日中関係が急速に悪化している今日このごろ。
というか、そもそも中国に対する親近感はここ20年ほどずっと下がり続けていて、世論調査では、中国に親しみを感じると答えた人は14.7%しかおらず、感じないと答えた人がが84.7%にもなっている。
特定の国に対する親近感って、SNSやテレビを通じて入ってくるニュースや話題で形成されるものだとすると、たしかに近年の中国に関する話題といえば、ネガティブなものが多かった。
海外旅行先としても人気があるわけではないし、日本人をも魅了するようなポップスターやスポーツ選手がいるわけでもなく、そう考えると、普通の日本人にとっては中国に対して親しみを感じるきっかけはなかなか見つからないのが正直なところ。
ところが、ちょっとこのグラフを見ていただきたいのだが、かつては中国に親しみを感じる日本人は8割近くもいたのである。
中国への親近感が8割あった時代
当時、日本人の8割が中国に親近感を持つようになっていたのはなぜか。
その端緒となるのが、1972年の田中角栄の訪中。
ここで日中国交正常化の流れがはじまり、上野動物園にパンダが来日したことで空前のパンダブームに。
そして1978年には日中平和友好条約が締結されたところから、日本中で中国に対する興味関心が一気に高まったのである。
お茶の間レベルでの象徴的な動きとしては、1978年に放映されたドラマ『西遊記』。
堺正章の孫悟空、西田敏行の猪八戒、岸部シローの沙悟浄、夏目雅子の三蔵法師という一行が、中国政府の全面協力のもと万里の長城などで現地ロケを行い、平均視聴率20%という大人気番組になった。
1982年にはNHKの『人形劇三国志』が放送され、こちらも大人気だった。
『三国志』については、吉川英治の小説や横山光輝のマンガ、そしてゲームもあり、80年代の男子小中学生の基本的な教養だった。
1981年には、サントリーが缶入り烏龍茶をリリース。
明星『中華三昧』もこの時期。
「中国四千年の歴史」という表現を初めて使ったのはたぶん中華三昧だと思うけど、漢方薬のように、西洋文明に侵された現代社会にはない、伝統に裏打ちされたなにか深い知恵とかが中国にはありそうっていうイメージを、当時の多くの日本人が漠然と持っていた。
映画でいうとブルース・リーとジャッキー・チェンによってカンフー映画が大ブームになっていたし、キョンシーも流行ったし、とにかく香港映画全般に勢いがあって、映画を通じて中国文化に触れる機会がたっぷりあった。
また、大中に行けばチープでキッチュな中国雑貨が手に入ったし、中国モチーフの漫画作品も多かった。
ことほどさように、80年代の日本には、中国への親近感が満ち溢れていたといっても過言ではない。
(いま50歳前後で、昔から中国には親しみなど持っていなかったという実感を持っている人は、もう一度よく思い出してみてほしい。直近の悪い印象で、過去の記憶まで上書きされてるはずです)
『ドラゴンボール』と中華レトロフューチャー
80年代の日本人の中国イメージは、カンフーや中華料理やパンダだけではなかった。
「中国四千年」の古代文明のノリに、なぜかSF的なモチーフが結びついた、中華レトロフューチャーとでもいうべき一連のイメージがあったことも重要。
レトロフューチャーとは、昔の人々が描いた未来像への懐古趣味みたいな意味で、たとえば1970年の万博のときに紹介された未来図のようなものですが、ここで提唱したい中華レトロフューチャーというのは、わかりやすくいうと初期の『ドラゴンボール』にあったような、中華趣味とSFガジェットの融合みたいなもののこと。
中華レトロフューチャーの起源について考えると、やっぱり1978年のYMOにたどり着くわけです。
西洋人から見た東洋のイメージを曲にしたマーティン・デニーの「ファイアークラッカー」をあえてカバーするところからはじまったYMO。
そして、当時の最先端だったシンセサイザーやヴォコーダーやシーケンサーを駆使したテクノ音楽で世界中に絶大なるインパクトを与えた。
こうして、80年代の日本において、オリエンタルなものとテクノが結びついたわけ。
ちなみに鳥山明は『ドラゴンボール』より前に、中華レトロフューチャーをやっていて、それが『Dr.スランプ』に出てきた摘さん一家という宇宙船に乗って中国からやってきたキャラクター。
ここでSFのメカと中華な意匠をマッチングする面白さに目覚めたことが、『ドラゴンボール』に繋がっていると思われる。
チャイナ歌謡
当時の流行歌にもその気分は当然流れ込んでいて、70年代末から80年代後半にかけて、中華趣味の楽曲が大量にリリースされた。
戦前の服部良一の「蘇州夜曲」あたりのリバイバルという側面もありそうだが、やはり大きかったのは、中華レトロフューチャーを喚起したYMOと、ドラマ『西遊記』の音楽を担当したゴダイゴ。
続いてその周辺から、YMOの米国ツアーに同行した矢野顕子の「在広東少年」、YMOがバックを固めた金井夕子の「チャイナローズ」や、高中正義「China」といった楽曲が出てくる。
YMO結成前の高橋幸宏がいたサディスティックスには「香港戀歌」があるし、あと人形劇『三国志』の音楽も細野晴臣が手がけている。
やがて、そのトレンドはアイドル歌手の楽曲にも取り込まれていき、松本伊代「チャイニーズ・キッス」や河合その子「涙の茉莉花LOVE」、鹿取洋子「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ 」、高田みづえ「チャイナ・ライツ」といった感じで大量にリリースされた。
85年は特にチャイナ歌謡の当たり年だったと言えよう。
■チャイナ歌謡プレイリスト(順次追加予定)
■サブスクにないものも含めざっとリストアップ
- Hong Kong Night Sight 松任谷正隆(1977)
- 中国人形 杏里(1978)
- チャイナ・タウン ピンク・レディー(1979)
- 在広東少年 矢野顕子(1981)
- ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ 鹿取洋子(1980)
- チャイナローズ 金井夕子(1980)
- スロウ・ボートでチャイナへ 庄野真代(1983)
- チャイナ・レストラン ジューシィ・フルーツ(1983)
- Oh! 上海 欧陽菲菲(1983)
- 上海湾物語 松本伊代(1984)
- チャイナ・ライツ 高田みづえ(1985)
- CHINA 高中正義(1985)
- 上海Breeze 桑田靖子(1985)
- 上海エトランゼ EPO(1985)
- 涙の茉莉花LOVE 河合その子(1985)
- チャイナ・ドール 田中裕子(1986)
- 上海椿姫 ジュディ・オング(1986)
- Hong Kong 玉置浩二(1986)
- China River 小林明子(1988)
- 中国孤児の唄 ビートたけし(1988)
- China Doll 西田ひかる(1990)
中でも特筆しておきたいのが、135というグループの「我愛你」という曲。
というか、この曲が起用されたビクターのロボットコンポのCMのこと。
どこか懐かしさを感じさせるようなSFデザインに、コッテコテの中華メロディの楽曲をぶつけるというセンスが、『Dr.スランプ』の摘さん一家と同じ。
これぞまさに中華レトロフューチャー!
自分の親近感くらい
ここまで見てきたように、つい40年ほど前には日本中が中国のことが大好きだった。
ドラマに映画にマンガから食べ物や雑貨にもちろん流行歌まで、あらゆるジャンルで中国モノが大流行していたのである。
鳥山明は『Dr.スランプ』に摘さん一家を登場させた理由について、「たぶん中国旅行に行ったりして中国がマイブームになっていたんじゃないかと思う」と語っていたそう。当時のクリエイターに幅広く共有されていた空気感をよく表していると思う。
しかし、この熱は1989年の天安門事件で一気に冷めてしまう。
その後も、両国政府が揉めたりあちらの体制の全体主義的な怖さが伝わってくるたびに親近感がずるずると下がっていき、とうとう2割を切るところまできてしまった。
たしかに、かつての無邪気なまでの親しみの感情は、もはや持つことは難しいとは思う。
ただ、「中国に対する親近感」っていうときの「中国」について、もう一度よく考えてみたい。
つまり、お互いにあの国の政府のやり方は気に入らないなどと感じながらでも、文化や風俗や個人に対して親しみを持つことは両立できるはず。
仲のいい友達だけどあいつの親はなんかムカつくみたいなこと、みんなも普通にあったでしょ。
両国の政府だったり政治家同士の関係性なんかに引きずられて、中国の文化や国民ひとりひとりへの印象まで悪くなってしまうのって、もったいないというか、端的にダサくないですか。
茨木のり子の言葉を借りるなら、
自分の親近感くらい
自分で守れ
ばかものよ
なんてね!









































