言葉をつむぐナマケモノ。

口下手なナマケモノが、言葉でもがく日々。 思いつきと反省を、のろのろ記録中。(毎週 金曜日更新)

誤発信狂想曲

またひとつ書いていこうと思う。

 

スマホになってから電話の誤発信が圧倒的に増えた。

営業の仕事をしていたとき、僕も何度かやったことがある。電話アプリを開けたままにしておくと履歴からポケットの中からでも勝手に発信してしまい、受けた方は「ゴソゴソ....」と音がするだけで、そっと電話を切ったなんて経験多くの人があるはずだろう。僕の場合、誤発信に気がついたときに連絡できる時間帯ならばすぐに、無理なら翌営業日に丁重に折り返して謝罪の意を示した。

テクノロジーの発展によりインターフェースが便利になるにつれこういったことが起こってくる。どちらかというとネガティヴなリスクである。キャラにもよるだろうけど、怖い上司だったり相当目上の方にやってしまうと本当に背筋が凍る。そういえば以前はそういったリスクを危険が孕んだ履歴は全部消してたっけ。なぜか申し訳ない気分になぜかなってたな。

この誤発信をちょっとステキに変換できないだろうか?まぁ怖い上司などは論外かもしてないけど。一応その条件でGPTに考えてもらった。うまくできなかったので何度かやり直した。

結果は以下の通り。

問い:

ビジネスでお客様や上司にやってしまうと背筋が凍る、誤タップ(ポケットの中とか)によるスマホの誤発信をちょっとステキに変換できるように考えてみて。

 

返答: 

面白くて気が利いた変換、いいですね!ビジネスシーンでの“誤発信”って冷や汗ものですが、少しのユーモアと誠意を交えると、スマートに乗り切れる可能性もあります。以下、シーン別に「背筋が凍る誤発信」を“ステキな誤発信”に変換する表現アイデアをいくつかご提案します:


🌟ケース①:お客様への誤発信

状況:ポケットの中でお客様に発信してしまった
変換例

「恐れ入ります、本日一番にお声を聞かせていただけたのが○○様で、ちょっと得した気分です。実は誤って発信してしまいました、大変失礼しました。」
「○○様のことを思い出していたタイミングで誤発信してしまいました…心が先に動いてしまったようです。失礼いたしました!」

🌟ケース②:上司・役員への誤発信

状況:移動中などにうっかり発信してしまった
変換例

「〇〇部長にご相談したいことがあったのか、スマホが先走ってしまいました。大変失礼いたしました。」
「ポケットの中で私のスマホが“今こそ〇〇様にお電話を!”と勝手に判断したようで…恐縮です、誤発信です。失礼いたしました。」

🌟ケース③:クライアントや取引先の担当者への誤発信

変換例

「お忙しいところ大変失礼いたしました。スマホの方が○○様にご連絡したがっていたようです…気をつけます!」
「申し訳ありません、意図せずお電話してしまいました。とはいえ、お変わりないでしょうか?と一瞬でも思えるきっかけになったなら幸いです。」

💡ポイント

  • ユーモアは控えめに:相手のタイプにより使い分け。砕けすぎず、誠意は忘れない。
  • 「○○様を思っていた」が使えるときは効果的:関心や信頼感を伝えるチャンスに変える。
  • スマホが勝手に”という外部化で自責と冗談のバランスを取る。

調べさせておいて本当になんなんだが、「いいね」とはならなかった。どんな鋼のハートがあればこんなの誤って発信した上で言えるのであろうか?僕の感覚おかしいのか?とにかく僕の中の日本人が必死に拒否をしているような感覚だ。

日本とは少しジョークの種類も文化も違うのかもしれない。これらが言える人格に憧れつつ、僕はやっぱり「即返信&即謝罪」コースが自分に合っていそうだ。

あまり営業向きとはいえないが手帳型のスマホケースにすれば随分回避できそうだ。

 

そうだな。そういや頭使ったらいいのかと、

身も蓋もない締めになりますが、今日はこの辺りで。

 

悔いなき人生を。

 

価値観とは何か

またひとつ、書いておこうと思う。

「価値観」に対して、ちゃんと向き合ってみようという話。

会社の理念、立派な名言、正しさの軸──。 どこか、きれいすぎて近寄りがたい。それが「価値観」という言葉に持っていた印象だった。

でも、最近少しずつ学ぶ中で、「あれ?」と思い始めた。

実はこの「価値観」、ドイツ語の “Wertanschauung(ヴェルト・アンシャウウング)” を訳した言葉らしい。

  • Wert=重み、価値

  • Anschauung=見方、直感

つまり、「何に重みを感じて、どう見るか」。 言い換えれば、“自分だけのモノサシ”みたいなものかもしれない。

「時間をきっちり守りたい」 「静かに、目立たず過ごしたい」 「好きなことに思い切り熱中したい」

──それらはすべて、その人の価値観。

僕自身、「価値観=高尚で美しいもの」だと勘違いしていた。 でも、本当はもっとラフで、もっと人間くさい。

そして大事なのは、そこに最初から「正しさ」なんてないということ。 私たちは、つい“良いか悪いか”で判断しがちだけど、 価値観そのものにはラベルは貼られていない。

「なんかイラッとする」 「なぜか気になる」

そんな感情が湧いたときこそ、価値観に触れたサインかもしれない。 まずは、自分の中にある価値観に気づいてみる。

そして、誰かの価値観に触れたときには、すぐに決めつけず、 「この人は、何を大事にしてそう言ったんだろう?」と想像してみる。

きっとそこには、その人なりの経験や背景がある。

価値観に“余白”をもって接してみる。 それだけで、人との関係に少しやわらかさが生まれる。

今の僕は、そんな感覚を少しずつ育てているところ。

 

悔いなき人生を。

 

その“弱さ”が、味になる。

またひとつ、書いておこうと思う。

最近、ふと思ったことがある。

それは、「弱み」について。

昔、面接では「あなたの長所と短所を教えてください」って聞かれるのが定番だった。
あの質問、今になって思えば、“どんなふうに自分を見つめてるか”を確かめる問いだったのかもしれない。

当時の僕は、強みにばかり目がいって、弱みはできるだけ見せないほうがいいと思っていた。
「できないことを知られたくない」って、自然に思ってた。

でも今は、ちょっと違う風に考えている。

むしろ「弱み」にこそ、強みと同じくらい、いや、それ以上の意味がある気がしている。

生成AIやいろんなシステムが、人の得意分野をどんどん肩代わりしてくれるようになってきて、
だからこそ、ちょっとした“歪み”とか“うまくいかなさ”が、人の味として浮かび上がってくるんじゃないかと。

ジミー大西さんの話を思い出す。

さんまさんの付き人だった頃、遅刻して怒られたとき、
「俺を笑わせたら許してやる」と言われて、
「向かい風だった」と答えたそうだ。

ズレてるけど、人間味があって、なぜか笑ってしまう。
僕はこの話が大好きだ。

そういうひと言が、空気をほどいて、人の記憶に残っていく。

一方で、時間通りに来て、ちゃんと準備していた人の印象は、
ふとした瞬間に霞んでしまうこともある。

もちろん、「ちゃんとやること」が軽く扱われていいとは思っていない。
でも、そこにちょっとした“抜け”があることで、なんだか親しみを感じることがある。

完璧じゃなくても、いい。

むしろ、整いすぎていないことが、
その人らしさにつながるのかもしれない。

最近、リーダーってどう在れたらいいんだろうと、よく考える。

「全部ひとりでやらなきゃ」って背負い込みすぎるより、
「ここはちょっと頼む。でもこれは任せて」って言い合えるほうが、ずっと健やかだと思っている。

人と人とが、お互いに手を貸し合えるように。

そう思っている。

失敗を無理に美談にしようとは思っていないし、
曖昧なままでいようとも思わない。

でも、不器用さや抜けたところを、ただ受け止めてもらえる関係って、
すごくありがたい。

僕自身も、そんなふうに周りと向き合っていきたい。

“弱みをしまいこまない人”でありたい。

そう言えるように、また明日も、やれることをやっていこうと思う。

 

悔いなき人生を。

"比べてしまう"の反作用

またひとつ、書いておこうと思う。

最近、「ああ、また“いつもの癖”が出たな」と思う瞬間があった。

誰かを見て、「あの人、すごいな」「行動力あるな」って自然に思った、そのすぐあと。 なんだか、スーッと自分の中が沈んでいく感覚があった。

「自分ってダメだな…」「全然届いてないじゃん」 気づけば、そんなふうに自分を勝手に下げていた。

心がじわじわと、しぼんでいく。

でも少し時間が経って、ふと出てきた言葉があった。

「……今まで、よく社長やってこれたな」

誰かに責められたわけじゃない。 ただ、自分の中で勝手に落ち込んで、勝手にちょっと持ち直した。 なんか、情けないような、可笑しいような感じだった。

そのとき思ったんだ。

「“上”を見てるってことは、きっと“下”も見てるんだな」って。

「あの人すごいな」と思うとき、 たぶん同じくらい「自分より下の誰か」を探して安心してる自分がいた。

これってつまり、無意識のうちに“ランクで人を見てた”ってことなんだ。

誰かのすごさを、素直にすごいって思えない。 誰かの不器用さに、ちゃんとやさしくなれない。

「誰かの背中を押したい」なんて言いながら、 どこかで“教える側”に立ちたがってたのかもしれない。

……たぶん、それって“見下し”だった。

今なら、ちょっとわかる気がする。

人を見下してるようなやつに、本当の意味での信頼は寄ってこない。 「上か下か」じゃなくて、「隣に立てるかどうか」だけなんだ、きっと。

知識や経験があっても、 どこかに「俺のほうが上」っていう匂いがしたら、人は離れていく。

僕はまだ、全然できてない。 比べてしまうこともあるし、見下してしまう自分もいる。

でも、こうやって気づけたなら、また戻ればいい。

比べてしまった自分も、 見下してしまった自分も、 それでもまた誰かと“並んで歩こう”とする自分も、 ぜんぶ、自分なんだと思う。

今日も、“隣に立てる人”でありたい。

 

悔いなき人生を。

コーチング珍道中 ー迷走ー

またひとつ、書いておこうと思う。

最近、コーチングの講習に通っている。
本格的なプロコーチを目指すというよりは、経営という日常の中に、もう少し「聴く」や「問いかける」の力を取り入れてみたい。
そんな気持ちではじめたものだった。

だけど、始まってみれば案の定――苦戦している。

うまく話せない。
問いが思いつかない。
相手の話を聴いているようで、自分の中では「次に何を言おうか」ばかり考えていたりする。

それでも講習の中で、自分なりにがんばってみる。
すると自然と、周りの受講生が目に入る。
「すごいな」「うまいな」「もう慣れてる」
気づけば、また“比べるくん”がそばに立っている。

でも今回は、ちょっと違う感覚もあった。

たしかに、技術や言葉の選び方では劣っている。
だけど、そもそも僕は「上手に話せる人」になりたくて来たわけじゃない。

問いを通して、人と深く関わりたい。
“自分のまま”で、ちゃんと相手と向き合える人になりたい。
その先で、少しでも誰かの力になれたら、それがいちばん嬉しい。

比べていたのは、技の部分だった。
でも、僕の芯にあるのは、興味感情だ。

うまくやることより、丁寧にやること。
飾らず、背伸びせず、自分のままでいること。

そういうことを、大切にして学びたいと思った。

講習のたびに、自分の不器用さが見えてくるけれど、
それもまた、磨くための“入り口”なのだと思う。

今日もうまくやれなかった自分と、ちゃんと向き合えた。
だからまた、少し先へ進める気がした。

 

悔いなき人生を。

コーチング珍道中 ー導入ー

またひとつ、書いておこうと思う。

今、ずっと気になっていた「コーチング」を、一から学んでいる。
その中で、あらためて「聴く」ということの難しさに向き合っている。

耳で聞いているはずなのに、
頭のどこかでは、つい「次に何を言おうか」を考えてしまっている自分がいる。

そんなこと、ずっと前から気づいていたはずなのに、
いざ目の前に人がいると、やっぱり焦ってしまう。

ふと、問い直す。
「自分は本当に“聴けていた”だろうか」と。

コーチングでは、「答えは相手の中にある」とされる。
でも、いくらそのつもりでも、自分が正解を探そうとしてしまえば、
それはもう“対話”じゃなくなる。

講習では、僕はまだ落ちこぼれ組だ。
頭ではわかっているのに、うまく問いが出てこない。
聴いているつもりでも、どこかで“構えて”いる自分がいる。

それでも、相手が「しっかり聴いてもらえた」と感じたときの、
あのちょっとゆるんだ顔や、言葉のトーンの変化。
それに触れた瞬間、「ああ、これが“聴く”ということか」と思う。

コーチングって、技術のようでいて、自分と向き合う時間なのかもしれない。

自分の中にある「聴けてない自分」を知って、
「それでも、聴こう」と思い直すこと。
その繰り返しで、少しずつ、深まっていくのかもしれない。

不思議と、落ちこぼれてる今の方が、やる気がある。
自分の“弱さ”を知って、また立ち上がる。
そんな感覚が、どこか心地よくもある。

だから今日もまた、問い直してみよう。
「ちゃんと聴けてた?」と、自分に。

 

悔いなき人生を。

「目的が見つからない。けれど沈みきれなかった日。」

最近、どうも調子が悪い。
“なんとなく”会社に来て、“なんとなく”やりすごして、
でも帰り道になると、ズシンと重くなる。

「…僕は何のために、この会社をやってるんだろう?」

そんな問いが、頭の中にずっとこびりついてる。
いや、前からあったはずなんだけど、最近はそれがちゃんと音を立てるようになってきた。


20代、頑張らなかった。
自分でもわかってる。
特に厳しい環境にいたわけでもなく、
なんとなく流れで今の立場になって、
「自分がすごくなれば、なんとかなる」って信じて突っ走ってきた。

……でも、なんともならなかった。

目的も、計画も、うまく言えないままここまで来てしまった。


それでも思い出す。
かつて一緒に走った、開拓の時間。
あの頃の仲間たちとの日々は、不思議と「楽しかった」って言える。

しんどさの中に、前に進んでる手応えがあった。
あのときは、自分の中にも“火”があった気がする。

今は?
内側で火花が散ってるだけ。
誰かを責めるわけじゃないのに、
人と人が噛み合わない。
心の中で、僕はつぶやく。

「内戦なんかして、船は前に進むのか?」

そんな言葉が出てくる自分に、ちょっと驚いた。


自分でもわかってるんだ。
僕は、自分のリーダー像が描けてない。
何を目指して、どこへ進むのかを、まだ言葉にできていない。

そして、ふと思ってしまう。

「なんで僕ばっかり…」

だけど、そのあとにすぐ、別の自分が返してくる。

「人のせいにしたら、ダメだよな。」


堂々巡り。
答えなんかない。
目的? 計画?
……わかんないよ。
わかってたら、もうやってる。

でも、どんなに疲れてても、口からふと出た一言があった。

「悔いなき人生を。」

誰かに見せるためのセリフじゃなかった。
自分でもよくわからないまま、ぽつりと漏れた言葉。

だけど、それがなんだかすごく静かで、確かだった。


いまだに「目的はこれです」なんて言えない。
でも、迷いながらも、僕はまだここにいる。
それだけは、ちゃんと書いておきたい。


 

悔いなき人生を。