2010年代に商業的成功を収めた『転スラ』
伏瀬『転生したらスライムだった件』は、著者が丸山くがね『オーバーロード』の影響を受けて「小説家になろう」で2013年2月から連載し、2014年5月からマイクロマガジン社より書籍版が刊行され、2015年3月から始まったマンガ版は18年10月からのTVアニメ化以降、講談社の決算を左右するレベルの爆発的な売上となった。
20年9月には出版物の累計発行部数は2000万を超え、2010年代にスタートしたウェブ小説/ライトノベルの中でもっとも商業的に成功した作品のひとつとなった。
ラノベ業界の地殻変動の象徴
伏瀬は「なろう」に投稿する以前は、電撃小説大賞に送ろうと思っていたという。
電撃小説大賞は上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』などを輩出し(正確には上遠野は前身の電撃ゲーム小説大賞出身)、電撃文庫を文庫で刊行されるライトノベルレーベルの覇者に押し上げることに寄与した新人賞である。
つまり伏瀬が電撃ではなく「なろう」を投稿先に選んだことは、2000年代までであれば文庫ラノベの王者・電撃が獲得できた才能を取り損ねたことを意味している。
2009年末に「電撃文庫を卒業した大人向け」を謳うメディアワークス文庫を作り、いわゆる「ライト文芸」向きの作家も獲得し、また、そうした才能が流出避けられる体制をつくったにもかかわらず、2010年代に「なろう」が隆盛を極めると、ウェブに書き手が流出し、ほかの出版社から刊行されるようになった。
ラノベ作家志望者が「なろう」に目を向けるきっかけのひとつは、2008年から「なろう」に連載され、2011年に電撃文庫から刊行された佐島勤『魔法科高校の劣等生』であり、この作品がなろう人気に拍車をかけた。
それを思えば皮肉な話ではあるが、2010年代の電撃苦境の一因は間違いなく「なろう」台頭がある。
2009年刊の川原礫『ソードアート・オンライン』、11年刊の『魔法科』以降、三秋縋などいくつかの例外を除けば、2019年に「電撃の新文芸」というレーベルを創刊するまで、電撃文庫編集部はウェブ小説の書籍化にそれほど積極的ではなかった。これはなまじ文庫ラノベで長らくシェアトップだった自負ゆえの、イノベーションのジレンマだろう。
『転スラ』の版元マイクロマガジンは、『スレイヤーズ!』のリナ・インバース的な「戦う女性」が陵辱される作品を多数刊行する二次元ドリームノベルスなどのジュブナイルポルノ――成年向けのエロライトノベル――の版元キルタイムコミュニケーションの関連会社である(両者は同じビルに入っている)。キルタイムも含めて、2000年代まではラノベ界の中では決して「主流」とは言いがたかった会社である。
そこから刊行された『転スラ』が、TVアニメ化の勢いによって「なろう」の累計ランキング1位に君臨することになり、累計2000万部を刷り、「月刊シリウス」連載のマンガ版が講談社の業績好転に寄与するほどの大ヒットになるとは、かつてのラノベ界/出版界の常識では考えられない出来事だった。
『転スラ』は何がそんなにおもしろいのか?
作品内容に目を向けてみよう。『転スラ』は何がおもしろいのか?
用意しているおもしろさの種類が多様なのである。
キャラのかけあいの楽しさもあるし、複雑な物語展開もあれば、主人公リムルなどの転生者たちがなぜ異世界に召喚されたのかといった「世界の謎」もある。大集団同士が戦略を練って戦いあう「戦記」要素もあるし、コミュニティをいかにして導いていくかという「内政」要素もある。
丸山くがね『オーバーロード』の主人公は骸骨姿のマジックキャスターへと転生するが、同作から影響があるというだけあって、『転スラ』は、女子と話すのが苦手なゼネコン勤務の37歳男性が突然刺されて死ぬと異世界でスライムに転生していた、という導入部こそ色モノ的ではある(なろう系では蜘蛛や剣などに転生するものもゴロゴロしているため、スライム程度ではもはや「変わり種」とは思えなくなっているが、連載開始当時にはインパクトがあったという)。
しかし、主人公であるスライムのリムルが食べた相手の能力を獲得するという「捕食者スキル」を持っているおかげで、どんどん強くなり、さまざまな能力を獲得していく気持ちよさが序盤にまずある。
次いで、リムルが村落で集団生活をしていたゴブリンたちを配下に収めたことを皮切りに、ドワーフなどさまざまな種族を従えるようになり、コミュニティを拡張していくのだが、そこで必然的に生じる集団戦の駆け引きのおもしろさがある。
そして、ドワーフやゴブリンには「排泄物処理施設も必要になる」との考えから、なんと下水の管理工事を手がけ、手始めに区画整理をする……といった、著者のゼネコンでの現場監督としての勤務経験を存分に活かした描写のおもしろさもある。インフラの重要性、工事・事業を進めるまえの事前の計画と住民・スタッフへの根回しの重要性などのリアリティ溢れる視点や、言うことを聞く面々ばかりではない集団をいかにマネジメントしていくかといった点に関する、ご都合すぎない視点からの記述には、ある種の経済小説に通じる妙味がある。
「なろう」の書き手も、よほど本が売れた人を除けば兼業作家が大半を占めている(伏瀬もここまでのヒットになる以前はゼネコン勤務と兼業だった)。
したがって、書き手が執筆業以外の仕事から得たものが反映された作品が少なくない。
たとえば『魔法科高校の劣等生』では魔法というファンタジー的なものが設計支援ツールCADという工学的なものを使って制御するという設定になっているし、天酒之瓢『ナイツ&マジック』はファンタジー世界で巨大ロボットを設計・操縦する話だが、この起動にプログラム言語と同型のものが用いられているため、前世がエンジニアだった主人公は圧倒的な適性を見せる、といったものだ。
作家が自身の仕事や得意分野を作品の設定に使うことで、読者からするとユニークなものになる。
「おもしろい」とひとことに言ってもそのおもしろみの種類は多様である。
『転スラ』は引き出しが多いうえに、だんだんとおもしろさのフェーズが変化し、広がっていく流れのつくりかた、展開のさせ方が巧みなのだ。
キャラクターも、最序盤に出会う暴風竜ヴェルドラに始まり、美男子ベニマル、隠密ソウエイ、秘書シオン、巫女姫シュナ、お調子者のゴブタなど魅力的な面々が揃っており、キャラ同士を遊ばせておくだけでも楽しい。
スピンオフマンガである作画岡霧硝『転生したらスライムだった件 魔物の国の歩き方』や作画柴『転スラ日記 転生したらスライムだった件』は彼らがリムルが作った国で過ごす日常を描いているが、その掛け合いだけで十二分に読めるものになっている。
かつて「ドラゴンマガジン」などのライトノベル雑誌が元気だったころには、ラノベは「長編」として展開していく本編と、雑誌掲載分を元にした「短編集」という組み合わせで刊行されるのが通例だった。つまり、シリアスなストーリーにも、コミカルな方向にも展開できることが売れるラノベの条件のひとつだった。
そしてその昔、短編集が担っていた部分は今では「スピンオフマンガ」というかたちで補完されるようになっている。
『転スラ』にもそういう拡張性が備わっており、スピンオフマンガとの連動で多面的な魅力をより開花させることに成功した。
つまり『転スラ』は好みが違う多様な読者を惹きつける要素をいくつも備えて、物語のスケールアップと合わせて徐々に開陳しておもしろさの種類を広げていくという、非常にバランスの良いエンターテインメント作品になっている。
2021年にはTVシリーズ第2期が1月から放映が始まり、7月からその続きが予定されている。
話が進むほどにキャラクターが増えていくため、途中からアニメに入ることは難しくなっていくだろう。だが、気になった人は「なろう」で無料で最初から読んで追いつくことができる。
この圧倒的な間口の広さ――小説投稿サイト台頭以前には存在しえなかったものである――ゆえに、2020年代もまだまだ『転スラ』人気は続くだろう。