R読書会 2025.08.23
【テキスト】『檸檬』梶井基次郎(新潮文庫)
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。
<推薦の理由(参加者A)>
◆梶井基次郎といえば「檸檬」というくらい皆さんご存じの作品だが、私にとっては疲れる作品。知識とか教養とか鋭敏な頭脳があれば楽しめるのだろうか。
◆例えばAIに「檸檬」「寺町通」「丸善」と入力して小説を書かせたら、こんなふうになるのでは? じゃあ、私は何のために小説を書くのか、どっちの方向を向いて書けばいいのか、悩まされる気がした。
その辺りも皆さんからご意見を伺いたくて「檸檬」を推薦しました。
<参加者B>
◆推薦していただいた課題図書は大体読めるけれど、今回は全部読めなかった。生活の流れを書いており起承転結がないから私は読みにくかった。また、文章が丁寧で綺麗すぎるため、本に向き合って読まなければならなかったので。
夏休み中で子どもが家にいたからざわざわしていて、「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」しか読めなかった(「泥濘」は読むだけ読んで、深く読み切れていない)。
「檸檬」
◆文章に無駄がなく圧倒された。自分が駄目な人間であると冒頭で書き、最後までぶれない。自分をよく見せようというところがないのが逆にすごい。人間、自分をいいように書いてしまうものなので。
◆時代の空気感が伝わってきて、本を読むだけでタイムスリップした気分になれてすごい。
◆文章にたくさんの色が出てきて目に飛び込んでくる感覚にも圧倒された。
◆余談だが、丸善 京都本店に「檸檬」をモチーフにしたケーキがある。食べてから感想を言いたかったけれど京都までは行けなかった(笑)。ちなみに京都BAL地下2階のマルゼン カフェ 京都店で食べられます。
「城のある町にて」
◆妹が亡くなった喪失感を抱える主人公が、町に住んでいる姉のもとに居候して心を取り戻していく話かなと思った。調べてみたところ、北牟婁では当時、天理教が盛んだったそうだ。
◆女性に対するきめ細やかな描写に比べて男性がぞんざい。やっぱり梶井基次郎は女性が好きなんだなと思った。
<参加者C>
◆短編なので、さらっと読めるかなと高を括っていたら思いのほか読みにくかった。とはいえ、ネットでいろいろな人の感想を見ていたら「凄まじく読みやすかった」という意見もあったので私の教養や感性が足りないせいかもしれない。
◆身の回りのものから突飛な想像や妄想をすることは私もあるが、それを美しい文でここまで細やかに書けるのはすごいと思った。確かに、檸檬の重さや感触は美しいものを換算していると言われたらそういう気がしてくる。蜜柑では軽すぎるし、林檎では硬すぎる、ような。
◆全体的に死や病、絶望が纏わりつく話が多かったが、それが逆に「生」や「健康」、「希望」を浮き上がらせているのかなとも思った。
◆101年~94年前くらいの作品だが、人間の機微は今と同じだと感じた。「城のある町にて」で痩我慢をする勝子だったり、「のんきな患者」で病気にかこつけて宗教勧誘する人であったり。「のんきな患者」に出てくる主人公の母は結構好ましかった。ぽんぽん物を言って。
◆全体的に私には難解だったのだが、「Kの昇天」はとても好き。肉体が溺れ、魂は月へ上っていくイメージが美しく、生と死は紙一重なのだなと感じた。
◆なかなかまとまった時間が取れなくて一気にまとめて読んでしまったのが悔やまれる。この本が好きだという友人が言っていたように、少しずつ味わって読むべきだった。
<参加者D>
◆読書会初参加です。書き物を始めたのだが、上手く書けないので本屋や図書館で勉強しようとしたところ、日本を代表する文学作品を漫画で紹介した本があった。「檸檬」もあったし、森鴎外の「高瀬舟」もあって。漫画で読んでもさっぱりわかんないな、となっていたら、Eさんに「読書会で『檸檬』を取り上げるから」と誘っていただいた。「わかる・わからないはともかく、わかる人がいるかもしれない」って(笑)。
◆「檸檬」。非常に読みづらく、とっつきにくい。三行くらい読むと次に行く気がなくなる。先ほど、駄目な人がどうこうという話が出たが、私は自分が駄目な人間と思っている。駄目なやつが駄目なやつのことを読んでも面白くない。高尚なことを書いてもらいたい(笑)。
◆時代背景があると思うが、全体的に沈んだ時代だったのかな。半分くらいしか読めなかった。
<参加者E>
◆梶井基次郎を読んだのは初めて。読書会は勉強になる。今まで読んだ中で『檸檬』は一番いいような気がする。
ここまで自分の気持ちを書いているのに(読んでいて)飽きない作品は、読み手にとって宝物。
「檸檬」
檸檬を丸善に置くという行動を真似する人がいるのわかる。私もいつか仕掛けてきたい(笑)。まだ置く人いるのかな? この作品を23歳で書いた梶井基次郎はすごい。
私、皆さんと本の種類が違って(※ハルキ文庫『檸檬』)。この本にはエッセイが載っているんだけど、皆さんの本にはありますか?
C:新潮文庫の『檸檬』には載っていないですね。
E:ハルキ文庫にはエッセイが載っていて読みやすかった。薦めてくださってありがとうございます。すごく勉強になった。
「Kの昇天」
◆大好きな作品。
◆「ドッペルゲンゲル」はKの昇天を象徴している。ハイネの詩に影響を受けて書いたのかな。
◆太陽、月齢、影……自然界のものを総動員してKの魂を描いている。(数えたところ)原稿用紙17枚くらいで登場人物は3人しかいない。Kと、手紙を書いている「私」と、手紙の送り先である「あなた」。登場人物は少ないほうが深い物語を書ける。
◆月齢というのは毎年違っていて、私の生まれた日の月齢は20歳。いろいろな見方ができて楽しい。
「冬の日」
◆「冬の日」は素晴らしくて。
◆「季節は冬至に間もなかった」から始まる。冬至は陰の気が極まる日。そこから太陽の力が増してくる。病気で悶々としている日々に、冬至という設定を持ってきたのがすごい。普通の日ではなく、特徴のある日として書き出している。
冬至は旧暦の11月から12月にあたる。短い期間を描いた作品。
◆「~のように」は各所にあるし、メタファーもある。昔は比喩が嫌いだったが、この作品は詩を読むように読めた。
◆これは梶井基次郎が26歳くらいのときの作品。すごい。
◆私の本には誤字があって楽しかった。「堯が間借り二階の四畳半で床を離れる時分には」っていうところ……みんな違う?(他の参加者:違わない。)私のだけ違ってて面白い。振り仮名が間違ってるのもあって。面白い! やるじゃないか。
<参加者F>
◆私はどちらかというとストーリーがある物語が好きなので、こういう作品は読んでいて疲れる。このような作品を私小説と言うのかわからないが、描写と心理描写が多く、ストーリーがない。裏道の描写が何ページも続いたり、心を表す描写も多い。
この頃の作家は学歴があるし頭もいいから、読むほうも知的じゃないとついていけないのか。
◆何作か読んだが、暑さのせいか途中から頭に入ってこなくなった。8月に読む作品じゃない。時間があれば読めるというものでもない。途中で諦めた。
「檸檬」
◆中学生くらいのときに読んで、そのときは感性があったから面白く読めたが、この齢になると硬化して、どこが素晴らしいかわからなかった。
◆戦争のころだから檸檬は手榴弾のイメージでは。大きさや形が似ている。爆弾という言い方をしているが、手榴弾を置いてきたイメージかな。
◆やっぱり「檸檬」は評価が高いんだろうし、丸善に置いてくるなんて面白いんでしょうね。
ストーリーがほとんどなくて1つのテーマを作品にしているんだろう。
「桜の樹の下には」
◆一番面白かった。文庫本にして3ページだし(笑)。桜の樹の下には屍体が埋まっている……当時からそういう話があったのか。やはり桜の樹はそこに結びつくのか。
<参加者G>
[事前のレジュメより]
《「檸檬」について》
①主人公「私」の心は得体の知れない不吉な塊で始終押さえつけられていた。それは焦燥や嫌悪である。
②この先品を読んでいると、独特のイメージで表現された比喩の洪水に襲われるような気がした。檸檬を色彩・触覚・匂いなどの五感を総動員して描写している。
・「幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」
電灯の明かりを激しい雨のイメージでとらえているところでびっくりした。
・「ガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、
カーンと冴えかえっていた」擬声語による感覚化が面白い。
《「城のある町にて」》四百字詰め原稿用紙換算約60枚
①P24「ササササと日が翳る。風景の顔色が見る見る変わってゆく」風景を擬人化している。
②P18「頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、
まるで栓をはめたように見える」栓などというイメージで表現するところが個性的。
③情景描写、比喩表現が実に巧い。
④人々の営みをよそから覗くような感覚でいる主人公の生き方がうかがえる。
《「冬の日」》四百字詰め原稿用紙換算約36枚
①P178「硫酸に侵されているような気持の底で」
②P178「突然匕首のような悲しみが彼に触れた」
③P163「堯の心には墨汁のような悔恨やいらだたしさが拡がってゆくのだった」
~またまた凄い表現。
《「冬の蝿」》四百字詰め原稿用紙換算約29枚
舞台は静岡県の湯ヶ島温泉らしい。17歳(昭和3年)のときの作品。
蜘蛛や蝿の「生きんとする意志」に驚嘆している。生命力への羨望が描かれている。
蝿の死と自分の運命を重ねている。病気が悪化し、いよいよ身体が衰退してくる。
☆おまけ
「檸檬」を読んでいて、森進一の歌を思い出した。孤独感・空虚感、修飾過剰の表現がどこか似ている気がした。「年上の女」、「北の螢」、「男の真情」などを思い出しませんか。
[以下、読書会にてGさんの発言]
◆私は20作品のうち4作しか読めなかったので、それだけしか感想を言えない。
◆「冬の日」を読んでいるとき、BSを観ていたら森進一が「年上の女」を歌っていた。彼の歌を聴いて、この作品に似ていると思った。修飾語が多すぎるのが苦手で4作以上読めない。そういうところから拒否してしまった。
◆比喩が多いと特定のイメージを押し付けられる気がする。「頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える」……確かに不自然に見えるし、とても素晴らしい捉え方だが、そのイメージで読めと言われると読みたくなくなる。
◆森進一の歌う曲は孤独感、空虚、歌詞そのものが文学的。「襟裳岬」も文学的で、すごい歌を歌っている。美空ひばりと共に歌った「男の純情」も歌詞に比喩表現が多い。
「年上の女」は直接的な歌詞で、(女が)若い男と別れてしまったという歌詞。
◆読んだ作品の中から気になった比喩表現を見返してみようという気になってレジュメにキーワードを書き出した。
「冬の日」。「「突然匕首のような悲しみが彼に触れた」……心の感じ方を、刀を皮膚にあてがえたような感覚で描いていて、良く見るとなかなかの作品。
一番好きなのは「城のある町にて」。「檸檬」は比喩が洪水のように流れてきてすごい。真正面から読んでいなくて申し訳ないが。
<参加者H>
◆「檸檬」はたぶん10代のころに1度読んでいる。読んでいるんですが、そのとき琴線に触れなかった。ここで新たに一から読むような気持ちで読んだ。私は読みやすかったし、猫の出てくる話(「愛撫」)は「そうだそうだ」と思いながら読んだ(爪の話とか、猫を飼っているのでわかる)。
◆梶井基次郎を好きな人は好きなようで、万城目学は『鴨川ホルモー』のスピンオフ作品『ホルモー六景』の中に、梶井基次郎をモデルにした「もっちゃん」という作品がある。万城目学は他の作品でも梶井基次郎をオマージュしている。好きな人は好きなんだなと思いながら読んだ。
◆梶井基次郎は1901年生まれ。私の祖父と同い年だが、おじいちゃんはそんなこと考えてなかったと思う(笑)。梶井基次郎は知的な人なんだなと感じた。
◆時代背景を考えながら読んでいると、現代と変わっているところ、変わっていないところがそれぞれあって面白かった。
<参加者I>
◆掲載順通りでなく、冒頭を読んで面白そうなものを読んだ。
◆Fさんが仰ったとおり、あんまり暑いときに読む作品ではない気がする。作中の季節が冬だったり、書かれている内容的に。
「檸檬」
◆学校の教科書に載っていて、なるほど、そういう想像力か、と感心したことがある。
◆この檸檬は両義的なものだと思う。しょげかえっていた自分を鮮やかな檸檬に込めて爆弾として置いてくる……不穏。
冒頭の「えたいの知れない不吉な塊」は檸檬と同じじゃないかと考えた。不吉の塊と見えていたものが檸檬に変化することで受け入れられ、それを社会に突きつけ返す、と読めた。
「泥濘」
◆読んだとき、ぱっと読めた。ただ、そのときにはすごく感銘を受けたが、どういう種類の感銘か、説明するのが難しい。ストーリーがあるようでない。衝撃は感じるが言語化するのが難しい。何度も繰り返し読んで味わう作品なんだろうなぁ。
◆読めば読むほどすごく深く読める。好きなタイプの作家。この時代の作家は、私の文学観のスタンダードなので親しい。
<参加者J>
◆私も中学校か高校の教科書で読んだ記憶がある。そのとき綺麗な文章だなと感じた。読み返して、梶井基次郎のすごさに圧倒された。紹介してくださってありがとうございます。
◆背景やスペックの高さがあり難しかったが面白かった。私も全編くまなく読んだのではなく、食指が動いた作品をとびとび読んだ。
「桜の樹の下には」
◆「檸檬」と「桜の樹の下には」は短いから読んだ。桜の樹の下には屍体が埋まっているという都市伝説がありますよね。梶井基次郎が始まりですか?
I:坂口安吾も書いてましたね。
H:梶井基次郎のほうが先ですね。
J:桜の花は他の花にない妖艶さがある。ぱっと咲いてすぐ散って……桜ならではの魔力を言い当てている感性がすごい。最後に「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする」と大切なことが書いてあり、面白い。読み手が、いろいろな意味で捉えられる。私だったら一文ではなくずらずら並べてしまうと思う(「花が美しいと知ったので」とか)。
「冬の蝿」
◆まさに題名。冬に衰えた蝿へ自分を投影して考えている。素晴らしい。
「Kの昇天」
◆いいな。ただ、現代では発禁になるんじゃないかと心配になるほど死を美化している。
人が死ぬとき笑うことがあるという。だから死ぬことは幸せなんだ、という説を以前聞いたが、この作品ではそれに近い、昇天に対する肯定が描かれており、自殺教唆になり得るかもしれない。
歌手のA美嘉が「僕が死のうと思ったのは」という曲を韓国で歌い、同曲が韓国でもカバーされたのを思い出した。そういう作品に共通する、死に対する憧れが読み取れて、いい作品だが危険でもあると感じる。
◆それだけ死を見つめていたからこそ生に対する喜びや命を感じていたのだと思う。現代では医療が発達しており健康な状態でいるのが当たり前になっているが、当時はそうではなかった。だからこの切迫感が出る。
E:梶井基次郎は17歳で結核を発症したんですね。
J:そして身近な人もどんどん亡くなっていく。
「のんきな患者」
◆主人公の母親ものんき。軽妙な会話を入れるなど、悲惨な状況をユーモラスに描いており、作者の登場人物との距離の取り方が上手い。Bさんが仰ったように、普通はいいところを見せようと邪なところが出るが、駄目な自分(のキャラクターの)ままで距離を保てるセンスがすごい。
「交尾」
◆タイトルに怯えずに読んでほしい。すごく軽やかでカラッとしている。「性」ではなく「生」、命の輝きを描いていると捉えた。全然ベトッとしていない。
◆もし31歳で亡くならなかったらどんな作品を書いていたんだろう? 完成してしまっているから村上春樹みたいになっていたかもしれないし、社会運動みたいなことをしたかもしれない。
E:皆さんの本の解説にはお父さんのこと書いていますか?
G:新潮文庫には淀野隆三の解説が載っている。
E:私の本には「父宗太郎は婿養子だが、酒色に溺れ、家庭の外にも子を数人儲けた。母ヒサは理不尽に耐えて家庭を守り、庶子たちを引き取って養育した」とある。
J:当時のほうが大らかですよね。
E:祖母が結核だったため感染したとされている。
G:基次郎より先に家族三人が結核で亡くなっている(祖母、弟、妹)。
E:梶井基次郎には、四条大橋で友人に「肺病になりたい、肺病にならんとええ文学はでけへんぞ」と叫んだ、という逸話がある。
G:私は筑摩書房の梶井基次郎全集を持っている。その中に、母や、友人である近藤直人と交わした手紙も載っている。祇園で遊んで暴れたり大変だったが、母はそういう息子を大切に扱っていて、そんな母への想いが強かったようだ。
死の病に取り憑かれており、それだけに命あるものの輝きに非常に敏感で、自分の見たものを緻密に描こうとするのが感じられた。
肋膜炎のほか神経衰弱も患っていたが積極的に遊んでいた。東大に入ってからは、派手な遊郭での遊びなどは減ったようだが。
J:ドッペルゲンガーみたいなところがあったんでしょうね。
<参加者K>
◆今回のテキストを読む前に、まず自分の作品を書かなければならなかった。8月13日に書き上げて、しばらく休んで、この本を手に取ったのが3日くらい前。先に書いていてよかった。先に読んでいたら書けなかったと思うくらい魅せられた。
◆小説を物語として読む方法もあるし、表現や描写を掴み取るのも好き。作家がどのような見方をして、どのような表現をするのかに惹かれる。素晴らしい表現に出会うと感動する。この作品は素晴らしかったので、先に読まなくてよかった。2、3日前から読み始めたが、どれも素敵。
◆作者は私が生まれるより前に生まれている。
◆死の直前の心理状態が描かれている。私も心不全なので今日のこともわからない。朝起きて「また生かされた」と思い、夜が来たら嬉しい。苦しくて、朝、目が覚めなければいいのにというときもある。だからすごくわかった。でも私にはこのような表現はできない。文章はこういうふうに書くんだ、と思った。
◆古い小説がなぜ発行されて読まれているのか。古いとか新しいとか言うべきじゃない。時代がどうあれ、いいものはいい。
◆「交尾」も読んだし、「のんきな患者」が一番いい。
◆「冬の日」の内容はあまりにも私に似通っている。痰の色とか細かく書いていて。私の代弁をしているようだから怖くなって、読みかけてすぐにやめた。
◆小説について詳しく説明したり感想を言ったりする読み方はしていないが素晴らしかった。
梶井基次郎は死を見つめながら生きていた。感性を持ち、病気を得て、母の理解があり……そういうものがあったから書けた。そういうものが相まって、これらの作品が生まれたのでは。病気になっても書けない人は書けないから。
◆AさんがAIのことに触れられたが、「生成AIが使われても、最後は人間の書く原点に帰るのではないか」と新聞で読んだ。わからないが、私もそうだろうと思う。
<参加者A(推薦者)>
◆皆さん、しっかり読んでくださってありがとうございます。皆さんの意見を伺って、読むときの年齢や状況によって受け取り方が違ってくる――そういうものを優れた作品と言うんじゃないかと思いました。
◆なぜ私がAIにこだわるのかというと、NHKの番組『知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? AIは人間を超えるか』を観て、単語をたくさん持ち、構成力もあるAIに人間は敵わないよな、と思ったから。AIは一つの単語から次の言葉を選ぶ。あらゆる語彙からピシッと選ぶ。繋がる語彙に揺らぎが無い。重なっていって、文と文の間に、風が吹くような揺らぎが無い。
じゃあ完璧な文章って何だろう? 梶井基次郎の小説はすごいけれど、それをAIも書けるんじゃないかと思った。
<フリートーク>
【AIの活用について】
E:AIに梶井基次郎のような小説、書けるかな?
J:これからは書けるかも。
A:AIは作家の文章を学習している。どうしたら感動させられるのか、選べる。じゃあ、「寺町通」「檸檬」「丸善」というキーワードを打ち込んで、AIの豊富な知識を入れたら「檸檬」のような作品を書けるんじゃないか。それならば私は何のために小説を書いているのか?
G:私は書こうと思っている作品についてAIに訊いたことがある。80代男性と20代女性が恋愛をする話だったが、すぐ答えてくれた。タイトルから会話(2人の年齢が違うということでチグハグな会話例を提案された)まで出てきて、これはある意味では敵わないと思った。でも、自分で書くしかないから。
C:仕事でちょくちょく使っています。要点をまとめるときや、丁寧な表現に変えたいときに便利です。プライベートでは、いろいろな文章を村上春樹風や京極夏彦、小川洋子風に変えて遊んでいます(笑)。
E:AIの短歌は全然駄目。でも、どう書くか迷ったとき、わかりやすい表現を教えてくれる。
K:自分で考えるのが馬鹿馬鹿しくなりそう。
C:AIはまだ感情や細かなニュアンスはわからないから、作られた文章も人の手を加えたほうがいい部分はある。でも要約をさせると、とても優秀。AIを利用することによって私たちもよりよいものを書けるかもしれない。
E:相談相手になってくれるし(笑)。
C:愚痴も遠慮なく言えますね(笑)。
J:私はこの間、娘が里帰り出産しにきたときAIに助けられた。どう娘と接していいのかAIに訊ねた。時間関係なく答えてくれるし、AIの言う通りに実践したら娘の態度が柔らかくなった。娘もAI使ってるんじゃないかな?(笑)
E:できない、じゃなく、どんどん挑戦してみるといいんじゃないかな。AIが全部正しいわけじゃない。間違いも結構ある。
【ガジェットが象徴するもの】
E:「桜の樹の下には」に薄羽かげろうが出てくる。「その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ」……その書き方すごい。「それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ」
なんで薄羽かげろうなのか。思った人いますか?
薄羽かげろうの幼虫は蟻や団子虫などを食べて成長するが、成虫になったら口が退化して何も食べられなくなる。大人になったら交尾だけして死んでしまう。
「べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん」は、薄羽かげろうの生態に繋がっている。この時代はネットがないのによく調べていて無駄がない。すべて意味がある。さーっと読んでしまったらもったいない。
「Kの昇天」、「冬の日」も、さーっと読んだらつまらない。季節は冬至……クイズみたいに読んだ。
G:読み解いてほしいんだけど。「檸檬」で、Iさんは檸檬が「不吉の塊」を象徴しているんじゃないかと仰った。私は茶目っ気として取ったが、Iさんはユーモアとして見ていない。丸善に檸檬を置くという行動は何の象徴ですか?
I:「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」……通っていながらも気詰まりなわけですよ。
G:檸檬と不吉の塊を結びつけるのすごい。
J:ものの本によると、就職氷河期の人に「檸檬」を読ませては駄目、といいますね。テロみたいにしちゃうから。社会に対する怒りを爆発させて。
I:爆発はしないもの(=檸檬)を怒りに置き換えている。これは文学的テロリズムですよ。不吉の塊が檸檬として出た。世の中って、「死ぬ者は死ねばいいし、我々はちゃんとしている」と決まりきっている。
J:丸善は、知識の権威の象徴。
I:俺の文学的才能でひっくり返してやる――そんなものも入ってるんじゃないかと思うんですけど。これは想像として文学で書いてあるからいいけど、本当に吹っ飛ばしたらテロですよ。
E:こういうの割とあるんじゃないかと思ってて。忙しいけど祭りに参加しなくちゃならないとき、事故が起きたら開催されなくなるのに、って考えたり。実際にはしないけど、想像することで別の考え方が見つかる。
J:破壊衝動のような。こういうところだけ切り売ってバズったり炎上したり、危険だと思う。
I:こういう怒りの表明はいいですね。誰が見つけても、ただの檸檬だから。
E:「レモンエロウ」っていうのがいい。「イエロー」じゃなくて。
J:当時の日本語のほうが英語のネイティブな発音に近かったのかもしれませんね。
E:私、ずるして安いほうの本(ハルキ文庫)買ったから5編しか載ってないけど全部いいの。
G:ちくま文庫には25編以上入っている。
E:初参加のDさん、いかがでしたか?
D:私が「檸檬」を読んで面白くないと思っても、面白いと思っている人がいて、話を聞くとためになる。
何かを飲むときの器も、人によって「陶器がいい」「ガラスがいい」と分かれるように、小説も同じ。この読書会にも「檸檬」が面白いという人ばかりが集まっているわけではない。「檸檬」って面白いよね、とか、この表現が……とか力説する人がいると思ったが、まともな会話をしてくれた。
E:来てよかったってこと?
D:来てよかった(笑)。