ひどく風の匂い

弘明寺健太のブログ

「Fresh As A Daisy」 Emitt Rhodes

昨今AIで、誰々風というように、まるでそのアーチストが作ったかのような音源をクリエイトするのが流行っているようです。そのクオリティは年々上がっているようで、テクノロジーの進化には本当に驚かされますが、一方でそこにあるのは感心であり、感動ではないということも、皆気づいているのではないでしょうか。

今回取り上げるエミット・ローズは、「ポール・マッカートニー以上にポール・マッカートニーな男」といわれたアーチストです。では彼の音楽もAIのように感動よりも感心が先に来るのかというと、そんなことはありません。いわゆる〇〇フォロワーと呼ばれるような人たちの音楽とAI音楽が決定的に違うのは、前者には、先達の手法をなぞっていても必ず自身の個性やクセやエゴが存在するということ。その混ざり方は計算で作られるものではなく、そこに面白さがあります。
エミット・ローズが生み出すメロディは、これ以上ないくらい滑らかで、弾んでいて、チャーミングで、まさにそれはポール・マッカートニーが演っていてもまったく違和感がないくらいの類似性があるのは確かです。いやむしろ、ポールにはこういう曲をたくさん作ってほしいという皆の願望を叶えてくれているといっても過言ではないくらい、そのエッセンスを含んでいると思います。

でもやっぱり一番伝わってくるのは、彼のアーチストとしての人柄であり、ぬくもりや優しさ、熱量です。この人もまたマルチプレイヤーであり、アルバムの中ですべての楽器を一人で演奏しているのでなおのこと。実に多才な人ですが、1970年代中期以降は専らプロデューサーやアレンジャーとして活動し、パフォーマーとしては残念ながらほぼ退いてしまったようです。それでもほんの数年間、自らの素晴らしい作品を残してくれたことには感謝です。
「Fresh As A Daisy」は、特に完成度の高い2ndアルバムを中心に選曲された編集盤。ちょっとサイケなジャケットがgood。

ポールのファンすべてか、エミット・ローズの音楽も好きになるとは限りませんが、煌めくようなメロディを閃き、それを溢れるウィットでもって完成させていく、そんなところがこの二人の共通点でもあり、そういう理由でポールが好きな人はきっと彼のファンにもなるのではないでしょうか。


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「The Band」The Band

「ラストワルツ」(ザ・バンドの解散コンサートを撮ったドキュメンタリー映画)は、映画館で観ました。次々と繰り広げられるゆかりのアーチストとのコラボレーションは本当に素晴らしく、映画でありながら、曲が終わる度に拍手したくなるほどでした。この映画を観て、改めてアメリカのエンターテイメントは世界一だなあと感激したものです。(正確にはザ・バンド自身含めてアメリカ以外のアーチストも多数いたのですが)

ザ・バンドは、音楽性も、時代性も、ちょっと非の打ち所がないくらい理想的すぎて、このバンドに対する批判的な意見というのをほとんど聞いたことがない気がします。特に1stアルバムの「Music from Big Pink」と2ndアルバムの「The Band」は誰もが認めざるを得ない名盤といってよいでしょう。
彼らの音楽は、ブルース、フォーク、カントリー、ゴスペル、ラグタイムなどあらゆるアメリカのルーツミュージックに根ざしていることは間違いないですが、決して保守的にも学術的にもならず、革新性やユーモアや娯楽性もしっかり備わっています。
ものすごく完成度の高いアレンジなんだけど、どこか変態的なサウンド。世俗的な歌のはずなのに、高尚さが漂っている。このバンドの計り知れない奥深さを解明するにはおそらくかなり研究が必要と思われます。正直僕はそれほど詳しくはないのですが、全メンバーが色んな楽器をこなせるマルチプレイヤーであること、ロビー・ロバートソンのクリエイターとしての才能、ガース・ハドソンのアカデミックな音楽的教養、長い下積み時代など、こうした情報だけでも、このバンドの多層的な魅力を裏付けています。

そしてこの2ndアルバムは、アメリカという国の歴史、生活様式、カルチャーなどへオマージュが、非常に高次元で展開されているアルバムでもあります(そう、実は彼らのほとんどはカナダ人)。土着的な演奏スタイルに聴こえる音のひとつひとつはまったく無駄のない、巧みなアンサンブルを形成しており、詩の世界は、開拓史以来のアメリカの光と影を叙情的に浮かび上がらせたコンセプチュアルなもの。などと偉そうに書いてますが、もちろん僕も深いところまで理解できているわけではありません。でもこのアルバムの曲の歌詞にちょっと触れただけでも、まるで米国文学の短編集を読んでいるようで、この上ない味わい深さがあります。「Up on Cripple Creek」に描かれた、市井の人々の日常風景なんて、もう本当に最高。

Now there’s one thing in the whole wide world
I sure would like to see
That’s when that little love of mine
Dips her doughnut in my tea

今、この広い世界でひとつだけ
俺が本当に見たいのは
愛しい俺の恋人が
俺の紅茶にドーナツをちょっとつける
その一瞬なんだ

なんと微笑ましく、ニクいフレーズ!
これ、まったく的を得ていないかもしれませんが、ザ・バンドの音楽って、日本でいえば江戸時代くらいの感覚、例えば古典落語の粋と、ロックのモダンさが融合したような、欧米人にはひょっとするとそんな風に聴こえているんじゃないかと思ったりします。それも狙ったようなわざとらしさではなく。

老成したイメージのある彼らですが、「ラストワルツ」での、ステージでフロントに立つロビー・ロバートソンとリック・ダンゴの二人は、クールなロックンローラー然としていました。そう、彼らは実はビジュアル面も抜かりなかった。やっぱり文句のつけようがないです。


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「Katrina and the Waves」Katrina and the Waves

前回のブログが英米混成のフリートウッドマックだったので、もうひとつ英米混成バンドを。1985年に「Walking on Sunshine」というヒット曲を放ったKatrina and the Wavesです。
このバンド、若い世代にはあまり知られてないと思いますし、知っている人でもちょっと一発屋的なイメージがあるのではないでしょうか。ですが、彼らはヒット曲の前後にも実は長いキャリアがあり、結構骨のあるバンドなのです。

イギリス人でギタリスト(およびメインソングライター)のキンバリー・リューと、アメリカ人でボーカリストカトリーナ・レスカニッチを中心に結成された、このストレートなロックバンドのデビューは、イギリスでもアメリカでもなくカナダででしたが、そこでリリースした2枚のアルバムがそこそこのヒットを記録。これを足がかりに1985年、全米へ進出しました。アメリカでのデビューとなるこの「Katrina and the Waves」は、カナダでの2枚のアルバムから抜粋された楽曲を再録音したもので、さながら初期のベストといってもよい内容です。全曲シングルカットしてもおかしくないくらい佳作揃いで、僕も当時愛聴していました。

3コードを基本としたシンプルなスタイルで、他愛のないことを歌うだけのバンドのようにも聴こえますが、よく見るとちょっとひねくれていて、エッジの効いたギターの音色といい、意外と無骨なところも感じます。それは大ヒット曲「Walking on Sunshine」のPVにも表れていて、Walking on Sunshineと歌いながら、どんより曇った、すごく寒そうな鬱々とした冬空のロケ。でも何故かカトリーナ一人だけは半袖で元気いっぱい。オレたち単なる能天気なロックンロールバンドなんかじゃないぜ、と言っているようです。こういうセンス、好きです。

そしてもう一曲。このアルバムで僕が特にお気に入りなのは、「Going down to Liverpool」という曲。

Hey now, where you going with that load of nothing in your hand?
Hey now, where you going with that UB40 in your hand?
I said, hey now
Through this green and pleasant land
I'm going down to Liverpool to do nothing
All the days of my life

何も持たずにどこへ行くの?
UB40(失業手当申請書)を持ってどこへ行くの?
この心地いい緑地を抜けて
リバプールへ行くの
そこで一生何もしないの

曲の中で出てくる歌詞はこれだけ。いい詞だなと思います。ビートルズ大好きな若者がリバプールへ旅行する際のウキウキした気分を歌っているだけのようにも聴こえますし、人生が狂う程ロックに打ちのめされてしまった人間の刹那を表現しているようにも聴こえます。少ない言葉だからこそ、イメージの広がりがある、とても印象に残る楽曲です。

80年代中期のポピュラー音楽界は、とかくシンセサイザーの音色もドラムも音色も工業的というか、ナチュラルな音をあえて避けることがトレンドだったような気がしますが、そんな中で、ノスタルジーと呼ぶ程には古くない、一昔前の良きロック、ポップスを演奏するバンドが少なからずありました。彼らもまさにそういう普遍的な魅力を持つバンドのひとつだったと思います。


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「Rumours」Fleetwood Mac

And if, you don't love me now
You will never love me again
I can still hear you saying
You would never break the chain
いま私を愛してないのなら
再び愛することは決してない
それでもまだあなたの声が聞こえる
その鎖を断ち切ることはないと
「The Chain」

フリートウッド・マックは、数年に一枚アルバムを出す、オリンピックみたいなバンドという印象があります。これだけ個性的なメンバーの集まりとなると、まとめるのはさぞかし容易なことではないのでしょう。しかしひとたび彼らが集結すると、そこには無敵と呼べるほどのサウンドが生まれます。それだけにこのバンドに対する大衆の期待はとても大きかったと思いますが、1970年代後半から80年代にかけての彼らのレコードは、いずれもそれに応えるものでした。とりわけ今回取り上げる「Rumours」は、彼らの最高傑作であるとともに、商業的にも桁違いなセールスを記録し、モンスターアルバムの代表格として歴史に刻まれています。

元々は英国のブルースバンドとしてスタートし、このアルバム以前に既に長いキャリアを持っていたバンドでしたが、数々のメンバーチェンジの後、前作からバッキンガム・ニックスという米国の男女コンビが加入したことで強力な布陣となります。音楽的にはブルース色が薄れ、キャッチーなメロディを身上とするロックバンドに生まれ変わったというところですが、英米混成、男女混成、そしてひとつのバンド内にシングルヒット曲を書けるソングライターが3人もいるというそのユニークな編成は、他ではちょっと見当たりません。
オリジナルメンバー二人によるリズム隊のタイトさも素晴らしいですが、三人の加入組、その活躍がやはり目を惹きます。ハイトーンボイスでエモーショナルなリンジー・バッキンガム、中性的で陰のある声のクリスティン・マクビー、ハスキーかつ妖艶なスティービー・ニックス。三人ともかなり癖のあるボーカリストだと思うのですが、この三人の声が混ざり合ったハーモニーには不思議な調和があり、一聴してフリートウッドマックと分かる唯一無二のものだと思います。

そしてこのアルバムを語るときに必ず話題となる、制作時におけるメンバー同士の私生活上の問題、つまり離婚や、破局や、三角関係といった、泥沼な人間模様。なんとも欧米という感じですが、そういった要素が制作の原動力となっていたのは確かなようです。このアルバムのことを「別れをテーマにした作品の最高峰」と評する声もあるとか。
しかし、そういう私情がありながらも、バンドとしての5人のこのチームワークは一体なんなんでしょう。そのプロ根性には脱帽しますが、その後もツアーをし、アルバムを何枚も作っているというのは、ミュージシャンとしてお互い強いリスペクトがあればこそなのでしょう。
冒頭の「The Chain」は、歌詞もサウンドもまさにそんな彼らを象徴するかのような楽曲だと思いますが、作詞作曲には全員が関わっているそうですし、アルバムの中でもハイライトのひとつといえます。

音楽とは妙なものです。どんな感情が渦巻いていても、ともに音を奏でるという行為が、それを超えて不思議な絆を生んでしまう。
実力派のメンバーによるコラボレーションは確かに本作の聴きどころですが、それだけではない、とてもとても人間臭い感触。そして全体を通して伝わってくる、感動的なまでのメンバーの団結力。
このアルバムが記録づくめの大ヒットをもたらしたのは、何よりもそこに要因があるのではないかと思うのです。


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「Abandoned Luncheonette」Daryl Hall & John Oates

ホール&オーツは、僕が中学生だった1980年代初頭、まさに人気絶頂でした。出す曲が次々と全米No.1になり、日本のラジオでもしょっちゅう彼らの曲か流れていたものです。
ブラックミュージックを本当に分かりやすくポップに翻案したような楽曲の数々は僕も大好きでした。82年の来日公演の模様はラジオやテレビでも放送され、カセットテープに録音したそのライブ音源をよく聴いていたのですが、そのときの演奏曲の中で特に気に入ったのが「She's Gone」という曲。ただこの曲、当時売られていたいくつかのベスト盤のどれにも入っていない。よく調べるとかなり古い曲で「Abandoned Luncheonette」いうアルバムに収録されているらしい。

このアルバムをどうしても聴きたくなり、近所のレコード屋さんを何軒かあたりましたが置いていないので、仕方なく取り寄せてもらうことにしました。これ、50歳以上くらいの人でないとまったくピンと来ないと思いますが、昔はよくあることでした。本格的なCD化時代以前、特に僕の住んでいた千葉の片田舎では、レコード屋の店頭で買えるものなんてそのとき流行っている音楽だけ。今では名盤と呼ばれる超有名なアルバムでも古いものだと国内盤はなく、都心に出て輸入盤店に行くしかないのが実状でした。ホール&オーツくらい当代の人気アーチストであれば旧作も国内盤が出ていましたが、「Abandoned Luncheonette」はそれでも店頭に置かれるには古すぎました。(本作のリリースは1973年)

『ホール&オーツの「アバンダンド・ランチョネット」を注文したいのですが』
『え?』
自分で言いながらヘンなタイトルだなと思いつつ、繰り返し伝え、店員さん、分厚いカタログから当該のアルバムを見つけ、取り寄せてくれました。

ようやく手に入れたレコード。まずジャケットの写真が不思議なムードを醸しております。アバンダンド・ランチョネット(打ち捨てられた食堂)というタイトルそのままのイメージですが、印刷の色処理に失敗したような、擦れたような画像がなんだか現実味がなく架空の店のように見えます。でもこれ実際に存在した廃墟だそうです。
音の方は、80年代のホール&オーツと比べるとずいぶん素朴というか、少しフォークっぽい。でもそれもまた違う味わいがあり、何度も聴いているうちに大好きになっていきました。

収録曲はいずれも佳作ぞろいですが、その中でもやっぱり「She's Gone」は出色の出来です。ダリル・ホールとジョン・オーツのどちらがメインボーカルというわけでなく、ずっと二人のハーモニーで進行してゆく。フォーキーでありながらとてもソウルフルで、まるでサイモン&ガーファンクルとサム&デイブを足したみたい。超盛り上がるサビでの二人のたたみかけるような掛け合いは、聴く度に胸が熱くなります。そして今改めて聴くと、名匠アリフ・マーディン(アレサ・フランクリンノラ・ジョーンズなど名だたるアーチストを手がけた名プロデューサー)の叙情的なアレンジが実に見事。
また、80年代はダリル・ホールの陰に隠れがちだったジョン・オーツの作品が存在感を放っているのも、彼らの初期の特徴のひとつ。本作では「Las Vegas Turnaround」という曲が秀逸で、楽曲の良さに加え、バックを務めるスタジオミュージシャン達の小粋な演奏がなんとも心地良いです。

このアルバムは、自分でレコードを買うようになって、ごくはじめの頃に手にしたものですが、今でも大切にしているレコードです。


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「RHAPSODY NAKED」RCサクセション

20代の終わり頃のこと。当時、通販カタログの撮影商品を管理したり運んだりするアルバイトをしていた僕は、その日、手配した赤帽さんの車に現場まで同乗させてもらっていました。赤帽さんは40手前くらいかと思われる優しそうなお兄さんで、運転中僕に話しかけてきました。「バンドとかやってるんですか?」その当時の僕は髪を明るい金色に染めていたこともあって、そう思ったのでしょう。聞くとそのお兄さんも昔友達とバンドをやっていたらしく、なんでもロックバンドとしてブレイクする直前のRCサクセションの大ファンで、足繁くRCのライブに通ってはその演奏を録音し、それを自分たちでもコピーしていたそう。

一応説明しておくと、RCサクセションは当初フォークグループとしてデビューし、ちょっとヒット曲も出したものの、その後事務所問題で仕事を干されるなど長い低迷期があり、その中で旺盛なライブ活動によりロックバンドとして劇的な復活を遂げた歴史があります。お兄さんがのめり込んでいたというその時期のRCのライブはもはや伝説となっており、そうした貴重な体験談は、僕としても羨ましく興味深い話として聞いたのです。

ただお兄さんの話で一番印象に残ったのは、売れてからのRCサクセションには興味がなくなりほとんど聴かなくなった、ということでした。その時はそんなものかな、くらいに思っていたのですが、それから数年経って、少しその気持ちも分かるようなCDに出会います。それが今回紹介する「RHAPSODY NAKED」というアルバムです。

このアルバムは、RCがまさに大ブレイクを果たそうとする時期の演奏を捉えたライブ盤です。最初のリリースは、録音された1980年で、日本のロック史では重要な一枚として既によく知られたアルバムでしたが、それから25年経って、最新の音処理技術でリマスターし曲数も倍くらいに増やして発売されたものです。ライナーノーツの解説によれば、発売当時の技術では処理できる音のレンジに限界があり、RCのライブの迫力、魅力を再現しきれず悔いのあったものがようやく本来の形で世に出た、ということです。

なるほど確かに聴いてみると、今まで自分が聴いていたものよりも遥かに立体感のある音で、かなり印象が違います。実は正直にいうと、僕はどちかというとフォーク時代のRCの方が好きで、このアルバム以降のロックバンドのRCも悪くはないんだけど…というクチだったのです。それがこれを聴いてすっかり虜になってしまいました。当時のRCの、ライブハウスでの異常な盛り上がり、赤帽のお兄さんが入れあげていたというエピソードがたやすく理解できます。こりゃ夢中になるわけだ、と。

1曲目は当時のオープニングの定番曲であった「よォーこそ」で始まります。

『リンコさんのベースでステージはスタートした。それに合わせて客が手拍子する。Gのコードをチャボがジャカジャーンとカッティングして曲がドライブし始めた。ハジけるように清志郎が登場した。ハンチングを深々とかぶり、そして大きなマスクをしている。そしてマスクの上からタバコを吸うもんだから、その白いガーゼ状の布はヤニで茶色く変色していく。清志郎は天井に向かって何度も煙を吐いた。そしてハンチングとマスクを自らむしりとると、薄っすら化粧した狂犬みたいな清志郎のとんがった顔があらわれた。髪の毛を板前ぐらいに短くし、ツンツンに逆立てていた。そして思い切り「よォーこそ」と歌い出した。
(中略)僕は何度も鳥肌を立てて震えた。今とほとんど同じような曲構成だった。でも今よりずっと荒っぽかった。まだ未完成てゴツゴツしてたけど、全体からオーラみたいなエネルギーを発散してた。噴火寸前の火口の中ってこんな感じなんだろう。』(連野城太郎・著「GOTTA!忌野清志郎」より)

まさにここに描写された、RCがまだアンダーグラウンドにいながらも発火しかけるその光景を、この音源を聴きながら思い浮かべずにはいられません。
最初のリリースには収録されなかった金子マリとのコラボが聴けるものも嬉しい。
またもうひとつ印象的なのは、仲井戸麗市ではないもうひとりのギタリスト、小川銀次の存在です。ちなみに小川銀次氏は、一般的にはそのギタースタイルがRCの音楽性にあわず浮いていたため、このアルバムを最後に脱退したギタリストとされているのですが、こうしてクリアになった全容を聴くと、彼のギターは、RCの雑多でコミカルでちょっと屈折した世界観ととてもマッチしている、というかその貢献度が非常に大きいと個人的には思います。例の赤帽のお兄さんが語っていた、当時のRCの魅力はなんといってもあのツインギターだった、という証言が、説得力を伴って思い出されるのです。

そしてやはり清志郎の歌詞。RCの詞はデビューから一貫して、生活から生み出されたリアルな情感が持ち味ですが、そうした私小説的なアプローチは、このアルバムである意味ピークに達していたように思います。前作の「シングルマン」が、来るべき暗黒の低迷期へと向かう暗い予感に満ちたアルバムとすれば、この「ラプソディー」はその長い闇から這い出そうとする、熱くも儚いパッション満ちたアルバムです。「ラプソディー」や「いい事ばかりはありゃしない」といった楽曲は、この時期でなければ生まれえなかった名曲といえるでしょう。

などと、まるで実際に見てきたかのように語ってしまう僕ですが、本作はそのくらい真に迫った追体験ができるアルバムだと思います。
あのお兄さんは、このCDを聴いただろうか。いや、きっと愛聴しているに違いありません。


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時が私の顔を変えていく〜Laura Nyroその2

前回のブログ(「More Than a New Discovery」Laura Nyro - ひどく風の匂い)の続きです。ローラ・ニーロのファーストアルバムの静謐さが好きという話をしましたが、そのレコーディングではプロデューサーの指示で自由にピアノを弾かせてもらえないなど、彼女としては不満の残る録音だったようです。それが2枚目のアルバム「Eli and the Thirteenth Confession」では一転、アッパーな曲が並び、いよいよローラの本領発揮という雰囲気の作品となりました。僕にとっては、1枚目が深く心に染みるアルバムだとすれば、2枚目は衝撃的なアルバムという感じです。

ここでの彼女は、大好きな黒人音楽から受け継いだ、跳ねまくるスウィング感でもって、元気いっぱいにピアノを叩き、歌っています。一作目のプロデューサーは、彼女のピアノはレコーディング向きではないと判断したそうですが、二作目のプロデューサーであるチャーリー・カレロは、彼女の好きなように自由にやらせている印象です。もうリズムはコロコロ変わるし、一曲の中で見せる表情は変幻自在。私の心は移ろいやすく、ひとつところに留まることはないのよ、と言っているようです。しかしそこに緻密かつチャーミングなアレンジを施し、極上なポップスに仕上げたチャーリー・カレロの手腕は見事というほかありません。じゃじゃ馬の如く暴れ回るローラと、手綱を握ってそれをしっかりと操るチャーリー。そんな図が浮かんでくるようで、そう思いながらこのアルバムを聴くと、また何倍も楽しくなってしまうのです。
破天荒、とはちょっと言い過ぎかもしれませんが、僕は彼女に対して少しそういうイメージも持っています。とにかく型にはまらないその表現力は、奔放そのもの。

彼女はその後2枚のアルバムを発表したあと、全曲自身のルーツであるR&Bのカバーで埋められた「Gonna Take a Miracle」というアルバムをリリースします。ブラックミュージックへのリスペクトをたっぷり含んだグルーヴと、ファーストアルバムの静謐さが、ここでは共存しています。ローラの澄んだ歌声が当時のフィラデルフィア・ソウルの意匠をまとい、息を呑むほどの透明感と美しさに結晶したといえるでしょう。カバー集でありながら彼女の個性がいかんなく発揮された、もうひとつの名作です。

その後もひたすら自分の感性に忠実な活動を続け、彼女は49歳の若さで亡くなりました。不世出のアーチストとはまさに彼女のような人のことをいうのではないでしょうか。


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