品切れ続出中
新人なのに、なぜ? 知らない人ならそう思うはず。でも、知ってる人なら「当然でしょ」と答えるはず。
新人作家・燃え殻氏のデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』が、売れている。6月30日に発売されるや、amazonの順位は一気に総合14位まで上昇し、即品切れに。大型書店でも品切れ店が続出し、「発売即重版」が決まった。
燃え殻って、誰…?どんな小説なの…? 出版業界の内側からも、そんな声が聞こえてくる。
<もともとTwitterの世界で有名だった燃え殻さん。テレビの美術制作の会社で働く傍らつぶやくちょっと自虐的な内容が面白いと評判を呼び、フォロワー数は9万人超え。気がつけば、ウェブマガジンcakesで小説の連載が始まり、糸井重里さんらが絶賛。このたび、その連載をまとめたものが単行本になった。>(134字)
<今から17年前の東京で、寂しい心と体を寄り添わせ、いつまでも覚めない“夢”のような日々を送っていた「ボク」と彼女。43歳になり、なおも都心を彷徨い、満員電車に揺られるボクは、フェイスブックで彼女を見つけ、思わず「友達申請」をしてしまう――。>(118字)
燃え殻氏と小説の内容について、140字以内で紹介するならこんな感じだ。でも、それでは乱暴すぎる。もっと燃え殻さんについて知りたい。燃え殻とは誰なのか。Twitter界の人気者となったきっかけはなんだったのか。なぜ小説を書くにいたったのか。つぶやきの100倍、トータル1万4000字のインタビューをお届けする。
なぜにフォロワー9万人
――燃え殻さん、お久しぶりです。今日は私、現代ビジネスの阪上と、フリーライターの宮田文久さんの二人で、燃え殻さんのお話を聞きたいと思います。燃え殻さんとお会いするのは、2015年3月19日に後楽園ホールで行われた安生洋二の引退試合以来ですかね?
燃え殻 あれ、そんなに前になりますか…!? あの時は、作家の樋口毅宏さんや、現代ビジネスにも寄稿されている細田マサシさんも一緒でしたね。
――当時はまだ、cakesでの連載も始まっていませんでしたし、燃え殻さんがまさか小説を書かれるとは思ってもいませんでした。『ボクたちはみんな大人になれなかった』、発売直後から大反響ですね。
燃え殻 ネットで品切れになったり、書店で平積みされていたり…いまだに信じられない気分です。
――燃え殻さんと出会ってから、燃え殻さんのツイッターをチェックするようになったんですが、まず、9万人もフォロワーがいることに驚きました。そして突然cakesで連載が始まることが告知され、その小説が公開されるや糸井重里さんや堀江貴文さんらが絶賛。気づいたら単行本になって、しかも売れている。これは平成最後のシンデレラストーリーじゃないかと。それで、今回は改めて「燃え殻現象」に迫りたいと思っています。
燃え殻 そんな大げさな……。
――いつ頃から燃え殻さんが「Twitter界の有名人」となったのか、なにがきっかけで小説を書くようになったのかを知りたいんですよ。
燃え殻 よろしくお願いします。まずはなぜTwitterを始めたか、ですよね。これはさらに遡って、僕の仕事について説明する必要があるかもしれません。
僕はこの15年間、テレビの美術制作をやっているんです。美術制作といえば聞こえはいいですが、テレビ局や番組会社からファックスなどで「番組で必要だから、こういうものを作ってほしい」という発注が来て、それを届けるだけの仕事なんです。だから、ほとんど誰にも会わない隔離された世界で、社員もほぼ同じメンバーなので、毎日に変化がない。
僕は下っ端だったので、テレビ局などに出来上がった製品の配達に行くんですが、行ったとしてもそこでお客さんと立ち話をするわけでもないんです。「お疲れ様です、さようなら」の一言で終わってしまう…。ちょっと“懲役”感さえあるようなところで生きてきました(笑)。
でも、僕がこの仕事を始めた時のテレビ業界の景気は本当に良くって。当時担当していた番組が、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』や『学校へ行こう!』、さらには『ガチンコ!』など、軒並み視聴率20%越えの人気番組ばかりで。
――おお、我々世代のど真ん中の番組ばかりですね。美術制作というのは、具体的にはどんなお仕事なんでしょうか。
燃え殻 たとえば「ガチンコ!ファイトクラブ」で、竹原慎二さんが誰かの胸ぐらを掴んだとき、「この後、一体どうなってしまうのか…!?」みたいな文字が流れてCMにいきますよね。あの、テロップをつくっていたんです。
――2期生の藤野が竹原に突っかかっていった時の、「この後、とんでもない展開が!」という、アレをつくっていらしたんですね。
燃え殻 あのテロップを、うちの会社は一枚500円で作っていました。もともとは一枚2000円もしたものなんですが、うちの社長が新型のマッキントッシュを駆使して、500円にまでコストダウンしたんです。価格破壊を起こした「イノベーター」だったんですね。それで、テレビ局から「あそこは安いぞ」ということで、たくさん受注が入るようになった。いわば、「テロップバブル」が起きていたんですね。
――そうしたエピソードは、『ボクたち』の作中にも出て来ていましたね。
燃え殻 テロップをめぐる業界の話はすべて事実に基づいています。ただ、ご承知の通り、テロップを使いすぎだという視聴者からの意見が多くなって、テレビ局が自粛するようになったから、バブルもそんなに長くは続かなかったんです。加えて、ここでは言えないような取引先とのトラブルも重なり、うちの会社の売上が2億円くらい落ちてしまって(笑)。
これはもうヤバいとなったんですが、それまで仕事に困ることがなかったから、社員の誰も営業をしたことがなかったんですよ。
それで、これはいよいようちの会社も「営業」というものを始めなければいけないようだ…となったんですが、今度はテレビ業界全体が下り坂になっていってしまった。2002年から2004年くらいにかけてでしょうか。その直前の時期のエピソードも小説の中にデフォルメしながら書いたんですが、某テレビ局が、豪華ホテルで大々的に打ち上げを開いたんですね。
――受付で来場者一人一人にMDプレイヤーが配られた、というエピソードが書かれていましたね(笑)。
燃え殻 そうなんですよ。名前を書くと、全員に「どうぞ」とソニーのMDプレイヤーが配られて、「マジかよ」みたいな(笑)。しかも、宴会のなかで行われるビンゴ大会も、全員が絶対に当たるようになっているんです。
天国と地獄と、Twitter
――作中では「一万円札掴み取りが行われた」という話もありましたね。
燃え殻 そう! 一万円札から五百円玉まで、掴み取りが用意されていました。某大物タレントさんなんかは、ある家の家賃一年分と、引っ越し代や家具まですべてがセットになったものを景品として出していた。いまじゃ考えられませんよね。
それで、僕ら外部の業者に景品が当たると場がシラケてしまうので、ビンゴのカードを申し訳なさそうに持って、「当たるな、当たるな……」と祈りながら会場の隅っこでひっそりしていて(笑)。その頃はそんな話ばっかりでした。
それだけでなく、番組に出演しているタレントさんたちが仮装して出てきたり、会場には接待で連れてこられている艶やかな女性たちもたくさんいまして。そうした光景を見て、「こんなこと、そう長くは続かないよな…」と僕は思ったんです。
――こんなひとときのバラエティーバブルは続かない、と。
燃え殻 そうです。世間はとっくにバブルも崩壊していて、ニュースでも「日本経済がヤバい」っていう話しかしていないのに、バラエティー番組の世界だけは、まったく違ったんです。
――不景気なんてどこ吹く風だった。そして燃え殻さんは、その光景を目の当たりにして、浮かれるのではなく切なさを感じたわけですね。
燃え殻 本当にそうなんです。怖くなっちゃって。会場にいる女の人たちが、みんな優しいんです。優しくて、いやらしいんです(笑)。
――桃源郷のようだけど……(笑)。
燃え殻 でもこんなの、あり得るわけない、と(笑)。
――竜宮城みたいなもんですね…。
燃え殻 だから僕は、テレビの世界とは少し離れたいなと思って、ちょうどうちの会社が「営業」を始めようというときに、「テレビ以外の業界に営業させてください」と社長に頼んで、半ば勝手に飛び込み営業を始めたんですね。それで、ゲーム会社や、その周辺の出版社などに飛び込みました。コミケに足を運んで、企業ブースのところで名刺を配りまくって、「ブースの設営のような仕事をやらせてもらえませんか」とお願いして回ったんです。
すると、ブース設営や、ネットの広告ページのデザインといった仕事がチラホラ入り始めたんですよ。なんだ、俺たちでも「営業」できるじゃないか、と自信を持ち始めたんですが、なぜかその時にゲーム関係の取引先の方から「やりとりはTwitterでお願いします」といわれたんですね。
――ええっ!? いつTwitterの話が出てくるのかと思ったら、それがTwitterを始めたきっかけなんですか?(笑)
燃え殻 まだTwitterが出始めたころだったんですが、得意先はゲーム関係だけあって、そういうのに詳しい人が多くて。「Twitter、面白いんだよ」と勧められたんですよ。こちらとしては対面で仕事をしているのに不思議な感覚だったんですが、まあ相手がそういうからと、Twitterでやりとりを始めたんですね。
最初は何が楽しいかまったくわからなかったんですが、それでもイベント会場で「今日ここにいます」「あ、俺もここにいる」とかいう情報が入ってくるから、新しい仕事先とつながれるんだということに気づいて、ああ、これはやっといたほうがいいな、と続けていたんです。
そんな折に、ある人をTwiiter上で発見しまして……。
――がぜん、気になります。
燃え殻 ラジオを中心に構成作家をなさっている、Sさんという方です。実は、僕はかつて深夜ラジオのハガキ職人をやっていたんですが、名前に聞き覚えのあるハガキ職人の人たちが、当時からTwitterをやっていたんですよ。特に僕が驚いたのが、コサキンさんのラジオで活躍していたハガキ職人のSさんでした。
――今で言えば、TBSラジオ「水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論」の構成を担当されていますよね。
燃え殻 そうです。「Sさん、最高!」と尊敬していたその人が、Twitterをやってたんですよ。それも、「今日も昼飯の時間だ」とつぶやきながら、鯉に餌をあげている写真をアップしたりしていて(笑)。「いっぱい食べるぞ」とか言いながら、画面に映るのはパクパクしている鯉なんです。「わっ、やっぱり面白い!」と衝撃を受けて(笑)。
嬉しくなって彼をフォローすると、自分が憧れていた人のお子さんの話とかが流れてくるわけです。憧れていたあのハガキ職人の日常が……。
――ドキドキしますね(笑)。
燃え殻 すっごいドキドキしました。ハガキの中でしか知らなかった人のプライベートが見られて、しかもネタまで流れてくる。こんな幸せな「メディア」はないでしょ。そこで、「Twitter、めっちゃくちゃ面白い!」とハマったんです。
ある日、Sさんがフォローしてくれたら、「ヤバい、相互フォロワーになった!」と、美人の読モにフォローされるより嬉しかった(笑)。しばらくしたら、Sさんが僕のツイートに反応してくれるようになって、そうなるともう、“ネタが採用された”ような心境でした。
その時に、「あ、Twitterって、僕が好きだったラジオの深夜番組の現代版だな」って思ったんです。芸能ネタから社会問題まですべてがダイレクトに流れてくるんですけど、それを大喜利にしてみたりとか、自分なりに茶化してみたりとか。僕が夢中になって聴いていた、とんねるずやウッチンナンチャンの『オールナイトニッポン』、『パックインミュージック』に『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』とか、ああいう番組のやり方と同じなんですよね。
そんなことをしていると、ハガキ職人の頃の気持ちが戻ってきちゃって、その日会社であったことを、ちょっとネタっぽくアレンジして投稿し始めたんです。「日報」のような感じですね。
当時30代半ばぐらいで、東京から離れていく友人なんかもいるなか、僕にはそんな選択肢も生命力もなかった。だからその代わりに、ツラい日々でも何か面白おかしいことはないかと思って、ハガキ一枚くらいの、クスッと笑えることを呟こう、と。
スピードワゴン・小沢さんとの出会い
――連絡ツールとしてだけでなく、日頃の体験を呟き始めた。その味わいのあるつぶやきが人気を博していく、と。
燃え殻 そのうち、つぶやく内容が「日報」という形からだんだんとはみ出していって、普段の自分のことを呟き始めました。ネガティブなツイートも多いんですけど、日常との“段差”をできるだけないようにしているんですね。
Twitter上では、アイコンひとつで性別も変えられるし、経歴だって偽ることができる。でも、そこに“段差”をつけず、悪意や恐怖に基づいたものではなく、かといって批評でもない形で、人とつながりたいな、と感じるようになりました。そうすると、著名な方が僕のツイッターをフォローしたり、リツイートしてくださるようになって、気づいたらフォロワーがどんどん増えていって…。
――「気づいたらフォロワーが9万人になっていた」、と。僕なんか、いまだにフォロワー数280人ですよ。でも、燃え殻さんのツイートが人気なのは、その「段差のなさ」にあるんでしょうね。偽りや底上げした感のなさが受け入れられている。
燃え殻 そうかもしれませんね。そんな折に、(お笑いコンビの)スピードワゴンの小沢一敬さんが僕のことをフォローしてくれたんです。なんの拍子だったか、正確には忘れましたけど…。やっぱり根はミーハーですから、テレビに出てる人とつながると嬉しくって。その頃、ちょうど小沢さんが小説を出されていたので、買って読んだんです。その感想をDMでお伝えしたら、返事をいただいて。それで勇気を出して、「会いませんか」と言ってみたんです。
――燃え殻さんもテレビの世界にいたわけですが、それまで小沢さんと面識はなかったんですか。
燃え殻 まったくなかったです。だから、会う前はやたら怖くて…。小沢さんからは「美味しいクレープ屋さんが浅草にあるから、食べに行きませんか」と連絡がきたんですよ。もう最初は“闇”しか感じませんでした(笑)。
――クレープが何を意味しているのか分からない(笑)。
燃え殻 ひとまず「わかりました」と言って浅草に向かったら、「クレープ屋の前のベンチに座っています」とメッセージが来て。確かに、外のベンチに小沢さんが一人で座っているんです。本当にヤバいと思いました…。しかも「人見知りだから、あまり喋れない」とか言い出して。どうしようもないから2人でベンチに並んで座りました。まるで映画『家族ゲーム』ですよ(笑)。
で、そこから小沢さんの家に伺って、酒を飲んで。いろいろと話しているうちに気が合うことに気付いたんです。根っこが一緒というか…。そこで小沢さんが突然、「小説家、誰が好き?」と尋ねてきて。ちょうど『民宿雪国』や『さらば雑司ヶ谷』で注目を集めていた樋口毅宏さんの小説を読んでいたので、「僕は最近、樋口毅宏さんという小説家が好きなんですよ」と言ったら、小沢さんの本棚にも、樋口さんの『さらば雑司ヶ谷』があったんですよね。
――すごい偶然ですね……。
燃え殻 小沢さんも樋口さんの作品が大好きで、会ったこともある、と。その日はそれで小沢さんと別れたんですが、その後、小沢さんが僕の誕生日祝いをやってくれるということで、呼ばれた店に出向いたんですよ。そこで、小沢さんが「会わせたい人がいるから」と、扉を開けて紹介したシークレット・ゲストが、樋口さんでした。
ちょっと小説書かないか
――「会わせたい人がいる」…普通は女性かと思いますけど、まったく違った(笑)。
燃え殻 そうなんです、嬉しいんですけど、「あ、ありがとうございます」くらいのテンションで……(苦笑)。僕と樋口さんが初対面でポツポツと喋っていると、小沢さんが合いの手を入れるように「夢みたいだね」「ドキドキしてる?」って言ってきて(笑)。
――小沢さんとしては善意ですもんね(笑)。でもそこで、樋口さんと意気投合したわけですか。
燃え殻 そうなんですよ、樋口さんはその場でずっとプロレスの話をしていて、僕もプロレスも好きだし、音楽的な趣味も合ったので、今度は僕と樋口さんがちょくちょく会うようになったんですね。それで、樋口さんに呼ばれて二度三度と酒を飲んだある夜、「お前さ、ちょっと小説書かないか」と言われたんです。
――「芝浜」のように長い長い前振りでしたが、ようやくここで小説の話が出てくる(笑)。
燃え殻 でも、唐突ですよね。なんでそんなことを樋口さんが言ったのか、今でも分からないんですが…。「いや、僕は長い文章を書いたことがないので、絶対に無理だと思います」と断っても、「いや、書いたほうがいい」と樋口さんは言い張る。「いや、書けないと思います」。「書いたほうがいい」……超酔っ払った樋口さんが迫ってくるわけです。もう、すごく怖いじゃないですか(笑)。
――それは怖いですね(笑)。
燃え殻 そうしたら樋口さんが「俺、今からちょっと人を呼ぶから」と言ってやってきたのが、cakesの編集者の中島さんでした。中島さんは僕のことを何も知らないのに、「こいつは小説を書けるから、明日からメールしろ」と樋口さんが言うんです。中島さんも「はい」と言っていて……(笑)。
――知らない人に小説を書かせるためにメールしなければいけない。編集者としてはつらいですよね(笑)。
燃え殻 絶対に面倒くさいと思ったはずなんでよね。「誰なんだよお前は。なんで俺がメールしなきゃいけないんだ」って普通は思うじゃないですか。しかもTwitterの呟きを集めた本なら分かるけど、書いたこともない小説で、しかも連載って……。
中島さんも樋口さんに怒られないように、という気持ちが強かったと思うんですが、その後すぐに連絡が来て、「とりあえずメールのやりとりを始めませんか」と。半年くらいはメールだけで、その期間に会ったのは最初の1回だけですよ。
――Z会の添削とか赤ペン先生みたいな感じですね(笑)。
燃え殻 「燃え殻さんは、今までの人生で何かありましたか」みたいな、すごく大掴みな質問がくるんです。「どんな恋愛をしましたか」「すごいカワイイ女性と付き合って、バンバンやりまくったことはありますか」といったような、雑な質問が(笑)。そのときに、「いや、俺、すげえブサイクな女にフラれたことがあるんですよ」と返信したら、「え、ブサイクなのになんでフラれるんですか…!?」という感じで返事が来たんですよ!
――ようやく、本当に食いつく瞬間が訪れた(笑)。
糸井重里さんとのネット的出会い
燃え殻 そう。そこから、主に恋愛の話になりました。「そのブサイクな人とどうやって出会ったんですか」「なんでブサイクなのに付き合ったんですか」「どういうことをしたんですか」と聞かれて。ブサイクにやたらと反応するんです(苦笑)。この彼女というのが、小説でも中心となる女性なんですが、「でも、俺はその人のこと、今でも好きかもしれないんですね」と返しました。
中島さんとそういうやり取りをするのは楽しかったんですが、すぐに「これで一冊書けますね」という話にはならない。実際に僕と彼女がしていたことを思い返しても、渋谷・円山町の奥、神泉のあたりのラブホテルに引きこもってばかりいましたから。
もうちょっと華のあるエピソードや紆余曲折はないのか、ラブホテルばかり行かれても困る、ということを聞かれるようになりました。まあ、編集の方の感性として当然ですよね。
――作品に動きがないと、困りますよね…。
燃え殻 そんなラブホテルだけの密室劇ってあるかよ、とは思いますよね。「もっとちょっと、何かこう、ないですか、木製のメリーゴーランドに乗ったみたいな素敵な思い出とか」「ないですねえ」といったやりとりが続いて……(笑)。
そんなことを続けていたある日、突然、中島さんがそれまでのメールをすべてコピペして、ドーンと送ってきてくれたんです。「これ、何かになる可能性がありますね」と。
――!!それで、ようやく小説への第一歩が踏み出されたわけですね。
燃え殻 それを読み返しても、ほとんどが日常の愚痴だったり、「今週は死にたい」みたいなネガティブな文章だったり……「本当に何かになるのかな?」と自分は思いましたが、「じゃあ、連載しましょう」と話が進んじゃったんですね。メールのやり取りを続けるうちに、中島さんが、随分とその「彼女」に共感してくれたようなんです。
僕が付き合ったその女の子というのは、すごく綺麗で誰もが羨むような人ではないんですが、1人でルノアールで珈琲を飲んでいるときとか、昼飯でパスタを黙々と食っているときにふと「あの子、何やってるかな……」と思い出してしまうような女性なんです。人に言うほどでもないんだけど、自分にとって大事な人っているよね、という話を中島さんとしたのを覚えています。そうした、“決定的”ではないことで日常や人生ってまわっているよね、と。
――人生は何でもない瞬間の積み重ねだと。
燃え殻 「ここが人生の分岐点でした」、「ここが俺の人生の華で、スポットライトが当たった時期でした」みたいなことも、もちろんあるわけですが、そうではない時期だって、別に死んでいたわけじゃない。むしろ、そのスポットライトの位置まで自分を導いてくれた人というのがいるわけです。
点ではなく線でいろいろと、ああだこうだと会話しながら一緒にいた、そんな人のほうが恩人だよね、と。そして『ボクたち』のヒロインでもあるその女の子が、僕にとっては、まさに「その人」だったんです。
それこそ、その子がいたからこそ小沢さんがクレープ屋の前で待っていてくれたわけですし、元ハガキ職人の方のTwitterが改めて面白いな、と気づける感性が僕のなかで育ったわけですから。彼女がここに連れて来てくれた、という感覚はすごく強いです。
自分という存在のなかで、自分以外の人で多くのパーセンテージを占めるのは、すごく有名な人であるとか、戦国武将のような人ではなくて、普通に道ですれ違ったら誰も振り返らないような人だろう、と。これ面白いよねと話したり、悲しいことを共有したり、そうした日常において僕の中に世界を見る“物差し”をつくってくれた、1人の女の子のことを書きたいなと思ったんですね。
――それでウェブ連載を始めたら、糸井重里さんを始め、名だたる方々が「これは面白い」「グッとくるものがある」と言って、大評判になっていくわけですが。
燃え殻 おかげさまで……ほんとに、ねえ(笑)。でもインターネットってそこがすごく面白いなと思って。本来踏むべきステップを踏んでいないというか、なんでしょう、“端折って”ますよね。
――人気になって、単行本を出せるところまでたどり着くのに、普通はどれだけの梯子を上らないといけないのか、ということですよね。
燃え殻 良いことも悪いこともすぐに“端折って”伝わるメディアでもありますけど、それこそ糸井さんも“端折り”たいんだろうなあ、と感じることがあります。それってすごくインターネット的ですよね。実際に連載している途中、第1章の最終回の時に、糸井さんから始めて「面白いね」と感想のメールをいただいたんです。
美術家の会田誠さんも小説へのコメントをくれたりとか、「ああ、こういう方たちも読んでくれているんだ」と思いました。ここでも、インターネットの“段差”の無さをすごく実感したんです。
(構成/文 フリーライター・宮田文久、撮影/村上庄吾 インタビュー後半は、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の世界に迫ります→https://gendai.media/articles/-/52271)