しようが失敗しようがどうでもよろしい。内戦の間の時間稼ぎができればそれで良いのだ。ローエングラム公は、現政体を憎みきっており、古くからの門閥貴族をいっそうしようとしており、かつ門閥貴族はローエングラム公の敵では無い事を、ミュッケンベルガー提督やメルカッツ提督はとっくに本質を見抜いていた。

 「事実を見ようとしない者は滅ぶべし」と。

 「時代は変わったのである」と。

ローエングラム公は革命を起こした、と言う事。その場にいる者は理解できていない。理解できなければ死あるのみである。

 キルヒアイスはここでも、ローエングラム公の姉を守ると言う重要な役を演じたし、ヤンウェンリーも後手に回りながらも重要な決定的な役を演じる。ローエングラム公の意志を一方は支え、一方は阻止する、バランスの取れた、安定、落ち着いて楽しむ事ができる、傑作であろう。

ヤンウェンリーの歴史に対する考察

 田中芳樹作「銀河英雄伝説」これは何度か触れた。それから、30年?以上経過し中国のSF作者劉慈欣氏に影響を与え、実際に傑作、「三体」ではその引用が、ヤンウェンリーの言葉が見られる。それはさておき、田中芳樹氏はヤンウェンリーに次のような言葉を言わせている。歴史家志望でもあったヤンウェンリー、自分は少々歴史を学んだ、社会には二つの価値観があると。一つは命以上に価値あるものが存在すると言う説と、今ひとつは命が最も価値ある最上のものだ、と言う説。人は戦争を始める時には前者を戦争をやめるときには後者を言うと。そして、次の言葉が深い。人は、未来の我らの子孫も、同じ事を言い続けるのだろうか、と。

 ヤンウェンリーにとってはこの命題に対する回答は明らかなのだ。なにより人は自由が、生命が最も大事。そして民主主義政治体制の中にある大義とは何か、身をもって示した。つまり、戦では勝利した、にもかかわらず、本国からの停戦命令に従ったのだ、それは正しい選択であろう、多分。

 理性によって人間が、行動する動物であれば、人類の歴史は輝かしい記録になったであろうと、司馬遼太郎氏の言葉。もし、理性のみで歴史が成り立ってきたのであれば、皮肉であるが、ノーベル平和賞なるものは不要であったろう。司馬氏の言う理性はヤンウェンリーの嘆きにも通じている。愚の骨頂は大量殺戮、民族浄化

 こればかりは如何ともし難いね。