Lamplighter’s Palette

日常の事、旅、映画、アートなど思いのままつづります。

命を想う朝~後編~魂の輝きは永遠に

彼女がゆっくりと、回復に向かっていると信じていた私たち。

そんな状況なのに、みんなのお祝いのメッセージに、律儀に反応してくれた彼女の配慮に、胸が締め付けられた。

 

卒業後、そこまで親しくしていたわけではなく、どんなふうに声をかけてよいかわからないし、そんな状況の時に、ラインが来るのも迷惑かなと思いつつ、何か声をかけてあげたい。

個別にメッセージを送ろか、とても悩んだ。

そして翌日、負担にならないような言葉を選んで、返信しなくていいから、と付け加えたメッセージを送ると、まもなく、おはようございますと、ありがとうのふたつの可愛らしいスタンプが送られてきた。

 

彼女が亡くなったのは、そのわずか6日後のことだったようだ。

どんな状態で、私のラインにスタンプで応じてくれたのだろう。

死を前にしてさえ、最後まで気を遣ってくれたのだ。

病気の報告の時も、読む私たちが不安になるようなネガティブな事は一切書かれていなかったと思う。

だから、みんな、彼女の復活を信じて疑わなかったのだ。

 

私は、大きな病気がわかった時、「負けた」気がして、最初は誰にもそのことを言いたくなかった。

病気になることは、誰かや何かに負ける事じゃないのに。

私は、そんな度量の狭い人間なのだ。

 

結婚した彼女には、家族の事でとても大変なことがあった。

だが、彼女の口からネガティブな言葉を聞くことは、ほとんどなかった気がする。

どんなことも受け入れる素直さのようなものを感じた。

もちろん、悩み苦しんだ挙句の事だっただろうが。

お姑さんの愚痴らしき事を話していた気もするが、私などが口にするような、きつい言葉が出てくることはなかった。

やはり、育ちがいいんだな、とその時も思った。

育ちがいい、と何度も言うが、決して皮肉ではないことをご承知いただきたい。

彼女のような印象の人は、私の周りには他にいないのだ。

 

自分が病気になった10年前、死を身近に感じた時期がある。

しかし、手術が成功し回復を待つ時間、死は終わりではなく、通過点だと思うようになり、死に対する恐怖が薄れた。

死というものは前からやってくるものではなく、振り向いたらそこにあるものなのだろう、とも感じた。

 

しかし、現実に死が目前にあることを知り、死と向き合いながら生きる日々、彼女がどんな思いでその日その日を過ごしたか、想像することしかできない。

受け止め方も人それぞれだろう。

そんな中で、彼女は遠く離れた友達への配慮を欠くことはなかった。

私から見れば、か弱くて一番守ってあげたいような存在だったのに、私などよりもずっと強い子だったのかもしれない。

 

子どもの頃には、友達の祖父母が亡くなった話を聞き、年を重ねると、友達のご両親が亡くなったという話が増える。

今は、同級生が亡くなったという話を聞くことが少なからずある。

そんな月日の流れに、年を重ねるという事を、別の面からリアルに捉える。

自分に関りがあろうとなかろうと、人の命が始まり、そして終わる。

連綿と続く多くの命のつながり、私もその流れの中で生きている。

 

卒業してから、彼女がどう生きて、どう逝ったか、ほとんど知らない。

死をどう受け入れて日々を過ごしたか、自分の未熟な尺度で想像することしかできない。

 

言えるのは、私はいま、ここで生きているということ。

彼女の死に思いを馳せた時、今を大事に死ぬまで生きよう、シンプルにそう思えた。

神様のところに旅立ったこころ優しい友にかける言葉は、月並みだが、ありがとう、しかない。

彼女の最後のラインのスタンプも、ありがとうございます、だった。

 

忘れてはいけないことがある。

彼女の人生の終わりには、辛い闘病生活があったが、病気が彼女の人生を象徴する出来事ではなかった、という事。

これは、癌で亡くなった小林麻央さんの言葉の中にあった。

辛い時間以上に、幸せで輝く時間がたくさんあったはず。

彼女の、はにかんだような笑顔と鈴を鳴らすような笑い声を思い出し、輝く魂となって昇って行った彼女のご冥福を祈ります。

魂が還る場所 アクリル画

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長々と私ごとすいませんでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝をこめて

燈妃