劇場アニメ ベルサイユのばら 、ついについに円盤化おめでとうございます!
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1月の公開から、そして7月のBluRayDVD発売決定の報からこんなに経ってしまったが、円盤化記念にどうにかこの永遠にまとまらない感想を終わりまで書くぞという意気で取り掛かってみた。 が、役者語りだけでじゅうぶん長文になってしまった。もはや読まなくてもいいですの域なのですが、書いたから載せるぞおお…ベルばら…万歳…!
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私はそのとき、ユーネクス トのトライアルで、家で映画見放題を満喫していた。付与されたポイントの使い方もわからぬままに。 そしてようやく、あと2週間で失効してしまうことに気付き、焦っていた。
とりあえず劇場公開中のガンダム ジー クアクスに飛びついた。劇場で見るつもりなかったけど…などとほざいていたものだが、劇場で鑑賞するとやはり劇場しか!という感想が出るから現金なものだ。 これで任務完了…と思いきや、新たな問題に気付く。なんとあともう1回分ポイントが残っていたのだ。 映画館内を見渡す。鏡に貼られたキャンペーンが目に入る。キャラク ターとツーショットが撮れるらしい。美女だ。
ベルサイユのばら だ。
原作も未読、昭和TVシリーズ も未視聴、宝塚版も観ていない。 キャラク ターの名前もわからない。マリーアントワネット、教科書で見たきりだ。フランス革命 も記憶のはるかかなた。 この時代の文化さえ知らない。 鏡の隣のポスターに書いてある4人のメインキャストの名前を見る。
のんきなやつだ
客席に座り、広告が終わってロゴが出てきたところでようやく、あコレMAPPA なんやね、と知る。 とにかく歌うらしいということであったので、登場人物が増える度に「このひとは歌うか?歌え…!歌え…!」と思っていたのだが(特に田中真弓 さん、歌聞きたかった)、さすがに全編通して歌いまくりというわけではないらしい。
しかしなんとも華々しい!歌からセリフからBGMから映像から何から何まで徹底して同じことを伝えまくってくる。MAPPA らしい過剰さだ。「わかりやすい」と「わかりやすすぎる」の間をうまく縫ってくるセンス。 このセンスは、メイン4人のキャスティングにも大いに影響している印象だ。絶対に「わからない」ようなお芝居はしない人たち。観客に伝わらないような、ある種エゴを感じる視野の狭い表現はここではしない。これは、この作品全体を通して意識されていることかもしれない。とにかく本作は「伝える」ということにかなり重きを置かれて作られていると感じる。 だから、とりあえず私の好みとは言い難いこの過剰さは気にならないなと思った。些事だな。そもそも好みなんてそれぞれなのだから、私の好みを蔑ろにしてこなければ、好みじゃないとかいうことは大した問題ではないのだ。視聴者としては、作品が通そうとしている筋が、自分の心根と合えばそれでいい。
そうして、そんな中でやってきたResonance of Love……
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フェルゼンの歌声を聞いた瞬間に…脳天が雷に撃たれたかとおもった。 正直、この超ド級 ラブラブミュージックビデオかのような映像には「なんや…!いやコレなんや…!なんでやねーーーん!」と思っちゃう感性をしている私なのであるが、 もう…、そんなことはどうでもいいのである… どうでもいいくらい「愛」…五体投地 … もうなんでもいい… もう一回聞かせろください…
中毒とはこのこと
さてここでマリーアントワネット役平野綾 さんと、フェルゼン役加藤和樹 さんの話を少ししたい。 平野さんは本作で、アントワネットが少女から成熟した女性になっていくまで、明確な違いをつけて演じておられる。特に後半、王妃として、また母としてのアントワネットの声は、映像として描かれなかった時間がいかに深いものであったかを一瞬で痛感させるものだった。見事だった。このお芝居の力は、原作と比較したときの劇場版のアントワネットのエピソードの少なさを補填して余りある強さを持っていたと思う。アントワネット様は、このようなお人になられたのだとわかる。エピソードが足りない?些事である。充分だった。そして、アントワネットの声のギャップの良さは、オスカル役沢城みゆき さんのお芝居があってこそ、より鮮明に感じられるのだと思うのだ。出ずっぱりのオスカルは、少女のころからあまり変わらないように聞こえる。切り取って聞くと成熟しているさまは分かるのだが、それはとてもなだらかで、私たちに違和感やフックを与えるようなものではない。こういった対比からも、ふたりは、道は違えども影響を与え合っている関係性だと感じられるのだ。こういう采配、やはりMAPPA のセンスが効いているのだと思う。
私事だが、私は平野さんと同年代である。(というか4人とである。)正直、ここから先は作品への感動ではなく、中の人…役者さんへの共感であり、作品の感想と一緒くたにするのは違うとは思いつつも。 本作では特に平野さんにかなり共感し、かなりかなり感動をしてしまった。と言っても、平野さんのお仕事のほんの少しをかいつまんで見ただけのにわか中のにわかなのだけれど。最後に彼女のお芝居を観劇したのもコロナ前なので、もう本当にずいぶん前だ。 これまでずっと平野綾 さんのお芝居というと、全身全霊、最初から最後まで全力であるこ とこそが全て、という印象が勝手にあった。必死すぎる、そう映ることもあるくらいだった。 華奢な体にもかかわらず、どこまでも届きそうな通る声で、充分上手な歌で、それでもまだ届かない、全然足りない、まだ私はやれる、もっとやらなきゃと― でも、今になったからわかる。そんなこと、自分だってそうだったのだ。 アラサーなんて言われるものは、大人になってからこれまで自分の積み重ねてきたことへの自信と、それでも全く敵わない先輩の背中への憧れと、足りない自分への苛立ちと、まだ遠く後ろにいた気でいた後輩が真後ろに迫っているような焦りとで、必死に自分を正当化して痛々しいほどもがいている時間だったのだ。 観劇なんて自分はオフで、リラックスしているから、お仕事真っ最中の人さまのことを必死だなんて言えてしまうのだけれど、実際自分が仕事をしている時間なんて、必死以外の何ものでもなかったのだ。 だから、力み過ぎない余裕を得たような平野さんのお芝居に、もう本当に勝手に、私たち頑張ってきたんだよね~!泣泣泣、と、もう本当に自分勝手な共感をし、物語への感動と相まって、ずっと心打たれているのです。
それから、加藤和樹 さん。 私はB-PROJECT のファンなので、とても馴染みのある加藤さん。…むしろ、和樹さんの声優としての経歴に、アニメBプロという「イケメンをふんだんに使用したドのつくギャグアニメ(特に2期(特に2期)(おもろいのでオススメ))」があることに、謎にも罪悪感さえ覚えるくらいだったが… 近年の和樹さんのアニメのお仕事は、なんだか、ついにこの時代来たなとさえ思えるよね。 ご自身を役者として、いや表現者 として定義して、ひとつの場所だけに留まることなく、あらゆるお仕事にチャレンジしてきてくれたからこその結実をみせていて、やっぱりかっこいい人だなと強く感じる。 しかも、たとえば、和樹さんおひとりが、ミュージカルにアニメに歌手にとご活躍されているだけでは、今のような状態にはならないのだよね。 加藤さん、平野さんをはじめ、本当にいろいろな場所で輝いてきた人たちが、アニメも「表現の場」として選択してくれて、しかもお芝居だけでなく、それまでの場所で戦ってきた武器を活かして最大の表現をしてくれる。 これは、スタッフ陣にも言える話だと思っている。 「ベルサイユのばら 」のために集まった人たちそれぞれが、これまでやってきたことと、これからやってみせるぞと思っていること、そのすべてを出して見せてきたようなパワーがある。映画ベルサイユのばら は、そういう個人が持っている力を集めに集めて成したひとつのピーク、到達地点だと感じている。
それから、ここで音楽を担当された澤野弘之 さんの話をしたい。MAPPA のアニメーションのことは先に述べたが、やはりMAPPA の優れていたところはセンス、バランス感覚のような部分だろうと思う。 澤野さんの音楽も、まさにこの点が素晴らしくよかった。 ベルばら映画のソンコレ・サントラの発売日、ベルばらで2枚出ているのも十分すごいが、澤野弘之 さんのCDが他にもいくつか出た。 この人今日何枚CD出すんや?と思い、Xで検索していた時のことである。 澤野さんファンの「ベルばら、澤野楽曲なのに曲名が読める」という旨の投稿を見かけたのだ。 ベルばら楽曲の良さのひとつは、要するに”そこ”である。 読みやすさ、聞こえやすさ、わかりやすさ。音と声、なにより言葉をいかに視聴者に伝えるかという事に腐心されているのではないかと感じている。 JPOP的、JROCK的であるのもひとつのポイントだろうと思う。 もし楽曲がミュージカル舞台らしかったり、ミュージカル調アニメーションの大家のようであったりしたら、それは永遠に二番手以降でしかないという事なのだと思う。 そのため、澤野さんらしくあり、かつ聞きやすくわかりやすい楽曲であることが、なによりも重要なポイントだったのではないかと思う。 ミュージカル俳優を使って、舞台上の表現とはまた正反対の性質のある録音という利点を最大に活かしたようなResonance of Loveの抑揚だったり、「オスカルの声で歌えなくてオクターブ違いで重ねて“お化粧”してもらった」と沢城みゆき さんがおっしゃったような澤野さんらしい多重なボーカルだったりと、いろいろな手も垣間見ることができる。 もうできるかぎり音響のいい環境で聞いてほしい。あっちからもこっちからも歌声聞こえてくるのはあまりにも最高だった。劇場ならではの体験だ。
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最後に、沢城みゆき さんと豊永利行 さんだ。 ここの相性はもはや異常だね。よすぎる。
沢城みゆき さんってもうみんなキャスティングの段階で名前を聞いただけで「あっ、なら大丈夫だ」と思わせるほどの実績がある人だと思っていた。 しかしどうもこれは、大変な失礼だったようだ。 今回ベルばら映画にハマったことにより、キャストインタビューをたくさん読ませていただいたのだが。 あ…このひと「あなたなら大丈夫だね」っていう大人の信頼とかいう傲慢もとい子供目線で言う手を離されたような経験を何度も味わってきたひとだきっと……!!? このキャリアでこの世間からの評判でなおめっちゃもがいて苦しんでいる…!!?!?え!!?沢城みゆき !!?! 器用なひとではないんだ、でも、自分は不器用だって自覚があるのに、ひとからはあんまり不器用だとは認められてきてないひとか…!? なんつう人間味!!!! オスカル様じゃん!!!! オスカル様だよ!!あんた正真正銘のオスカル様役がぴったりのひとだよ!!!! ええ~想像でこんな気持ちになることある!?あるか!!今がそのときだな!!? あ…すごい…
オスカル様って出ずっぱりだし、主人公で感情移入をしていると、作中を通した声の変化って気付きにくくなるものですが、またそれがいいのですよね。変化がさざ波のようでわからなければわからないほど、アントワネット様の変化がより際立つ。平野さんのあれは沢城さんへの信頼のひとつとも言えるのかもしれない。 ご本人は、オスカル様の声で歌えなくて…とかおっしゃっていたけれど、どの曲を指してそうおっしゃったかはわからないけれど、正直そこがいいのではないか!と言わざるを得ない。オスカル様の多重なボーカルは、オスカル様が押し込めてきた少女らしい一面のように響くこと響くこと。これは本当に澤野さんのやり方とオスカル様と沢城さんのマッチングがもうあまりにも良かった!
そして豊永さん。 私この方は本当に“違和感”のある役者だなと思うのですよ。 話の流れの中で今その瞬間ひとがどういう気持ちか、という発想のうち、多くの人が選択する感情を、芝居にあまり採用しないんだよね、という印象。 ああ、その感情をピックアップするのか、といつも思う。だからこそ、じゃあなんでそのキャラはその感情が第一なの?という問いの生まれるお芝居だと思う。受け手も考えるお芝居。あの人のこちらへの感情の揺さぶり方のひとつだなあと。 個人的には、劇場版のアンドレ だけではアンドレ という人を捉えきれなかった。これは原作を読んで解決、彼はいくつかの決意を抱くシーンをもっとも調整されたキャラク ターのひとりだからだろう。 「影」は人から…特にジャルジェ将軍から言われないといけなかったし、いわゆるブラビリや草むしりなどのすべてがあってようやくアンドレ をいう人を正しく認識できた気がしている。 だから、劇場版アンドレ は結構難しいひとだったと思う。だけどそれが、なんと、豊永アンドレ は、わかりやすいのである。わからんやつがわかりやすいのだ。 というかシンプルなのだね。オスカルが等身大に悩み、もがき、彼女の持てる人間らしさがあふれればあふれるほど、シンプルになっていくアンドレ 。 ただひたすらに愛。もうそれが徹底されているのだ。アンドレ が最もシンプルとは正反対であったのが毒ワインの時だろうと思う。要するにオスカルを殺して俺も死ぬ、という考えになったとき、アンドレ あの男は、上着 をバッチリはおり、このうえなく上等な格好をしてオスカルの部屋を訪れている(なおオスカル様は全く気にしない)。 このときの彼の考えは本当に傲慢でしかない。 だからこそ余計に、最後あのシンプルないでたちでオスカル様を迎えに来たのが本当に美しかったよね。その身一つで愛を分かち合うようなふたりがさ。
さてアンドレ の話になりすぎてしまった、豊永さんだけれど。夜をこめて。私あの人のバカの出力はじめて聞いた。特にサビ。後半。 豊永さんの歌といえば、1曲の中での抑揚?ペース配分?力加減?がまあ~~細かくて、ギアチェ ンジ・ブレーキ・アクセル操作できる人って印象がものすご~くあるのだが(それなんて勝平太?突然capeta の話よそうぜ?)。 え、夜をこめてなに?ブレーキ壊れた?出力バカになっちゃってるじゃん…かっ飛ばすじゃん…なにこれ…すごくいいじゃん……確かにブレーキ壊れがちだもんなアンドレ きみって…
アンドレ が影みたいな人だから歌声もあまり前面には出てこないのだけど、よくたどってみるともう…すごい……さらけ出し過ぎですよ全く…ありがとうございます…ありがとうございます……豊永さんのバカの出力でたすかるいのちがここに……あ…る
なんだか湿度湿度と言われる豊永アンドレ だが、若い頃は素直で朗らかでちょっと能天気でほんとうにかわいいひとだよね。 声もそうだけど、振る舞いも素直で朗らかで能天気。 平民と言いながら、身に余る環境で暮らすことができる。彼はおばあちゃんにたしなめられるほどには環境に甘えていたと思う。オスカルがアントワネットをめぐるフランスの状況を憂えていることを、軽く扱うほどには。 彼の受難はそのアンバランスな身の上に気付いてからなのだ。湿度の高さだけというよりも、カラっとした、あたたかな陽ざしの照らす昼間みたいな子どもだった、そこからの、深く、深く沈み込んでいくようなギャップのすごい人だったな。 Ravineは豊永さん曰く「がけっぷち」とのことだが、どちらかというと、その崖を作り上げてきた時間のことの方をおもう。
いやまったく、役者を語ることは作品の感想とは違うと思っているのだけれど。この作品はこのキャストの歩んできた道まで含めてエモいんじゃという気持ちが止まらなくて止まらなくて。これだけ長ったらしく書くくらいには劇場版ベルサイユのばら 主要4キャスト、よかった。 もうよかったしか言えない。よかった以外に言葉にしようとするとその1000倍書いてしまう。
ベルばらの何も知らず、本当の偶然で観に行っただけの人でしたが、いまこの作品に出合えてよかった。長い間作ってくれていたと言うよりは、もしかすると世に出ない可能性だってあったのかもしれない。だけど出会えた。公開してくれて、本当にうれしい。
この記事をここまで読んでくれて、まだ劇場版ベルサイユのばら を見てない方がもしいたなら、もう乗り掛かっていますよ、強制です、ぜひ見てくださいね!