【大腸NETの話】(病気などへの)「感情移入」ってなんだろう?

寄稿いたしました。

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先日話題になった(というか昨日も新聞記事出てましたね)、「グエー死んだンゴ」

ニキについての話。もちろん、最近のところ希少がんになっている自分の話も無縁ではない。そういう話。

 

で、上の記事でも書いたのだが、なんというか、「感情移入」のような話について、少し付け足したい。

 

おれはもちろん自分が希少がんになったことで、重さは比べ物にならないとはいえ「グエー死んだンゴ」ニキの話に涙したわけだが、果たしてそれはそうなのか、というところもある。ひょっとしたら、おれは自分が希少がんになっていなくても涙したかもしれない。そこはわからない。

 

それと同時に、「恋人が病死するタイプの恋愛作品」とか、「がんで余命宣告を受けた人が出てくる人」とかのフィクションについて少し触れた。今までのおれは、そういう作品に対して「知識」として処理をしていただけではなかったのか、と。しかし、これからは他人事ではなくなるかもしれない、と。

 

と、書いて思ったのだが、まあたぶんそれは登場人物への「感情移入」というやつになると思うのだが、おれはそもそもそういう「感情移入」というものがわからんのだ。よく、ある作品に対して、「この主人公には感情移入ができないから、自分好みではない」というような感想を見る。そういうこともあるだろう。とはいえ、感情移入ってなんだろう? と、なる。

 

どうも思うに、おれは「キャラに感情移入できないからこの作品は無理だな」ということはない。逆に、「思わずキャラに感情移入してしまい、夢中になった」ということもない。あれ、そもそも「感情移入」がわかんねえぞ。

 

ただ、たとえば、「解像度が高くなった」(この言葉についてはおかしいと思うが、またいつか考える)ことはある。

 

おれは双極性障害(II型)だ。躁うつ病だ。精神障害者福祉手帳も持っているし、自立支援医療のお世話にもなっている。このことから、おれは双極性障害(II型)についてはそれなりにわかっているつもりだし、本を読めば一緒に記されていることも多いI型についても多少は知っている。さらにいえば精神病がどういうものか、心の病とされているものがどういうものか、実際には人それぞれのところはあるものの、体感として知っているつもりだ。健常者(という言葉も、常に心身ともに健やかな人間もいないと思うのであまり好きではないのだが)に比べたら、精神疾患、精神障害について知っている、つもりではある。

 

それでたとえば、数日前の夜、NHKで『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』の双極性障害回(加藤忠史先生が監修していた)なども思わず見てしまった。ただ、見てしまったというだけで、登場人物の患者(I型)に感情移入したかというと、そういうものでもない。競馬を知っているから『ザ・ロイヤルファミリー』を見るとか、将棋を知っているから『MISS KING』を見るとか、そんな感じだ。

 

というわけで、果たして双極性障害(II型)でおれに似たキャラがフィクションに出てきたら、それに「感情移入」できるだろうか。よくわからない。「そういうのあるあるー!」とはなると思うが。

 

アンジャッシュ渡部建の話も書いた。多目的トイレで不倫セックスをしてテレビを追放された人間だ。それがこのところネット配信で活躍している。Netflixの『罵倒村』などたいへんに笑った。が、そのときおれは人工肛門とはまったくの無縁であった。それがいまはどうだろう、12/9に人工肛門になることが決まっているおれが、「多目的トイレで不倫セックス」をした過去を持つ芸人で笑えるだろうか。もう、笑ってしまったあとだからなんとも言えないが、なにかこう、もう、笑えないのではないか、という気になっているような気もする。次にノブロックTVに渡部が出てきたときに笑えるかどうかだ。

 

そもそもおれは不倫という他人事には寛容すぎるほど寛容な人間なので(なんならNTR好きすらあるが、それはちょっと話が逸れすぎる)、問題は多目的トイレだ。多目的トイレがオストメイト対応のものだったかどうかわからないが、そこはそういうことをする場所じゃない(そもそもおれはトイレでのポルノは不潔感があって嫌いなのだが、話が逸れる)だろうという憤りを感じてしまう。

 

この憤りは感情移入だろうか。それもちょっと違うか。まだ当事者ではないけれど、ほぼ当事者としての憤り、怒り、不快感というものだろうか。まだ当事者ではないけれど、そういうトイレを使う可能性がある人間の一人として、そういう人たちの憤りに感情移入しているとはいえない。

 

ただ、それで起こっている当事者がいたら、共感はするだろう。共感。共感なら感情移入よりは距離がある。なにかの当事者に鳴ることによって、共感力が高まる。それなら「ある」といえるような気がする。共感か。

 

 

 

 

 

たとえばおれはこのごろ内田春菊の『がんまんが』、『すとまんが』を読んだ。予習のためだ。繰り返すがおれはまだ人工肛門の造設手術を受けていない。ただ、受けたあとには内田春菊の体験に共感するのかもしれない。

 

おれは上の記事で、先に体験している人たちの声が聞きたいと書いた。もちろん、「知りたい」、「知っておきたい」という思いはある。が、そればかりではなく、「共感の先取り」をも求めているのかもしれない。そんなこともいま思った。それをうまく表す言葉は見つからない。あるいは、あとから「進研ゼミでやったところだ」体験をしたいのかもしれない。それは「進研ゼミ体験」とでもいえばいいのだろうか。

 

とりあえず、今日は以上。

 

追記:今までのこの日記の希少がん関連記事に【大腸NETの話】とタイトルにつけました。「直腸NET」のほうがよかったか、神経内分泌腫瘍としたほうがよかったかわからん。あと、ブログのカテゴリーに「大腸NET」を追加して、それぞれの記事に反映させました。でも、はてなブログの仕様で、パンくずリストは一つしか表示されないので、「病気」だけ表示されているかもしれません。右下の方のカテゴリ一覧から見てください(見にくいですよね、たぶん広告も出ているだろうし)。

 

あと、「Amazonほしいものリスト」はいま人工肛門(ストーマ)関連のものが多くなっていますが、これは先のためのメモで、永久ストーマでもないので、なにがどれだけ必要かわからないので、奇特な人は日用品をください(やっぱりほしいのかよ)。

 

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