富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ディアギレフ - 芸術に捧げた生涯

乙巳年正月初六。立春十二代目市川團十郎十三回忌。摂氏2.1/10.1度。県立図書館(本日は休館日)に還書huánshūに出かけ弘道館公園を少し歩いてみたが梅はまだかたいつぼみばかり。これが油断してゐると突然ポン!と開花するから(水府の梅まつりは11日から)その寒梅のタイミングがなか/\六ッかしい。それにしても“探梅比賞梅更有趣”なわけで、誰もをらぬ、まだ梅の木につぼみばかりのなかを独り彷徨ふこと有趣味。これで少しでも梅が開花した頃に雪でも降れば雪中梅……だが最早この地球温暖化ではそれも期待もできまい。


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シェング=スヘイエン著(鈴木晶訳)『ディアギレフ - 芸術に捧げた生涯』(みすゞ書房)を随分と日をかけて読む。先日、鈴木晶ニジンスキー - 踊る神と呼ばれた男』を読んだので続けてこの著者(鈴木晶さん)が翻訳してゐたこちら(ディアギレフ)を読む。1872年にロシア帝国のペルミで地方貴族の家に生まれペテルブルクに育ち芸術を愛しみ自ら芸術家になる道は諦めたものゝ1898年に雑誌『芸術世界』刊行してロシアでの西欧芸術の啓蒙どころか西欧にロシア文化を広めバレエリュスの結成が1911年。ジイド、ラヴェルストラヴィンスキーラフマニノフコクトー、サティ、ピカソ……ディアギレフのまはりに20世紀の煌びやかな芸術家が集まる。プロコフィエフの音楽にダメ出しだなんて。

私は、自分を詩人だと思い込むような愚かな年齢だったが、ディアギレフがそのことを遠回しに否定しているように感じた。そのことについて尋ねると、彼はこう答えた。「私を驚かせてくれ!君が私を驚かせてくれるのを待っているよ」。その言葉が私を、うわべだけの派手な生活から好き出してくれた。一週間やそこいらでディアギレフを驚かすことなどできないということを私はすぐに悟った。その瞬間、私は一度死んで生まれ変わる決心をした。その道のりは長く、辛かった。私が軽薄な精神に別れを告げることができたのは、他の大勢の人と同様、あの人食い鬼、あの聖獣のおかげであり、奇跡を起こせないような人生は堪えられないと考えているあのロシア貴族を驚かせてやりたいという欲望のおかげだった。ジャン=コクトー

共産主義革命。ロシア崩壊。『火の鳥』で主役のイワン王子の代はりに自由の帽子(奴隷解放を象徴する縁なし帽)をかぶって赤旗を振るロシアの百姓を登場させるディアギレフ。しかしスターリンソ連は貴族出身の同性愛者のバレエプロデューサーに優しいはずもない。自分が美しいと思つた若者を性愛の相手として、その上でその若者に磨きをかけるやうに一流の芸術や生活に触れさせてバレエダンサーとして大成させる……その「壮大なる芸術活動」を戦後の日本で芸能界でやつてみせたのがジャニー喜多川なのだらうが、それは悪業と断罪されるわけで、ディアギレフのそれが当時許容されたことで芸術活動が大きな進展を見せるとは。

ディアギレフ―― 芸術に捧げた生涯