浅草観月の初出

あたしは花梨。深川『舞扇』の芸者でございます。

正月の七日ともなりますと、深川の町も川霧の底に冷え込みが身に沁みる。それでも、新年の活気は衰えず、旦那衆の商いも本格的に動き出していやした。胡蝶姐さんの仕舞屋がある黒江町の界隈から置屋へ向かう道々、まだ門松の松の青さが目に眩しい頃でございます。

おさとの夫、政三さんは朝早く亀戸の横十間川へ出かけ、春の七草を摘んで戻りやした。芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔──竹籠から七草の香りが、家の中に春を運んでくる。 「お里、これで一年の無病息災を願うんだ」と政三。 お里は微笑み、「ほんにありがたいねぇ」と受け取る。

胡蝶姐さん一家の朝餉には、おさとが手際よくこしらえた七草粥が膳に並んだそうでございます。「七草を喰らえば、今年も病にかからねぇ」—そんな縁起を担ぐ、清々しい朝の情景が目に浮かびます。「ほんに、春の芽吹きが口に広がるようだわ」と笑う。姐さんの仕舞屋での「情」は、いつもこうして小さな優しさで満ちているのでございます。

胡蝶姐さんはこれからの勤めに備え、日本橋茅場町の呉服屋「越後屋市兵衛」へ黒羽織を誂えに向かいやした。越後屋は金より信用を重んじる江戸商人。おちかの七五三の衣装もここで揃えたほどの店でござんす。 「胡蝶さん、信用こそ商いの命でござんす」と市兵衛。 姐さんは頷き、「ほんにその通りだねぇ」と黒の中の「艶」を持った上等な反物を選びやした。

日本橋から駕籠で戻った姐さんは、すぐさま女髪結いのお艶さんを頼み、髪を芸者島田に結い上げる。髪の生え際には、簪として新春らしく稲穂を挿していやした。続いて箱屋の清吉が到着し、着付けを整える。お正月の初出に相応しい白と水色の流水文に千鳥が舞う裾模様の絽縮緬に、金糸の博多帯をきりっと締める。その身支度は、凛として隙がございません。 「姐さん、今宵は観月でございますね」と清吉。 「ええ、旦那衆の顔合わせ、大事な席でござんす」と姐さん。

暮れ六つ(午後六時頃)から今宵の大座敷が開かれる。場所は、浅草聖天町の料亭『観月』。廻船問屋の顔合わせで、商いと遊びに精通した旦那、大坂屋吉右衛門様の御座敷でございます。置屋『舞扇』からは胡蝶姐さん、あたし(花梨)、凛花の三人に加え、染吉(そめきち)姉さん、辰菊(たつぎく)姉さんの五人が出席。他の置屋からも数人集まり、総勢十三人の芸者衆と幇間が二人。大看板の顔合わせでございます。

深川の今川町から、舟宿『舟善』の用意した屋台船で胡蝶姐さんはじめ四人が大川を上る。屋形船には炬燵が用意されていて、炬燵で暖を取りながら、真冬の水面を滑る舟の上で、姐さんはきりっとした顔で隅田川の夜景を眺めていやした。今戸橋から左に折れ、山谷堀を進むと、料亭『観月』の灯りが見えてくるんでございます。

大坂屋吉右衛門様の御座敷は、華やかな喧騒に包まれておりやした。吉右衛門様の新年挨拶が終わると、飲めや謡のどんちゃん騒ぎ。胡蝶姐さんは扇を取り、艶やかな舞で座を収める。凛花とあたしは、姐さんの三味線を脇で支える。姐さんの舞には、「深川の意地」が通っており、大坂屋様も目を細めて見ておりやした。

無事、御座敷もお開きとなり、舟宿『舟善』の用意した屋形船にて胡蝶姐さん他四名が深川へ戻る。夜の船旅を終え、深川に着いた姐さんは駕籠に乗り換えておちかが待つ仕舞屋へと帰って行かれたんでございます。

こうして七草粥の一日は、春の芽吹きと芸者の粋が重なり、深川の人情を映す鏡となりやした。胡蝶姐さんの黒羽織は、信用を重んじる商人の心を映し、七草粥は一家の温もりを伝える。辰巳芸者の芸は、こうした日々の営みにこそ宿るのでござんすぇ。