Dolcissima Mia Vita

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石牟礼道子『春の城』または無名の庶民の言葉の温かさ

石牟礼道子『春の城(完本)』読了。900ページを超える分厚い本だが、その世界にずっと浸っていたくて、出先にも持っていって読み継いでいた。

タイトルは島原の原(はる)の城、島原の乱キリシタンたちが立てこもった城であり、その落城が春であったことも意味している。

春の初め、それはキリスト教の暦では四旬節。本文では「くわれすま」と表記されている。キリストの受難について瞑想し、自分自身も断食してその苦しみを分かち合う期間、それがちょうど落城寸前の、糧食も尽き果てたキリシタンたちの飢えと重なり合うのだった。

「今生の儀」と「後生の一大事」を峻別し、この世の境界を超えたところにいまひとつの世を作る、すべてを焼き尽くす劫火の果てにまことの信心の国を作る、その信念が、貧しく無学で武器らしい武器を持たない民衆を突き動かして団結させ、プロの武士集団の攻撃に耐えぬくことを可能にした。深く印象づけられるのは島々に散らばる切支丹たちの素朴と純真。来年の麦も蒔かず、乗ってきた船も壊して築城に使い、もはや死を覚悟しているのに、彼らの表情の花のように明るいこと。その結末は予想されているにもかかわらず、涙なくしては読めない。

数々の印象的な登場人物の中でもとりわけ、自分自身は浄土真宗で、亡くなった親を祀った寺をバテレンたちに毀たれた経験をもつ下女のおうめが、にもかかわらず切支丹の家族に長年忠実に仕えて大事にされて、最後の籠城までつきしたがう。水害で多くの死者が出たとき、仏教徒の死者を別に分けて葬ろうとする動きに敢然と異を唱えて、宗教による差別の愚を主張する場面が鮮やか。並の切支丹よりもはるかに深い宗教心を彼女に見ることができる。

「和をもって貴しとなす」という日本人の気質は、権力者に対して反抗的態度を取ることをためらわせてきたが、それがしばしば不正義を放置する結果になったのは否めない。著者石牟礼道子の中では、島原の乱の延長線上に、彼女が生涯をかけて戦った水俣訴訟がある。無名の無力な庶民が、権力者の不正義に対して公然と叛旗を翻した、それは二つの大きな出来事であった。

たとえば戦前のプロレタリアによる共産主義の運動も権力への反抗に違いないが、共産主義が教養あるインテリを中心に展開し、無学な庶民には縁遠いものだったのに対して、島原の乱水俣訴訟も、もちろんインテリも関わってはいたが、その大半は無教育の庶民だった。そのような庶民が主体になって展開した社会運動であるがゆえに、より根源的で先鋭的な社会への批判となり得たと言えるのではなかろうか。

石牟礼道子ノーベル賞をもらってもおかしくなかったと誰かが書いていたが、あの柔らかくて暖かい天草の言葉は翻訳不可能なのではないかと思う。たとえ意味が伝わっても、その言葉の持つ温度までは伝えられないような気がする。